UNITED STATES West Coast
「 愚青」なる西海岸の日々                                        

 2000年9月20日〜10月1日
                                                      text&photo by Asuka








9月20日 (こい)(おも)()()、サンタモニカへ

 

午前8時。
コリアンエアで、 無事LAX(ロサンゼルス空港)に着く。

どうやって市内へ? と焦っては見るものの、しょせん英語圏さ・・・。
サンタモニカと書かれたバスを見つけて、「これでよかろう・・・」と乗り込む。
サンタモニカへは40分ぐらい。わずか50セント。
西海岸では、バスは貧乏人のための交通手段。
便利で安いのにもったいなひ。


バスで
日本人の男の子2人組と遭遇。
ロサンゼルス市内のバス・地下鉄はこれからストに入るという噂を聞く。
ほんとかしらん・・・・。
サンタモニカで降りて、ホステルをたずねたら満室らしい。
さらにバスを乗り継いで、ベニスビーチのホステルへ。
ここは前に、
元彼・ケンゴ君(日本人)と何度か来たことがある。

あのとき、Asukaは23歳。
学生気分はまだ抜けず不安と自信をのぞかせ、
ケンゴも自分の夢を抱えて立ち尽くしていた。
懐かしい。彼はまだアメリカにいるんだろうか・・・。

ホステルに荷物を置いて、ベニスビーチをうろついていたら、
沖縄にいたことがあるという元USマリーンの人に会う。

ルンペンに片足突っ込んでいるような、
なんだか
恐ろしい風貌のヒトだ。
しかも、何言ってんのかわからない。怪しい。
適当にあしらってしまう。
なぜか日本人に会えたことがとっても嬉しそうだったので、
毛沢東ライターをくれてやる。
開けると音楽がうるさいから、持て余してたんだ。


ごはんを食べようと思って店を物色。
どこに入っていいかわからず、1時間近くウロウロ。

結局、海の家(?)みたいなカフェで、ブリトーとアイス
コーヒーにありつく。
(ちなみに、私が言う「コーヒー」は、一発で通じたことがない)
腹へって死ぬかと思った。でも、多すぎる!

そのあと、激しい疲労に襲われる。

ホステルの部屋に戻り、なんと午後2時ぐらいからベッドに入る。
でも、気持ち悪さとぐったり感で寝つけない。
疲れが取れたのは午後8時ぐらい。これって時差ぼけ?

同室の
アイルランドからきたペリンと友達になる。
小柄で、金髪で目が大きい可愛い女の子。

1年も旅しているんだって! 
でも、言葉がママならず、半分も聞き取れない。
そもそも「ペリン」という名前も私のヒアリングミスである可能性大。
聞いたことねえし。
英語できないのに、海外行くなって感じで、やや凹む。

そのうち、また同室の人が戻ってきた。
真っ黒なウエイブのロングヘア。歯の矯正をしている。
「どっから来た?」って聞くと、「●*@★▼」
スパニッシュだ。ぜんぜん聞き取れん。
話の前後関係から(どっからだ?)察するに、
セントラルアメリカから来た女の子らしい。


今日の感想。一人旅ってちょーたいへん。
友達といると、だいたいのことラクに乗り切れるのにね。

でも、まだ1日目だし。がんばらにゃ。



 

 


9月21日 ギャバンって本名(ほんみょう)??  
 



朝ごはんは、下の部屋でパンとコーヒーをぼそぼそと食べる。食欲がない。

サンタモニカをうろついていると、
自称シンガーのギャバンと知り合う。でっかいブラザー。
池袋に居たというだけあって、言葉もわかりやすい!感激!
(註:池袋にいる黒人は、上野のイラン人並みに怪しい)

ようやく私でもなんとか会話できるヒトに出会ったので嬉しい。
話していると「
今晩、寿司でもどうYO?」と誘われる。
話の流れでうっかり約束してしまう。

LAのチャイナタウンに行きたかったので、行き方を教えてもらい、別れる。

バスで、LA市内に行き、ダウンタウンで降りて、チャイナタウンまで歩いた。
チャイナタウンで、海鮮粥を食べる。
かまぼこみたいな練製品がたくさん入っている・・・・・・。
これが海鮮かよ・・・・。

