第三新東京市に屹立する黄金に輝く柱・・・・・それは
 
 
その都市を守護する紫色の魔神が使う巨大な武器・・・<鉾>・・・であった。
 
 
だが、それは今や<柱>以外のなにものでもなかった。それをふるうべき紫の魔神、エヴァ初号機は魂と操り手が不在のため、地下に封じられたまま、身動きひとつせずに。己のための武装が己なしに起こされても文句のひとつもいうでもなく。沈黙のまま、導力機関における血液、膨大な電力を供給し続ける。いったんは接続を切られたものの、再接続されて<鉾>が要求するだけのさらなる電力を注ぎ込んでいく・・・・・そこには小さな人間の意志など介在しない。今や夜天に浮かぶ、”この世ならざる島”を支える祭具と化した鉾と、福音の名を冠した巨人との契約によって力の流れは決定される。数万回の雷を束ねたよりもさらに強烈な流れこそ、このラピュタ的神話光景を実現させていた。
 
 
反・重力(碇シンジはバロールと呼んでいる)
 
 
もし、なんらかの原因により、この流れが遮断されたが最後、頭上の<島>はごく自然な地球の道理に従って墜落してくる。その結果は明白。第二支部をもって本部を潰す・・・・攻撃方法としてはこれ以上の皮肉はない、そして極上の悪意を。だが、そうであるなら、都市の守護魔神が沈黙しているのはいかにもおかしいことだった。
 
 
鉾に流れる膨大な電力は本流としては先端部分のメビウス回路にてねじれた力場を発生するのに使用されていたが、枝分かれし支流をつくり、ひとつの機能・プログラムを起動させていた。
 
 
 
天眼(びほるだー)
 
 
 
そう名付けられた超々距離攻撃ATバビロン用照準プログラム。渚カヲルが開発し鉾の内部に組み込んでいた、エヴァから地域戦の枷を外したまさしく悪魔のプログラムである。これさえあれば世界のどこでも狙ったとおりに防御不可能の絶対領域の矢を撃ち込める。
政治駆け引きの鎖などもこれでエヴァ初号機を引き止めておけなくなった。
操作不可能な巨人というのは、もはや神と同義語であろう。天の眼を得て、都市の檻に封じられていたはずの島国の大鬼は、海の向こうにいる者たちを大いに怯えさせる存在になっていた。腕っ節のみならず、魔法の眼力と遠当てを覚えた紫の怪物は、近接攻撃も遠距離攻撃も可能、なおかつ不死身に近くしぶとい、とくればもう、手がつけられない。
とはいえ、実際問題、東洋の神秘、僻地の怪異、島国の伝説、ではすまないのである。
さらに、碇シンジにも簡単に操作できるというか、狙いを選ぶ以外の全てを自動的にやってくれる。放電兵器として使用時にもしっかり対応、という親切設計である。おまけに、NEO(ニア・アース・オブジェクト=要するに地球にぶつかる恐れのある小惑星や隕石や彗星などである)検出の機能すらある。今まで思いきり活用されていなかったわけだが、
超高性能の望遠鏡の役割とて果たすことができるのだ。
 
 
だが、天眼は目覚めたのはいいが、サドベリー、アクラマン、ブレデフォート、マニクーガン、ポピガイ、プチェッツ・カツンキ、領域ごとにひととおりの自身の機能チェックを終えると、すぐに困ることになった。
照準プログラム起動時には当然、接続されているはずのエヴァ初号機からの、パイロットからの信号が、命令を感知できない。接続先のエヴァ初号機内部にはパイロットは不在。
 
 
・・・・・sate?
 
 
天眼は眼をぱちくりさせた。プログラムであるが、驚きはしないが、ぱちくりさせたのだ。
もし、この瞬間に擬人化させてもらったら、スナイパーにおいてけぼりにされたライフルスコープのごとく、ぱちくりさせていただろう。供給されるエネルギーはいつもながらのケタ違いでまったく問題ない。初期設定がバカバカしくなるようなレベルであるがそんなものはすでに修正済みだ。ただ、「何を」狙うか、何を的と、敵とするか、その指示を出す、その意志をもつ人間が、パイロットがいない。彼の脳と己が接続されていないことに天眼は迷った。自身の内部の最下位におまけのように付属している<自動反撃機能>を自動選択するかどうか。
撃たれたら撃ち返す、というそのまんまの、機能というのも恥ずかしい、己の内に存在するのも厭わしいくらいに単純な防御機能・・・・・確かに無人要塞として使用する場合、有効であるのは認めるが、天眼の名に相応しくない・・・
 
 
・・・・・・fumu?
 
