在日外国人

諮問押印制度

 


1、どこまで法制度の改正を勝ち取ってきたのか


 1952年4月28日に外国人登録法が施行されると同時に導入されてから48年、2000年4月1日を期して、指紋押捺制度が全廃された。80年9月、韓宗碩(ハン・ジョンソク)さんの「たった一人の反乱」から始まった運動は、ついにはこの強固な制度を突き崩した。
 1985年の大量切り替え期を頂点とする指紋押捺拒否運動の高まりに対して、政府・法務省は、「生涯一回」「転写指紋」制など部分的な改良を重ね、あるいは昭和天皇死去に伴う「恩赦」など運動の懐柔策を取ってきた。93年には、在日朝鮮人・台湾人の大半を占める永住者・特別永住者の指紋を免除するという「改正」を行なってきた。
 しかし私たちは、法務省が免除の理由に上げた「社会との定着性」「定住性」「歴史的背景」という言葉に惑わされることなく、同じ背景を持ちながら特別永住者資格を持たない在日朝鮮人・台湾人や、連帯して指紋押捺を拒否してきた欧米系の外国人あるいはニューカマーの人々を含む、全ての外国人からの指紋押捺義務の撤廃を要求し続けてきた。
こうした原則的な立場の堅持が、昨年の改正に最終的に結実したのだと思う。わずか1年半前までは、1年の在留を越えた新規入国者や16歳になった非永住外国人は未だに指紋を取られていた事実を私たちは忘れてはならない。
 また、昨年の改正では、特別永住者に限るとはいえ、外登証の常時携帯義務違反への罰則が、逮捕のできる刑事罰から逮捕できない行政罰に軽減された。罰則制度は存続しており、「改正といえるものではない」という意見もある。しかし、これまで常時携帯義務違反を口実に不当な逮捕・身体拘束が弾圧の手段として使われ、在日が日々その恐怖の中にいたこと、政府・法務省が、国連の規約人権委員会の勧告など国内外の改正要求に頑として応じなかったことなどを考えれば、限定的であれ罰則の軽減をしたことの意味は、小さくはない。
 昨年の国会ではまた、かつて指紋押捺拒否を理由に、結果として永住資格が剥奪された崔善愛(チェ・ソンエ)さんの原状回復が、入管特例法の附則という形でなされた。これは一個人の救済のために法律を変えさせた点においても画期的なことだろう。また、法務省交渉を通じて、やはり80年代、指紋拒否を理由に在留更新不許可処分を受け、「不法在留」状態を強いられた上智大学のビセンテ・ボネットさんの在留資格も回復させることができた。同じ状態にあるTさんについても、本人の意思があれば同様の措置がなされることが約束された。
 総じて、20年に及ぶ原則的で粘り強い闘いによって、私たちは、出入国管理法とともに、戦後の在日朝鮮人をはじめとする在日外国人を日常的に管理・監視し続けてきた日本国家の差別的制度の柱であり象徴であった指紋押捺制度を撤廃させ、外国人管理制度の破綻を確実にもたらしたのである。