LAのブロードウェイって、すごい悪趣味。
ヒスパニックに占拠されて、汚い店やうるさい音楽ばっかり。
それに引きかえ、ベニスビーチはなんてセンスがあるんだ!
いつか住みたいなぁ。。。ぽわぁぁーーん。

夕方5時ぐらいに、ホステルに戻る。ギャバンとの約束どうしよう・・・。
10分ぐらい話しただけで、寿司ごちそうしてくれるなんておかしい。
下心がないはずはない。もしクルマで来てたら、アウトだ。
自己責任という考えのもと、行くのをやめる。私ってつまらん女なのかしら。
(註:マジで行かなくてよかった。ばか者め)

夜8時ぐらい、下の部屋でごはんを待つ。
白人の男の子たちはオリンピックで盛り上がっているもよう。つまらん。
ごはん係の男の子は、いかにも
アメリカン。西海岸風。
背が高くて、長めの金髪はくるくるとカールをしてキラキラしている。目は青い。
ノリノリでご飯を配っていて、やたらと元気。
早稲田に行ったことがあるらしい。
あとは何を言っているかわからん。
町で出会う怪しい外人と違って、Asukaには全然興味がないもよう。
悔しいが正しい

トマトと肉のペンネを食べた。
アメリカに来て、はじめておいしいと感じた。




 


9月22日 サンディエゴの()(どく)(よる)    


朝ごはんのときに会った
日本人の男の子3人組から、
アリゾナ州のフェニックスが超いい!と聞いた。
男3人で旅なんてカッチョわりぃ。
でも、レンタカーを数日借りて、アメリカ大陸をウロウロしてきたと聞いて、
うらやましくなった。


フェニックスとやらはAsukaのもっているガイドブックには出てない。
けど行く先に困っていたから、サンディエゴ経由で行ってみることにする。

グレイハウンドの長距離バスで移動することにする。
とはいえ、LAのバスデボットは
危険地帯
地元のヒトでもむやみにうろついたりしない。

危ない地区に入る直前で、 タクシーをひろって行こうと思ったけど、
なにせココも豊かとはいえない地区。
ほとんどタクシーが通らないうえに、停まってくれない。

ココに長いこと立っているのも怖いし、
バスに乗り遅れるかもと、泣きそうになっていたら、
リカーショップのおじさんが事情を察して、
わざわざ外に出てきてタクシーを拾ってくれた。
たぶん、
韓国人。ビバ!東洋人!


バスのルートは、西海岸沿いだから楽しみにしていたんだ。
でも曇りで、風景はキレイに見えなかった。ち。

グレイハウンドに乗るときは、運転手さんの後ろの席に座る。
グレイハウンドもルートや 時間帯によっては危ないというもの。
「なんかあったら、あんさん、たのんますよ」
と運転手さんの後姿を拝む。

あー。そうそう。
昨日、ホステルで
8年こっちにいる女の人(日本人)に知り合った。
私が持ってきたインスタント味噌汁をいっしょに飲む。
あんまりアメリカが好きじゃないらしい。

自分のことは語ろうとしないのと、雰囲気で
あまり事情を聞いてはいけない気がした。
外国で会う日本人には、
やたら根堀葉堀聞いてはいけないことを知る。
事情は人それぞれだ。


サンディエゴは見るなり、気に入った。
でも、レストランばっかりの変なとこ。
ランクの高い店が多いらしく、
どの店もきれいな白人の女の人が入り口に立っている。
私と目が合うたびに、微笑みかけてくれる。
美人だもんで、こちらもついつい微笑んでしまうが、
はっきりいって
白人の微笑は不可解


2泊とったホステルは変なところ。
1日中、音楽がガンガン流れている。
部屋が穴倉みたい。しかも、
男女同室って・・・・。
どの部屋もすごく暗くて、「ガイドブックが見えな〜い」と思って、
隣の人を見ると余裕で読んでいる。


ここは、なぜか白人しかいない宿だったんだけど、そのせいかもしれない。
白人の目は色素量の関係で、強い光線は苦手だけど、
弱い光線でもよく見えると聞いたことがある。
こちとらは手元がよく見えず、荷物整理するだけで一苦労。

