<1年が経ちました>

去年の薔薇の季節のあと、それはそれは色々なことが起きました

たくさんの花を咲かせてくれて喜んで、新しいシュートが根元から出て

やっとここまで来たかと、一安心した後・・・

黒点病、ダニの被害が相次ぎました

チュウレンジ蜂も幼虫が団体で葉っぱを食い荒らすので困ります

ゾウムシもお目見えしたばかりの蕾をだめにして怒り心頭

ウドンコ病も葉っぱがふにゃっとカール、見た目もよろしくありません

しかし、どれも葉っぱを落とすまでには至りません

黒点病とダニは、じわじわと蝕み、完全に葉を落とすまで攻撃を続けます

周囲に森などないマンションの4階のベランダでは

黒点病もウドンコ病もほとんど無く、葉きり蜂が数回来た程度だったので

大好きな「ジャクリーヌ・デュ・プレ」があっという間に「丸裸」になってしまった時

「薔薇って意外と簡単?」などど何の苦労も無く薔薇を育てていた私は

ただただポカリと口をあけて唖然呆然とすることしかできませんでした

ネットや薔薇の友人に「あれが効く、これが効く」と試したものの

肝心の噴霧器が何度も詰まってしまい戦意喪失

そうなると病原菌と虫たちの天下

丸裸になったものは数本に増え、デュ・プレに至っては4回も丸裸になりました

そうこうしているうちに夏が終りかけ、9月の末から今度は

薔薇の鉢を置いてある庭にほとんど、日が当たらなくなりました

南側の山のうっそうとした森の中に太陽の軌道が入ってしまったのです

家の北側の方がスペースがあり、山からさらに離れる分

日当たりが少しはマシなので、鉢を全て移動させました

マシとはいっても薔薇栽培に必要な「最低5時間」には程遠い時間でした

「泣きっ面に鉢」「踏んだり蹴ったり」状態は森の木々の葉っぱが落葉して

何重の枝の隙間から漏れるこれぞ「木漏れ日」が当たるようになった

12月初旬まで続きました

すでに休眠に入りつつある薔薇にはそれほどの日当たりも必要も無い季節になっていました

そんな状態なので秋の花と言えるものはとても小さくて数もすくなくて

それさえ10月15日を最後に花は姿を消し、蕾を付けた物も咲くことはありませんでした

黒点病やウドンコ病で葉を落とし、丸裸になってしまったものは

再生する機会もなく休眠に入ってしまいました

「薔薇を育てていいのかしら?」と考え込んでしまうくらいショックな出来事だったのです

たかが薔薇、されど薔薇、こんなに落ち込むことが起きるとは

ベランダと庭ではこうも違うものかと・・・思い知らされました

 

しかし、転んでもただでは起きない性格というか、懲りないと言うか

都合のいいように物事を考えるというか、ただの馬鹿か

「それではここで育つものを検討しましょう、咲かせて見せましょう

長い目で育てましょう、良いといわれることは対応してみましょう

この環境で楽しめたら、ローザリアン冥利に尽きると言うもの」

と重度の薔薇病は完治するはずは無くさらに悪化の一途

ネットをめくり本をめくりカタログをめくり、友人と薔薇談義し

次々と新しい薔薇を注文するローザリアンに完全復活を果たしたのでした

 

ただ、年末に全ての鉢の土替えをした時

病気と害虫で弱ったままの物は根の状態も良くありませんでした

株の上部が元気に展開してきたら、根も良い状態と聞きますが

逆に上部がダメになってしまうと下部もダメになってしまうようです

引っ越しするまでは栽培環境は変わらないのでこれは重要課題です

 

去年の10月からは何を育てて楽しんでいるのか分からないような

こんな状態でしたので

無事に冬を越した苗、新しく仲間入りした苗

どれもこれもちゃんと芽が出てくれるのか心配で心配で

良し悪しの程度の差はあれど

全ての薔薇が芽を出してくれた時は

大苗を買って初めて春を迎えた「薔薇育て一年生」の時以上に

嬉しくて愛しくてなんとも言えませんでした

(2003・4・27)

 