2、この運動の意義、到達地平は何か

(1)政府・国家との関係で
 なんといっても、まず上げなければいけないのは、戦後、在日の日常生活を差別し、管理・抑圧してきた法制度を、“名も無き”民衆の力でついに廃止させてきたことだろう。運動の高揚に対し、日本政府や韓国政府は双方の思惑を持って会談し、何度かの「法制度の改正・改善」措置を取ってきたが、それは民衆の怒りが自分たちの足元を揺るがすことを恐れたからであり、政府の「誠意」や「英断」の結果ではない。
 韓さんが初めて拒否の意思を明らかにした時、周辺の人々はその無謀さを批判し、あるいは無視したそうである。確かにそれまで在日が置かれてきた状態からすれば、その態度は当然であり、指紋拒否は巨像に立ち向かうアリのごとくであっただろう。しかし、ちっぽけではあるが強固でしなやかな意思を持ったアリが無数に集まり、国家の法制度という巨像を倒した。この意義はどんなに強調してもし過ぎることはない。
 6年前に亡くなった崔昌華(チェ・チャンファ)さんは、79年から日本の差別制度を国連に訴えてきており、この分野での先駆的な働きを行なってきた。また86年、韓国からの留学生で詩人の金明植(キム・ミョンシク)さんが、指紋拒否を理由に国外退去させられようとした時、それに反対する声が海外からも届き、国際監視行動が取り組まれた。「金さんを守れ」の運動は、国内外の大きなうねりになった。また私たち90年協議会もこの運動がきっかけでアメリカのマイノリティグループと交流することとなり、日本のレイシズムを告発する訪米団の行動がアメリカの新聞に何度も報道された。
 国連の規約人権委員会は度々、日本政府に差別制度改善の勧告を発し、日本のNGOからのカウンターレポートも提出されているが、指紋拒否の運動は、日本国家の差別制度・レイシズムの存在を国際社会に広く訴える上で大きな役割を果たしてきた。
(2)運動の主体にとって
 在日が敗戦直後や制度導入の時期を除いては戦後初めて、日本国家・政府の政策、法制度に対し、公然と「拒否」の声を上げ、大衆行動を繰り広げてきた。もちろんそれまでも「拒否」の意思表示や行動はなくはなかったが、多くが個人の行動に限られたり、李珍宇(イ・ジヌ)や金嬉老(キム・ヒロ)のように歪んだ形にならざるを得なかった。指紋拒否の運動は、特に若い世代、組織に属さない個々人が自らの意思で自由に発言し、行動してきた運動だった。
 運動の初期に、「指紋は象徴であり、きっかけだった。ある意味では指紋でなくてもよかった。自分を表現する何かに参加したかった」という在日の声を聞いた。この運動の一つの特徴を表していると思う。
 在日の差別を告発する運動はそれまでもあったが、特にこの運動を契機に国籍条項撤廃運動、在日の戦後補償要求運動、強制連行や植民地支配などの歴史発掘運動、参政権要求の運動、地域で在日との交流が生まれ、あるいは更に広がりを見せることになった。
 指紋拒否者の逮捕・起訴によって裁判が各地で行なわれ、在日の問題に取り組む弁護士が増えたことも大きい。指紋裁判で活躍した弁護士が以降、戦後補償裁判やニューカマーの弁護活動に多く参加している。
 長く根強い差別制度の存在と多くの日本人の無自覚によって、「在日問題」はともすれば、「加害者であり抑圧者である日本人」と「被害者であり被抑圧者である在日」というパターンで語られることが多かった。そうした構造は今なお基本的には変わらないが、この運動に参加した日本人の多くは「日本人自身の問題」として積極的にとらえ、日本人、在日が共感し共鳴し合った共同行動が作り出されて来た。
 この運動には、多くの欧米系外国人など様々な国籍の人々が参加してきた。在留更新不許可など、時として、こうした拒否者への弾圧は在日以上に厳しいものがあったが、確実に運動の国際化をもたらした。また80年代後半から顕著になってきた海外からの移住労働者・ニューカマーの増大の中で、外登法に対する位置関係、考え方に違いはあるが、日本の差別制度・差別意識と立ち向かう様々な共同の取り組み、交流が追求されてきた。
 この運動の対象の一つは自治体であった。戦後民主主義の柱の一つである「自治体」は在日外国人にとっては、日々自分たちを管理し抑圧する「権力」そのものだった。また自治体は、「地域住民としての外国人」の人権をどう守るのかが問われた。自治体は、国家の方か住民の方か、どちらを向いているのかが各地で鋭く問われたのである。
 こうしてこの運動は、日本の大衆運動の歴史にとっても、憲法が高らかに宣言している「自治」と「人権」を改めて問い直し、更に豊かにしていく上で大きな足跡を記した。