 
狙撃地点の指示がないのはおかしいが、周囲の状況をぐるーりと<視認>してみると、その理由が推論できる物体を発見できた。頭上・・・・自らが納められた鉾の直上に、超巨大な浮宙物体が。あれならば狙いをつける必要がそもそもない。この位置からなら外しようがない。naruhodo・・・・・だが、それならばなぜ、自分に起動スイッチが入ったのか。
必要がないならば眠らせておいてくれればいいのに・・・・・この眼を閉じさせてくれればいいのに・・・・・優秀かつ誇り高いプログラム<天眼>は、渚カヲルが開発した、エヴァ初号機をまさしくただの巨人から神の領域にまで招いた悪魔のプログラムなのだが・・・・・・そういった事情で、「ふて寝」にかかった。
 
 
・・・・・neyoneyo
 
 
だが・・・・・これが囚われた末のヴァーチャルリアリティでない保証はない。
高性能の電脳による攻撃を受けて幻影を見せられている可能性も否定できない。
その威力ゆえに乗っ取られた挙げ句の誤射などなんとしても防がねばならない。
先ほどからチクチクと外から探査針で探られているが、防壁には自信があった。
が、もう一度、自己診断を行う・・・・・・果たしてそれが杞憂であろうか・
天網恢々疎にして漏らさず・・・・・・その眼が自らに向けられて・・・・・
 
滝に投げ込まれたコインのように沈みゆく・・・・・
 
 
ひとつのコマンドが見つかった。
 
 
本日入力されたばかりの、えらく短くて単純だけれど、若いことは若い、最新のコマンドが、初期深層設定に埋設されていたマスター・コマンドに合体して、一つの最優先命令として突如、天眼を貫いた。まさに、眼から鱗の衝撃であった。その命令を実行するために、天眼は必要な情報を最速で手に入れるために、エヴァ初号機経由で、ネルフ本部の<マギ>に情報請求した。いきなりのことで発信源が分からずに、ネルフ本部発令所ではすわ敵対組織のハッキングかと慌てていたが、天眼の知ったことではない。
 
 
新しい放り込まれたコマンドは・・・・「ハウ・ロング?」(いつ終わるの?)
 
 
そして、それを迎いいれ融合したマスター・コマンドが「ノット・ロング」(まもなく)
 
 
その二語が合わされたのちに現れるものはひとつしかない。天眼は突如発動した命令に対応すべく自らの半身を書き換えていく・・・それが自らを創生した存在の意志であるかのように・・・そして、その塗り替えられた瞳で市街を見ていく・・・・・不思議なことに、プログラムがそれを思うのも不思議なのだが、見えるものが今までと変化していた。今まで見えなかったものまで見えている・・・・・
 
 
いつ終わるの?
 
 
まもなく?
 
 
いつ終わるの?
 
 
まもなく?
 
 
いつ終わるの?
 
 
それらの声が見えている。天の眼に。人間たちが発している問いかけが、その眼に。
さまざまな人間、またはそうでないものたちが、この二種類の問いかけを続けている。
だけれど、誰一人として、マスター・コマンドのように「ノット・ロング」(まもなく)と疑問符を消して断言する者はいない。まるで、そんなことは許されてはいない、とでもいうように。
 
 
まもなく終わる
 
 
その一言を告げる者が、己の眼に、この天眼に映る中に存在しない。
だとすれば・・・・・どこにいるのか。この天眼にも届かない遠い、遠い場所にいるのか。
 
 
・・・・・・・
 
 
プログラムはそれ以上思考しない。
 
覚醒させられた理由、望まれた機能を作動させる。世界最高最悪の照準システムが狙撃地点を選択する・・・・・・通常の手順はここまで、今回弾着させるのは、絶対領域の大槍でも、雷の砲弾でもなく、直上にある巨大物体・・・・データ確認<ネルフ第二支部>・・・・・それを、なるべく周辺地域に影響がない地点に、なおかつ着地ダメージが最小になるように、降ろさねばならない・・・・天眼の作業領域は「なるべく」周辺地域に影響がない地点とやらを探すことだ・・・・・それも、早急に。人のように問うている間などない。メビウス回路帯・シヤクパロノフシステムの作動具合を調整しながら、天眼は条件内にて最も無害で対象に馴染みそうな潮汐力の観測に入る・・・
 