部屋は暗くてゆっくりできないから、ラウンジに行く。ここも穴倉だぜ。
気のせいかもしれないけど、
白人の中に一人居るのは、ものすごく居心地が悪い

とにかくみんな楽しそうで、ワイワイガヤガヤと盛り上がっているのだけど、
私は誰にも相手にされてないんだ。英語も自信ないし。ぽつねん・・・。

ようやく
カナダからきたジェシーと話す。
が、話は全然盛り上がらず、一人、部屋に戻る。



夜が長すぎる。
同室の女の子も、私と同じ
はぐれ者だった。
肌がものすごく白くて、オレンジっぽい赤毛。ビン底めがね。
でも、私は完全に無視されている。
一言も話さず、目配せもせず、何時間も過ごした。




 






9月23日 プエルトリコ人の(かれ)  


朝起きたら、ビン底メガネは消えていた。
同じ部屋は、
スイスから来た男の子のみ。
部屋で
筋トレしている。・・・どうかと思う。

朝ごはんは、ワッフルとコーヒーと聞いていたけど、
キッチンに行くと、ワッフル生地とワッフルメーカーが・・・。
これで勝手に作れということらしい。

カップがどこにあるかわからないから、
カップを持っている女の子に聞いたら、
「ホテルの人に聞いて」と、あなたにはうんざりという風に(気のせい)答えた。

一瞬ひるみそうになったけど、白人の女の子に負けるか! 感じワル! と思って、
ワッフルを作って、ムシャムシャ食べた。(若干、負けてる)


今日は天気も悪く、朝からブル〜な気分。
とりあえず、カフェでも入って、本日のスケジュールでも考えるか。
と歩いていると、
ヒスパニック系の男の子に声をかけられた。
彼の名は
リコー(ほんとはデビット)。プエルトリコから旅しているらしい。
リッキー・マーティンのふるさとだ!(アーチチチの曲ね。これはヒロミ・郷だが)

私があんまり
寂しそうな顔をしているから話しかけた、と彼は言う。

2人で、ハイアットリージェンシーの展望フロアに行ったり、
芝生で寝たり、ピザを食べたりした。


結局、朝の9時から夕方6時まで、いっしょにうろついた。

リコーは「好きだ」「
君は僕の日本の小さなプリンセスだ(註:直訳。後日、あちこちでウケた)」
といってくる(ラテン系はすごくスウィート)。

夕方になると、どっと疲れが出てきた。
「疲れた。明日、 フェニックスに行くから」と言って、別れた。
リコーは明日バスデボットまで送りにいくという。


夜は同室のスイス人の男の子と話した。
トーマスというらしい。
経済や軍隊について長々と話した。
永世中立国、福祉先進国のスイスでも、それなりに問題点はあるらしい。

ちなみにトーマスは
大学を休んで、1年近く世界を旅している

ヨーロッパの若者にはめずらしくないようで、
中東経由で東南アジア、オセアニアなどを旅して、
ヨーロッパに戻る前に、アメリカの地に入るみたい。

 

*リコーについて
プエルトリコがどういう国かわからないけど、
リコーはプエルトリコの「リコ」をとって自分の名としていた。
リコーによれば、プエルト・リコとは、スペイン語で「
美しい海」という意味らしい。
リコーの右腕には、「プエルトリコ」というタトゥが入っていた。
自分の国が心から好きなんだ。
家族はバラバラで、母親以外とは連絡をとっていないという。
プエルトリコをこよなく愛するリコー。

 

 










9月24日    バスに()って荒野(こうや)へ  
             


朝6時。リコーは、バスデボットまで送りにくるといったのに来なかった。
所詮、そんなもの。
昨日「Asukaといっしょにフェニックスに行きたい」と何度も言っていたので、
荷造りして来たらどうしよう・・・と心配していたし。



バスからの風景を眺めていると、
アメリカが大きな荒野であることを実感させられる。
西海岸の中でも、南に位置するサンディエゴ周辺は、
メキシコ文化の色合いが濃い。
途中に停まる、名もないバス停も、まるでメキシコの田舎町。
バスに乗る人、送りにくる人も、 ヒスパニック系が多い。
父親を見送りにきた母親と子どもが涙をぬぐっている風景にでくわし、
なんともいえない気持ちになった。

