日本と朝鮮

強制連行調査活動

 


1、到達点


 朝鮮人強制連行は、国家総動員法(1938年)、国民徴用令(1939年)によって1939年から当初は「募集」という形で始められ、その後「官斡旋」(1942年)、「徴用」(1944年)というように、日本国内で労働力の不足する炭坑・鉱山・軍需工場・建築現場などに、次第に強制力を増しながら労務動員が行なわれた。「郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男子のある家の寝込みを襲い、或ひは田畑で働いてゐる最中にトラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくて集団を編成して、北海道や九州の炭坑に送り込み、その責を果すという乱暴なことをした」(鎌田澤一郎『朝鮮神話』創元社、1950年)という証言もある。朝鮮人強制連行について、その実数については、日本政府も公表を行なっておらず民間団体の調査活動においても明らかになっていない。
 朝鮮人強制連行の調査活動は、1965年発行の朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』を嚆矢とする。1970年代には朝鮮人強制連行真相調査団が全国的な調査活動を展開し、その成果は単行本あるいはパンフレットとして刊行されている。80年代にも、70年代の調査活動に参加した団体や個人の継続的な努力が続けられた。
 1990年に入って盧泰愚(ノ・テウ)韓国大統領の訪日に際して、これまで非協力的な態度をとっていた日本政府も強制連行者名簿を提出することになった。この名簿のなかには労働省の倉庫に保管されていたいわゆる「厚生省名簿」6万6941人分も含まれていた。この名簿は後日、日本でも公開された。この名簿公開もひとつの積極的な契機として、1990年には全国的な規模で民間団体による朝鮮人強制連行調査が進められた。「朝鮮人・中国人の強制連行・強制労働を考える全国交流集会」も1990年から99年まで毎年開かれ、全国各地での調査活動の経験が交流会をとおしてさらに豊かなものとなっていった。このような活動の中で90年代には多くの調査結果が単行本・パンフレットの形で発行されている。朝鮮人強制連行真相調査団も90年代に全国的に再組織され、都府県ごとあるいは地域ごとの報告書が刊行されている。一方、90年代には強制連行に関連する多くの裁判が提起され、この裁判がまた調査活動を推し進めていく力となった。
 地方自治体の調査活動も一部で行なわれ、北海道および神奈川県はその成果を公刊している。市町村においても強制連行調査あるいは強制連行をモニュメントのような形で残すことに対して協力するところもあらわれるようになった。

2、今後の課題および要望

 1960年代から継続されてきた民間の調査活動を更に底辺をひろげて推し進めていくことが重要である。そしてその努力と共に、成果を単行本・パンフレットのような形で公表して共有の財産としてことも重要なことである。またそのために民間の調査研究グループの交流を強めていくことも必要である。
 行政当局は、1965年の日韓条約締結当時は内部資料を公表することがなかったが、今後は90年代はじめに強制連行名簿を公表したように、自らが持っている資料を積極的に公開することが求められている。現在、日朝交渉が行なわれているが、その交渉においても日韓交渉のときのように日本側が資料を示さないで相手側に資料の提出を求めるような態度は改めなければならない。
 さらに行政は自らの責任として、歴史を記録し刊行することが求められている。広島原爆資料館のように「朝鮮人強制連行」に関する資料館を日本政府・地方自治体が作ることも求められている。朝鮮人強制連行についての基本的な知識を広く日本社会に知らしめ、その歴史的事実を前提として在日朝鮮人に対する具体的な政策も進めることが必要である。