<また来年・・・・>

今年はとてもとても雨の多い薔薇の季節でした

この春、ベランダから庭に引っ越しした薔薇たちは

虫や病気など、新しい経験をしました

そろそろ一季咲きの「オールド・ローズ」は終りです

最後に咲き出した「バリエガ−タ・ディ・ボローニャ」が終わると「また来年・・・」です

4年前の秋に3本まとめて買った「バリエガ−タ・ディ・ボローニャ」「ルイ−ズ・オーディエ」「マダム・アルディ」

はそれぞれに今年は20個から60個の花を咲かせてくれました

去年までステムの上の方からしかシュートが出ませんでしたが

この春は根元から数本のシュートをみせてくれました

鉢植えということもありますが、とても時間がかかるものなのですね

花自体は現代薔薇のような華やかさや強いイメージではありませんが

柔らかい茎にたくさんの花をつけ、うなだれて咲く「オールド・ローズ」に

一季咲きならではの、美しさと潔さを感じます

一見弱そうにみえますが、雨に打たれても簡単に散ることはありません

蕾を花瓶に挿して置いても必ず咲いてくれます

強くて律儀で頼もしさもある薔薇です

そんな「オールド・ローズ」に会えるまでまた1年またなけねばなりません

もちろん、来年までにしなくてはならないことが沢山あります

けれど、今はなんとなく寂しい気分

卒業式のような、楽しかった旅行から帰って来る飛行機に乗っているような

充実感と名残惜しさ、少々感傷的な気持ちになっています

そんな気持ちで薔薇を眺めながらお茶をするのも

ローザリアンの幸せのひとつです

長い長い歴史を秘めた薔薇を育てていることに感謝です

2002・5・20

 

<バラの動体視力?!>

バラの季節になると、やたら目に付くバラの花

バラを育てる前は、こんな事なかったのですが

歩いていても、車を運転していても、電車に乗っていても

近くのバラも、遠くのバラもちゃんと目に入ってくるのは何故?

見て見てといわんばかりに目に付くのです

見てしまったら、「う〜ん、本で見たことある、名前はえ〜と・・」

大好きなバラ、欲しいと思っているバラだと

そばまで行って香りを確認したくなります

バラを育て始めてすぐの夏休み

実家に泊まって電車に乗って出かけたときのこと

高校、短大、OLと毎日毎日数年間見続けた風景で

年をとった今でも、1年に1回ぐらいしか乗らなくても、見ただけで、どことどこの駅の間かわかるくらいです

ぼ〜っと外を見ていたら、線路際のバラの植え込みに囲まれた家が

目にとまりました、スローモーションのように動いていきました

花が終わって、うっそう家を取り囲んで茂っていました

20数年前からある家でした

「あの家の人バラがすきなんだあ」

ふしぎでした、バラは1つも咲いていない、葉っぱだけなのに

ちゃんと目に入ってきました

動体視力ってやつなのでしょうか

何かを好きになることというのはちょっとした能力開発です

おもしろいですね、楽しいです

ほんのちょっとした所でもバラが健気に咲いているのが目に入る今日この頃

外出をいっそう楽しくさせてくれます

 

<新しいばらの誕生>

引っ越し荷物を片付けていた時

ばら関係の書類の中に1枚のメモをみつけた

何の本だったのか忘れたが

バラの開発過程を簡単に書いてあって興味があったのでメモしたのだ

 

温室での育成期間が1年。その後5.6年畑でのテスト期間を経て、ハイブリッドローズが出来上がる

温室では「母なるワイルドローズ」に「父なる花粉」をつけて交配する。1本の母なる木に、何種類ものバラから採取した父なる花粉を受粉させ、やがて成った実から種をとり、ポットに植える。こうして20〜30cm位に育った株が温室全部で5万本ほどある。それらの種類は全て異なり、この中から千種類のバラを選び、他の4万9千本は焼いてしまいます。その千種類を接木によって5回コピーして、5千本に増やす。ここまでの作業に1年間を要する。

つぎに、温室で5千本になったニューローズを畑で育て始める。この千種が各5本ずつ、合計5千本のバラは、天候や動物から受ける被害などで、翌年には10%くらいになってしまう。さらにこの中から、これぞと思う種類を選んで、ワイルドローズに接木する。生き残った20本が年を越すと、またその中から良い種類だけを選んで、ワイルドローズに接木する。

このように年ごとに選んだ種類に対して、年1回の接木を5.6年繰り返し、フィールドテストの結果、花、香り、全体の感じなど全てに優れたバラだけが残る。そして、新しい名前がつけられて、市場へのデビューを果たす。

このような長い過程の末、最初に千種類あったバラは立ったの5.6種類になってしまう。

 

技術的にもう少し短縮されているのかもしれないけれど

情熱と誠意とバラへの深い愛がなければできないこと

どれにしよう、あれも欲しい、これもいいと迷いに迷い選んだ薔薇

やっと探し当て巡り会った薔薇

売れ残っているのを「捨て猫」を拾うように連れて帰った薔薇

衝動的に手に入れた薔薇

けれど作り出した苦労は皆同じ

どれも大事に育てよう

 