サンディエゴを出発してから6時間ほどたつと、急にかなしくなってきた。

今すぐサンディエゴに戻って
リコーに会いたいという気持ちがこみあげてくる。
フェニックスに着いたら、 すぐにサンディエゴに戻ろうと突然、決めた。


フェニックスのバスデボットに着くと、何もないのでびっくりした。
てっきりダウンタウンが広がっていると思ってたのに、田舎町だ。
(註:ほんとはフェニックスはステキな町らしい。)

じつは
フェニックスについて知っているのは、名前だけ
地図もガイドブックももたずに来てしまった。
バスデボットに地図ぐらい売っていると思っていたのに・・・・・なんもない。
とりあえず、インフォメーションボードに出ているモーテルに連絡をして
迎えに来てもらった。




夕方5時にようやくモーテルに着いた。
外にあるのは、大きな道路とファーストフード店だけ。
落ち着けた安心と、
ここはどこなんだ(汗)という不安と、
「わしゃ一人」という寂しさで、泣きたくなってきた。










9月25日 (おも)いつきで飛行機(ひこうき)()


今、バスの中。ラスベガスに向かっている。
サンディエゴに戻るつもりだったんだけど、何もせず戻るのはどうかと思う・・・
ということで、朝いちばんにバスに乗り、ラスベガス経由で戻ることにした。

フェニックス—ラスベガス間は8時間。
ラスベガスには午後3時50分に着いた。
サンディエゴ行きのバスは
11時20分に出る。
それまでラスベガス観光をしようと思ったのだ。
・・・といっても、 あたりは大きなホテルばっかりで、Asuka(
荷物つき)がふらりと入って
冷やかせるようなところはないようだ。

ローカルのバスを待っていると、
デビット・ボウイに似たおじさんに会った。

若い頃はさぞかし・・・と思うような容貌。ほっそりとして美しい。
でも、
貧乏っぽい。プア・ホワイトか。
おじさんは、地元民でカジノに狂っているらしく、
毎日バスでホテルのカジノに駆けつけるらしい。
とにかくうれしそうで、すてきなおじさんだ。

別れ際「君も楽しんで!」と言ったけど、
こちとらギャンブルに興味なし
(だったら、ラスベガス行くなよー・・・と万事、Asukaの旅は行き当たりばったり)




昨日、リコーを思い出してホロリとしてしまったのは
もう一度会いたいというのもあったんだけど、
あと数週間もすれば、
リコーも私もこの気持ちを忘れてしまうだろうというのが辛かった。





*****

場所は変わって、今は飛行機の中。
夜11時20分の長距離バスに乗ると、サンディエゴまで
10時間かかる。
すでに今日は8時間のバス移動をしているし、夜のバスはちょっと怖い。
ガイドブックを見ていると、飛行機だと
1時間なんらって。。。。。。。。!

というわけで、
ラスベガス空港(っていうのか?)に行くことにしたのだ。

空港には、ギャンブルの町らしく、スロットマシーンが置いてある。
せっかくラスベガスに来たのだから、一応やってみる。

(註:飛行機に乗ったのは夜7時すぎ。
昼間のあいだ、ラスベガスで何をしていたか、自分でもまったく覚えていない)

 

 

 


9月26日 メキシコに(まよ)()む               


昨日は夜8時半にサンディエゴの空港に着いた。
空港にあるホテルインフォメーションで、 ホステルを見つけてそこに電話した。

前のホステルとはちがい、超快適。
サンディエゴに戻ってきてほんとうによかった。

今日は、午前中から
リコー探しに繰りだす。
ミッションビーチに泊まっていて・・・・どうちゃらこうちゃらと聞いていたけど、
ちゃんと聞いていなかったので、まったく手がかりナシ。
(英語だから聞く気がないと、まったく頭に入っていない)

ただ、リコーはダウンタウンに知り合いがたくさんいるらしく、
いっしょに歩いているときも挨拶や小話をしていたので、
適当にダウンタウンをうろつけば
リコーやその知り合いに会えるような気がしていたのだ。

しかし、やっぱりそうカンタンには見つからず。 今、シーポートの芝生にいる。
四葉のクローバー見つけた♪(→押し花にして日本に持ち帰る)



