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 第三新東京市ぱられるふぃーばー


その10


 あっ、目が赤い!と、僕は衝撃を受けた。
 あざやかだった。ぱっと眼の前に現れたやり方は、魔法じみてさえいたんだ。
「あ、あの。そ、その・・・ごめん、カード僕が持ってて、渡しに行こうと思ったんだけど、僕の方が先に来てたみたいで・・・走ったんだけど、間に合わなくて。当たり前だけどさ。今、センターゲートの所で、待とうかと思っていたところで・・・」
 口をつくのはやくたいもつかない戯言そのものであって。
「こんにちわ、碇君」
「・・・あ、こんにちは」
 赤いって言うかピンク色と言うか。
 鮮やかな目で見つめられると、いや、見つめられなくても、綾波の前だと緊張する。それが、更に見つめあっている状態となると、更になんとなくだが追いつめられたような何か切迫した心地になる。
 間抜けな返答は、彼女の頬が笑みの形になったことでそれとわかった。
「ど、どうして、綾波。僕がカード持っていて・・・」
「カードの期限が切れていたから。インターホンで開けてもらったの。守衛さんは私を覚えていたわ」
「あ、そうなんだ」
 ははは、と笑いたくなった。
「はい、カード。こっちが新しいのだよ」
 ポケットからカードを出すと、一安心した。こういった場面で、とうとつに遺失するのが僕と言うものなのであり、落としていなかったか一瞬ひやりとしたんだ。
「あ、ありがとう」
 カードを渡す時に、柔らかい綾波の指に触れた。一息ついてクールダウンしたはずの体に不自然な熱っぽさが、ぶわっ、と広がった。
 何だか、今日は妙に綾波を意識してしまいそうだ。
 彼女は、あいかわらずセーラー服を身につけていて、それはとても似合っていた。こういったらへんだろうか、とても綾波らしい、・・・やっぱり変だな。綾波っぽいと言うか・・・思わず、じわっとこう、何て言うか愛らしいというか、その。
「綾波、今日、じ、実験だけど、がんばっ、あ、あーー」
 シューン。
 見つめあっている内に、僕等の間は、エレベーターのドアで遮られた。
 が、また、開く。
 きっと『開く』ボタンを急いで押したんだろう。姿勢がぎこちなく固まり、僕等は見つめあった。
 思わず笑いが込み上げた。彼女はおよそ、こういったスラップスティックとはかけ離れてるはずで。こんな場面は無縁だと思った。未だきょとんと見つめる、綾波の手を取って、引っ張った。
「っぁ」と、綾波は喉をならした。
 こんどこそ、つまり、綾波は、エレベーターを抜け出したわけであって。
「碇君、汗・・・」
「あ、うん。実は、カード、綾波に渡そうと思ってたんだけど、今日まですっかり忘れてて、思い出したら夕方で・・・とにかく色々あって急いだんだ。ははっ、ごめん、言い訳だよね。忘れたんだから、ほんとは綾波に怒られるかと思ったんだ」
「私が・・・?」
「うん、もしかしたら、期限切れのカードを入れた途端に、あの入り口のカードリーダーがものすごい音量の警告ブザーで大騒ぎになるとか、きっと綾波の迷惑になってしまうんじゃないかって、思ったんだ」
「確かに、鳴ったけど大したことは無かったわ」
「ごめん」
「気にしないで」
 彼女は無表情で言う。僕には、それが本当の意味での気にしないで、なのか、裏に何かあって隠して言う、気にしないで、なのか解らない。
 綾波はマイペースだ。スタスタと歩く後を僕は足早に追い掛けた。
 更衣室の前まで来る間に、僕は何度か話し掛けたが、すべて生返事だった。
 緊張しているんだ。と、解ったのは、発令所に着く頃だった。無視されているのかな。悪い事したなあ、と思ったのをひっくりかえして、僕はその意外な発見に緊張が波及している事に気付いた。冷たい風が通りぬけたみたいに鳥肌だった。
 これから、綾波はシンクロテストへと向かうんだ・・・。
 EVAは恐い。見ている方が恐いんだ。ただの実験、テストだとしても凶悪極まり無い暴走という恐怖が拭えない。明らかに、厳然と数だけの確率ではなく、あのリツコさんですら頭を抱える良く解らない意味不明そのもので暴走する危険がある。