要求難易度は最高レベルであるが、それに応える。いい加減な人間の主の代わりに。
 
 
 

 
 
「降りてきたけど、オチとらん・・・・・そんな感じやな」
 
 
路面電車の中でなんともわけのわからないことを言ってるのは鈴原トウジである。
 
「そうね・・・・ここで、ぜんぶあれは夢でした、っていうのが普通よね・・・・」
洞木ヒカリも同意する。表現は異なれど、二人の共通項は「ここで終わりではない」ということ。やるべきこと、やれることを確かにやった、という思いはあるが、心中複雑だ。
 
 
ここは、駅近くの空き地である。線路から外された古びた路面電車が放置されている。
 
猫の車掌、マサムネこそいないが、ここがスタートライン。街の中をパトカーに追われつつ疾走して、そして、現在も市街の上に浮いている島めいた物体・・・それは消えたはずのネルフの第二支部・・・・銀鉄の臨時駅舎・・・・に辿り着き、そこで一仕事してから、また戻ってきた。ここに。スタートラインに。時間だけが過ぎて、路面電車は一㎝たりともここから動いていませんよ、というとぼけた顔をして老犬のように眠たそうに。
 
 
常識で考えると、「二人で夢でも見てたんじゃないか」という話になる・・・のだが。
 
 
いかんせん、証拠がある。おみやげに、ともらった銀鉄くろはの黒曜石の線路地図である。
 
こんなもの、どこ行っても売ってないだろう。値段もけっこうしそうだ。
だが、夢遊病のようにして、どこぞの骨董品屋から、ふらふらと入ったら、たまたま大安売りの店じまいセールであり、買ってきてしまった、ということも考えられないわけではない。なんでもかんでも夢のせいにしてしまうのは、夢に失礼というものだ。
 
 
だが、証拠がもうひとつある。あの天上切符がいまは”ない”ことだ。
 
そもそもの発端はそれなのだ。発端を手にしていないのに夢を見られるはずもない。
自分たちを運んでくれた銀鉄ひなゆきせの車掌に託してきた。おそらくは、本来、”それを手にするべきだった”者に渡してくれるように頼んだ。面倒な頼み事だったにも関わらず、ひなゆきせの車掌はそれを快く引き受けてくれた。あとはどうにかしてもらうしかない。この一件がどういった結末、 終わりを迎えるのか・・・・
いずれにせよ、夜もふけている。朝がくるまでにはカタがつくだろうか・・・・・
なんとか目当ての列車には乗れたようだが・・・・
無茶をやる友人は自分たちのもとに戻ってこれるか・・・・・・
あの時、碇シンジが口にした話、それを聞いたときのイメージ。あれほど明解に告げられたにもかかわらず、それを信じることができない。最良の結末とやらは・・・遠すぎる。
星よりも。星の彼方よりも。
 
 
「なにはともあれ、今夜のワイらの出番はここまでやな。えらいおっそーなってしもたけど、いいんちょ、帰ろうや・・・」
優しい笑顔で洞木ヒカリに手をのばす鈴原トウジ。
 
「う、うん・・・・」
鈴原トウジの方にはべつだん他意はない、暗いので降りる時危ないので手を貸そう、くらいの気なのだが、その気持ちが嬉しくて顔が赤くなる洞木ヒカリ。電灯もない薄暗い車内では分からないけど。ふたりで夜帰り。・・・・・妹たちは心配しているだろう・・・・連絡しといた方がいいかな・・・そんなことも思い浮かばない。差し出された手を握って、じいっと目の前のジャージ少年だけを見ている。
 
「あ、アスカと碇君も・・・・無事に帰ってこれると・・・・いいね」
 
「大丈夫やろ。・・・・たぶん、な」
安心させるために、ウソをついてやりたかったけれど握った手がそれを邪魔する。つい、本音に訂正してしまう。「お、親御さんも心配しとるやろ!は、はよう帰ろうか!」
うわ、失敗したな、と思ったが、いったん口からでたものを取り消すことはできない。
 
「鈴原・・・・・」
きゅ、と強く手を握られた。不安が伝わってくる。心配で心配でしょうがない、と。
 
「・・・・いいんちょ・・」
とはいえ、今さらそんなことを言われても答えようがない。心配しながら待つか祈るかくらいしかやりようがない。だが、こんな不安の様子を見せられて黙っているのも男がすたる・・・・・・ここは一発・・・・・一丁・・・・・一膳・・・・一本・・・・でも人参、二匹でもサンマ・・・・・じゃあない、どないすればいいんやーーーーー!!胸の内で絶叫する鈴原トウジ。大半の男はここで「そんなことまでワイの知ったことかい」などといいだして女性と大喧嘩するはめになるわけだ。そんな悩める鈴原トウジに救いの手が。
 
 
 
どんどんどん!!
 
