特急列車の重み

1 特別急行列車

 掲示板のちょきさんのコメント「サンライズ出雲」に、「重たい感じがする」という表現がありました。これについて少し考えてみることにしました。現在「特急」という種別の列車は、JRの優等列車の中心になっている感があり、「急行」や「快速」よりも目立つ存在になりました。近い将来JRから「急行」という種別が消えていく、という新聞報道もありました。将来は「特急」「快速」「普通」の3本立てになっていくのでしょうか。
 かつて旧国鉄の中長距離輸送の中心は、「急行」であり「準急」でありました。東海道新幹線が開通直前の昭和30年代後半の時刻表を見ると、特に夜の時間帯に数多くの急行列車が東京駅を出発しているのがわかります。しかも電車タイプのものはビュッフェを連結していたり、客車タイプのものでも食堂車を連結しているものもあり、かなり優れているものでした。そのような急行列車の上を行くレベルの列車が特急列車、これは略称で、正式な呼称で言えば「特別急行列車」だったのです。当時の特急列車は急行列車に比べ運行本数も少なく、車両編成も豪華。まさしく「重みのある」列車だったのです。

 私が初めて乗った特急列車は昭和45(1970)年高崎線・上越線・信越本線を走る「とき1号」でした。当時急行しか乗ったことのない私は「窓の開かない車両」にびっくり、座席はすべて前向きで、とても明るい車内の雰囲気であったことを記憶しています。そして車掌さんの「特別急行列車とき1号でございます」というアナウンスに、母に「これ特急じゃないの?」と質問をして、「特急=特別急行」という意味を理解したのです。車両編成は10両で全車座席指定、食堂車にグリーン車2両連結という豪華版。停車駅も大宮・高崎・越後湯沢・長岡・東三条・新津・新潟と少ないもの。赤羽・大宮・熊谷・高崎・・・・・とたくさん停まる急行列車しか知らない私はすっかり感動したものです。

2 L特急登場

 「特急列車を利用しやすいものに」、急行列車を特急列車に格上げし、特急列車の増発が始まったのが1970年半ばころからでしょうか。東北本線を走る「ひばり」号(上野−仙台間)が毎時00分発、高崎・上越・信越本線を走る「とき」号(上野−新潟間)が毎時34分発のヘッドで10往復以上もの列車運行を開始、自由席の連結も開始したこのような頻繁に走る特急列車を「L特急」と名づけました。その後、年を経るごとに特急列車は増加します。「座席は4人向かい合わせで他人と顔を合わせて乗るよりは、進行方向に1方向の座席の方がよい」そんな世間の意見もあったのでしょう。しかし本数は増えるが停車駅も増えるようになり、かつて「急行」や「準急」の停車した駅にも停車。特急が利用しやすくなったのと同時に、かつての特急列車の「重い」イメージから、「軽い」感じの特急列車が増えるようになりました。

3 性格にふさわしいサービスを

 JRの発足後、特急列車の性格が大きく変わりました。青函トンネルの開通により、「北斗星」「トワイライトエキスプレス」「カシオペア」といった寝台列車が登場した反面、松本清張の「点と線」にも登場した九州特急「みずほ」が廃止になり、その他の寝台特急も運転区間を短縮となりました。しかし、特急列車自体の本数や種類は年々増加しています。新電車寝台特急「サンライズ」のような「重み」のある列車や、運行区間の距離が100キロにも満たない列車も登場しています。食堂車が新幹線から消えるなど、車内設備にも変化が現れています。

 まもなくJRの列車運行形態が「特急」「快速」「普通」の3種類になろうとしています。特急にも風格のある、いわゆる「重い」感じのする列車もあれば、気軽に乗車できる「軽い」感じの列車もあります。このような列車を同じ特急として扱うのではなく、それぞれの性格に応じたサービス内容にしていく必要があるでしょう。サービスを定義つけるものが特急料金です。現在もA・Bという特急料金の種類がありますが、これをもっと細分化する必要があると思いますし、例えば高速バス等他の交通機関との競争区間については特定料金を設けるなど、思い切った料金政策を講ずる必要もあると思います。
 しかし、「重み」のある、風格のある特急列車を知っている方々から見ると、もっと特急らしい列車の登場をと思う方も多いのではないでしょうか。これからも、もっと特急らしい素晴らしい車内設備をもった列車が登場することを期待しています。

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