*****

今、夕方5時半。まだ港にいる。夕日がとってもきれい。
リコーを探したけど見つからなかった。このまま会えないのかな。


ラルフス(スーパー)に行くと、
カールスという大きな太った黒人に声をかけられた。
その後、マーシーズの1階のカフェで、
また偶然会って、サンディエゴを案内してもらった。


安いCDショップを案内してもらったり、買い物につきあってもらう。
「ぜひ見せたいものがある」といわれ、
中国系移民の展示館にも連れていってくれた。
たいしたものもないし「はぁ・・」という感じ。カールスもつまんなそう。
なぜ、ここに連れてこられたかは不明。
東洋人だったら、喜ぶと思ったのだろうか(汗)

ジュースを飲みながら、街をそぞろ歩く。とても温かい目をした人だ。

カールスの温かい手のひらを覚えている。
手なんかつないだだろうか。それとも、別れ際に握手でもしたのだろうか。
でも、このときのことを思い出すと、
なぜか手をつないで歩いたような気がするのだ。


ホステルに戻ってご飯を食べていると、
大阪から来たダイスケに、
メヒコのティファナに飲みにいかないかと誘われる。
ダイスケは私の2歳下、23歳で縁メガネのいまどき風な男の子。
たしか大学に通っていると言っていた。


テキサスから来たやや
デブのポール
ニューハンプシャーから来た髪の毛クリンクリン・色白の
ビューティーボーイ・ジョー
どっから来たか忘れたがいつも女の子に話しかけている
女好き・マイケル
3人の白人ボーイズと、私とダイスケでいざティファナに行く。

ちょうどその前の日、
日本人の観光客がバッグをナイフで切られる事件がティファナであったらしい。
が、男の子4人もいれば大丈夫だろ。

夜10時、列車で深夜のティファナに着く。
国境を越えて、メキシコの地へ
ちなみに、ティファナは観光地なので、アメリカからの国境越えはカンタン。
3時間ぐらいで戻れば、手続きはいらないのだ。


ティファナの暗い道を歩いていると、
はからずも
黒人3人と合流してしまう。

サンディエゴの海軍の兵隊らしく、彼らも遊びにきているらしい・・・。
ひー。見た感じ、
ワルそう
どっちが誘ったんか知らんが、どうやらポールたちと、黒人とのあいだで
一緒に飲みにいこーぜぃ」という話が成立してしまったらしく。

一応、女子の私と、ヘタレのダイスケは2人でガクガクプルプル。
なぜか私たちしか客のいないディスコへ行く。


とりあえず8人で席について、コロナをチェイサーにテキーラを飲む。
黒人の一人はかつて日本の米軍基地に居たことがあるらしく(またかよ)、
Asukaのことを「
ジャパニーズガール?」と聞いてくる。
この聞き方がなんか
やーらしいんだよね。


黒人2人は踊り出した。
そのうちの1人のダンスは、ものすごく
セクシーで動物的で。
ファンタスティック!!!! 
ステップやポーズを勉強したヒトの踊りとはまったく違って、
ただ音楽に合わせて踊っているんだけど、それが見事。
体のしなやかさ、リズム・・・すべてがパーフェクト。
白人ボーイズたちも悪くないけど、
黒人海兵にはまったくかなわない。
マジで見とれてしまった。


まあ、ダンスはさておき、
Asukaはそこでウサギのようにビクビクと震えていたワケで。
トイレはカギがかからないし(防犯上の理由から)、
黒人はジロジロAsukaを見るし・・・。
テキーラも、飲むふりをしてほとんど飲まなかった。

キケンを察したダイスケが、
ジョーに 「
Asukaを守れよ」と言ってくれているんだけど
(なぜ自分で守らないのかは不明・笑)
ジョーは「何で?」っていう感じで、ブリトーをモシャモシャ。
世慣れない日本人は臆病なのだ。

ダイスケは「黒人が酔っ払ったら、何をされるかわからない」
というので、2人で先に帰ることにした。えがった。

タクシーで、国境の駅まで向かう。
電車に切符を買わずに乗っていたら(なんでか忘れた)、
車掌が来て
40ドルの罰金といわれた。
でもダイスケが学生だったんで、なんとか見逃してもらった。ふう。


そんなこんなで、ようやくサンディエゴに戻って めでたしめでたし・・・
かと思ったら、
Asuka本日2度目にして、
人生最大のピンチが。

メキシコのディスコ、怖いもんで、ほとんどトイレいけなかったの。
電車も冷房ですごく寒くて・・・・ちょートイレに行きたくなったーーーーー!