 
路面電車のドアが強い勢いで叩かれた。
ここで反射的に鈴原トウジの脳に閃いたのは、「とうとう警察が追いついてきたんか!」ということであった。あれだけの暴走をしでかしたのだ。いくらジャミラ変装をしていたとはいえ、停止した路面電車を探すのは警察にしてみればそう難しいことではないだろう。
逃げるべきか観念するべきか・・・・・・男の決断を求められる鈴原トウジ。
救われた先が必ずしも幸せとはかぎらない、という素敵すぎる人生の好例ではある。
 
 
しかし・・・・
 
 
「入ってますか?入ってますね?そこにいますね!」えらく慌てた調子の、若い、自分たちと同年代くらいの女子の声にさらに驚く二人。霧島マナでも山岸マユミでも、もちろん女の声を演じている相田ケンスケでもない、ほかのどんな知り合い、でもない。
 
 
「・・・スズハラ・・・トウジ・・・・ホラキ・・・・ヒカリ・・・・いますね?」
 
 
ぎゅ、と先とはまた異なる感情によって強く握られる手。
びくびくもんである。何か路面電車の車体を通して透視でもされているような口調なのが気味悪さに拍車をかける。居場所と存在を確信してはいても、その名をここで初めて知ったようなアンバランスさ。警察やネルフ関係であった方がまだ納得がいく。
 
 
「ひっ!」なにかヘンなものでも見たのか洞木ヒカリが怯えた声をあげる。
「ど、どしたん・・・・・や、と・・・・・」つられてそちらを見てみると、窓の外。
 
 
真っ赤な目が、ふたつ
 
 
じいっとこちらをみている。様子をうかがっている。赤い瞳・・・・それを知っている。
 
 
綾波、レイ。
 
 
が、先の声は、綾波レイのそれではなかった。「デンゼル、開けて下さい。モルモル、写真をとらないでください」「撮らないよ!オレは観光客じゃない、カメラのプロだ!それから、モルモルはやめろ!」
それから一人ではないようだ。女の子の声に従って、黒スーツサングラスの黒人男性が電車の扉を開けた。「な、なんや。お前ら・・・・・」咄嗟にジャミラ化・・はせずに、洞木ヒカリを後ろにかばって立つ鈴原トウジ。鋼鉄の気配をもつ黒人サングラスに気圧されそうになるが、じっとこらえて睨みつける。まさか泥棒でもあるまいに、奇妙な三人組だった。指示を出したあたり、赤い瞳の女の子が、このグループの頭なのだろう・・・
いかにも屈強なボディガードでござい、やばい仕事も請け負います、という顔の黒人グラサン黒スーツ、それから、カメラを持った、自分で言うのだから間違いなかろう、カメラマンの白人男性、なんか怪奇ものの映画俳優によく似ている・・・怪物を倒す方ではなく、研究して擁護したはいいが背中から食べられるような感じの役柄の・・・・・
 
 
それから・・・・赤い瞳の神秘性を台無しにするかのような、ヘルメットまでかぶった野球ファッション、おまけに大リーグだ、の女の子・・・・ヘルメットだと分かれば納得だが、窓から頭だけ見てみれば赤い瞳を合わせて確かに悲鳴をあげるほど不気味だ。
 
 
「自己紹介するわね。わたしは綾波ノノカン。姓とこの赤い目に特に意味はなし。
それから、こちらの黒スーツがデンゼル、カメラもったのがモルダー、両方とも偽名だけど、モルダーはモルモルって呼ぶと怒るから」
 
交通取り締まりの警察官であった方がまだましであった、と思わせるに十分な名乗り。
 
 
「それで、なんの用や」
それでも猫が二本足で車掌と名乗っていたのを受け容れたことに比べれたまだましか・・・・・変人であることに変わりはないが、まだ人間だ。使用言語も日本語だし。
 