 だからといって、綾波をポケットの中にしまっておくワケにも行かず。緊張していても、それは真摯さであり、彼女に取って乗り越えなければならないハードルだった。
 ・・・少なくとも、僕はそう理解しなければならなかった。
 綾波が着替えて出て来るまで、時間は掛からなかった。白いプラグスーツは、妙に艶めかしい。ぴたりとフィットしてボディラインを顕著にする。
「大丈夫さ。きっとうまく行く」
 僕が考えた末に掛けた言葉は、この程度であり。
 小さく、肯き彼女は発令所に向かった。
「あっ、レイちゃん!さすが時間に正確ね。じゃあ、赤木博士はケージに居るから、今日は直接ケージに向かってね」
「はい」
 マヤさんだった。彼女は、綾波に話している間中、なにやら意味ありげな視線を向けて来た。
 さすがにケージには付いて行くワケにも行かず。僕は、発令所のすみっこで、零号機を見守る事にした。
 綾波が緊張をするのも無理はなかった。彼女は前回のテストの時、事故で怪我を負ったのであり。
 そして、既に使徒がいつくるかという状況で。シンクロには必ず成功する必要があった。それは、彼女の大切な仕事だ。と、僕は改めて感嘆せずにいられなかった。彼女の真剣さ真摯さこそは、僕の必用としているものではなかっただろうか?ふらふらと軽佻浮薄に漂っているような気がした。僕は、まるで不真面目そのものだ。
 綾波がエントリープラグに体を滑り込ませる時、ちらりと発令所を見上げた。父さんを探しているのかな、と思うと、プラグの中に入ってしまった。
 それは、僕を見つけて欲しいというのと裏返しだろうか。
 ミサトさん、母さん(リツコさん)、父さん、副司令、青葉さん、日向さん、マヤさんと、他にもオペレーターが何人か、外では作業員が零号機のテストに走りまわって居た。それは途方もなく大掛かりであって、世紀の大マジックの仕込みみたいな、恐るべき綿密さで進められているはずであって。
 そして、もうすぐ始まるはずだった。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ」
 手持ちぶたさなのはミサトさんだった。技術部の調整が済むまで、というかこういったテスト自体には直接にミサトさんは関係がない。こと、訓練となれば、別だが、実を言えば、そのはるか前で、僕等は足留めの段階であって。
 こんなに不安定な怪しい兵器はまたとないだろう。トリガーを引いても玉が出ないリボルバーみたいなもので、えてして、どうしたんだろう、と筒を除き込んだ瞬間に発砲しかねない。こんな代物を信用してはいけないはずであって。ネルフの本来の姿は戦闘的組織なのかもしれないが、普段は実験実験のリツコさんの研究所というものであり。
「何ですか?」
「なーにシンキクサイ顔してんのよ!このコノー!大丈夫、大丈夫。二人の愛があれば、そうね、オーナインシステムだって・・・」
 ミサトさんは、言い掛けて口をつぐみ、腕を僕の頭に絡ませて、ぐいっとばかりに引き寄せた。
 それは電光石火そのものであって。
「元気だしなさいったら!」
「みみみみ、ミサトさんっ」
 ミサトさんは良い匂いがした。あったかい匂いだった。ひだまりの太陽の、ぽかぽかとした暖かさで。窮屈に絞めつけられた僕の頭は質感ある不思議に柔らかなどこかにめりこむ、めりこみ、ぶくぶく、と沈んだ。素早く、火に触れたようなスリルが僕の背筋を走りぬけた。同時に懐かしさと、無限の愛情がしみ込んだ。
 ミサトさん、ミサトさん、ミサトさん。と、僕が想うものはすべてそれは、母さん、と変換されていたに違いなく。それは母さんと書いた姉さんなのかもしれず。想うまもなくそれは姉さんだと得心する。
 お姉さんであるミサトさんは、すごく優しく、りりしく、僕のたった一人の保護者であった。応援団長そのもので。最高の支援者なんだ。
「シケタ顔すんなよ少年!お姉さん達にまかせなさい!」
 ささやく様に言ったのは、愛してますという言い方であり、そして、ミサトさんは発令所のどまんなかで、思いっきり音を立てて(ほっぺたに)キスをした。
「元気の出る、オマジナイ!」
 ぱっ、と開放された僕は、情けなくへたりこんだ。
 奇跡的にまわりは騒ぎにならなかった。