すぐさま サンディエゴのSUBWAYに飛び込んだけど、
あっちのファーストフードってトイレ貸してくれないことがある。
信じられないことに。
犯罪防止・ジャンキー防止のためらしい。
トイレに行きたいあまり、
半分禁断症状を呈したジャンキーと化したAsukaは、
すげなく店員に断られ。
「お願いだから!」と頼んだのに、ゼッタイ貸してくれなかった(恨)。

もうもれる!!」と叫ぶAsuka
ホステルまで走ったけど、
「ああ、もうダメだ(
もういいや)」とこと切れ、
そのままダーっとおもらし状態。
一番の感想は、「
あーすっきりした」でした。

ダイスケはボー然。




そのあと、ホステルまで急ぎながら
「臭う?」「みんなに言わないでね!」など
凍りつくしたダイスケに語りかける、
一人晴れやかなAsukaでした。




 

 


9月27日  (あや)しいパーティに侵入(しんにゅう)する  


今日も朝から
リコー探し
何やってるのだろう。私は。
あきらめて観光にでも行けばいいんだけど、
とてもそんな気分になれない。
リコーにもう一度会わなくては・・・。

シーポートにいる。今日も1日リコーを探した。
もう、リコーはサンディエゴにいないのかもしれない。
そういえば、リコーはニューヨークに行くとも言っていた。


夕方、
日本から来たケン台湾人のアイリーン
シンガポール人のユジーナと知り合う。

ユジーナはとてもファニーで、元気な女の子。私もこんな女の子になりたい。
4人でラウンジで話していたら今夜、
スチューデントパーティがあるという。
大きいパーティかも知れない。
もしかしたらリコーと会えるかも


ホートンプラザの高級アパートメントで、
ジェシーというヒトがホストのパーティだった。

なかに入ると、男だらけの怪しいパーティ。
しかも、スチューデントっぽいヒトはほとんどいなくて、おっさんばっかりなのだ。
おっさんが、ざっと15人ぐらい

怪しい・・・・
いかにも怪しい


ケンは旅慣れた人で、
南米やジャマイカ、フロリダ、ニューオリンズなどを旅している人。
怪しい雰囲気を真っ先に察した。


様子を伺っていると、
あとから来た白人の女の子二人組は玄関先で、
回れ右して出ていった。


気がついたら
ユジーナは、ソファで男3〜4人に囲まれている
囲んでいるのが怪しいおっさんでなければ、かなりうらやましい状態。
アイリーンと私は、ケンから離れなかった。
出された飲み物は飲んでいるフリはするけど、まったく飲まなかった。

ホストや客とも挨拶をしてしまったので、
「ことを荒立てないように、自然に外に出よう」ということになり、
しばらくその場に居て
様子を見計らってなんとか脱出した。

私たちと入れ違いに、
日本人のOL風の女の子二人組が入ってきた。
さっきユジーナが座らされていたソファであっというまに男に囲まれていた。

怪しい男たち対日本の女子2人である。

帰り際、ケンに「あの子たち、大丈夫かな」と聞いたら、
「日本人の女の子は無防備すぎる。どうしようもできない。自己責任だよ」と言った。
あとで、ジョーに聞くと「ジェシーはとても悪いヤツ」らしい。


アパートメントを出て、私たちは夜の散歩に出かけた。
ユジーナもアイリーンも英語が堪能でうらやましい。
ユジーナは、スーパーのカートを拾ってきて、
自分はそれに乗ってケンに押させた。

みんなで海沿いのハイアットリージェンシーに向かう。リコーとも行ったところだ。

そこで、歌を歌ったり、外を眺めたりして楽しんだ。

気持ちのいい夜だった。

 


9月27日    サンディエゴ・ズー

       

アイリーンとサンディエゴZ00に行った。
サンディエゴの狭いダウンタウンで、
リコー探しをして過ごしているAsukaとちがい、
アイリーンは近郊の観光地にあちこち出かけていた。
昨日の昼は、ケンとミッションビーチに行ったらしい。