「お願いがあってね。緑の紙に、十の文字が書いてある・・・・”天上へ至る切符”をある人に渡してあげてほしいのよ・・・・・いろいろ大変なことになっちゃうから」
 
ずばり!、と効果音がするような切り出し方であった。赤い瞳はなんの迷いもなく。
こちらの素性や、今まであったことを全て承知しているんです、という顔で。
「・・・すでに、いろいろ大変なことになってるけど」
 
 
「あ・・・綾波って・・おまえ、綾波の・・・・えー、あー、姉妹・・・・とか従姉妹とか・・・・親戚筋か・・・・」
たとえそれが偽名であったとしても、その赤い瞳は、その強い輝きは、カラーコンタクトやら誤魔化しものでどうにもなるものではない。綾波レイ、渚カヲル、モノホンをそばで見てきた鈴原トウジたちには分かる。これもまた、本物である、と。
 
 
「碇シンジ君に聞いてくれれば分かるけど、なおかつ、命の恩人」ぬけぬけと。
 
 
敵から味方か分からないが、あまり長く関わるべきではない、と、決して悪い奴には見えないのだが、なぜか長いことその傍にいたくない、奇妙な重圧がある。それは魂の警報。その赤い瞳に見つめられると・・・・・どこまでもついていきたくなる。不思議な笛の音でも聞こえるように。
 
 
「ここにはもうないで。綾波に渡してくれるよう、人に頼んである」
なんのために、どうやってここを知ってやってきたのか、問うべきことはあったが、鈴原トウジは早々に切り上げようと正直に話した。銀鉄のことまではわざわざ口にしないが。
 
 
それを信用するかどうか、疑って身体検査やらやろうっちゅうんなら・・・・
黒スーツを睨んで身構える鈴原トウジ。天上切符を自分たちによこせ、とノノカンたちは言っているわけではないのだから、余裕がないといえば余裕がないが、向こうも先の慌て声からするに、そんなこと言われてあっさり納得するかどうか・・・
 
 
 
「あ、ほんとだ。レイちゃんが切符をみせて、白い列車に乗ってる・・・・・」
 
 
唐突に、ノノカンはそんなことを言い出した。
 
赤い目はまっすぐ鈴原トウジたちを向いているが、なにか別の光景を見ている。こいつやばいぞ、電波受信中かと笑うことができない。共の男たちも黙っている。
「白い列車」は、ひなゆきせのことだろう・・・・
 
「・・・・やはり、この地は強く修復力が働くのかな・・・」赤い瞳はほんとうになにか別世界の光景を映していることを寒気と共に確信する・・・そして、ノノカンは納得したようだ。こいつも、領域の外、境界線の外側にいる・・・・・・むしろ、そちらのほうをフィールドにしているのだろう、そして、なんらかの用事があって、こちらを覗きにきた・・・・そんなところか・・・・
 
 
「そうなれば、若いカップルの邪魔をすることもないわね。・・・・正直に話してくれたから、お礼に教えてあげる・・・・・今夜はもう下手にお家に帰るより、ここで一晩過ごした方が”安全”だよ。・・・・それじゃ、デンゼル、閉めてあげて」
 
 
用を済ませて即座に退散・・・・この三人組はこの夜の中でまだやることがあるのだろう。「ちょっ・・!」呼び止めようかとも思ったがやめておく鈴原トウジ。そこに
 
 
「じゃあね、エヴァ参号機のパイロットのおふたりさん」
 
 
扉が閉ざされる直前の、ノノカンによる別れの挨拶。運命の変更を告げる道化師のような笑顔で。「ノット・ロング・・・・どのような嘘であれ、それは永遠に生きることはできないから」
 
 

 
 
いつ終わるの? こんなことがいつまで続くの?
 