<青いばらは必要か?>

「青いばら」と言う話題になった本を読んだことがある。

故・鈴木省三氏とのかかわりを中心に「青いばら」開発のことを書いた本である

ドキュメンタリーのような、レポートのような感じに書かれていたので

作者が「青いばら」についてどう思っているかよくわからなかったのだが

鈴木氏はあまり賛成ではなかったように私は感じた

本来薔薇には青い色の遺伝子がない

だから育種家たちは「青いばら」は「夢」「野望」になった

藤色がかった、紫がかった薔薇はあるけれど

空のような、海のような「デルフィニウム」のような「ブルー」の薔薇はまだない

デルフィというのは「青い」と言う意味というのを聞いたことがある

「デルフィニウム」のような色の薔薇??

「デルフィニウム」は大好きだけど、なんだか想像がつかない

日本の企業がバブルの頃、莫大な金額をつぎ込んで開発したが

だめだったようで

結局青い薔薇は交配では難しく遺伝子組み換えの道しかないようなのだ

遺伝子組み換えは自然には存在しない組み合わせをさせて

新しい種をつくりだす

いわば神の領域に人間が手を出しているのと

且つ開発元が独占して利益を得る

自由競争のようでグローバルに支配が可能になる

遺伝子組み換え食品は一時物議をかもし出していた

「薔薇は食品じゃない」からといっても構図はいっしょ

「青いばら」を望んでいるローザりアンはたくさんいるのか?

私はやっぱり真っ青な薔薇は不自然な気がしてならない

去年サミェル・マグレディ氏の講演を聴く機会があって

「ブルーの薔薇の将来性は?」という質問が出て

マグレディ氏は「水仙が黄色であるように、薔薇は薔薇の元々の色でいいと私はおもう」

と答えたとき

周りにいらしたローザリアンの大御所、大先輩の方々は

うんうんと頷いて拍手が沸いた

わたしも大きく頷いた

なんだかとってもすっきりした、ほっとした

 

 

<ROSYは横張りが好き?>

ここに引っ越してきて早3週間が経ちました

梱包してトラックに乗ったときはどの薔薇もまだ葉っぱが出て

早いものは蕾をつけていたときでした

賃貸の一戸建ての庭なので地植えはできません

そのまま前のとうり鉢植えのまま置きました

もっと置けるかなあ〜と欲しい薔薇を吟味していた私の期待を

知ってか知らぬか日に日にどんどん大きくなりました

特に「カフェ」「ジャクリーヌ・デュ・プレ」「デュセス・ド・ブラバン」

の方々はどんどん横へと枝をのばしています

これらは横張り性の性質があるのです

2階から庭を見ると、この3本のところに

直立性のものは倍は置けるかという勢いです

友達の実家への里子から帰った「エグランティーヌ(マサコ)」「バリエガータ・ディ・ボローニャ」

も力一杯横に行ってくれてます

ロジェール・マカラさんに「次のオーストラリアからの薔薇でおすすめは?」

とお聞きした時

「横張りですか?!」

ちっ!違うって〜〜私は横張りの薔薇が好きなのでなくて

私が好きになる薔薇が横張りなんです!!

こうなっても何とか欲しい薔薇のためにスペースを作ってしまうのがローザリアン

アレンジするのに添える草花も欲しいし〜

と恐ろしい計画をたてています

乞うご期待???