3、何が問題として残り、課題としてあるのか

(1)問題点
 指紋制度がなくなり、運用が弾力的になろうとも、依然として治安管理法としての外登法・入管法は存続している。重罰制度、再入国許可・退去強制はそのままである。法務官僚は「外登法は住民サービスの役割もある」と強弁しているが、詭弁でしかない。無数にある日本の法律の中で、「人の管理」を目的にした法律はこの二つだけだ。いかに日本の外国人政策が、「管理」を基調に成り立っているかをよく示している。
 最近明らかになった、公安調査庁による登録原票の写し交付事件は、国家権力が依然として在日外国人を治安管理の対象と見ていることを示している。かつ、自治体の人権感覚も、市民からの監視が緩むといともたやすく後退してしまう現状を私たちに教えてくれた。
 外登証の常時携帯義務違反については小さな穴は開いたし、「弾力的・常識的な運用」で、かつてのような不当な弾圧・逮捕は激減したが、制度そのものは残っている。情勢の変化によって、いつでも弾圧の道具になりうる現状である。
 一方の柱である入管法については、1999年の国会で「不法在留罪」が新設されたように移住労働者の増大を理由に、むしろ強化の方向に進んでいる。日本の外国人政策を改めさせるには、外登法とともに入管法の抜本的改正がなされる必要がある。また、指紋・外登法と闘ってきた私たちは、その分野では決して十分な運動、共同行動を作り上げてはきていない。
 永住資格者への地方参政権要求運動に反対する動きの中で、昨年末より特別永住者への「国籍取得緩和法案」が準備されてきた。この動きに対して露呈した、在日や運動側の消極的な対応に注目したい。この法案を真正面から受け止め、それが危うい内容を含んでいることを見抜き、反対を掲げたのは僅かな数であった。こうした現状に問題はないだろうか。また、「日本国勢取得が簡単になるのは賛成だが、参政権潰しだから反対だ」という理由だけでいいのだろうか。
 長引く不況や社会の閉息状況の中で、民族排外主義、偏狭なナショナリズムが勃興してきている。参政権要求への反対運動もこの雰囲気の中で力を増し、またその雰囲気を助長してきた。そして一部の論調に、「在日への処遇は特別過ぎる」「特別永住制度はいらない」という主張すらが見うけられてきた。そこには、在日の「権利」がいかなる努力の中で勝ち取られてきたのかという認識もなく、事実の歪曲も見られるが、こうした主張が著名な人物から発せられる時代に来たことに、警戒をしていかなければならないだろう。
(2)今後の課題
①外国人登録法の廃止から「在日基本法」へ
これまで見てきたように、指紋押捺拒否運動をはじめとする外登法の抜本的改正運動によって、在日外国人の人権や処遇については、法制度上はかつてに比べかなりの程度改善されてきた。しかし、外登法が管理を目的とする以上、どれほど「改善」しても限界がある。「住民サービスを提供する役割」なら外登法でなくてもいいのだ。すなわち、「公正な管理に資する」という目的を含め、今や根本的な見直しをする段階にきている。部分的な「改正」ではなく、いったん外登法を廃止して、それに代わる法制度を整えるべきなのである。
 では、外登法に代わる制度とは何か。まず、現在「特別永住者」とされている在日韓国・朝鮮人、あるいは台湾人のいわゆる旧植民地出身者(法律の規定上、同じ歴史的背景を持ちながら「特別永住者」の資格を取れない在日もいるが、ここではそうした人々も含む)については、『在日基本法』といった新たな法制度を整えることが必要である。この点では、在日外国人の間で、異なった処遇が求められることになる。
 何故ならば、戦後の「在日問題」の根本は、つまるところ日本の戦後処理・戦後補償が未清算だということにある。1947年5月2日の外国人登録令、そして日本が独立を回復した1952年4月28日の講和条約発効と同時に施行された外国人登録法によって、「在日」は、当事者の意思を全く無視した中で、日本の戦後補償から切り捨てられ、外国人として管理される対象にさせられたのだ。植民地支配の下で厳しい差別と隷属・貧困と管理を強いられてきた「在日」は、その歴史に相応しい“特別な”処遇を受ける権利があり、戦後55年を経てもなお、それらが実現していないことこそが問題なのである。
