てくてくてく・・・・・・
 
 
「御祓い師」宜保イイコが校庭のまわりをてくてく歩いている。
除霊会場である中学校に着いてすぐ行ったのがこれであった。
鈴原トウジたちに案内され現地到着寸前も、校門をくぐるまえに学校をぐるりと、遠回りして一周して包囲した。赤い靴の足跡をつける・・・・・これがどういうことか
裏黒い業界にディープに関わっているわけでもない中学生たちは知るはずもない。
単なる、いかにもそれらしい奇行だとしか思わない。奇行だが、霊能関係者にしては地味なのではないか?箸がころげてもおかしい年頃を間近に控えている微妙な彼らは思った。
まあ、腰ミノつけて松明と五寸釘持ってラップこっくりさんを歌いながらダンスされても困るし、しかもそれを自分たちにも強制してきたらさらに困るし。
 
「歩法結界法といいましてね。基本的な術式です・・・・こうやって、御祓いを行う現場をぐるっと歩くことで”気”の下調べができるんです。人間が歩く、というのは実は魔術的に大きな意味合いをもつものなんです。人がたくさん歩くと道になるでしょう?
適正なリズムと歩幅を崩さずに歩行を続けたなら、普通の人でもそれだけで強力な結界が出来上がるんですよ。呪術もスポーツも基本が一番奥が深くて極めると強いんです。
そーゆーわけで、シンジさんに指名されましたわたくし、宜保イイコも年は若いですが信頼してくださっていいんですよ、皆さん」
 
これで宜保イイコ(偽名)はその気になればいつでも学校中の生徒を何者も奪還不可能の闇の、闇の底に誘拐可能になったのだが、その危険性に気づく者は誰一人いない。あまりに専門外の世界から来ている女の笑顔に、碇シンジとの同類項を見つけてしまった。若者は気が早いのでそれでくくってしまう。「ああ、そうなのか」、と。浅いのか深いのかは不明だが、やらせる価値はある、と。
 
また、宜保イイコの言うことはまこと真実で、もともとの先天能力に加えて、裏で暗躍するにはあまりに便利な魔術呪術というものを女もすなる、と後天的に師匠もおらずの独学ゆえに奥深く基本を異常なまでに極めて融合させているのが綾波者ともまた一線を画する宜保イイコの強力さの土台の一つでもあった。身をもって得た貴重な教訓、「課外授業・ようこそ先輩(番外編)」であった。しかし、この中で一番賢い霧島マナでさえ、まだその意味に気づけなかった。十も二十も歳が違うわけではないが、育った環境生きる舞台があまりに違った。気づいても有効活用するのは難しい。
 
 
アカイクツ ハイテタ オンナノコ〜てくてく
 
 
「ですからね、人がたくさん歩かないよーな場所はいけません。都市なかにそんな場所がありますけど、そんなとこほど跳梁跋扈してるんですよ、悪い霊が。跳梁で跋扈してます。え?意味がわかりませんか。分かり易く言うとダンパです、ダンスパーティーです。
だから、歩くこと。毎日でも歩きたくなるような場所、道、そんな空間がたくさんあれば、みんな生きてて楽しい、と思えるんです。だから街づくりはそういった点を大事にして欲しいですね〜」
 
 
ヨコハマノ ハトバカラ オフネニノッテ〜てくてく
 
 
「え?シンジさんですか。関係、ですか?実は、・・・・・・”お妾さん候補”、ですよ。
いやー、正妻さんになるにはやはり皆さんくらいに若くないといけませんよ。ねえ?
ふふ、あとでシンジさんに聞いてみてくださいな♪」
 
 
イジンサンニ ツレラレテ〜てくてく 
 
 
「あーあー、そういえばエヴァとかエデンとかいうロボットのパイロットもなさってるとか。話には聞いているんですが実物は見たことないんですよー。それってかっこいいですか?何色ですか?シンジさんのイメージカラーですから・・・
桜色ですか?”シンジ宮寺サクラ!”、なんちゃって・・・あれ?はずしましたか」
 
 
イッチャッ・・・・てくてく
 
 
「綾波レイさん?も、こちらで、皆さんと同じクラスでしたか。あまりお友達のいそうなタイプじゃないと思っていましたが・・・いやー、おみそれしちゃいました。ほーほー、ふむふむ・・・」
 
 
タ!(たんっ)
 
 
「御祓い師」というからにはどんなに気難し気な人物かと思っていたが、眉間にシワを寄せるどころか、もみもみとした笑顔・・・年相応に明るいお姉さん、エヴァのことも知っているうち解けぶり、とどめに、綾波レイのことも知っていた、ということで、鈴原トウジたちの肩に入りまくっていた力とコリがぬけていく。このあたり、相手が中学生であろうが宜保イイコは実にプロ。歩法結界法をなす間に、義務感としてそれに真面目についてく鈴原トウジたちがかわいくなったのか、宜保イイコは会話をたやさずに相手の緊張を解き、退屈を感じさせなかった。どっちが案内役か分からないが、そこは人生の経験値が違う。校庭をぞろぞろ連結していく電車ごっこの一団は、車掌の腕がいいのか、そのまま気づいたら校内へ。まるでハメルンの笛吹女。注意深い相田ケンスケや霧島マナでさえ、あっと思ったらそこはこっくりさん御祓い会場である自分たちの教室前だった。
 
 
案内役である自分たちがなぜ初めてであるはずの御祓い師に誘導されるのか、おかしいとはまるで思えない・・・・それが結界の力。護摩を焚いたわけでも聖水をまいたわけでもなく地味であろうが、完全に”気”が整えられており、術師と名のつく者ならば分かる。己の手持ちの中で一番難しい術でもやすやすと成就しそうな絶好のコンディション。魔術がある種の賭事だとしたら、目の前に「いくらでもお使いください」とチップが山盛りに積まれているようなものだ。ゴルフに例えれば、第一打目にホール十㎝手前にボールを置かれて、「これで入ってもホールインワンでいいです」と言われているようなものだ。
ここでセールスマンが実演販売をやったなら、それがたとえ、靴の上からかゆいところをかける全自動フレディーズグローブ、などというアホな発明でも、押すな押すなの大盛況で億万長者になれるだろう。事象の成功率が異様にハネ上がっている異常法則空間・・・・・それが結界。その代償として人の理性や注意力を剥奪してしまうが。科学と相容れぬ魔法の本質。宜保イイコはその偽名どおりに本職ではないが、本物以上に本物を碇シンジは呼んだことになる。度胸と人物眼は一級品なのか?いたずらも厳しそうだが、ケンカはからっきしで三級品なのか?なむさん。
 
 
「気にするよ〜、気にするよ〜、気にするよ〜。のぞみは高ぁくはてしなく、わからんちんともとっちめちん、とんちんかんちんシンジさん。ぽくぽく」
お妾候補だとぬかす宜保イイコがお経にも似た妙な歌をうたう。 しかし、再放送は地域の違う山岸マユミしか視てなかったので、他の人間はよく分からなかった。山岸マユミだけ頭の中で続きの歌詞がリフレインして顔を赤くする。「すきすきすき・・・・あいしてる」ぽそっと口に出してしまい、ますます顔を赤くする。まさに赤いキツネ状態。
 
 
「どこか着替える場所はありますか?よろしければそろそろスタイバイと参りましょうか」
 
 
のんびりとした御祓い師宜保イイコの一声で、ここ第三中学校で最初で最後の除霊会が行われる・・・。
 
 

 
 
廊下には赤い絨毯がひかれている
 
 
「なんか、変じゃない?」
「そ、そうかな?別に・・・・おかしくないけど」
 
放課後であまり人気のないはずの校内には、やたらに生徒が残っており、ラングレーにはどうでもいいことだが校庭でのクラブ活動もどこか気が入っていないようで、なにより。
 
昇降口下駄箱からこの通路、伸びている赤い絨毯・・・外国の王室かロックスターかまんがに出てくるような巨大財閥の我が儘お嬢様でも視察に参られているのであろうか、と思わせる、とにかくシャレのきかない日本の教育には不釣り合いに似合わない派手の赤・・・・実は御祓いカンパのお金の代わりに何か勘違いしたまま、現物でこんな赤い”お宮ロード”をこさえた有志がいたのだ。結婚式場のレンタル会社に知り合いがいるとかであるが、まあ、気張ったものだ。惣流アスカファンの底力を見せつけられたね、とは相田ケンスケの言。これを契機に親衛隊なんか結成されたらすごいよねー、と霧島マナが笑っていた。
 
笑っていたのだが、この勘違いなオリジナリティに何か刺激されたのか、金だけ払ってあとはプロフェッショナルに任しておけばいいものを、皆々いろいろとしゃしゃり出てきた。
 
赤い千羽鶴を折ってこの”お宮ロード”に吊り下げておくもの、「おばあちゃん・おじいちゃん・近所の古老にこれは効くって聞いてきたんです!」ということで多様なまじないグッズ。きつねだのたぬきだのイヌだの、通路はもはやちょっとしたこっくりさん民芸村ロードと化している。飾り付け、となるとやはり少女たちが燃える。「ギネスに挑戦!巨大きつねうどん」という、勘違いもここまでくればあっぱれとしかいいようがない「成功を祈り、勝利の後苦労をねぎらおうじゃないか。皆で腹ごしらえだ!!」善意の体育会系の野郎連中の考えることとはワケが違う。家庭科室で似合わんエプロンで巨体を締めて汗かきながら作っている。
 
「じゃあ、文化系としても何かやらないといけないのでは?」先駈ける熱き実行力には欠けていても文化系の人間は基本的に猪口才な智恵が働く。勘違いの横行している状況下にあって、それを是正する形で動こうと考える・・・・一番ピンポイントで正解なのはやはり金だけカンパしてあとは口も手も出さずに適当に見守っておくことなのだが・・・。
 
