* 「オープン対策」として東芝が講じたのは前回のコラムでの対策(1)の方法でした。
* ノートPCなどで気を吐いていた東芝は「オフコン」には未来がないと考えたのでしょう。
すでにVシリーズ、Qシリーズの次に「TPシリーズ」をリリースした頃から次第にオフコン離れは始まっていたのかもしれません。
TPシリーズのOSは、ファイルシステムなどを見ても、UNIXが透けて見えるものでした。わたしは東芝のオフコンは1150、1350時代しか触ったことがありませんのでTPのOSの深層部が本当にUNIXだったのかどうかよく分かりません。
しかし、一見した感じではあきらかにUNIXを下敷きにしているように見えました。(まあそれは三菱のUP−DXも同じかもしれません。。)
* 逆に、ひょっとしたら東芝はTP投入の時点ではUNIXのAPIを取り込んでもう一勝負しようと思っていたのかもしれません。
オフコンの延命対策(失礼!)としてUNIXを使う というのは、かつて海外メーカにもよくありましたから。。(例えばNCRなど)
* しかし東芝は「TP−CARE」という開発実行環境を提供することと、IBMのAS/400をオールタナティブとすることでオフコン分野から撤退することになったようです。
* ただし撤退はかなり緩やかに行われた模様で、4、5年前私がよく知っている大阪方面の東芝のディーラの社長にお伺いしたら
「まあ、東芝のオフコンは以前からやめる、やめると言い続けてここまで引っ張ってきましたよってに。。メーカは200X年までは。。とかいうてます。 パソコンCOBOLやコンバータも提供してもらってま。 ところで(EXCHANGE)さん、あんたも東芝やってみまへんか? COBOLやったら出来まっしゃろ?」
(その後撤退と乗せ換えは多くの東芝ディーラにとってどのように進められたのか私には情報がありません。どなたかご存じの方がおられましたらお教えください。)
* さて、TP−CAREによる変換後の実行環境ですが画面をWEBブラウザにて実行するWEB−COBOLのようです。
DBはoracle、SQLサーバなどであったように思います。
(正確なことは情報掲載のURLを忘れてしまったので確認できません)
(続く) 予告:次は「三菱」の予定です。