 「特別永住者」以外の在日外国人の処遇、あるいは入管法に対する課題においては、国際人権規約に基づく内外人平等の原則、国連・規約人権委員会の勧告の実現、多民族・多文化社会の視点に立った外国人政策の抜本的転換、そして法制度の確立が求められている。外国人登録法に代わる法制度として、「外国人住民基本法」の制定もまた大きな課題となってきている。
②公安調査庁の原票写し請求事件の徹底追及を
 先にふれたように、公安調査庁が本年4月から6月にかけて、全国規模で韓国籍・朝鮮籍を中心とした外国人登録原票の写しを請求し、多くの自治体がそれに応じている事実が明らかになった。これは、公安調査庁という国家機関が、「破壊活動防止法に基づく破壊的団体の調査」という名目で在日外国人の原票開示を請求するという、これまであまり例のなかった(あるいは明るみに出なかった)事件である。
 1996年10月、小平市で市在住の全外国人の登録原票が十分な法的根拠もなく地元警察によって長年にわたって閲覧されていた事件が明らかになった。このとんでもない人権侵害について法務省ですら非を認め、それ以降、①照会の目的、②根拠法令、③対象者の国籍、氏名、生年月日、性別の特定などが原票開示請求の際の「留意事項」として列挙された。こうした事件を受けて昨年改正施行された外登法では、プライバシー保護の観点から、原票開示できる資格・条件を厳密に規定し、小平事件のような違法行為が法的にはできなくなっていた。しかも外登法の『取扱要領』では「照会ができる者」の中には公安調査庁が含まれていないのである。
 つまり今回の公安調査庁の行為は、外登法の開示制度の趣旨からも逸脱した、合理的根拠のない不当な人権侵害であり、厳しく追及していかなければならない。公安調査庁や開示請求に応じた自治体は、昨年12月に出された「公安調査庁に交付して差支えない」という『事務連絡』を根拠にしているが、これ自体、行政による過失の疑いがある。課長より下位にいる登録課補佐官によって発せられた『事務連絡』が、法律の趣旨や課長からの『通達』としての『取扱要領』を否定することはできないからである。そうした恣意的な運用によって在日外国人の人権が侵害されることがあってはならない。
 また、外国籍住民のプライバシーや人権を守るべき自治体が、根拠のない請求にいともたやすく応じたことも指摘されなければならない。問われているのは自治体(職員)自身の人権感覚であり、「国家機関」や「通達」に機械的に従ってしまう「地方自治」の在り方である。
 こうした重大な人権侵害事件に対し現在、追及の活動が進んでいる。ある市では、「破壊活動」とは無縁の在日韓国人の原票の写しが2回も請求され、交付されたことが明らかになっている。90年協議会でも、東京23区・26市に「質問状」を送り、全ての自治体から回答を得た。その結果、新聞で報道された本年4月より以前の時期にもすでに多くの自治体で原票の開示・交付に応じている実態が明らかになってきた。
 また、外国人登録事務連絡協議会全国連合会にも90年協と外キ協の連名で、今回のような交付を今後行なわないよう、申入書が提出されている。
 こうした各地の市民団体の追及の結果、幾つかの自治体では謝罪や反省の意思が表明され、法の趣旨から逸脱した請求がされないように、法務省への申し入れを検討するところも出てきている。この流れをさらに広がりのあるものにしていかなくてはならない。
 今日の日本は、在日外国人の人権やプライバシーが、いまだに安易に扱われ侵害される状態にあることを今回の事件は示している。多民族・多文化社会の実現に向け、法制度の整備、改正を進めて行くその一方で、自治体や国など行政に対する日常的な監視活動や交渉など、実践活動の積み重ねが改めて求められている。