こっくりさんといえば、五十音の文字と、十円玉と、鳥居。書道部が中心となって、廊下の窓ガラスには「あ〜ん」まで、綺麗な文字が飾られ張られることになった。巨大な十円玉のオブジェまで。・・・・そういうものが混じり合い、宜保イイコ到着後の放課後の第三中学は清き学舎ではない、宇宙刑事が令状持って押し掛けてきそうな、シュール魔界な不思議空間に変貌していた。
 
 
「あれあれ。これはこれは」
その変容具合を赤い巫女姿になった宜保イイコはけたけた笑って楽しんだ。本職ならば、素人が騒ぐのを好まない、怒鳴りあげて撤去させるに違いないが。文化祭ノリでよたよた迷走していく状況を仕切りきれなかった自分たちを恥じて恐縮する鈴原トウジたちに、
 
「生徒さんが元気なのも結界が作用している証拠、ですよ。それに、これこそが本来の狙い、なんでしょうから、いいんですよ」
人間が蟻とも猿とも歯車とも違うのは、祭りをやることだ。強烈な集合の力、それを用いて皆ともにまとめて熱気とともに清められること。生存のために余計なことは忘却焼却してしまう。そこに神が降臨しなかったとしても。ただびと皆、もろともに神に。それで、かまわないのだ。古人の智恵。
今回の仕事は騒ぎをもりたてる道化役。宜保イイコは分かっている。わざわざこの自分を呼んでおいてこんな端役を頼む人間の神経のイキぐあいも。だから、好きなんですけど。
毒の花を皆の食卓に飾るような感覚が。こわいものしらず。毒を毒として使わない。ああ、なんてもったいない。もったいないおばけが出ますよ、シンジさん。こんな実用的な女をさしおいて、自分でやろうなんて。笑う門には福来るなんてのは嘘ですけど・・・
 
 
「まあ、喜劇は鬼撃に通じますよ。たぶん、ね」
 
 
そんなわけで、碇シンジとラングレーは赤絨毯の上をてくてくと。職員室の前。
 
 
「じゃあ、教室でまってて。すぐに行くから」
 
言われなくても、碇シンジごときをその場で召使いのように待つ趣味はラングレーにはない。通路の異様さの先、最終地点には果たして何があるのかあまり考えることもなく「日本でも復活祭をやるようになった、それともハロウィン・・・・違うなあ・・・・ま、いいか」・・・てくてくと自分の教室二年A組へ。空腹であった。熱量、カロリーの補給を
 
したい、いましたい、すぐしたい。ああ・・・・お腹へったよう・・・・ひもじい
 
籠城戦、兵糧責めをかけられたら真っ先に白旗あげるんではなかろうか。だらしない。
 
きゅるるるる・・・・・、フライパンで目玉焼きソーセージハムエッグベーコンでもいい・・・・ああ、シンジのやつ、あと一分以上かかったらレンジでチンジの刑に処す。碇デンジに改名する・・・・まだヒゲも生えてないし・・・あのほっぺたは・・・けっこういいかもしんない・・・・・ふふふ
 
 
くわん
 
 
ラングレーがあぶない妄想を開始したところで、お望み通りフライパンがやってきた。
ただ、料理されたのはラングレー自身だったが。目から星を出して昏倒するラングレー。
相手に顔も見せずに気取られず怪我もさせずに気だけ失わせる、まさに職人芸ともいえる叩き方だった。とてもただの霊だけ相手にしてればいい御祓い師に出来る芸当ではない。
 
「あのくさ、こればい!・・・・ですねえ」ニコッと笑う宜保イイコ。
 
洞木ヒカリも何もいえない圧倒的な手際の良さでほいほいと教室の中に引きずり込む。
ラングレー相手にこんな真似してただですむわけがないのだが、宜保イイコに恐れはない。
悪魔だろうと仏だろうと赤い靴の歩跡を踏んだ相手を既に恐れる道理がない。
あとは碇シンジが着替えてくるのを待つだけであった。
 
 

 
 
フライパンの一撃からラングレーが目覚めてみると、椅子に拘束されていた。
ご丁寧にこれまた神社で作製してもらった注連縄でぐるぐる巻きにされていた。
 
 
「これは・・・・シンジ?」
 
ここは教室。机や椅子が片づけられてできたスペースの中央。向かい合わせにふたつ残された片方に自分が座らされている。ラングレーは状況を確認する。縛られた縄の体感に体液が沸騰し始めている・・・・なめたまねを・・・まさかと思うがこの美貌を目当てに暴行でもしようってんじゃなかろうな・・・・燃え上がる炎気・・・それを抑える気もなく目に入るものを順繰りにターゲットロックしておく。あとは脳内のスイッチを一つだけで爆炎にて砕かれる。はめられたことに気づき、校内に入ってからのすべてのものをロックしていく。
記憶と起爆装置が直結するのが念炎能力の恐ろしさだ。赤い絨毯道もキツネだの狸だののおもちゃだの千羽鶴だの・・・・引き裂くようにして焼いてやる・・・・自分を封じる象徴であるこの椅子はトロトロにして座らせた人間と生涯くっつけてやる。椅子人間の出来上がりだ。椅子人間の生涯が例えコンマ一秒で終わろうと知ったことではない。 怒りというのもなまぬるい烈火の感情がラングレーの額にビキビキと脈浮かぶ紋章のように疾走する・・・・・到達地点は。
 
 
目の前に立つ青い時代がかった雷の紋をつけた和服の人間・・・・・
宜保イイコの用意したいわくありげな和服、雷工服に袖を通した碇シンジであった。
七本の支えをもってその先に鈴と糸釣針をつけた妙な形の釣り竿を肩にのっけていた。
 
 
もう一人いる。赤い巫女服のラングレーには見慣れぬ若い女・・・・・
姑獲鳥の紋をつけたどこの神社にも属さぬ巫女服をまとった宜保イイコであった。
へらへら、と形容してもおかしくない、状況と雰囲気をまるで考慮してない笑顔を浮かべている。速攻でロックしておく。ゆたかな胸につけた赤いキツネのバッチには小賢しい、この場の様子を他所へ映像で送る盗撮レンズが輝く。
 
 
「これは・・・・・なにかの遊び?悪いけど、わたし、お腹減ってるんだけど。
つき合ってられない・・・・・早く、ほどいてよ。バカ・・・・」
まだ許す余地を残してどこか扇情的にラングレー。しかし、返答は
 
 
「黙れ!、アスカにとりついた”こっくりさん”め。僕には分かっているんだぞ!!」
碇シンジは衣装のせいか、芝居がかったセリフ回しでこんなことを言う。
 
 
「はあ?!」何言ってンだ、こいつ大丈夫か。鼻白むラングレー。しかし、空腹のため、面倒はさけたい早く食事にしたい・・・ので、奇跡的な忍耐力でグッと我慢するラングレー。
日本的ななんらかの儀式、という可能性もある・・・・文化の違いを否定すれば回転寿司は食べられない。中学留年め、これでムチもってペシペシとかやりだしたら速攻で燃やすが。
 
 
「こ、こっくりさん・・・って何よ」
問題は、この身が今まで通りの惣流アスカ、ではない、ことを明言してきたことだ。
頭の回転が速すぎるくらいに早いラングレーである。
シンジめ、気づいていたか・・・・・・いや、これは丁度いいかもしれない。
いまさら別人格を看破されようと一向に構わない。ラングレーはその点、恐れもない。
最後までそうでないなら、物足りなさを覚え、その愚鈍さを軽蔑したことだろう。
まあ、ネルフはここのガキどもと違って、パイロットの能力さえあれば本来の人格が立ち上がってきてもいっこうに気にしないはずだ。しかも、実力と能力はこちらが上ときている。
新型と認識されるのも多少抵抗があるが、性能が上のものを同じコストで使えるとなればどちらを選択するか、分かり切ったことだ。生命がかかっている件ならばなおさら。
それにしても
 
 
ああ、お腹減った・・・・・・
黒こげの、炭ではない食事がほしい・・・・・・冷めたスープでもいいから
 
 
「これ、お芝居ですから、シンジさんにのってあげてください」
すい、とラングレーの耳元で囁く宜保イイコ。もし、このタイミングで耳の奥にアイスピックを突き込まれても逃れることはできなかった。十分以上に警戒していたはずなのに。
たぶん、空腹のせいだ。
この。のほほん顔をした女・・・・何者だ?ネルフ関連ではない。データにない。
 
 
「あひゃあっ!!」
 
囁きついでに耳を甘く噛まれた。たまらず奇声をあげるラングレー。それが宜保イイコの計算なのか新手の趣味なのかは分からない。傍目には、正体を見破られた事による霊のアクションに見えないこともない。宜保イイコの胸のレンズから送られる映像を視聴覚室で見守る鈴原トウジたちは除霊が始まったことを知る。一体、どこへ落ち着くのか分からぬ。この先、一瞬たりとも見逃せぬ勝負が始まる。
 
 
「アスカが興味本位で、よく知りもしないこっくりさんをやって、お帰りを確認しないのにぎしきをやめてしまって、迷われたのはあやまります。けど、教室内でアスカの手を火傷させるのはひどすぎます」
 
 
ゆっくりと、しかし、確実に、月が欠けて、潮が満ちるように、碇シンジの目が、変化していく。レンズにも網膜にも映る変化ではないがラングレーにも、宜保イイコにも分かる。
 
 
きた・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
こいつ、激高をはじめている
 
 
ぞくっと、ラングレーが震えた。 それは、まぎれもなく・・・・
 
 
激高というのは一瞬にやるもので、こんな脱皮をやるようなのろさで行うものではない。
通常の精神行動ではないのだ。特別な感情の動き。精神の奥底で何か巨大なものがシフトされている音をきく。三千を超す巨大戦艦の全砲門が一斉にこちらを向くような威圧感。
鋼鉄の扉が強い腕で開かれる錆びた音がする。その逞しい腕の色が見える。生まれたての赤子の色。それを自分がはじめてみた・・・・・ラングレーは奇妙な優越感にとらわれた。
はやく、顔をみせて。あたしがはじめて、それをみる。第二人格か、第三人格か、分からない。もうひとりの、別のこいつだ。それを、アスカでも、ネルフの連中でもなく、このあたしが見るのだ。やはり、運命だろう。縛られた感覚さえも今は心地よい。
 
