身辺雑記 

by totoropen (OOKA Minami)


1999年12月1日〜12月31日

●来年のカレンダーは…●鴨鍋でぽっかぽか●「読まれること」について●上手な整理術が知りた〜い●熱い湯船にどっぷり●「言葉のキャッチボール」●徹夜で原稿書いて議会傍聴●医療過誤●豚キムチ鍋●徹夜明けで北浦和●来年のカレンダーは水彩画トトロ●サードへのアクセス5万件●読者からの手紙●車だと飲めない●すっごい田舎●初任地びいき●年賀状の版下は作ったが…●マニュアル人間●「筆者自身」が見える記事●大先輩記者たちの熱い志●「筆者自身」が見える記事・その2●カニ鍋●英単語集●やりたいこと●教師への締め付け●2000年対策●●●ほか


12月1日(水曜日) 来年のカレンダーは…

 HPの更新作業をしていたら、いつの間にかパソコンの前で眠ってしまった。朝起きてから、たまっていたメールの返事を一気に書いて送信する。午前中はそんな感じで雑用。それにしても今年もあと1カ月かあ…。そろそろ年賀状の準備をしなければならないのだろうけど、今年もまたいつものように、ぎりぎりまで手付かずになるのはまず間違いない(汗)。そう言えば、来年のカレンダーはどうしようかな。会社にいた時は、企業やJRや道路公団などから新聞社に送られてくるカレンダーのうち、気に入ったものを適当に分けてもらっていたけど、今年はお金を出して買うかなと少し思案。

 久しぶりに「読解力のない読者」から、ホームページ(「セカンドインパクト」)の内容についての感想メールをいただく。どこをどう読んだらそんな解釈ができるのか、不思議でならないような批判がぎっしり書かれていて、驚かされてしまった。名前も書かれていて分量も多いので、例外的に返事を出すことにしたが、書いてもいないようなことを勝手に解釈して「こんなふうに書いているがおかしい」と言われても、筆者にはどうしようもないじゃん。批判するのは自由だけど、お願いだから文章を正確に読んでくれよ〜。こういう手法で批判されたことがない人には、感想メールを受け取った時の愕然・呆然の度合いが分かってもらえないかもしれないけれど、本当に驚きあきれてがっかりさせられる。そんなに分かりにくい書き方や、誤解されるような書き方はしていないと思うんだけどなあ…。わざと読み違えているようにも見えないんだけど。心の奥底からそう「書かれている」と思い込んでいるというのは、やっぱり読解力があまりにも低すぎるということなのかもしれない。この手のメールって1〜2カ月に1通くらいくるんだよね…。

 この前の「身辺雑記」(11月26日付)で「最近やたらとダイレクトメールが届いて迷惑だ」などと書いたら、訪問者の方が面白いホームページを教えてくださった。ネット上で公開されているメールアドレスをかき集めて商売にしている業者がいるそうで、そういう業者が送り付けてくる怪しげでうさん臭いメールを収集・紹介して笑うページだ。世の中にはいろいろなことを考えて商売にするもんだなあと、確かに笑えるし社会勉強になる。面白い情報をありがとうございました。それでもやっぱり、ダイレクトメールはうざったくて邪魔ではあるんだけどね〜。


12月2日(木曜日) 鴨鍋でぽっかぽか

 住民税を払うのをすっかり忘れていたら、区役所から督促状を届けられてしまった。慌てて銀行でお金を下ろして、郵便局で住民税と健康保険料を納める(合計8万円)。郵便局に寄ったついでに、年賀はがきを130枚購入。パソコン対応のインクジェット用はがきは早々と売り切れたそうで、仕方なく無地の普通のはがきを買ったのだが、セブンイレブンで売られているのを発見する…(涙)。う〜ん、きょうはついてないな。でもまあ、どうせ年末まで放ったらかしにするわけだからいいや(爆)。上永谷でセーターとシャツを買って、関内で開かれた司法改革シンポジウムを取材する。勉強になった部分もあったけど、どちらかと言うと退屈だった。会場に編集長も来ていて、シンポジウムが終わってから信州料理を出す居酒屋で鴨鍋をご馳走になる。鴨肉をしゃぶしゃぶみたいにして固くならないうちに食べるのだ。ジュワ〜ッとあふれ出る鴨肉のうまみが白菜やキノコと合わさって、すっごくうまい。その後のおじやがこれまた最高だった。カチンカチンに凍った野沢菜が出されて、これをおじやに混ぜて食べるのがいいんだな〜。そうするとおじやは程よい温度になって、野沢菜はふわ〜っと解凍される。熱い料理が苦手な猫舌の僕でも大丈夫。しかも野沢菜の塩分がちょうどいい具合におじやに混ざって絶妙の味になるのだった。うひゃあ〜。体全体が温まる〜。やっぱ、寒い日は鍋だね〜。