 
葛城ミサトの内心は悲鳴をあげて軋みあげていた。出来れば、出来ることなら、このまま誰かに丸投げして自分は事が全て片づいた新しい朝になるまでドロのように眠っていたい。むしろ、泥になりたい。あさりになりたい。蛤になりたい。
 
 
だが、そんな甘えが許されるはずもなく。今夜だけで耳のあたりの神経がぶちぶちと千本単位で使い物にならずに切れていくのが分かる。許容範囲はとっくにオーバーしている。空中にある第二支部をどこに降ろすか・・・・・それは、宇宙ステーション建設にも匹敵する一大事業である。とても一人の作戦指揮官などがよくこなせるものではない。
そのために情報を全面解禁、本部の人員は言うに及ばずネルフ関連の人間全てにフルスタンバイをかけたわけだが、司令職にあるわけでもない一指揮官が手綱を握るのはどえらい苦労であったが、そこらへんを気合いで押し切る葛城ミサト。とりあえず寄り合い所帯が烏合の衆にならずにすむ。数だけ集めて機能しなければ意味はまったくない。赤木リツコ博士を筆頭にすえて”第二支部降下対策委員会”を立ち上げると、自分は場所の選定に入る。当然、市民は夜中であろうとシェルターに避難開始。ビル群もひっこめる。ほぼ戦闘態勢・・・このタイミングで使徒にこられた日には・・・だいたい敵というのは来て欲しくない時にくるもんだ・・・・その重圧にも耐えなければならない・・・葛城ミサトでなければ円形脱毛症か白髪の大量発生は間違いない。その場で胃が穿孔するかもしれない。
なんせ頼みの綱のエヴァは今や参号機一体しかない。無理に無理をさせすぎたレイは零号機でとうとうダウン。愛刀を折ってしまったショックも考慮すると立ち直れるか・・・・
今夜はもうだめだろう。病室に閉じこめてあるレイ抜きでやり終えるほかない。
 
 
発令所には無言の、しかし熱を帯びた悲鳴が続いている・・・・・
 
 
いつ終わるのか?いつまで続くのか?
まもなく?まもなく?まもなく終わる?
 
 
その問いに対する返答はない。誰しも限界ギリギリのところまで追いつめられている。
人類の命運を賭けた使徒戦で、多少の重圧には慣れているネルフ本部のスタッフにしても落ち着きを欠いている。それが神経に余分な圧力をかけて疲労感を加速させている。
 
 
強い惑いがある。
 
 
混雑錯綜こそないが、全支部と連結されたという押し潰されそうになる膨張感と、
それと全く相反した、欠落感・・・・・いるべきものがそこにいない、という、なんともいえぬ、バランスの悪さ。綺羅星のごとく人材を要請しても、そのブラックホールのような欠落感が、活力をじわじわと奪っていく。どんなやばい時でも、追いつめられたときでも、螺旋のように力に回転をあたえて、じわじわと時と共に強さを増していく・・・・・ネルフ発令所に今まであった、その感覚が今はない。最後には絶対に、必ず勝利する、勝てる、という確信のようなもの。それがあるのとないのとでは、全く違ってくる。
 
 
これで夜を越えられるか・・・・・自分のことまで含めて、葛城ミサトは周囲を見て不安になってくる。
総司令、碇ゲンドウ、副司令、冬月コウゾウ、エヴァ初号機専属操縦者、碇シンジ、エヴァ弐号機操縦者、惣流アスカ。この面子がいない、なおかつ碇シンジと惣流アスカはこの鉾の屹立から事に深く関わって・・・・その張本人かもしれぬことを考えれば・・・・
 
 
自分たちは一体、何を相手にしているのか・・・・・?
 
 
スタッフたちにそのような強い惑いが生まれるのは当然のことだった。ただ、その追求より目の前の膨大な仕事を処理するのを優先してくれているだけのことで。
 
 
だが、指揮官たる自分はまさに、それを答えてやらねばならない。明確に告げる必要がある。高速で駆動するトロッコに乗って鉾を昇り、第二支部まで飛び込んだ二人。何も言わなかった彼に、彼の何を信じてやればいいのだろう。
 
 
木に登ったまま降りられなくなった子猫をおろすわけじゃないんだから・・・・・・
 
 
彼に、シンジ君にとっては、”その程度”のことなのかもしれないが。
 
 
 
「やれるものならやってみてくださいよ!人の命がかかってるんですよ?そんな機密がどうとかけちくさいこと、言うわけないでしょう!!本部をバカにしないでください!!」
 
伊吹マヤがどえらい剣幕でモニターに向けて怒鳴っている。彼女は赤木リツコ博士に任されて対策委員会直下の鉾解析チームの方をリーダーを務めている。その下にあるのは各支部の折り紙付きの頭脳たちが、使徒殲滅業界に響き渡る「鉾」の解析を許可され躍り上がってヨダレたらしながら宝の山に突進するのを束ねているわけだが・・・・
 