 
ぱちっ、 ぱちっ、ぱちっ、・・・・碇シンジの雷工服が主の変化に敏感に反応した。
もともと、鳥工だの龍工だの雷工だの工服のシリーズは着用者が危地に陥ると紋様が実体化して助けるというスペシャルマジックな服なのだが、この爆ぜる音は嘆き、もしくはぼやき。「この人にそんな必要はないじゃないっすか・・・自分たちはいらない服っすか」。発声機構があれば、たぶん、そんなことを語っただろう。危地に陥ることがない・・・・
つまり、目の前も四方周囲にも、主を害するいかなる存在、現象も、主の瞳の変化とともに消えたということ。雷工服はそれを認識した。
 
 
もう少し離していた方がよかったですかね・・・・鈴原トウジたち、依頼人の生徒たちの距離について。校内ではまだまずかったかもしれない。宜保イイコが珍しく自分の危機算定にミスを認めた。これが正確極まるから今の今まで五体満足で生きて来れた。
雷工服の嘆きを聞きながら、宜保イイコも仮面をすこし外して、本性の笑顔を浮かべた。
 
 
だが、そんな怪奇現象はすぐに断ち切られた。ラングレーも宜保イイコも雷工服もあっけにとられた。たった一本の、日常的アイテムに。
 
 
 
とぷとぷとぷとぷ・・・・・・・
 
 
サラダ油・・・・・ポリ容器に入ったそれを一本まるごと、自分に頭からとぷとぷと。
かけた。あわてたのは雷工服である。なげきもぼやきもすぐにやめた。
油もしたたる、いい(?)少年、碇シンジの出来上がりである。
「なっ・・・・?」
「シンジさん・・・・・」
 
 
気でも違ったのか、相手は炎を操る。まるで燃やしてくれ、ゴウ、といわんばかりに。 
懐にはいった傷ついた小鳥でも腹がへっていたら焼き鳥にして食っちまうようなラングレーも判断がつきかねた。これが、こいつの別人格・・・・?
廃棄物というかスクラップというか壊れているというか・・・U・R・T・V・・南米のウェブTV局というか、異次元というか・・・・まいったぜ、おい
 
 
ゆっくりと、碇シンジは縛られているラングレーに近づくと、うしろにまわる。
本能的にやばさを感じて、逃げようとするラングレーだが動けない。プロである宜保イイコに縛られているのだ。
するり。碇シンジがラングレーの後ろ手を握る。油まみれなので、微妙な感覚だ。どうにも体勢と言い、淫靡というか・・・・屈辱ではあるが・・・・すこし、気持ちがいい。
 
 
碇シンジが目をつむりながら、ゆっくりともみほぐすように握り続ける・・・・・。
 
 
そこから火達磨にしてやることも可能だが・・・ラングレーは好きにさせておいた。
この零距離で油・・・・これはもう宜保イイコでさえフォロー不可能だが、好きにさせておいた。もちろん、これは除霊という奇行のフィルターをかけねば中学生には危険な行為だ。大まじめな顔しているからいい、というもんではない。視聴覚教室での反響が分かる。
 
 
「うーん、だめだなあ。やっぱり、アスカには敵わない・・・・アスカの方が上手」
 
 
目をあけて、碇シンジがもはや「誤解してください」といわんばかりのことをほざく。
マッチの硫黄の匂いも好きなら油マッサージも嫌いではないところを、最悪のセリフで断ち切られて顔がひきつるラングレー。一応、とっさの判断でマイクの集音レベルを最低にする宜保イイコ。こ、これは危険です。独自の判断でカットさせていただきます。
 
 
「じょ、上手って・・・・なにが・・・・」
一応、聞いておいてやるさ。冥土の形見分けだ。まさか、アスカの記憶にはないが、一つ屋根の下のこと、完全に寝入っているところを忍び込んで・・・・こちょこちょとやっておったんじゃあるまいな・・・・・あり得る・・・・あり得すぎだ・・・防御系のひ弱な精神のわりには戦闘のストレスで拒食症でガリガリとか反動で大食いして肥満ということにもならず、このボディだ・・・・視姦くらいならまだしも・・うわ・・・・姑息すぎる
 
 
「基点になること」
 
 
誤解してください、といわんばかりのことをほざいておいて、その通りに誤解してやると一蹴するのだから、碇シンジはひどいやつ。「ひとをおちょくる五十の方法」を読んでいるのかもしれない。
 
 
「基点・・・・?」
べ、べつにこっちだって年中そっただなこと考えるわけじゃないし、そんな冷徹な声でいわれたってさ・・・・もちろん、そんなことされたいなんて思ってるわけじゃないしっ。
内心のうろたえを隠しつつ、顔だけはシリアスを保ちつつ、ラングレーは反問する。
 
 
「どっしり構えること」
 
 
あまり、女の子にいっても嬉しい形容ではない。けれど、碇シンジはそれが何より大事なのだ、というように微笑んで見せた。油に濡れた顔で。ラングレーのむこうにいる女の子に。
 
 
「あ、わたしじゃありませんから」宜保イイコがちゃちゃと注意をいれる。
「もちろんですよ〜」
 
 
「敵と味方のボーダーラインも消えてなくなる、ひどいひどい乱戦になれば、それが一番大事になってくるから。強いことも、弱いことも、さしたる問題じゃない・・・・だから」
 
 
「アスカがいいんです、アスカが必要です・・・・・返してもらいます」
 
「もう、おかえりください、おかえりください。こっくりさんこっくりさん、こんちきちんちき こんちきちん」
 
 
「ふーん、そういうことか・・・・」
碇シンジが自分よりアスカを選んだことに耐え難いものを感じながら、この愚かな懐古好きを焚殺してやる前に、解けた単純なクイズの答を告げておこう・・・遊びは終わりだ。
ラングレーは碇シンジの表層を焼いてその中から別人格を出現させる最も簡単で確実な方法を思いついた。それが正解だ。なんのことはない、こんな単純な方法がアスカの記憶の中にあった。自分よりアスカに固執する理由が分かれば先ほどまで感じていた情けも蒸発する。本性を暴いてやる。・・・・・もう少し面白みのある奴だと思っていたのに。
 
 
警報装置を叩き潰して、本体を呼び覚ます。ここまで来い、都市の守護者、外敵の存在を一切許さぬ無慈悲にして怠惰な憤怒の王・・・・・。夜雲に隠れたお前の顔が見てみたい。
この惣流アスカラングレーの前に姿を現せ・・・・・・鍵は、「敵視」だ。
 
 
使徒と認識された弐号機になんの躊躇もなく殺しにかかった性質こそ、別人格。
 
 
なんの疑問も恐怖もなく外敵を排除するために機能するそのモデルは「王」といっていい。
逃亡も投降もなく戦闘を終結するまで外敵の殺戮を続行する精神はそう表現するしかない。ギルガメッシュ・プログラムもそこまではやらない・・・・王に人権はなしか。
そして、王の周りに人はなく、駒がいるだけ。戦いの価値を知る者、戦士も騎士も勇者も関係なく。今思えば、アスカが動いてこいつをかばったのではなく、こいつがアスカを動かして「自らの盾」にしたのだと、したら・・・・「操支配力(テレコントロール)」、終局地点にある兵器・・・頂点を譲ることのない兵器の夢、それをこいつがもっていて、既にアスカを「駒化」しているのだとしたら・・・・・燃やすのは正解だったか。
 
 
目の前の対象を、外敵だと認識した時に、王は現れる。
ふだん、へらへらしてる碇シンジはいわば安全装置のようなものなのだろう。
こいつで対応できる事態ならば王が現れることはない。
境界線、といっていい、トワイライトなキャラクター。あくまで防御系を好むのは道理。
なにが基点だ。このバカ・・・。
 
 
戦闘時ではない、都市の生活空間の中で王を発現させることがどういうことか、ラングレーも宜保イイコもしったことではなかった。それは綾波レイが本能的に何より恐れたこと。
 
 
エヴァ初号機専属操縦者、としてどの人格が主(メイン)であるのか、ふさわしいのか、言うまでもない。けれど、まあ、よくもここまで自分の子供を道具扱いできるものだ。
ラングレーは感心する。多くのモノに守護されている感覚もこれで十二分に理解できた。
王の周りの取り巻きどもだ。今は目には見えないが、いずれ顕現してくることだろう。
王が表層の意識の座につけば。これは予言だ。五年先、十年先、力をつけてくれば、対抗できるか・・・・最強のライヴァルになるのは間違いない。こっちを支配下におこうとしてきたら・・・それをはね除けることが可能かどうか。こいつに従われる・・・・使役される・・・・冗談ではなかった。問題は現在ではない、十年先、二十年先だ。
こいつに敵すべき自分でいるか。一対一で勝てる、という些細な話ではない。
保有する戦力の問題。アスカなんぞにこの身を任せてセコく運用させていれば、負けるしかない・・・・むこうはなんせ、おぼっちゃまくんだ。・・・・どうするべきか。
 
 
この期に及んでこんなことを考える、徹底的に戦うことしか興味がないラングレーである。
単なる格闘家の腕自慢自己満足でないからよけいにタチが悪い、まさにイケイケの武闘派。
 
 
王と呼びながらその”最重要の機能”を認識せぬのは、それを知らぬのと、自らが決して王になることがない気楽さゆえか。騎士という名の戦争屋。
 
碇シンジがそんなに単純な奴であったら苦労はしない、というのが衆目の一致するところであるのに。
 
完全敗北一歩手前の悲惨極まる状況にならねば王と共闘なぞ出来るはずもない。人類にとってそれは巨大すぎる不幸。戦闘が終われば率先して戦乱を引き起こすに決まっている。
 
 
これを防ぐにはどうすればいいのか。
 
 
安全装置にすぎない、と馬鹿にされた今、目の前にいる碇シンジはそれを知っている。
防御系人格であるアスカを呼び覚ますだけでは不十分。それでいいなら、ただ濃い茶でも飲ませて夜更かししていればよかったのだ。そうすれば深夜に惣流アスカの持ち時間がやってきただろう。それに、なんでも誘拐すると豪語する宜保イイコに第二人格を誘拐してもらえばよかったのだ。それでは、足りない。事態は収まりがつかない。
 
