第三項

投稿者:来生自然
投稿日時:2001年11月21日 06時21分26秒

> 相変わらず、後ろ手に隠しナイフ、ってところでしょうか? で、
> ・・・言説の特徴に差異が出ます。「わたしとあなた/あなたが
> いなければ・・・♪」二項です。じねんさんの言説を特徴付ける
> と思います。
>
> ところで、哲学者ってものは、実体である誰か、を意味しないと
> ころがあります。ソフィアの始まる土地、そこでは誰でもが哲学
> 者であり得た。哲学者は、ふっと人を訪れ、ソフィア=言葉を発
> し、また影の中に立ち去って行く何者か、って気がします。「わ
> たしとあなた/わたしと対象」にもうひとつの項が関わって来ま
> す。「わたしが語る」ではなくて、「わたしを訪れた哲学者が語
> る」。フォアソクラティカー(ソクラテス以前の哲学者)の哲学
> 的言説のかたちでもあります。三項です。
>

痛いところを突かれました^^ゞ
私の無意識によって存在のよりどころを形成し、ジョーカーさんの言葉から生まれた「後ろ手に隠しナイフ」でジョーカーさんを傷つけてしまったにもかかわらず、いつのまにかそのナイフで正面から刺されたってところでしょうか(笑)

でも、これですっきりしました。
いままでのジョーカーさんの発言の根本に第「三項」があったわけですね。

ジョーカーさんのおっしゃられる「三項」めの存在。
「哲学」ではどのように第「三項」を扱っておられるのでしょうか?

非常に興味あるところです。なぜなら、第「三項」の存在をどう扱っているかで、いわゆる「科学」といわゆる「宗教」が分かれたのだと思うからです。
私は、家庭内環境にて、この第「三項」への関わりを「宗教」と「科学」の両極端へ絶えずシフトさせて考えざるを得ず、「哲学」的な第「三項」の扱いを通り越してきたような気がします。

すなわち、そういう意味での真の「哲学」を知らずにきたのだと思います。

「私の悩み」で記述されていることのほとんど全ては、この問題から発生しています。

以下は、「哲学的第三項の扱いを知らない」私の考えです。もし、「哲学的第三項」の扱いが、ジョーカーさんのおっしゃられる「第三項」と異なっていたら、ご指摘ください。

「科学」
第三項は「科学的領域」には存在しない
「科学的領域」を越えたところに存在するかどうかについては
「不問」
もし「科学的」に扱いうるのなら、「客観的」存在でなければならない。
ただし、一神教の世界では、「第三項のトップが存在する」を
前提条件とし、いわゆる「西洋科学」を発達させてきた
「宗教」
第三項は存在する。
(特に一神教では)「第三項のトップ」を「盲目的」に信じる。

「哲学」
第三項は存在する。
第三項の源流へさかのぼってはならない。
第三項は旅人のような存在。


http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/4597/

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