望むものは −
(これが最終コラムかも?)

 よく、エスパルスやジュビロのサポ−タ−がご贔屓teamの試合の勝敗に一喜一憂する姿をTVで見ることがある。

 何であんなに騒いだり、悲しんだりできるんだろう?勝ったのはサッカー選手であってサポ−タ−じゃないんだけどな
〜!ま〜、あの人たちにとっては、我が事なんでしょうけどね。
 
 野球でも同じで、巨人が負けて機嫌が悪いとか言う人の気持ちは到底理解できない。巨人の負けは選手の負けであって、自分の負けじゃない筈だ。しかも、自分は何も参加してなくて、よく機嫌が良くなったり悪くなったりできるなって、いつも不思議に思っている。

 私は、スポーツの応援とか、あんまり出来ない。そりゃ〜、日本のサッカ−がWorld Cupに進んだ時は、それなりに嬉しかったし、オリンピックで日本が金を取れば「やった!」くらいは思うけど、わざわざ会場まで見に行って応援することは滅多にない。最大でもテレビで見るくらいだ。オリンピックでも甲子園の高校野球でも、テレビ程度。まあ〜大体いつもはハイライトと結果しか見ない。応援するよりも自分の技量を向上させて自分自身がその場でplayに参加したい。


 高橋尚子の金は、高橋の金であって、私の金じゃないし、今まで頑張って、感激しているのは高橋尚子であって、自分自身は何も頑張っているわけじゃないから、そんなには嬉しくはない。

私は、やっぱり自分の関わった事でしか喜べないし、悲しめない。

 歌手なんかでもそうだ。若かりし頃、アイドルが来てコンサ−トを開くって言っても滅多なことがなければ行かない。どんなに好きでも、アイドルとか、そういう人は現実の人じゃないし、どんなに物理的に近づけても、心理的に近づく事はできない。

そう!それは私にとっては詰まらない事だ。

 まあ〜、強烈なファンの中には近づいちゃう人もいるし、コスプレなんかして一人悦に入っていっているんだろうけど、それにだって限界がある筈だ。

 それに、物理的に近づかなくても、充分に影響を受ける人だってたくさんいる。歌手にしろ、作家にしろ、画家にしろ、映画監督にしろ、彼らの最も得意な分野で接するのが一番だと思う。討論会のパネリストで来ていた時に生の声を聞くというのも一つの方法かもしれないけど、往々にして話す内容の先が見えてしまう。私の考えている以上の事、考えも及ばないような事を話してくれたり見せてくれなければ感激はしない。

私は、悲しいかな自分の利益に関わりのある事にしか反応できない。

 それは、物理的にでも、精神的でもです。自分が関わった結果でないと興味がわかない。まあ〜エゴですね。きっと廻りから客観的に見れば嫌な奴なんでしょう!


 よく、履歴書とか面接なんかで、「尊敬する人」なんて欄があって、書くことに困ったことがある。でも無理して知りもしない歴史上の人物やNHKの大河ドラマの主人公何かの名前を適当に書いたことがあった。でも本当は尊敬する人ってあまりいない。「目指す人」という意味では、それなりにいましたけどね!

 最近読んだコラムに今の大学生を対象にしたアンケートに、「尊敬する人は?」って尋ねたら、殆どの人が「自分」って書いたそうです。今だったら、私自身もそう書くかもしれない。「他人よりは、むしろ自分」、そんな気がする。

 部分的に「目指す人」ならいるんだけど、例えば、宴会の時の身の置き方のできる人とか、仕事の取り組み方について尊敬する人とか。尊敬って言うか、その上手なやり方を盗んで自分のものにしたいと思うわけです。だから、正確には尊敬じゃない。「尊敬」よりももっと身近で手が届く人達だからです。

 私は、昔からその時、その時の自分が嫌だなあ〜、変わりたいなあ〜と思う事がよくあって、「あの人みたいになりたい」と思ったら、その人の「良いな!」と思う所を盗んで、あたかも自分の本性であったが如く自分を変えてきたところがある。でも、まだまだ足りなくて、変えなくちゃいけないと思う事がたくさんあった。そうしたら、もっと好きな自分になれると思っていた。

 でも歳月を経て段々とその気持ちが少なくなってくる。良いにせよ、悪いにせよ個人としての人格ができあがってしまった訳でまた影響を受ける人が少なくなってきたからだ。

何か寂しくて詰まらない。

 若かりし頃、夢を語って目を輝かせ、できもしない難問にCharengしていた頃が華だった。だからたまに出会った夢持つ若者の熱い語りを聞く度に何とか応援してあげようと思うし、協力するように心がけている。そうすることによって自分の心を満たそうとしていた。でもそれは自分を誤魔化しているだけだって事は実はず〜と以前から分かっていた!

 
 私の望むものは
 
監督やサポ−タ−ではなく常にPlayerであり続けたい。
自分の価値観の赴くままに生き、目線は常に上を向いている生き方。

人に擦りよってまで生きたくないし、そんな生き方はできない。

それができれば苦労はしないけど、思いっきり嫌われるでしょうね!

 そう遠くない先には自分自身どんなふうになっているんだろう?
楽しみと言えば楽しみですが反面恐ろしい気もします。

何処かではじけて飛んでいってしまうんじゃなのかなあ〜?



 
今回、最終コラムかも知れない?と思い、自分自身の内面をもう一度、検証し直してみました。答えは出ませんでしたが深く見つめ直すことによって本質に触れることができました。
 もう2〜3年すれば惰性に流されてこんな事も忘れてしまうかも知れません。そこら辺のオヤジと一緒で酒飲んでクダ巻くようになっているかも知れません。
 もし、皆さんが私と同じ年頃になり、また同じような事を感じたり、悩んだりするようになったらこのHomepageの事を思い出してみてください。きっと何かの解決の糸口になるかも知れません。



それでは今月はこの辺で!

Sincerely  yours !

    

毎月のHomepage更新作業もだいぶきつくなってきました。3月号を持って閉鎖もちょっと考えています。
この一月でゆっくり考えてみようと思います。もしご意見ある場合はmailにてお願いいたします。