サードチルドレン、碇シンジの別人格を解放することは個人的な興味であり、戦略地図を書き上げる行為でもあったが、それも果たされた。あとは力の上位者がどちらか、雌雄を決するだけ。ラングレーは瞳に炎を込めた。視線の名は「炎の祝福」。競う気はない、終わるまでやる。どちらかが敗北の刻印を背中に深く刻まれて二度と立てなくなるまで。
 
 
どろえり。縛り付けられていた注連縄がとろけて消えた。立ち上がる。始めよう。
 
 
激しい闘志。これがラングレーの生命力の源であり、どんな窮地に陥ろうが戦闘続行可能の秘密。これを奪われればラングレーは死ぬしかあるまい。ラングレーではなくなる。
ただの、惣流アスカになっておわる。それはそれでいいのかもしれない。だが、。
人類は、最後のギャフンと大逆転!の切り札を失うことになる。しぶとさを無くす人類は弱くなる脆くなる。決戦に敗れ最終線を突破され最後の盾を砕かれても最後の最後まで悪あがきする魂も、日常生活では危険でしかも熱苦しいことこのうえないが、確かに必要なのだ。碇シンジはそれを知っている。アスカではない別の魂にほのかな愛おしささえ覚えている。何より、この都市にいる限り、ラングレーもまた都市の人的財産なのだから。
 
 
「僕を燃やしてもいいです」
 
 
そう言われると、そのまま燃やしてやるのもシャクにさわるラングレーである。それが「僕を燃やす代わりにアスカを助けて」とかいうのが続かないのが顔見れば分かるのでなおさら。それがハッタリでもなんでもないのはかぶったサラダ油が証明する。
 
実力の読み切れぬ赤い服の女が、まろおん、とした薄ら笑いをうかべて控えているのも不気味だ。思う壺、というケースはある。これはそう言いきった代わりに、こっちもあなたを燃やす、という意思表示に他ならないのだから。くそう、たかが安全装置の分際でブラフなんぞ・・・・
 
炎のコントロールには専門家であるこっちが分があるが、それを反射させるとなったら・・・・雷電鉾の一件もある・・・甘く見ることはできない。こいつは、もう王なのか?
別人格が現れてこんな事を言っているのか?それともまだ・・・・
戦闘の長期的展望を持つのはいいが、その分だけ足下がおろそかになっているラングレーに畳み掛ける碇シンジ。コンビネーションをいれる。
 
 
「というか、絶対に燃やしてください」
 
 
「できなかったら、死んじゃいますよ」
 
 
「どんなに疲れ切っても。力の限り。かならず」
 
 
「アスカはその後でかえしてもらいます」
 
 
碇シンジが肩にかけていた七支えの釣り竿を振ると、七つの鈴が鳴り、七本の釣り針は過たず、ラングレーの服にひっかかった。そのうちの一つなぞ狙ったのかどうか、包帯巻いた手をぐっさりと貫いた。
 
 
「イイコさん、それじゃ海を見に行ってきます。よろしく」
 
 
「はい、いってらっしゃいませ、シンジさん」
赤い靴音が教室内に一度、高らかに響くと、碇シンジと惣流アスカラングレーの姿は消えた。異変に驚いた鈴原トウジたちが慌てて駆けつけても、宜保イイコは「除霊は成功しました。成功しすぎて、ちょっとシンジさんもキツネさんのところまで行ってしまいましたが」平然とそんなことを言ってにこにこ笑っていた。キツネのバッジもつままれる。
 
「さあ、みなさんでキツネうどんでもいただきましょう。あとのことはわたしが万事やっておきますので」
発火現象の次は、人間消失。キツネうどんなど食べてる場合ではないのだが、これも碇シンジのシナリオなのだろうと仕方なく納得して、鈴原トウジたちは除霊の成功を吹聴してまわった。「勝訴」ならぬ「勝霊」という意味不明な習字が校内を駆けめぐる。メインの二人がいなくとも、宜保イイコがいればなぜか場はもった。
 
「除霊の成功を報告に、二人で神社の方へ行っています。これは当事者ふたりきりでないと効果がないのであとをつけたりせぬように」とかなんとか、それらしいことを言ってごまかす。確かに、この騒がしい状況ではさらしもん以外のなんでもない。惣流アスカにはがまんならんだろう。ほんとのトコは二人でばっくれて喫茶店で茶でもしばいているのではなかろうか。いささか結末に物足りないというか、気分はくもり、という感じだが、テレビの霊能特番ではないのだ。こんなもんだろう。自分で油をかぶるくらいだから、発火についてはもう問題がなくなったのですか?と霧島マナが問うと、宜保イイコは「もちろん、だいじょうぶですよ」と太鼓判を押してきた。ぺたぺたと、なんか有り難みが。
しかし、安心はする。姑獲女の紋の巫女服の宜保イイコの言は適当であっても説得力があった。巫女服パワーといっていい。舌先三寸のトークにも御利益がこもっていた。
その紋の妖怪がどんなものか知っていればなおさらだったが。
 
姑獲女(うぶめ)・・・・海上の龍灯を運んで、自身の燐火とし、それを海岸の松の上へ燃え移すという・・・今回のペテンのイメージキャラクターであったわけだ。
 
 
というわけで、役目を終えた鈴原トウジたちがキツネうどんをすすっていたころ・・・・・・・
 
 

 
 
ごぽぽぽっっっ
ラングレーと、それに釣り針をひっかけた碇シンジは大量の海水の、つまり海の中にいた。
 
 
教室の中から一瞬にして、気づいてみれば空気のないこの海水空間に転移していた。
いや、させられたのである、はたして何者に、どのような方法でかっ!?・・・などとのんきに分析している余裕もヒマもなかった。
パニックにはならなかったが、驚愕から立ち上がり状況を認識するに数秒かかった。これでは生存がやばい。生命にも燃焼にも酸素が必要。とにかく浮上しようとするラングレーだが、錘がついている。いや、碇だった。
 
 
碇シンジだった。世界最悪クラスの駄洒落である。考えた奴に呪いあれ。
 
 
その名の通りなんとか海底に接地して船を安定させようとしているのか、ずんずん沈んでいこうとする。死ぬ気か・・・・・まあいい、勝手に死ね!または王の力なり使って勝手に生き延びろ・・・・・だが、初めから心中する気でいたのか、ご丁寧に釣り針をしかも七本もひっかけている。ちくしょう・・・・とてもじゃないが抵抗の中、外せるもんじゃない。
 
なんて奴だ・・・・・これがお前の選択か・・・・・碇シンジ、卑怯なり!!
燃やせ燃やせ真っ赤に燃やせ、怒りの心に火をつけておいて、奇怪な手段で海にぶちこみつつ、不利な状況で能力を根こそぎ使うことを強要する・・・・搾り取る気か・・・
下司がっ!!
 
 
怒鳴ってみても海水が口に入るだけ。どうすればいいか。余計な重りを燃やして外してやるしかない。釣り糸でもよかろう。ただ、ここは海水の中。海の中。
ちきしょう・・・・やるしかない。だが、目を念炎の発動起点に用いたラングレーは海水の中で目をこらすと痛くてしょうがない、どころか、一気に海水が塩になり、塩眼鏡をかけた塩達磨になり、激痛に転げ、もとい泳ぎまくった。ほとんど拷問だ。失明したかと思うほどの苦痛に、ラングレーは泣いた。それはすぐに怒りに転化したが、念炎の再発動には躊躇した。よく考えてみれば、実体の炎をかざしているわけでもない念炎は対象物をイメージする必要がある。そうでなければまずは自分の脳みそが燃えていることになる。
詳しい状況を陸上からモニターで確認しているわけでもない、まっただ中に海にいるこの状況で海水を燃やすべく念炎をこらしても、さしたる効果は期待できない・・・・・海の水をすべて燃やすくらいのイメージがなければ。とりあえず、酸素吸入口は確保しておかなければ気力が続かない。海面まで伸びる炎のパイプ、シュノーケルをイメージする。だが、海に真空は許されない。百度で蒸発してしまいそれ以上温度が上昇しないのもまずいし、熱伝導で散逸してしまう。綾波レイがもし、やり合う場合に海中を選んだのはまったくもって正解だった。揺るぎなく海水に支配される。ここがどこの海でどこまでの深さなのか、分からない。自滅覚悟でやったことだ。名残に日本の海ではないのかもしれない。
ああ、もう知ったことか。海だろうがなんだろうが、まるごと干上がらせてやる!!
それしかない!こっちの能力と命が尽きるか、海が涸れるか、勝負!!
海の檻に閉じこめたつもりなんだろうが、そうはいくか!そうはいくか!そうはいくもんか!!
 
 
その前に、そこの碇シンジ!!お前だけは自分で言ってたとおりに必ず燃やしてやる!!
絶対に許すもんか!!地獄におちろ!来世はメリケン粉人形に生まれ変わって毎日あたしのストレス解消に使われることになる!!毎日かわいがってやる!そういう運命に決定!!
 
 
勝手に碇シンジの来世転生先を決定すると、ラングレーは大海に向かって全念炎能力解放してケンカを売り始めた・・・・・人類が生まれてこの方、これほど無謀なケンカを大まじめで始めた人間はいない・・・・あの孫悟空とて海にては竜宮城に柱を盗んで終わりだったのだ。不動明王も道を譲る気の強さであった。あんたが一番、わたしは二番。
 
 
碇シンジめがけて炎の100㌧ハンマーもて海の檻を叩き続ける。どごっ、どごっ、どごっ、どごっ、どごっ・・・・これでもかこれでもかこれでもかこれでもか!!
 