<ファースト・ローズ>

私が育てた「ファースト・ローズ」はオールドのモスの『ゾエ』

97年の秋に通信販売で我が家にはじめて届いた薔薇の苗

生まれて初めて薔薇の苗を手にして

「薔薇ってやっぱり大きいわね〜根も長いし」

などと思いながら、ゾエを注文してから届く間に手に入れた薔薇の本を参考に植付けをした

数ヵ月後、暖かなってくると同時に芽が出てきた

「ふーん薔薇ってこうやって伸びるのね」

どんどん春になって暖かくなって、芽はどんどん伸びもさもさになった

けど先端に蕾の姿がない、薔薇の季節になっても何処にもない

「植え付けた翌年花がつかないオールドもあるって書いてあったけ」

「今年は咲かないんだ」

と何気なくゾエの葉っぱをこすってみて匂いを嗅いでみた

とっても爽やかな薔薇の香りにも似たとてもいい香りがした

「薔薇って葉っぱまで香るんだ、凄い好きこの香り、咲かなくても我慢できる」

とてもとても感動した

翌年、一回り大きな鉢に植え替えたゾエは

芽をたくさんつけどんどんのび、とうとう蕾をつけた

モショモショとしたモスに包まれた蕾を発見したときはとても嬉しかった

日に日に蕾は増え30個くらいになって

それはそれは花が楽しみになった

蕾の茎が伸び、茎にもぎっしりモスがついてそれはいい香り

モスのガクからピンクに色ついた花ビラが見え始めた頃

ガクと茎の根本からくたっと折れ曲がり黒く変色して

30個あった蕾が全部黄色くなって落ちてしまった

「私が何か悪いことをしたのだろうか・・・わからない」

と涙を飲んでさらに1年待った

翌年にかけさらに背が伸びたゾエは蔓薔薇のようになった

3年目の春は60個近い蕾をつけた

しかし前の年と同じ様になり花を見ることはできなかった

本当にショックだった、他の薔薇は咲いているのに

一番最初の女王様を咲かせることができない

薔薇育ての大先輩にお聞きした、写真も見せた

「ボトリチス病っていう蕾が開かない病気はありますよ」

けど、花びらが見える前に落ちてしまう症状と合わない

「薔薇は咲くときにたくさんのお水を必要とするんですよ」

という大先輩の言葉が頭に残った

4年目の去年の春それまでと違って家にいることが多かった私は

ベランダで薔薇を眺めてボーっとすることができた

ある風の強い天気のいい日

朝水遣りをしたのに、昼過ぎにゾエの蕾のある先端が

なんとなく萎れかかっている感じである

けれど鉢の土の表面は湿っている

「もしかしたら・・・」と水をあげてみたら

見る見るうちに茎は元気に元どうりになった

観葉植物、ハーブ、宿根草、球根とあらゆる園芸をそれまでにかじってきて

「水遣り3年」という鉢の場合根腐れさせないような間隔で

水遣りをすることは身についていたのだが

薔薇は違ったのだ、もっともっと水が必要だったのだ

とくにゾエのような背の高い鉢植えは、土が湿っていても

風や陽射しで先端まで水が追いつかなくなることがあるのにやっと気づいた

それまでの2年水が足りなくて萎れてしまった蕾は二度と蘇ることがなかったのだ

人間の赤ちゃんのように声を出せない薔薇の声がわかるまで随分時間がかかった

だめになるとさらに1年お預けになる1季咲きのオールドローズ

まさに「薔薇の水遣り3年」だった

さあ今年も水の番をしなければ

今年もまたまた伸びそうな、やりたい放題「女王様」をみた友人曰く

「一番最初の子だから、育ててる人そのものなんじゃない!?」

 


<薔薇の記憶1>

私の物心ついてからの、薔薇の一番古い記憶は小学校1年生の時、それまでいたアパートから

今の実家に引っ越して、庭ができた時。

庭といっても、猫のひたいどころか、すずめの額かと思われるくらいの、「庭」と呼ぶのがいまでは

恥ずかしいくらいのひろさで、それでも父が念願のマイホームを手に入れた後

誰もがはまる庭作りを始めた時、いつのまにか植わっていた赤紫のたぶんミニバラ。

なまえもわからないけど、私の記憶からいくと、大輪ではなかったので、ミニバラでしょう。

そのバラによく「アブラムシ」がついた。

すると、父は自分の吸ったタバコの吸殻を水にひたし、抽出した液体を筆でアブラムシにぬった。

面白いくらいポロポロとアブラムシは落ちた。

農薬とか体に良くないとか、何も考えていなかったその頃の私はただ面白がってみていた。

後になって、アブラムシがポロポロと落ちてしまうようなものを人間が吸っていいのかと、ふと思ったが

その後もずっとヘビースモーカーの父は病気一つせず、元気に70歳をむかえようとしている。

 

<薔薇の記憶2>

その後、赤紫のばらはいつ枯れたのかもわからないくらいの存在になり、

結局、バラの苗がきっと高価なものだったのか、やせた土には無理なのか

実家の庭にバラが植えられることはなかった。

小学校6年生の時、朝の登校時のグループの班長になった。

同じグループで私の弟と同級生の、2軒隣の家の女の子が、教室に飾ろうと

玄関の脇のバラを切って紙にくるんで朝もっていた。

私は「ちょっと香りを嗅がせて・・・」とそのサーモンピンクの高芯剣弁咲きのバラに

顔を寄せた。

今でもその香りを判断できるくらい、私にバラの香りというものがとても衝撃的だった。

きっと生まれて初めてその時、バラの香りというものを嗅いだのかもしれない。

「ねえねえ、ちょっと持たせて」

と1年生の女の子からバラを取り上げると、私は学校に着くまで、そのバラに

顔を埋めて歩き続けたのを覚えている。

印象的なその出来事は、大人になって友達にあげる花束の花を選ぶ時

いつも無意識にサーモンピンクの薔薇を選ぶことになる。