12月3日(金曜日) 「読まれること」について

 「前からホームページを愛読していたのですが、初めて感想を書きます」といったメールをいただくことが最近なぜか多い。どうしてかな〜。ほかに「初めまして」とご挨拶してくださる訪問者も最近多い。「身辺雑記」や「セカンドインパクト」や「トトロのページ」など、読んでくださっているジャンルはさまざまだ。どこかの大手リンク集に新規登録したわけではないし、よその掲示板などでPRしているわけでもないんだけどなあ〜。僕の知らないところで宣伝してくれている方でもいるのだろうか(笑)。活字メディアに載ったアドレスをたどって来てくれているとも思えないし。それにしても不思議なことに、こういうメールって重なる時には重なって来るのだ。結構波があるんだよね〜。

 そう言えば取材先などで、「身辺雑記の…」とか「大岡みなみさんって…」などと突然言われて、びっくりすることがたまにある。初めてお会いする人が、実は僕のページを見ていてくれたりすることがあるのだ。ある会合でお会いした弁護士さんは、会社を辞めるかどうするかで右往左往していた時期の「身辺雑記」を見ていたそうで、「毎日ドキドキしながら読んでいましたよ」と言われたことがある。インターネット検索でキーワードをいくつか入力し、僕のホームページを見つけたという取材相手から「あれはあなたのページですか」と聞かれたこともある。う〜ん、そう考えるとだれがどこで見ているか分からないから、うかつなことは書けないな。…って、もちろん読まれて困るようなことは書いてはいないんだけどね(爆)。いや、漫画がどーしたとかアニメがどーだとか、ヘラヘラ書いているのを見られると恥ずかしいかな、なんて…(再爆)。

 でもまあ、読んでもらうのを前提に書いているわけだから、いろんな人に読まれるのは喜ばしいことだ。それはインターネットでも活字の世界でも一緒だろう。「インタビュー記事が出てから、裁判所や検察庁の対応が妙に優しくなりました」というメールを先月、片山隼君のお父さんからいただいたが、それが記事によるいい影響だとしたらほっとする。検察や裁判所が何か思うところがあって変化したのだろうから。ルポにしても同じで、ルポを読んでくれた読者が「何かを考えるきっかけ」にしてくれるのが一番うれしい。自分の書いた記事によってほんの少しでも社会がいい方向で変わるのなら、記者としてはこれほどうれしいことはないもんね。

 このところ、やっと昼夜逆転の生活を克服して午前中から起きているので、眠くて眠くてたまらないよ。夕方から都内で市民集会を取材。集会の会場で、尊敬する高校の先生と話せてよかった。大好きな編集者に会えなかったのは残念だったけど…(謎&汗)。


12月4日(土曜日) 上手な整理術が知りた〜い

 記者という仕事をしていると、いろんな資料が山のようにたまって整理に困ってしまう。集会とか街角でもらったチラシや取材先で手に入れたパンフレットなど、普通の人から見たらゴミみたいなものだと思われるかもしれないけど、これが違うんだな〜。どれも大切な資料なのである。いつどこで役に立ったり必要になったりするか分からないから、そうそう簡単に捨てるわけにはいかないのだ。人それぞれの整理方法があると思うけど、僕は「◯◯集会関係」や「◯◯事件関係」などの項目ごとにまとめ、とりあえずは大きめの紙袋に入れておく。紙袋は会社の封筒や書店で本を入れてもらった袋など、大きくて丈夫であれば何でもいい。紙袋の表にはマジックで内容と年月を大きく書いておくのだ。だがしか〜し。ここからが大変で、そんな紙袋がどんどんたまってくるのをどうすればいいのかは、実はまだ解決できていなかったりする。さらに大きな手提げ袋や段ボール箱に入れてまとめたりしているけど、どこにどんな資料があるのか分からなくなってくるんだよなあ。何かこれぞっていう整理の仕方はないかな…。

 そして、もっと大変なのが会った人の顔と名前を一致させるという人物整理である。この前、某所で「◯◯さん(僕の本名)」と呼びかけられたので適当に挨拶したのだが、僕には相手がどこのだれだかよく分からなかったのだ…。相手の方は「××です」と名乗ってくださったのだけど、どこの××さんだかまるで思い出せない。「どこの××さんでしたっけ」とはちょっと聞けないじゃん。高校の先生か、組合や市民グループのメンバーか、役所の人か、弁護士事務所の人か、そもそも何の時に、どこで会ったんだっけ…。う〜ん、今でもよく分からなくて困っている。向こうは僕のことをよく知っていて、こちらが記憶にないというのはマズイよなあ。学校の先生も、生徒の顔と名前が全員一致するわけではないのだそうだ。担任クラスの生徒ならまだしも、担当科目だけを週に2時間ほどしか教えていない生徒なんて、学年で何百人もいるから半分以上はよく知らないんだってさ。電車の中で卒業生に「先生」なんて呼びかけられても、なかなか思い出せないのだという。そりゃそうだよな〜。何十年も教師をやっていたら、それこそ教え子の数は何千人にもなるもんな。目立って印象深かった生徒は覚えているだろうが、いくら何でも全員は覚えていられないよ。記者もいろんな場所でさまざまな人に会うけれど、顔と名前が一致しないことがよくあるのだ。それにしても、あの方はどこの××さんだったのだろう。