 
自分にひっかけられた七本の釣り針も溶かして外そうとするが・・・・まったく効かない。ヒヒイロカネでも使用しているのか、不安定とはいえラングレーご自慢の炎をあてらえて曲がりもしない。それもそのはず、宜保イイコがとある神秘博物館から姑獲女服のついでに無断で拝借してきた「山幸彦の釣り針」なのだ。百本つくっても勘弁してもらえなかったというところがイイコの好みだったのかもしれない。剣をいったん溶かしてつくったものがいまさら別のものに変わるわけがない。
 
 
じゃあ、糸を、とラングレーも頭を使わなかったわけでもない。しかも、どういうわけだか、この糸はやたら重たい。幻かどうか、骸骨になりかけた水死人の亡霊がしがみついているように見える。重たいのはそのせいか、怨念の糸・・・・これも宜保イイコの好みであり、「七人ミサキの糸」という取り扱うだけで祟り間違いなしの呪的アイテム。これをすり替えておくだけで釣りが趣味のターゲットは勝手に水死してくれるという暗殺業界で重宝されている便利なブツである。一本につき七人であるから、七本で四十九人・・・・・ラングレーの念炎は思いもかけずに彼等を健やかに成仏させはしたが、それが伝わったのか、ウヨウヨと次から次へと死にきれぬ亡霊たちがまとわりついてくるから、糸は重たくなるばかり。
功徳を積んだので、その熱がイイ感じで海流を乱れさせて対流となり、海面へ押し上げる方向へ働いてもよさそうなものだが、なまじ全方向に強い念炎放射がそれを台無しにしていた。趣味なのだろうが、宜保イイコは碇シンジに二人ともくたばるしかないような危険物を渡していることになる。
 
 
なんとかして、逃れようとするラングレー。使徒と戦闘しているわけでもないのに、こんな海の底で泡にまみれて死ぬなんてバカな話があってたまるか。人魚姫じゃあるまいし。なんとかしてやる!!さらに炎。海中の大花火、天正大菊輪、ナイアガラ百連発!!
挙げ句の果てに、炸裂する巨大な意思の炎は、限定海域での超高速のカンブリア爆発を引き起こしあやしげな海洋生物をつくりさえした。おそらくラングレーが求めたのは、
海を飲み干すという伝説の怪物、リヴァイアサン・・・に成長する前に限界がきた。
グレーの水に赤い絵の具を大量に溶かしたような奇怪な色彩が出現するが、一瞬のこと。
 
 
それは徒労以外のなんでもない。泡ときえるのみ。
 
 
しばらくもしないうちに、ラングレーは大家族の食卓にてほじくられたおいしい白身魚のような有様をさらして、海中に意識を無くして漂うはめになる。
 
 
誰の許しも助けも乞わずにやれるところまでやって、念炎能力はオーバーヒートしてしまった。能力の油は尽き、補充機能も麻痺してしまった。疲弊して、壊れてしまった。
修復するのに長い時間がかかるだろう。もう、二度と戻らないかもしれない。
能力は使えばそれだけのものを消費する。壊れることもあれば無くなることもある。
それをしんこうべで学んできた碇シンジは、容赦なくラングレーにその知識をぶつけた。
ぶっつけた。
奇妙な能力がいったん壊れればそれを癒す場所やなおしてくれる場所は少ない。弱点。
マイノリティの弱点をなんの情けもなく、突いた。突きまくった。
 
 
能力の無くなるまで疲弊させてやる・・・・・極悪というのもかわゆい、鬼の発想である。
 
自分で自分の墓穴を掘らしたようなもの。江戸幕府が大名連中に土木工事をやらせまくって大金を使わせビンボーにさせた政略にも通じる。このえげつない罠にはめられたラングレーがどれくらい怒ったか。どれくらい呪ったか。その証である、碇シンジの来世に決定されたらしい「メリケン粉人形」というのは何者か。説明しておこう。(女性は必読、野郎は所帯持ちならば読んでおいた方がよい)パミール高原あたりに結婚しては一年で妻に死なれてしまう不幸な男がいました。保険金殺人ではありません。
そして、三回目に結婚した妻は病み衰えるどころか、ますます元気にビューチホーに。
そこで、妻に元気の秘訣を聞いてみると、妻は貯蔵室の壁に貼り付けた、アガリクス卵油、ではなく、メリケン粉人形を見せました。そして、孤独をまぎらわせるために人形に話をしていたのだと答えます。妻は「心で考えていることを、全部自分の中にしまっておくことなどできないの。そうしたら、考えが人間を蝕んでしまう。あなたの前の奥さんみたいにね」と答え、人形を引き裂くと、中には胆汁が詰まっていた・・・・・。「別の人しか胆汁の毒を抜くことはできない」・・・・そういう世間の智恵の生け贄アイテムにしようというのだ。凄まじい怨念のほどがわかる。
 
 
 
それでいて、碇シンジは結局燃やされることはなかった。
メリケン粉人形のことも知らなかった。
念炎はかするどころか届きもしなかった。浮かぼうとするラングレーに対して、沈んでいこうとするのだから照準が合うはずもない。なにより海の壁は厚かった。なにより、自分は携帯酸素パックを用意してそれをくわえているのだから冷静さが違う。ラングレーがそのうちヤケになって全方向に一斉射撃するのを覚めた夜雲色の目で見ていた。碇シンジの方も腹をくくっている。海面上ではドカドカ水蒸気爆発でさぞ派手なことになっているだろう・・船やヨットが転覆するようなことにはなってないと思うけど・・・・騒ぎになる前に逃げようっと。腹をくくるのと責任取るのとはまた別のことらしい十四歳の少年。
 
 
ラングレーが能力を使い果たしてノビたところを見計らってその身体を抱き取ると、彼女の鼻孔と口に酸素パックを強引にセットすると懐から木ぎれを取りだした。貫月査という。海中でとんでもなく透る光を放つ特殊な木だ。
それが合図になっていたらしく、間もなく棺桶を引きずった水中スクーターに乗った潜水服の何者かが迎えに来た。棺桶(実は病人を収納するカプセル)に釣り竿ごとラングレーを入れると、碇シンジは潜水服の何者かに手を引かれつつ、その海域を去った。
スパイ映画みたいだぜ、いえい、なんちう感慨はない。さすがの碇シンジも辛そうに息を吐いた。こういうことは二度とやりたくない・・・・綾波さんの時もそうだったけど。
めずらしいぼやきは泡となるだけで、誰の耳にも届かない。
 
 
ああー・・・・死ぬかと思った。
 
 

 
 
海底を見る喫茶店「二萬マイル」
 
 
そこのカウンターに座ってぬるい麦茶を飲んでいるTシャツとジーパン姿の碇シンジとラングレー。もちろん濡れたので着替えたのだ。あらかじめ購入してこの店に用意してあったというのだから、ラングレーとしては袖を通すのに我慢ならなかったが、濡れたままにも勘弁ならなかったので、しぶしぶ着替えた。意地を張る元気もなかった。
飲んでいるのがぬるい麦茶なのは、正式な客、というわけではないから。
海中で碇シンジが呼んだのが、この店のオーナー、李遠ナナセ、赤木ナナセでもいいが、海底に多数のモニター画面を所有して、海中作業にも達者なこの人に自分たちの回収を頼んだのだった。宜保イイコのピンポイント誘拐にも場所柄、限度がある。
ラングレーに能力が尽きるまで使わせても、自分たちの命までも尽きてはなんにもならん。
その見極めは困難極まる。能力の限界値がRPGのように数値でモニタ表示されているわけでもない。あくまでカン。救出が早ければなんにもならないし、遅ければ溺死してしまう。こんなことをしたのが葛城ミサトにばれたら往復ビンタなんてもんじゃすむまい。シュミット式バックブリーカーで背骨をへし折られるかもしれない。碇シンジとして、ラングレーによって今日の事態が葛城ミサトにちくられるのは少々、恐怖であった。方法に後悔がないわけでもない、
 
今だって、震えが止まらない。
 
アスカラングレーと自分をつなぐ釣り竿をどれくらいの力で握りしめていたか。
血マメができていた。
かたかたかかたかたかたかたかた・・・・・・・・・震えが、止まらない。
 
 
 
ぬるい麦茶。これを熱くすることさえ出来ない。ラングレーはご自慢の念炎が故障したことにショックでショックでしょうがない。魔法少女が魔法を使えなくなったようなもの、銃が弾丸を撃ち出せなくなったようなもの、十も二十も歳経たように。
 
あああああああああたしは・・・・・・・・・・・こわれた。
 
 
碇シンジとラングレー。ふたり、痴呆がはじまりそうな老人夫婦のように並んでいる。・・・微妙な連れ添い方である。
 
 
赤木ナナセと寺庵ネモオは救出した少年少女を昆布と若布のようにほうっておく。
姉のリツコからそう頼まれたからだ。このおかしげな頼み事を受けた際、一応念のために確認を入れてみたのだが、しばらく考えた後で、そのとおりにして、とお願いされてしまった。科学者が認めるようなことにはとても思えないのだが・・・・海の中で合図したら自分たちを回収してくれ、などと。なんかの実験ならば自分たちの手など必要なかろうし。
ろくな装備、というか、青い和服に、学校の制服・・・・ダイブ装備にはほど遠い
なめた子供のきまぐれな海遊び、悪戯にしては・・・・言いぐさが怪奇すぎる。
実際、彼等が海中にいた時間帯の海域は、蜃気楼だの不知火だのセントエルモの火だの竜巻だの、海の怪奇現象のオンパレードマーチだったのだ。水温も異常な高値を計測している。
何より、モニターしていた画面中央にいきなり、なんの前触れもなく、出現したことだ。
高速で沈降しても見逃すわけもない。痕跡もある。しかし、それもなく、突如。
SFじゃあるまいし、空間転移でもあるまいに・・・・けれど、問いは禁じられている。
 