動物園にはあまり興味がなかったけど、
どこにも出かけていないので、行ってみることにした。

日本の動物園とは違って、ものすごく広くて本格的。
5時間も歩き回った。
やっぱりパンダは人気だ。
チータやライオンがとても近くで見られる。
いい動物園だった。

時間があったら、帰りにミッションビーチに寄る予定だった。
でも結局、夕方になってしまい断念。

ホステルに戻って 、アイリーンとハイアットに夜景を見に行く。

アイリーンは英語が堪能で、発音もわかりやすい。
そのせいもあるかと思うけど、
まるで日本人の友達のようになんでも話せるんだ。
自分でも英語を話しているという感覚は ほとんどなくて、
思ったことを伝えてるだけ。
自分の恋愛の話やリコーの話、旅の話、
アイリーンとはいろんなことを話した。


ひと通り話したあと、
アイリーンと夜景を見ていた。

なんて、美しい風景だろう。そして、
いとおしい時間、出会い。
ずっとこのときの気持ちを覚えていたい、と思った。






9月28日  不明(ふめい)          

 

 

 

9月29日  (たび)()わり 
 

今日もサンディエゴに残ることにした。
これで、最後の日。無理だろうけど、もう一度リコーを探したかった。

ホートンプラザのいつものカフェに座っていると、またカールスに偶然会った。

カールスとは何回もこの町で出会うのに、
なんでリコーとは会えないんだろう


「明日はLAに戻る」とカールスに伝える。
そのあと、1時間ぐらい話をしていると、
カールスがトイレに行ってくると言って、いなくなった。
10分ぐらい待っても戻ってこないので、
帰ったのかな・・・と思いカフェを出た。


そうしたら、カールスが追っかけてきて、
サンディエゴ土産のイルカの置物をくれた。
なんていい人なんだろう。涙が出た。

そのあと、カールスはチャイナタウンに連れて行ってくれた。
カールスは私を元気付けようとしてくれていた。

カールスと別れるときは、また泣いてしまった。
涙が止まらなかった。



いろんなことがせつなかった。

自分がまた日本の生活に戻ること、
日本でのいろんなことから離れるためにアメリカに来てみたこと、
自分の将来によるべがないこと、
人との出会いはすばらしいこと
出会いのあとには別れがあること・・・・。

今回の旅は、
自分自身の人生@25歳への獏とした不安感と自信のなさを越えるため、
あるいは逃れるためにあったような気がする。

アメリカに着いたときは、
「なぜ私はアメリカに一人でやってきてしまったのだろう」
と、後悔にも似た思いにとらわれた。

旅を始めると、いろんな人と出会った。
旅で出会う人と過ごす時間は短いかもしれないけど、
ものすごく濃厚だ。

まさに旅は人生の凝縮・・・なのだ。

旅の喜びとつらさは、同じぐらいの大きさで
旅のあいだじゅうついて回った。
どちらかというと、辛さが大きかったかもしれない。なにせ私は別れが苦手なのだ。

でも、この旅はいくつかの旅の中で、
もっともいとおしく、懐かしく、そして二度とできない旅となった。



******
今は、シーポートで海を見ている。
明日はLAにいるけど、私にとって今日がこの旅最後の日。
 



夜は
アイリーンとケンとダイスケとで、パーティを開いた
明日はアイリーンとケンとでLAに行くんだ。
その間、ジョーやユジーナやらがパーティに出入りした。

最後は、アイリーンとケンとダイスケと私。
恋愛のこととか、旅のこと、将来のこと・・・・いろんなことを話した。

いつもはクールなダイスケも饒舌になった。
ケンは私と同じ年だけど、とってもしっかりしていて気持ちのいい男の子だ。
アイリーンは、ケンを「オッサン、オッサン」と言ってからかっている。


気がついたら、スーパーで買ってきたビールやワイン、特大ジンはからっぽになっていた。

結局、寝たのは朝5時半だった。

 
 

 

9月30日  リトル・トーキョーの(よる) 
 

9時47分ぐらいに一度起きた。酒が残っていて、気持ち悪い。
水をとりにいって、また40分ほど寝る。
なんとか起きて、アイリーンとケンとでバスデポットに行く。
サンディエゴともこれでお別れ。