うわ、潔癖性だ。社長のくせに。なんかもろに挑発にはまっているっぽい。
 
もともと鉾が勝手に外部操作を受けて立ち上がった、というのが事の始まりであるから、そこから洗ってもらっているのだが・・・・ただのでかい金属の塊かとおもっていたけど、どうもあの鉾の中には、渚カヲルオリジナルの高位のプログラムがごしゃまんと入っているのだという。専門職でもちょっと手を出すのには覚悟がいるくらいのレベルの。
すっかり市街に馴染んでしまって、戦闘につかわん時は、”夢の大容量無限バッテリー”くらいの感覚でいたが、まあ、そんなことを口にすれば「あなたを骨の髄まで軽蔑してました」みたいな目で赤木リツコ博士に見られるので黙っているが、外部の者にしてみれば覗いてみたくてしかたがない電子桃源郷だったわけで。今日という機会に思う存分そこを踏破するぞ、と意気込んだ彼らは探求心以外に欲を出して伊吹マヤにああ怒鳴られているのだろう。非常時にもなんらかの成果を得ようとするくらいの根性がないとネルフは務まらないかもねえ・・・消滅したはずの家族の安否を狂ったように生々しい感情をぶつけながら確認してくる人たちよりは扱いやすいといえるけど・・・・、こちらも十何個のモニターと技術者遠隔会議をやってる赤木リツコの方を見る。うーむ、聞こえてないはずはないのだが、先に続いてシカトですか。まあ、いいか。どうせ碇司令いないし。いきなり戻ってきてて今のセリフ聞かれてたらやばいけど。
 
 
「日向君、現地調査部隊からの報告まだ!?」
癒し系である伊吹マヤですらあのような調子であるから、冷静なようでも葛城ミサトの口調などはそれこそ青龍刀を振り回す女山賊も道をあけるようなおとろしさである。
 
「いえ、まだ完了していないと!!」
その恐怖を乗り越えて、そろそろ快感を覚えて始めている日向マコト。この山が越せないようでは葛城ミサトの直轄はつとまらない。血を吐いてぶっ倒れるであろう。
 
 
「いつまでかかってんのよ・・・・・・」爪をかむ葛城ミサト。
 
降下に適当な場所だけはすでに選定を終えている。基本的に第二支部を浮かしている原因が推論以外は不明であるので、元あったネバダの砂漠に戻すようなことは考えてない。
第三新東京市からなるたけ近くで、さらには人家や公共施設がない、降下にともなう被害がなるべく少ない場所・・・・・第二支部が水に浮くのであれば迷わず海を指定して・・まさしく”島”にするところだが・・。
 
 
N2沼・・・・・
 
 
候補地№1。基本的には支部を支えているようである鉾のがんばりが全てであるが、そこが最も近く、最も条件に適してる。
その昔、バカな戦自がN2爆弾を使いまくって死のクレーターにしてしまってところでその周辺には誰も住んでいないし、おまけに公共施設もない、道路もなければ送電線すらない。じわじわと水がたまり、今は沼となっている。巨大な人喰い魚が棲んでいるとかデタラメな噂があるが、釣り人の夢の心配までできない。遠慮なく速成干拓地にさせてもらう。
後のことを考えると、そこに誘導しそこに落としたいな、と葛城ミサトは思っている。
 
 
だが、それでも問題がないわけはなかった。基本的な問題としては、確実に無人地域だとは分かっていても、それでもそこに住みつく変わり者がいるかもしれない、確認要す、ということと、N2不発弾があるかもしれぬ、ということだ。不発弾が残っており、その上にあんな巨大物体が落ちてきたら・・・・・想像したくない事態だ。
だが、それにしても基本的な仕事であり、探索班やら専門の部署であるならイロハのイであり、こんなことはさほどに時間のかかることではない。おまけに、その確認部隊を率いているのは百戦錬磨の野散須カンタロー。そこを爪をかむだけで、葛城ミサトが怒鳴りつけないのは、他の要因があるからだった。
 
 
問題は、そこに・・・・・・
 
 
 
「葛城三佐!」青葉シゲルから声がかかった。吉報でもないようだが、悪い知らせでもないようだ。
「副司令が戻られました!」・・・・・なるほど、微妙なところだ。空白の四座の一つが埋まったか・・・仕事半ばで戻ってきたのだろうが、本部はこのザマです、副司令おつかれさまです・・一緒に苦労を分かち合いましょう・・・ぐへへ・・・生者を狙うゾンビのような笑みをうかべる葛城ミサト。これで多少は楽になるか・・・あたしは・・・ぐへへ
 