 
「すす・・・すいません・・・・・ここん、こんな、こと、頼んじゃって・・・・」
碇シンジの歯の根があっていない。車内の冷房ゆえではない。
「それはいいんだけどね・・・・なにか、食べる?」
引き上げてみれば、以前の二人とどこか違う、気もする。特に、アスカ、女の子の方が。
なんだってこんな真似をする必要があったのか?まさか今の時代に、中学生二人、純愛ゆえの心中、なんてんじゃあるまい。けれど、相当の覚悟がなければ。いい加減になんの算段もなくやったというなら張り飛ばしているが。ナナセの性根はそこらの補導員の百倍はきつい。
「いえ・・・・」ぬるい麦茶も飲みきれぬ碇シンジが断ろうとすると
 
 
「たくさん」
ラングレーが、ぽつっと返答した。年長者としてはそちらの声に応えたい。
 
 
「そうかい?じゃ、体の温まるものでも・・・」一人が食べれば片方も食べるだろうと、調理にかかろうとする寺庵ネモオに
 
「たくさん・・・・・この店にある食べ物全部・・・・・食べれば元に戻るわ、きっと」
ラングレーは目に狂気を宿しつつ、悪あがきをはじめた。能力が浸水した今、炎は燃えることがない。「なるべく熱い料理がいいわ。焼けた油をかけた豆でもいい。寒い・・・・熱が必要なの・・・熱が」
 
 
「食べても元には戻らない」
 
 
「あんっ!!」
ラングレーが碇シンジを殴り飛ばそうとした。が、疲労で力がぬけた一撃は碇シンジの頬に適当なかゆさにしか残さない。碇シンジはその手首を掴んで、外にでる。強引だ。
 
 
 
「元に戻すのには一つしか方法がない・・・・・」
 
 
「あんた、あたしをいじめてそんなに楽しい?自分が何やったのかわかってんの?
人類の戦力を大幅にダウンさせたのよ?そんなに自分の一番をキープしたいの?」
 
「火をつける力がそんなに大事?アスカはそんなの必要にしないのに。
でも、大事なら治す必要があるよね。僕は、治せる人を知っている」
 
「くっ・・・・こんちきしょう・・・足下見やがって・・・・・あんた最低・・・・来世はメリケン粉人形メリケン粉人形メリケン粉人形決定運命黙示録・・・・絶対・・・・で?」
 
「僕が、負けた、勝てない、助けて、と三拍子で頼むまで僕の前ではアスカでいて」
 
「・・・・はあ?」
 
「いて。アスカでいて。それが条件」
 
「・・・・”こっちだってそんな負け犬ワルツを踊るような奴は願い下げだわ”・・・くっ、眠くなって・・・アスカが・・・・取引が終わるまでは引っ込んでなさい、こんな卑怯極まる卑劣漢には愛想がつきたんだから・・・・・あんたがいるこの世界は無限の地獄・・・それで、確認するけど、あんたの前でアスカでいればいいわけね?他の連中の前ではあたしでもいいの?」
 
「いいよ。別に」
 
「別にって・・・・あとで変更はきかないからね。クラスメートの連中とかいいの?」
 
「いいよ。たぶん、好きになれるから。友だちになれるとおもう・・・・・僕たちは」
 
「なによ」
 
「・・ごめんね。まだ、友だちになれない」
 
「・・・・ふ、ふん、ガキがなにいってんの。あたしは本来の計画でいえば、ミサトなんぞ問題にならないくらいのウルトラスーパー美女になってるんだからね。それがちょっとした予定の速まりというか・・・時期が悪いというか」
 
「あ・・・・そんなこと言うと、治してくれる人が怒ってへそをまげるかもしれない」
 
「?なにそれ、まさか治してくれる人ってミサト?そんなスキル、あの女にあるの」
 
「いや、その、”ウルトラ”スーパーっていう部分が。引っかかるかな、と」
 
「なによそれ・・・・・でも、あんた、あたしの正体とか聞かないわけ?・・・こっくりさんでいいじゃない、とか言ったら処刑、釜ゆでの刑」
 
「こっく・・・ろーちS・・・・ふう、ギリギリせーふ。いや、でもこういうケースは他にもあったから・・・・あまり詳しく話せないんだけど。僕、気にしないよ。もう一人の強力アスカダッシュさんっていうことで」
 
「洗剤入ってない、それ?潜在意識のシャレだとしても・・・・いいかげんなやつ」
 
「でも、もし、使徒が操ってるんだとしても・・・・・その、操ってる、使徒、を、ばらばら、に、する、から・・・・・・安心して」
ぐるぐるそのへんを、地を、海を、天球を、四方を見回しながら碇シンジは言った。
何かを確認するように、警戒するように。奇怪な目の動きであった。
 
「安心してっていわれてもねえ・・・・今現在を生き延びないと、十年先五年先の明るい未来はないわけだし・・・・・アスカが死ねばあたしも死ぬの。多分、アスカが弱いから身体の本能があたしを呼び起こした。今や時代が無敵の炎が必要としてるのに。どうしてくれんの?あんたが守ってくれるの?それとも、アスカを強くする?」
 
「それはもちろん、なんで?守るよ?強くするのは僕の手にはおえないけど、また会えるそのときまで」
 
「・・・・・・」
 
「実は・・・・海の中ですごく怖かった。使徒の大軍より、強力アスカダッシュさんの方が怖かった。ナマの気迫と闘志が。強いのがよく分かった。正直、ちびりそうだったし」
 
「・・・・・・・」
 
「たぶん、切り札なんだ。それも一発逆転の。表に出さずに、ここぞ!という時に出すから効果がある。こんなに強い人が後に控えていてくれれば、僕たちも安心できるし。だから、防御を大事にする、アスカでいいんじゃないかなあ?先走りすぎて危ない目にあったらどうしようもないし。ネルフ本部でも昼勤務の人と夜勤務の人がいるみたいに・・・・」
人格の極転移(ポールシフト)と勤務割りシフトを同列に語っても仕方がないのだが。
 
「あんた・・・・・・あたしが嫌いだった?・・・・いや、そうじゃなかったら、人の能力を破壊するなんて真似は出来ないよね。あたしはお前が大嫌い。このフォークで顔を突き刺して一ヶ月くらいのたうちまわってそれから死ぬような目にあわせてやりたい」
ラングレーは気力体力が尽きていてもラングレー。二萬マイルの中でひそかにくすねていたフォークをちらつかせた。それでも目には敵意はない。
「あたしの方が”ただの”お前より強くて有利だったはずなのに・・・・お前なんか一瞬で消し炭にできたはずなのに・・・このていたらく・・・・・お前は、強いの?」
 
「騙し討ちだから、強いも弱いもないよ。もしかしたら、教室でアスカが守ってくれなかったら、もう黒こげになって病院のベッドでうんうん唸ってたかもしれないし」
 
その時は多分、綾波レイが動き、さらに悲惨な結果になっていただろう。相討ちとか。
 
「とにかく、アスカがふつうどおり、なにくわぬ顔して学校行くには、もう炎は使ってほしくなかった。かといって、こういう場合、頼んだって聞いてくれそうにないし」
 
「で、実力行使したわけ。・・・・”海にぶちこめば、火は消える”だろうって?
つくづく、あんたサイテー、サイテーにつきる。それに、目的が”アスカを学校にいかすため”?・・・・まったく、なんなのよ・・・・まあ、いいけど。強いのに負けたのはこっちだから」
ラングレーはフォークを投げ捨てた。顔色も変えやがらない、つまんないやつだ。
 
「こっちの目的は・・・・遂げたような、そうでないような・・・・あんた、何番目?」
あともう一つ、反応させてやれば、別の人格が出てくる。それは確信がある。
”こいつ”がなんとか事態を自分でまとめようと必死でおさえてはいるが。
ここで自分が本気の力で呼んでみれば、サードの別人格が応じるはずだ。まぎれもなく・・・外敵を排除するための一切の感情をもたぬ機構人格。それがこいつの本性・・・
 
 
「僕は僕だよ、三番、サード、碇シンジですよ。いわゆるひとつの」
 
 
・・・・のはずだ。たぶん。
 
「くっ!むかつく・・・・・こんな奴に・・・・納得いかない!あたしの炎返せ!!」
だっ、と駆け寄ると、首根っこつかんでゆさぶって、ヘッドロックをかけるラングレー。
「今すぐにはむり・・・・・頼んでみないと・・・・・うぐぐ・・・・・」
海中はともかく、陸上では格闘戦闘能力がものをいう。バーチャルでなければ肉体がものをいう。王様どころかドナドナ牛のようにひきずられる、はやい、よわい、やすい、の三拍子の牛丼王子、碇シンジ。「そ、そういえば・・・」騙し討ちの罠が終われば実力のみがものをいう。ぐいぐい。必殺の話題転換術でこの苦境を乗り切ろうと策謀する。
「な、名前は、なんて呼べばいいのかな?」
八時ちょうどの列車のようにアスカ二号などと呼べば徹底的にボコられそうなので。
 
 
「強力アスカダッシュよ・・・・あんた、さっきそう言ってたじゃない」
じろ。冷たい目で拘束を解こうとしないラングレー。ただ、口元が笑っている。
なんでだろう?絶対の財産、呪われつつも誇り高き血統の証、念炎を無くしたのに。
この身の軽さは。この、心の軽さは。偉大なる力の高みから、転落したというのに。
当然得るべき位階、不死鳥の勲章を失ったというのに。こんなバカなあだ名をつけられて。
弱くなって、なにを笑っている?・・・・こいつのように。信じられない。
 
 
「でも、ピンチの折にそれで呼ばれてもカッコがつかないわね・・・・・いいわ、
”ラングレー”、そう呼べばいい。あんたが負け犬ワルツを踊り終えるまでには助けにきてあげる・・・・どっちにしろ、22の時間制限があるから約束はそこまでね」
 