カールスに公衆電話から電話しようと思ったけど
ちょうど乗車時間になってしまいできなかった。

バスに乗って、サンディエゴの町を見た。
リコーを探したホートンプラザのカフェ。
リコーやカールスと会った広場。みんなで夜の散歩をした場所。
また来ることはあるのだろうか。



バスを降りると、ラテン系の男の人に話しかけられた。
ちょっとリコーに似ている。
素敵な人と恋愛ができるように女を磨こうと決心する(汗)。


私の帰りのフライトは明日朝、
アイリーンは同日の午後にサンフランシスコ行きに乗る。
ケンは2日後が帰りのフライトだった。

LAのバスデボットに着いて、
リトルトーキョーのダイマルホテル目指して歩くことにした。
危ない地域ではあるけど、昼間だし
3人だし、ガタイのいいケンがいる。

噂にたがわず、
ここはスラムだった。
あちこちに黒人がたむろしていて、音楽をかけたり、座りこんだりしている。


リトルトーキョーは、日本人街としてはずいぶんと廃れている。
わずかに日本人向けのビデオショップがあったり、食堂があるのみ。

道を見ると、ここにかつてあった店や家の名前が刻まれていた。
それを見ると、
いかに多くの日系人が、かつてここで暮らしていたか
がわかり、胸が熱くなった。



どこの国においてもかつての日本人街というのは
衰退しているので自然の成り行きともいえるのだが、
ロサンゼルスの日系移民といえば、第二次世界大戦のときに
強制的に捕虜としてアメリカの僻地に追い込まれ、
苦労して築き上げてきた財産を奪われた歴史がある。

そして、日系移民の二世たちは、
激戦区へ
として、あるいは通訳や暗号解読者として、
戦地に駆り立てられたのだ。


ダイマルホテルに着き、
3人で1部屋に泊まることにした。
ダイマルホテルといえども、経営者は中国系。
中国系のおばさんは、いちおう日本語も話せて、とてもラク。
アイリーンは中国語で話している。
そういえば、アイリーンはサンディエゴのチャイナタウンで
中国系移民ともツーカーだった。いいなーー。

日本人の男の子も多く居た。だらしない格好で、
漫画を読んだり、タバコを吸ったりしている。けっこう長くいるらしい。

そのようすは、まるで
家でダラダラと時間をつぶしている男の子を覗いたようで、
奇妙な光景だった。
3人で、チャイナタウンとオルベラ街(メキシコ人街)に行く。
夜10時ぐらいまでLAのダウンタウンを3人で歩き、アメリカを惜しんだ。

 


10月1日  東京(とうきょう)()かうなか(かんが)えたこと 
 

今日は6時に起きた。6時半に出発だ。

眠けまなこのケンに見送られて、アイリーンと2人で宿を出る。
LA空港に着き、二手に別れた。


空港で、 昨日バスデボットで会ったラテン系の男の人を見かけた。
あの人はどこへ行くんだろう。

今、飛行機の中で、あと1時間ぐらいで東京に 着く。
LAの空港についてから飛行機に乗っている間
買い物をしたり、雑誌を見たり、映画を見たりして、忙しく・楽しくすごした。

旅のことは考えたくなかった。
10時間以上、旅の感傷に浸るのはたまらない。
だから、今は考えないようにしている。

そうだ。飛行機が出る直前、 カールスに電話した。
また泣いてしまいそうだったので、 あまりしゃべれなかった。


人との出会いはすばらしい。そのかわり 、別れもひどくつらい。
その別れを、前向きにとらえられるようになりたい。
すべて自分の進んでいく糧にしたい。
「いずれ忘れてしまうのだから」というのではなく。
また誰かに出会いたい。

 

 

アイリーンは今頃、何をしているかな。





















旅の後記  その()の・・・。 


リコーとは1年近く文通をした。途中、リコーは米軍に入ってしまい、
リコーのお母さん経由で文通が続いた。今はどこにいるかわからない。
カールスとも1年ほどメール交換をしたが、Asukaがタイに行くのに、
カールスも合流すると言い出す。
同行の友達が嫌がったので断る。そのまま連絡は途絶えてしまった。
アイリーンとは3年以上、メール交換をしている。
去年はアイリーンのいる台湾に遊びに行った。