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小野氏系図

名前 冠位由来など 歴史など現代に伝わる話
妹子王 仁王三十四代推古天王之時依
遣唐使丙戍歳始賜小野姓
小野 妹子(おの の いもこ、男性)
飛鳥時代の政治家「日出処天子」の国書を持ち、大唐に派遣された
  毛人 一本大位冠 (おの の えみし、生年不詳 - 677年)
飛鳥時代の官僚
毛野
胤守
中納言正三位
従四位上
                 
永見 従五位陸奥少                  
瀧雄                    
恒河                    
岑守 参議従位下
長余行年百丗二
(おののみねもり -830年)
日往いて 月還た来たる 終を慎むこと
願わくは始の如くならん 
参議右大弁野相公仁明天皇御宇羌和六巳未歳
隠岐国配流仁壽二壬申歳甍ス
出羽国
大弐筑前守
(おの の たかむら -853年)
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人にはつげよ 海人のつり舟
「篁山竹林寺縁起」によれば小野篁は、現在の東広島市河内町入野に生まれるたとの説があり、父小野岑守は各地の地方官を務めたといわれ、 広島県も含まれていたとしたら、後世和田合戦に敗れて知る辺をたより備後に落ちたとされることとつながる可能性もある。
良真
葛絃
                 
女子 小町 (おののこまち -825年)
女流歌人 六歌仙・三十六歌仙
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身 世にふる ながめせしまに     
道風 従四位下能書也 (おののとうふう -967年)
柳に蛙が飛びつこうと、何度も挑戦している様を見て 努力の大切なことを悟ったされる
守秀 隠岐小太郎                  
恒守 修理亮                  
恒季 弾正                  
恒義 二代ノ弾正                  
義兼 治部少輔勇力也                  
維義
兵衛尉達父才勝軍功故隠岐半国ヲ主ル
横山先祖
                 
維範 大学頭是ハ
隠岐判官継茂カ曩祖也
                 

小野姓について


小野姓はある本では「孝昭天皇の後裔(-300)」と書かれているが、
孝昭天皇は神武天皇の次で伝説上の天皇といわれている。
当家の系図では「敏達天皇の後裔(570)」となっている
小野姓は古代の有名な姓で小野妹子をはじめ多くの有名な人材を輩出 している。 まあこんなところで、どの天皇の後裔か、後裔の話自身がうそか ここで議論してもしょうがない。

小野神社



東京都町田市小野路町
由緒
小野神社は小野篁の7代の孫にあたる小野孝泰が
武蔵の国司として天禄年間(972)に赴任し、
小野路のこの地に小野篁の霊を祀ったことに由来する。