「限定解除・・・・バイクみたいだけど。まあー、その時はなにもかにも終わってるといいね・・・・」
 
「よくない!!あたしの獲物を残しておきなさいよ。すっかり平和になっちゃって、エヴァ弐号機は博物館の中、肩書きは元・パイロットの名誉理事なんて冗談じゃない」
 
「ええっ?いいじゃない、それでも・・・・・・なんだか未来のひとと話しているみたい」
 
「未来の人か・・・まあ、そうなのかもしれない。本来であれば、こんなに早く会うことはないのだから。魂の造りは人それぞれだからね・・・・とりわけ、あたしのは特殊なんだけど。これ以上、言うこともないか。とりあえず、使徒に瞬殺されないようにしなさいよ」
 
「努力します」
 
「それから、治すって言ったんだから必ず治すようにしなさいよね。自然治癒とか・・自力で治せないこともないだろうけど、あんたが言い出したんだからね」
 
「善処します」
 
「それから、もう一度だけ確認するけど、”あんたの前でアスカでありさえすれば”、あとはなにしてもいいわけね?後で吠え面かかないでよ」
 
「いいよ。そこまで要求できないでしょう。妖(バケモノ)を封印するんじゃないだから」
 
「あんたってエゴイスト?普通、ここはアスカの身体をのっとったお前なんかあっち行け!二度と出てくるな!とかいうのか定番でしょ、他の連中がどうなってもいいの?」
 
「そんなこと自分で言うもんじゃないと思うけど・・・こっくりさんはお芝居、アシスタントの女の人が言ったでしょう。僕は悪魔払いじゃないもの・・・・どっちかというと、僕の方が悪魔だった。僕の方があぶない・・・・・でもね、でもね」
 
「なによ」
 
「でもね、アスカは身内だもの。あぶないことだってするよ」
世界の中心に立ってでもやらねばならないことがある。ケモノのように。
 
「ふ、ふーん、自覚はあるわけね・・・。よろしい。この悪魔!、鬼!、ひとでなし!にひとつ用事をいいつけようかな。
 
・・・・最後に一本、マッチつけて、くれる?
 
そしたら、アスカと交代するから。あんたの前には現れない」
 
 
「いいよ。でも、その前に家に帰ろう?ここでバトンタッチされても説明に困るし」
 
「・・・・あんたって、ほんと自分が良ければどうでもいいのね。サイテーにつきるわ。
メリケン粉人形に生まれ変わったら毎日、いじめてやる」
 
「メリケン粉人形って?あんパンマンの親戚?」
 
「教えてやらない。未知は恐怖の源だから。せいぜい、恐れるがいいわ。ふふん・・・
にしても、なんであたしのいる時にもっと使徒が出てこないかなー・・・・」
 
 
 
「なんだか、らぶ度が高くないですか、お二人さん」
余人には伺い知れないバロメーターを所有しているらしい宜保イイコ(偽名)がいつの間にか後ろに立っていた。なんとヘッドロックをまだ解かれてなかったので、ラングレーと碇シンジは他人が見れば、”何をちちくりあっておる”、誤解するしかないような体勢で話を続けていたのだった。もう少し碇シンジはこの状況を改善すべく断固として毅然として抵抗するべきであった。
その声にぎょっとして碇シンジを首投げで放り投げてしまうラングレー。着地があまりうまく決まらず、沈黙する碇シンジ・・・・・照れのため演技しているだけならいいが。
 
 
「なんなのよ、その異様な数値は」
じっとり、とした宜保イイコの目つきに異様な圧迫感をおぼえながら言い返すラングレー。
ただの茶化しにしては、その他の感情が多分に含まれている。なんだこれは・・・・
 
「いくらわたしがらぶ度向上委員会の委員でも、見境ナク手当たり次第上げられても・・・・ねえ」
どちらかというと、その”じっとり”、とした目つきは碇シンジに向けられている。
 
「委員会・・・・?向上?」
ラングレーはいきなり現れた、よく考えれば碇シンジの片棒を担いだ「憎い敵」であるはずの、この赤服女の顔面にフォークを突き立ててもおかしくないのだが、言うことがあまりに常識はずれているので、これ以上の接触を拒否した。・・・念炎がない以上、こいつにも勝てない。たぶん、魔女でありすぎて、自分が魔女であることさえ忘れているような女だ。碇シンジに任せておくに限る。ささやかな復讐だ。ざまみろ。
 
 
「照れて死んだふりしたってだめですよ、シンジさん。まったく。今の光景はしっかりとカメラに収めさせていただきました。綾波レイさんに嫉妬の炎を煽るためにメラメラと送ってしまいますけどよろしいんですか〜」
沈黙する碇シンジの襟首を掴んで立たせると、そのまま二人三脚で灯台の方へ行ってしまう。特殊な歩法なのか、よろしいんですか〜と言ってる時分にはもう背中が小さくなっていた。追うべきか・・・・・・いや、ほっとこう。聞いて生きてられる保証はない。
わざわざ危険を冒す必要もない。ああいうのが最も危ない。ラングレーは知っている。
報酬を渡される段のプロフェッショナル、獲物を食おうとする段のケダモノ、契約を果たした段の魔女の邪魔をすれば、どういう目にあうか。一体、どういうツテであんな女を動かしたのか分からない。知ったことでもない。
 
「あ、すぐに戻りますからね。あまりお待たせしませんので、お店に入ってたけちゃんマンライスでも食べていてくださいませ」
ふと振り返って赤い服の女は言った。じゃあ、けっこうかかるんじゃないか。
「あ、そ。似るなり焼くなり茹でるなり好きにして」
 
碇シンジ・・・エヴァ初号機を駆る中学二年生・・・・女運がいいのか悪いのか。
 
 
人生、その手は桑名の焼きハマグリ。
 
 

 
 
「はい、お仕事はこれで終わりですね。今回のお仕事は、場をそれっぽくもりたてる”女優”というか”パニオン”みたいなもんですから、・・・・シンジさんですから勉強して・・・・まあ、こんなものにまけておきましょう」
宜保イイコが血の色に赤い電卓を叩いて、今回のお仕事料を算出した。出来高払い。
それは、必用経費を抜いた除霊カンパ資金ぴったりの値段。碇シンジに否やもない。
 
「お金はこの住所に現金書留で送ってください。それから、雷工服とか釣り竿とかは、すいませんけど、無記名無住所にしてここの博物館に小包で送ってください。洗っておいてくださると助かります、あちらが。えーと、それで・・・・」
後の段取りについて、碇シンジにも分かるように伝達する宜保イイコ。三枚のゴールドのカードをとある場所に郵送すること、携帯の番号が書かれたメモきれ十を封書に入れてこれまたとある場所に郵送すること、「風林火山はフクロウの本の中」と、とある留守電の中に二回吹き込むこと・・・エトセトラ・・・・なんでこんなことをせにゃならんのか、説明はむろんなかったが、宜保イイコはその実行を碇シンジに約束させた。
 
「わたしは構わないんですけど、周りの人が迷惑するかもしれないんで・・・まあ、出来れば今回は”綺麗”に帰りたいので・・・えへへ」
謎の笑みを浮かべながら。
 
 
「どうもいろいろとありがとうございました・・・・」
仕事が終わればもう、偽名を使うこともあるまい、と碇シンジはしんこうべで名乗っていた彼女の名前を呼ぼうとした。が、
 
「あー、わたし自分に名前をつけるのをやめたんですよ。わたしにほんとうの名前はありません。みんな偽名です」
海風が長い茶髪をなびかせ、顔を隠した。瞳が赤い。「だから、”その名”で呼ばないで下さい。他になにもいらないくらいに、一番好きな、名前なんですけどね。だから、隠しておくんですよ、誰にもとられないように」
 
相田ケンスケがその姿を写真にとらぬのも、ラングレーがこの場に同席しないのも正解。
魔女は許しを得ずにその本性を見たものは必ず殺す。狂った魔女ならなおさらのこと。
ばりん。灯台の光が砕けた。夜闇に赤い瞳がさらに赤く。歪んだ。
 
「名前がなければ、なぜ、自分には名前がないのか考えることで、わたしはあの人を忘れずにいられる・・・・なんてねえ、どうも若年性健忘症になってしまったのか、ユイさんのことを忘れそうになってしまうんですよ。ヒロシマの霧に長くあたりすぎたのがわるかったんですかねえ」
 
 
「・・・・・・・」
雑談めかした、ほんとの雑談。なんの本音のかけらもない。なんの期待も他人にしない、
碇ユイの息子の自分にすら。一葉の記憶と引き替えに名を破砕して悔いもなく。なんの望みももたない。あまりに強い情念は目をほかには何も映らないガラス玉に変えている。これほど無欲な人間が魔女と呼ばれていいはずがない。けれど、これほど無欲で、すでに人間と呼んでいいのか。この目に映るのが奇跡なほどにもはや擦り切りきってしまっているたましい。赤い靴ははいているけど、実体であるのかさえも、確かめることはできない。
このひとは、あまりに。
 
 
「でも、よかったんですか。”あの子”の方が”あなた”のお役に立つと思いますけれど。
いつかは打って出るのでしょう?それとも、コ・パイにして傍女にでもしておきますか。
メインよりサブを優先する一幕、火事を消して恋しい相手を求むなんてのはさかしまのお七、異常な状況下で生まれる親密感を利用したストックホルム症候群・・・熱噴流(ブルーム)から泡(バブル)のように生まれ出る好意を逆手に取ったこれ以上なく鮮やかで穏やかな封印術の手並み・・・・・悪魔でも好きになれる、あなたは、天才です。やはり、六分儀ですよ」
 
 
「僕は・・・・・」
能力の限りにすべてを調べ尽くしてこの都市に乗り込んできたこの女の言うことが真実なのか、どうか、最強の福音を預かる少年が返答に困った。理解する前にうなじを吹き抜け言葉は飛翔していってしまう。この女のひとの前にいたのはほんとうに自分だったのか。
 