 どう考えても、人目につくはずだ。職場内。それも緊張で張りつめたみたいになっている静まり返った発令所だ。
 コンソールキーボードを押下する音がここまで聞こえるはずで。
「ほら、元気でたでしょ。腰抜けた?・・・だらしない事いわないでよ。シンちゃん。ほら、男の子でしょ」
 青葉さんが立ちあがって、慌ただしい口調が、その慌ただしさを伝える為だけに内容はわからず、だが慌ただしさは僕を凝然とさせざるをえず。
 ミサトさんの言葉は、中断を余儀なくされた。
 なぜなら僕の眼は、ミサトさんの後方の、一段と高くなった場所。父さんが立ちあがり、宣言するのに遮られたからだった。
「総員、第一種警戒体制!」
 既に、それが第五の使徒である事は僕にはわかっているはずで。
 まただ!僕は、既視感と、記憶の中で翻弄される。
 ヒューズが切れたような思考の停止と、闇雲に湧きあがる切迫した焦燥にそそけだった。ミサトさんが、停止した僕の視界の中で、振り返り、心配そうに僕の顔を覗き込む。
 何か、大きな流れに怒濤の勢いで流され、逆らう隙も見つけられない・・・そんな気がした。気がしたとうか、明らかに僕は間抜けそのものであるはずで。
 僕は、既に更衣室へ向かいプラグスーツを身につけようとしている。滑らかな薄手の生地が空気をぬくと体に張りつく。このキュッと引き搾るような感覚は気を引きしめているように感じた。僕は、明らかに戦闘体制に入ろうとしている。もちろん、気持ちがだ。
 激流の圧倒的な圧力に仁王だちで挑むみたいな、無謀さ加減で。
『初号機発進準備完了!』
 次の瞬間には僕はエントリープラグの中に居た。
 あっ、時間が飛んだ。と思った時、僕は「発進!」の言葉と共に地上へ向け猛烈速度で打ち出されたんだ。
 ガシン!と、眼の前が開けるのと、飴色に歪むのと同時だった。
「やめろ!」
 僕は、思わず声に出していた。それは、寝言そのものに違いなく。
 白色のまぶしさに包まれる。手足が自由になった。僕は、拘束されていたのだろうか?・・・拘束されていたはずだ。ケージから発射されるとき、台座に完全にロックされるのだ。そうか、拘束は外れたのだな。体が重く感じた。これはなんだ。著しいまぶしさは質量を伴っており、僕の前進ははばまれていた。拘束が解けた、と感じても尚、指一本動かすにも特別の注意が必要だった。まるでくまなく鉛の重しを掛けられたみたいな鈍重さで、熱心に祈るように注意を向けなければ指一本動かせないに違いなく。左手を掌で圧力を遮るように前に出す事さえ努力が必要だった。僕は、何をしているのだろうか。右手、右手。そうだ、お前だ。お前は、肩に動け。そう、ナイフだ。ナイフ、ナイフ。右手にナイフの感触。握っていた。白色の流れの向こうに、何かがいる。この膨大な圧力と質量のむこうに敵がいる、と直感していた。
 待っていろよ。うすのろ。光が切れてみろ。その時が終わりなんだよ・・・。
 痛い、痛い。痛みが痛いのか、体が何かに、それも大勢に殴られる痛み、痛い。削られる、ドリルか何かが胸板を通り過ぎようとしている。通り過ぎず、それは、痛い、痛みに僕は意識を、無くし。ダメだ、気をしっかりと持つんだ。今まで、晴れなかった雨は無かったはずだ。痛い。
「ぐ あ ア ア アォォ」
 誰だ。誰かが叫んでいる。痛い。うるさい痛いうるさい。耐えろ。痛い、うるさい痛い痛い痛い痛い痛い・・・!!
 うすらぼんやりと光が通り過ぎて行く。眼は焼かれては居ない。耐えきった。光はもう種切れなんだな。戸惑ったように、ピラミッドみたいな使徒が浮かぶ。見つけた。お前だな。ざわり、と体が賦活する。それはすみずみまでに波及する。既に地を蹴っている。
 風景がコマ落しの3倍速で流れる。狂暴が駆りたてる。ナイフだ。それ、ナイフを突きたててやるぞ。お前は、蕩けたバターそのものだ!
 赤色の線がまわりを走る。
 それはコンピューターのライン画みたいに超高速だった。
 壁破りに、突きぬけると。
 僕の意識は、ビリヤードの玉みたいに、たやすく弾けて飛んだんだ。




<続く>

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