 半年ぶりくらいに、掃除機とエアコンのフィルターを掃除する。どちらも、ものすごい量のほこりが詰まっていた。道理で掃除機の吸引はめちゃ弱いし、エアコンの効きも悪いわけだ。掃除が終わったらもう快適そのもので、部屋はすっかり暖かくなった。


12月5日(日曜日) 熱い湯船にどっぷり

 いつもお風呂はシャワーだけで済ましているんだけど、寒くなってくると、湯船にどっぷりつかりたいと思うところはやっぱり日本人だよな〜。とゆーわけで、このところ放ったらかしていた浴槽を久々にきれいに掃除して、あふれる熱〜いお湯に朝から入る。う〜ん、気持ちいいなあ。午後から東京・外苑前に行く。子どものころから「渋谷文化圏」に住んでいたこともあって、渋谷周辺っていうのは僕の大好きな街の一つなんだよね〜。

 ところで。教育問題に取り組んでいる弁護士さんが、こんなことを言っていた。「東京地裁や東京高裁では、憲法や国際条約に定められている条文をいくら主張しても、原告は絶対に勝てない」。東京の裁判官は最高裁の意向ばかり気にしているから、法律や条例や判例には従うけれど、最高法規範である「憲法の理念」は相手にしないのだそうだ。え〜っまじかよ、それって逆じゃん…。普通の市民感覚ならちょっと信じられないと思うだろうけど、それが現実なんだってさ。「戦争放棄」だとか「幸福追求権」だとか「思想・信条の自由」だとか「表現の自由」だとか…。中学校の社会科で最初に習ったはずの崇高な理念が、先進的な民主社会であるはずの日本で「絵に描いた餅」になっているのは、やっぱりどう考えてもおかしいよ。「司法改革」をどうこう言う以前の問題だよな。


12月6日(月曜日) 「言葉のキャッチボール」

 人の話を聞いてない人ってこんなに大勢いるものなのかと、驚かされた。ある裁判の報告集会で、弁護団と参加者との質疑応答の際に、会場からの発言者にいちいち茶々を入れる人がいた。時間の関係から「意見はやめて質問だけを」と司会役が断っていたので、発言する人たち全員に「質問だけにしろ」と横槍を入れるのだ。少しくらいは意見を述べつつ質問することだってあるだろうに、発言者の言葉を途中でさえぎって、杓子定規に口を挟む態度に会場のみんながイライラを感じていたところで、その出来事は起きた。弁護団側が会場にいた大学教授に「意見」を求めたにもかかわらず、その人はまたもや「意見はいいから質問を」と繰り返したため、会場から激しいブーイングを浴びたのだった。参加者はみんな裁判の支援者のはずだから、意図的に進行妨害したわけでは決してないだろうが、人の話を全然聞いていないのもここまでくるとなあと、ちょっと信じられない思いがした。ところがである。しばらくして今度は別の人が、先ほど弁護団が回答したのと全く同じ質問をするのである。おいおい、いったいどーなってんだ…。でも、よく考えるとそういう人はどこにでもいるということなんだろうな。議論や会話などの「言葉のキャッチボール」が成立しない人は、思っているよりも実際には多いのだ。前にも書いたが、インターネットの世界にも見当外れの意見や感想を平然と送ってくる人はいる。あるいはメールの交換や掲示板などでのやり取りにしても、一方的に自分の話したいことだけを書き綴って、こちらからの質問に答えを返さなくて平気という人だっているもんなあ。う〜ん、社会勉強になります。

 来年の手帳に、今の段階で分かっている会議や取材予定などを書き込んでいく。新しいものを下ろすのは気持ちがいいけど、ちょっと緊張したりもする。これまで使っていた会社の手帳(と言っても新聞協会の手帳だが)から別の種類に変えたので、住所録などを書き換えなければならないのが面倒くさい。