 
「それじゃ、シンジさん。もうお会いすることもないと思いますけど」
 
 
「あんまりばかなふりをしてると、そのうちほんとにばかになっちゃいますよ。
まあ、それも一興かもしれませんけどねー。
あはっ」
 
赤い靴の女の手はあまりに冷たく、海の檻に百年閉じこめられた咎人のよう。
握手した先から心臓まで、しん、と冷えた。
その感覚が、最後だった。あとは靴音さえ聞こえず。
 
 

 
 
「アシスタントの女は帰ったの」
言われたとおりに店内に先に戻っていたラングレーはガツガツと擬音がでるくらいに平らげていた皿に新盛りを要求してから聞いた。確かに今日のライスメニューはたけちゃんマンライスであった。
 
「うん・・・・」
碇シンジの分際で、なにか切なそうな表情であった。こんな切なさは知らなかった、と。
まるで中島みゆきである。
 
「あんたみたいなぼややんなおぼっちゃまには、年上の女がいいんだろうけど、悪いことは言わないからあの女だけはやめときなさいよ」
もしか、あの赤服の女が男だったらやばかったかもしれない・・・・・災厄の匂いがプンプンする。まあ、いまさらこいつに忠告してやる義理はないんだけどさ。
「とてもじゃないけど、あんたの敵う相手じゃないわ。人生捨てる覚悟があっても太刀打ちできるレベルじゃないわ、ありゃ・・・・救いようがない影まで赤く染まってるよう。手え出そうなんてバカなこと考えるんじゃないわよ」
 
「うん・・・・・あ」
 
「なによ」
 
「携帯・・・トウジと霧島さんからだ・・・・ちょっと連絡してくるね」
おそらく、この時間も自宅に連絡がつかないので心配になったのだろう。
 
「別にい。ご自由に。作戦の成功でも高らかに報告すれば?財布はあんたが持ってるんだし・・・・おかわり」
念炎の再生を期待しているわけでもなさそうだが、それにしてもすげえペースであった。
いちおう、喫茶店なんだけどなー、と笑いながらよそってくれる主人夫婦はいいひと。
すでに貸し切りにしてあった。
 
 
碇シンジはこの二人には作戦の詳しい内容を話した。かくかくのしかじかで事後承諾せよ、というか、して、というので二人はカンカンになって怒ったが、碇シンジに謝り倒されると、「今日のところはかんべんし(てあげる)たるわ」ということで収めてくれた。
確かになんの不思議力もない一般人がサイキックな現実とやり合おうとしたら、地の利を生かすしかあるまい・・・・が、にしても、無茶な、ムチャクチャだ。三軒隣の火事を消すのに隣の家をぶち壊すようなものだ。文字通り、体当たりでことをおさめてしまった。
人の執念というやつか。こけの一念、岩をもとおし、シンジの一念、炎も涼しくしてしまう。「どんな怪奇な火でも、海の中にいれられたら消えるもんなんだよ!」と力説されれば、そうかもなあ、と納得するしかない霧島マナと鈴原トウジ。たしかに自然だ。
 
しかし、そんな海中脱出マジックみたいな真似をしてこれで二人とも手違いで死んでしまったら片棒担いだ自分たちはどないせーちゅうんじゃ・・・・とも思ったが。
 
今日の所はかんべんするしかない。碇シンジの声がどうもおかしい。疲労だろうか。
いや、そんなバカな真似をすれば疲れるに決まっているのだが・・・風邪か?
「なんか、差し入れでもし(ようか?)たろか」気にするところまで同じなのだから、碇シンジはすこし笑ってしまった。「いいよ。いま、二萬マイルって喫茶店にいるから・・・うん、海のそばの」
 
 
「それじゃ、また明日」そう言って携帯をきる。こうやって明日会える人間もいれば会えない人間もいる。車内でガツガツ、ライスを食べてるあの子にも。
バランスがちょっと傾けば、日常生活を切り捨てて、あの子についていくことになったのかもしれない。炎の祝福を受けて、輝ける誇り高き煉獄へ。可愛い阿修羅。
 
 
胸の奥底で、「今も遅くはない、そうしてしまえ」という重声が響く。
 
「母親を最前線に取り残しておく気か・・・・・お前たちは、まだ、てぬるい」
 
「こんな場所に、いつまでもいることが、許されると、思うなよ」
 
碇シンジの瞳が夜雲色に変化していく・・・・・重声はボリュームを上げながら脳内に警告を響かせ続ける。わーにんぐ、わーにんぐ、わーにんぐ、わーにんぐ、わーにんぐ・・・・・「行け」「行け」「行け」「行け」「進め」「歩め」「走れ」「行路を決定せよ」「行け」・・・足取りは軽く 家々の窓を破り yeah、yeah、yeah、yeah、ナース・カフェへ
・・あの空を開き 虹の出る原理を飲みに yeah、yeah、yeah、yeah、ナース・カフェへ
100年も囚われた オペラのような悲劇には
ミラクルのような喝采で 100夜の夜を照らし
 
 
碇シンジの目がぐるぐるする。フルボリュームで「平沢進Nurse Cafe」が脳内に響きわたる強い頭痛に苛まれつつも、目をぐるぐるする。ミゼラブル嬢の鐘で平衡感覚を冒される。地を、海を、天球を、四方を、巡り確認しながら・・・・・碇シンジは
 
 
「ていっ」
 
 
携帯電話を星空に向けて投擲した。大した肩でもなく、もちろん大リーガーでも星までは届かない。だが、携帯電話は空中に潜んでいた何者かに命中した。正確には、その何者かがキャッチしたのだ。狙いはちょいとそれていた。
「敵が見えなきゃ、敵を感じなければ、そもそも戦闘にならない・・・・さすがはファーストチルドレン・・・・キミがやっぱり、最高感度かな。キミが普段、表に出てる理由もよく分かる。ユーアーナンバーワーン!だね。
ピッチングはいまいちだけど」
 
 
「なかなかいい携帯だけど、もうちょっと旧いね・・・・ギルやアバドンの子供はもっといいのを持っているよ。やっぱり性能がいちばん優れているのがいいよ。ボクもそれが好き。新型にVerアップしてあげる・・・・はい」
碇シンジが投げつけたネルフ特製携帯は、見慣れぬ新型にモデルチェンジして返された。
けど、名前もきちんと書いてある。自分の筆跡で。
 
 
「”惣流アスカラングレー”は気に入ってくれた?人間の男は新しい方を愛するんでしょ・・・New Typeを」
 
 
そこには、人型の、けれど、人間ではありえない存在が浮かんでいた。
畳や女房じゃあるまいし、という反論が思い浮かぶ代わりに。人間ではないものが。
あみだくじ刺青少女。一言でいえばそうなる。へそのまわりを円く切り取った妙なライダースーツにはびっしりと夜闇に光る呪文を電子回路に変換したような紋様が走り、腹部と顔にも同じ法則に従った紋様が彫られている。そして、額には茨の冠。角のようにアンバランスにでかい棘が八本飛び出し、薄い発光がそれをシャンプーハットのようにも見せていた。
光度と角度によっては自由の女神像のように見えなくもない。
背中にはばかでかい・・・・アイスキャンデーのような形をした石版剣を背負っている。
 
 
「はじめまして。第十三使徒・バルディエルでーっす」
 
 
自分で言うのだから確かなのだろう。これを殺すために黒羅羅明暗が教主業に専念せずにパイロットをやっているという仇敵使徒。最も純粋にして最も狡猾、最も戦い難いという使徒。人間を選んで力を与えて強くして育てて互いに競争させるのと同士討ちさせるのが何より好きだという、馬主ならぬ”人主”を自称する、レリエル同様、使徒には珍しくかなり自由で深度高位の介入権と裁量権を与えられている危険度最大レベルの使徒である。
ただ、人間を憎んでいるとか嫌悪しているとか侮蔑している、ということはない。
自分の体に、最低限の自分と戦える資格を持つ人間の名をすべて記してある。光の紋様は
あれは実は人名なのだった。そこには黒羅羅明暗の名もあれば碇シンジの名も、なぜか時田氏の名前もあった。いささか歪んではいるが、それは愛情といえなくもない。
子供がカブト虫やクワガタやポケモンに注ぐような類のそれではあるが。
大人がブランド品や車や競馬の馬に注ぐような類のそれではあるが。
それらの名が互いに噛み合い食い合いして消えていくときの感触が、恍惚ものらしい。
石版剣にはどうすれば人が強くなれるかそのすべての方法が刻まれている。一時代、一時代で一番強い、最強の人間一名としか戦わない、戦ってやんない、という腕が奢った、腕が肥えたギリシャな性根の持ち主でもある。新しいものが大好きで古いものは大嫌い。新しいものに肩入れしては古いものを駆逐していくのが無上の快楽ときている。そのために自分の肉体をバラバラにして洋の東西を問わず人間の世界に散華させ溶け込ませて進化を誘発させるということまでしてのける。その過程でバルディエルの精を受けた人間は必ず競争、同士討ちをやらかすように宿命づけられている。バルディエルが好んでよく使うのが、「最強の幻想」を見せてそれを得るべく戦わせる、というパターン。試練または切磋琢磨といえば聞こえはいいが、ほとんど「切磋悪魔」である。自分の分身同士が争うのを好むのだから、無類の戦闘系ナルシーといえる。レリエルを筆頭としてその趣味についていけないものは多い。
だが、こと使徒同士の喧嘩で負けたためしがない。倒錯してるのに腕っぷしも強い、という、なるべく敵として目の前正面に立ってもらいたくない相手である。
確実に人類の進歩の守護天使なのであろうが・・・・エヴァに乗ってない碇シンジの前に降りてきてはどうしようもない。
 
 
「無能なレリエルが寿退職・・・・・とうとうお役ご免になりましたので、わたくしが・・・「目玉」つまり、あなたたち人類の監視役調査員を兼ねることになりましたので、ごあいさつを。本来業務と兼任なので至らぬ点も多いかと思いますが、どうぞよろしくう」
 
 
「じゃ、やりましょうか。”新型”には思いきり触れたし、もう思い残すこともないでしょう。
碇シンジ君、カモーン!」
使徒バルディエルはにこっと笑顔でファイティングポーズをとった。