〜出産育児の部屋〜


母乳

 
はじめに ラ・レーチェ・リーグと
桶谷式母乳育児との出会い
母乳スタート
そしてつまずき
混合から母乳へ





 はじめに

 初めての育児を経験して、私が1番こだわったのは母乳だった。
実際に出産するまで、こんなに固執する事になるとは夢にも思わなかった。
もちろん、ミルクを否定している訳ではない。
それを必要としている人がいるのは事実だ。

 ただ、母乳についての知識が不十分な医療機関の指導やミルクメーカーの陰謀(絶対に
おまけについてくる粉ミルク)で、母乳で育てたいと思っている人が本当は出ているのに
ミルクにしてしまう、、、。それが残念なのだ。

 これから出産する方にはゼヒ、母乳について十分な知識を持った上で出産に望んで欲しいと
願わずにはいられない。


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母乳スタート、そしてつまずき

 私は母乳で育った。自分も母乳で育児をする事を望んでいた。
出産前、それは漠然としたものだった。
出来れば母乳がいいけど、知人には「出なかった」という人が複数いたため「自分も
出ないかもしれない」とか、扁平乳頭だったので「子供が飲めないかもしれない」
と思っていた。
しかし出産後、その思いは「どうしても母乳にしたい」という強い思いへ変わっていった。

 出産して出る最初の母乳を初乳といい、免疫物質を多く含むので産院でも飲ませるよう
にしていたのだが、私の乳房から出て来た乳は1部が血乳。乳児に飲ませる事が出来なかった。
その後血乳を絞ってなんとか飲める状態になったが、ぱんぱんにふくれた乳房に飲みにくい乳首。
当然娘は四苦八苦。懸命に吸いつこうとするのだがほとんど飲めない。そんな日が続いた。

母乳を飲む前後で体重をはかり何グラム飲んでいるのかはかるのだが私のばあい多くて8g。
母乳のあと50gのミルクを足していた。
退院後もその状況は変わらなかった。

母が「病院にいる時より少しは出るようになっただろうから
ミルクを減らして見たら?」というのでやってみる。

一週間後の体重チェックではあまり増えていなかった。
看護婦(助産婦?)さんに「病院で8gしかでてなかったんだから急にそんなに出るわけない。
もっとミルクを足しなさい」と言われ、ショックで泣いてしまった。
そこで、「やっぱり自分はどうしても母乳で育てたいのだ」と自覚した。

ところが、ここまででわたしはいくつもの間違いをしてしまっていた。
母乳は吸わせないと出ないのだ。泣いたら吸わせ、泣いたら吸わせを繰り返すうちに
需要と供給がつりあってくるものなのである。それを、病院の指導をまじめに守り
2〜3時間おきに与えていた。そして哺乳ビン。哺乳ビンで飲ませると、そのゴム乳首と
母親の乳首の飲み方の違いに混乱してしまい本物の方がうまく飲めなくなってしまうのだ。
(ゴム乳首の方が簡単に飲めるから、、、)

それに、体重だってそんなにきっちり増えなくたって大丈夫だったのだ。あかちゃん全員が
標準通りに増えていったら気持ち悪いという事に気がついていなかった。それに
大切なのは体重ではなくて全身の状態〜元気かどうか〜だったのだ。

しかし、これらの事を当時の私はまだ知らなかった。


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 ラ・レーチェ・リーグと
   桶谷式母乳育児との出会い


 3時間おきに母乳とミルク。母乳をあげている間、母に
ミルクの準備をしてもらい飲ませる。一ヶ月検診での体重は順調だった。
自宅に帰って同じ様にしようとすると、ミルクを作っている間大泣き。
抱っこしていないとダメなタチの子だったためそれは、、、激しく泣いた。

 義母は2人の息子をミルクで育てた。
困惑する私の姿をみて「試しにミルクをどれくらい飲むかあげてみたら?」と
いうのであげてみる。結局、私の母乳はそのうちの半分以下しか出ていないと
思われた。

「このままでは本当にミルクだけになってしまう」
あせった私は、母乳育児真っ最中の知人にどうすべきか相談したのである。
彼女は何冊かの本を私に手渡してくれた。
ラ・レーチェ・リーグと桶谷式母乳育児との出会いだった。

 この二つは全く別の組織で、ラ・レーチェ・リーグは母乳育児を支援する世界規模の
非営利団体、桶谷式は助産婦である桶谷そとみ先生による母乳育児法だ。
この二つに共通していたのが「泣いたら吸わせて良い」ということ。「哺乳ビンの乳首は
赤ちゃんを混乱させるため与えるべきではない(得に生まれて最初に口にするものは母親の
乳首であるべき)」こと。「月齢がすすんだ赤ちゃんでおっぱいの間隔が開かなくても
問題ない」こと。「体重の増加は最重要視するべき問題ではない」こと。
---------目からうろこだった。--------
ちなみに、母親の食事と母乳との関係については両者で異なっていた(桶谷式は食事制限が
厳しい)が、私は食事によるトラブルはなかったため、両者を適当につまみぐいすることにした。

 それにしても、今ここでやっと今までの間違いに気付いたのだ。
この時、もう娘は2ヶ月に入ろうとしていた。
「今からでも間に合うのだろうか、、、」と不安にさいなまれながら、それでも
やるしかない!と心に決めた。

*ラ・レーチェ・リーグ と 桶谷式についてはリンクのページにてリンクしています。
 興味のある方はそちらにも行ってみて下さい。


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 混合から母乳へ

 その翌日から、戦いは始まった。「泣いたら吸わせる」というのは簡単な様でいて
かなり大変。飲んだ後、5分もしないで泣き出すと「なんで!?」とこちらが泣きたくなる。
特に大変なのは夕方だった。
 夕食のしたくはしないといけないし、抱っこしてないと泣くし、まだ首がすわっていないから
おんぶする訳にもいかない。家の外にまで響き渡る泣き声の中台所に立つのは罪悪感を伴う。

 桶谷式のおっぱいマッサージにも行ったし、母乳が良く出るようになるというハーブティも飲んだ。
ご飯食がいいと聞けば3食ご飯を食べた。
 夫はこの状況にはじめは戸惑っていた。哺乳ビンでミルクをあげるのは夫にも出来る。
そのことで育児参加も出来るし、私もその間に風呂にはいる事だって出来た。
それをなくすといのは「?」だったのだろう。
 しかし、「どうしても母乳で育てたい」という気持ちを理解してもらって泣きわめく子を
何度もあやしてもらった。

3ヶ月検診での体重は少し少なめで、同じ病院に行ったせいかやはり指導があった。
「授乳の回数が多い、夜の授乳はお母さんが大変だから夕方ミルクを多めにたしたら?」
というような内容。
ちなみに、これも間違い。
 授乳の回数は多くても問題ない。夜の授乳も問題ない。ミルクを足すとその分母乳を飲まなくなり
飲まなくなった分は分泌されなくなる。悪循環に陥って母乳が出なくなるのだ。
でも、この時はその事をもう知っていた。しかし、何か言われると気にせざるを得ない。
 夫に相談すると「標準で生まれたからって育ち方も標準ピッタリだったら気持ち悪い」
「グラフから激しく逸脱してないんならいいんじゃない」とあっさり。
このひとことから我が家の娘は「母乳のみ」になったのだった。


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