「すぐこちらに来られるわけね・・・・じゃ、あたしは」ほっと一息つこうとしたところ、
 
「い、いえ・・・現在状況の説明をしてほしい、と。執務室で待たれるそうです・・・・」
相手の怒りを買うのが分かっているセリフを代弁するのはロンゲにつきものの苦労である。間にワンクッションおこうとおくまいと怒る人間は怒るし、現在はこの状況だ。
 
「この状況下で発令所を離れられるわけじゃないでしょーが・・・・・・・ぼけって言っといて」
 
「あ、あの、前文をですか、それとも後の方をです、か・・・・」反応に困る命令に泣きそうになるのもロンゲにつき以下同文。
 
「あー、へいへい。分かったわよ。敬愛する副司令の仰ることですもの。もちろん、超特急でうかがいますわよ。・・・・リツコ!二分くらいで連れて帰ってくるからちょっとお願い」
 
「不可能なことをお願いされてもね・・・・・いいわよ、いってらっしゃい」
 
この状況を聞いているからこそ戻ってきた副司令が、わざわざ呼びつけると言うことは・・・・・まあ、さらなる厄介ごとに決まっている。たとえば、それがいきなり「君はクビだ」なんてことが一番甘やかに聞こえるほどに。・・・・しち面倒なことだろう。
この期に及んでまだ出現しない碇司令のことか・・・・・はたまた・・・・・
碇シンジの正体についてとか・・・・・・・
 
これ以上脳みそをつかったらおーばーひーとします。ビールで冷やしたい・・・・
 
なんにせよ、
それを一番早く聞かせてもらえる光栄に浴してこようか・・・・・・・しにそう・・・
胸から聞こえるころん、ころん、とそれに抵抗する胡桃みたいな音は、命か・・・・
 
 
「ハッキング!?こんな時に!いったいどこから!?」
背中で伊吹マヤの怒りの悲鳴を聞きながら、葛城ミサトは葡萄を踏みつぶすように駆け出した。
 
 

 
 
「まもなく・・・・か・・・・」
エヴァ零号機が地下に戻り、単機で地上にあるエヴァ参号機、黒羅羅・明暗。
目を閉じて、自然体で風を読む。これから何が起きるのか、明暗は知っている。
 
 
行く道の果て、どういう結末を迎えるのかも。
 
 
「あいつらはけっこう好きなんだがなあ・・・・・朱夕酔、それから・・禁青、お前らの出番はたぶんないぞ・・・・」
 
 
現時点で地上最強の生物が、その座に腰を下ろしもせずに、立ったまま、さびしそうにつぶやいた。
 
 

 
 
 
綾波レイは下へ降りていく。星の世界の上天ではなく、正逆の、地下。
 
本部の下層から下層へ、病室を抜け出した身であるから、会う者見られた者、全てに赤い瞳で封印をかけながら、下へ下へ。星など見られない、空とは異なる地の闇へ。
 
 
レリエルにコケにされてから・・・・・
 
立ち上がらないはずの身体を立ち上げて、歩き始めて・・・下層へ
本部の回廊なのだとはおもうが、あるいはこれも夢の続きであったりするのかもしれない
 
 
その割には身体の衰弱はしっかりあるので、現実だろう。
 
 
自分の身体をなにが突き動かしているのか、綾波レイ本人にもよくわかっていない。
なぜ下層へ向かうのか。そこになにがあるのか。ただ確信だけがある。
これが正しいルートである、と。何に対して正しいのか、それすらわからないけれど。
 
 
寒い・・・・・完全に今度こそは戦えまい、と病室に担ぎ込まれたのだからプラグスーツは脱がされて再び寝間着。それは戦力外である証。だが、単純に今、保温機能がないので寒い。冷気がとおせんぼしているようであったが、それでも壁に手をつきながらも歩む。
それが下層に降りたゆえの温度のためか、衰弱しきった身体が体温を造らなくなってきているのか、いまひとつ判別できない。けれど、その寒さにむかって歩がすすむ。
吐く息が白く、空色の髪も硬くなってきている・・・・前者であるらしい。
その寒さが導になる。より下層へ、より寒いところへ。ルートは、身体が覚えていた。
そろそろ、頭が朦朧としてきて、逆に自分がどこへ向かっているのか分かり始めた。