12月7日(火曜日) 徹夜で原稿書いて議会傍聴

 今までサボっていたツケが回ってきただけの話だから仕方ないんだけど、などと言いつつ深夜放送の映画を見ていたりもして、徹夜で原稿を書き上げる。一応、ン百万部発行の某全国紙に掲載される予定の論説記事だ。日本新聞協会には加盟していない新聞なんだけどね(笑)。顔写真も入るんだって。おやおやだな。まあいっか。シャワーを浴びてから、そのまま寝ないで取材へ。東京都町田市議会定例会で本会議の一般質問を傍聴する。学校に調査・報告義務を求めた前田さん夫妻の裁判に関して、和解に対する市側の議会答弁を聞くために出かけたのだが、いやあ、あまりにも程度の低い議員が多すぎて、開いた口がふさがらないよって感じだった。遺族であるご両親が議場内で傍聴しているのが分かっていながら、年老いた議員が「子どもを亡くされた親の気持ちが…」と質問している最中に、笑ったり野次を飛ばしたりしてるんだよ。お前ら何を考えているんだ。傍聴席でお母さんは涙をぬぐっていたぞ。確かに老議員の質問はピントは多少ぼけていたかもしれない。だが、学校や市教委がうそ八百を並べ立てて「作文を返した」とか「焼却した」などと言ってごまかし続けたのは、日本中に知られた事実だろ。それを質問者が「神奈川県警の町田版」と表現したのを、不穏当発言だなんてクレームをつけたりしなくてもいいじゃん。ああ、日本の民主主義は…なんてありきたりのことは言うまい。どこの議会もあんなもんだろうけどさ、でもいくら何でもひどいんとちゃうかな。もっと本質的な議論をしなさいって。ちなみに議会事務局の皆さんは忙しいところ、とっても親切な取材応対をしてくださった。感謝〜。


12月8日(水曜日) 医療過誤

 医療過誤で中学一年の子どもを亡くしたご両親を取材。話をうかがいに逗子へ行く。ただの盲腸だったはずが、最初の病院ではまともな検査もしないために盲腸であることを見逃し、次に行った病院で手術をして、二日後に突然死亡してしまった事件だ。にわかには信じられないひどい話だよなあ…。医者や病院は本当にしっかりと選ばなければ、まじで「殺されて」しまう。そんな話が日本中にごろごろ転がっているのがまた怖い。で、この事件は横浜地裁で原告側が全面勝訴したのに、東京高裁では逆転敗訴して、現在は最高裁で審理中だというがそれもめちゃくちゃな話で、同じ事件でここまで判断が百八十度違うというのなら、裁判官によってどうにでもなるってことじゃん。医者や病院だけでなくて裁判官にもアタリとハズレがあるわけだけど、でも裁判官は市民には選べない…。

 この手の取材は1〜2時間では到底終わるわけがなくて、やっぱり延々と5時間近くお邪魔してしまった。それからすぐに横須賀線に乗って都内へ。新聞に論説記事と一緒に載せる顔写真(就職活動で使ったものの余り=笑)を届けて、四谷の出版社で編集会議。これが恐ろしく長いんだよなー。午後11時過ぎまでやってるんだもん。勘弁してくれえ。おかげで、友人の記者と飲みに行く話はキャンセル。眠い。午前1時半帰宅(涙)。

 …などと書きながら、帰宅してからテレビで深夜映画を見る。大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」と、森田芳光監督の「(ハル)」の2本。どちらも午前2時15分からの放送という罪なプログラムなので、チャンネルを切り替えながら並行して見るという邪道なことをする。両方とも映画館やビデオで何回も見た映画で、大好きな作品だ。ビデオ録画はしなかった。たぶん「戦メリ」を中心に見るだろうなと思って見始めたら、なぜか「(ハル)」の方を中心に見てしまった。あれれ…。どーしてだ…。ちなみに、この作品の感想は1998年10月31日付の「身辺雑記」にある。きょうも同じような感想だな。涙は出てこなかったけど(苦笑)。


12月9日(木曜日) 豚キムチ鍋

 取材ノートを手に近くのファミレスへ行く。家だとダラダラしてしまうので、コーヒーでも飲みながら取材のまとめをしようと思って出かけたのだが、メニューを何気なく見ていたら「豚キムチ鍋」というのがあった。頭が痛くて風邪気味のようだったので頼んでみたら、めちゃめちゃ辛くて熱くてうまかった。唐辛子で真っ赤な味噌風味の汁。その中に浮かんでいる熱々の豚肉と白菜とネギをまとめて口に入れ、ご飯と一緒にはふはふと食べると汗がいっぺんに吹き出てくる。これなら、いくらでもご飯が食べられるじゃん。いつの間にか、風邪はどこかに吹き飛んでしまったようだ。白菜は野菜の王様だよな〜。そんなわけで、ファミレスに入った目的をすっかり見失ってしまった(自爆)。


12月10日(金曜日) 終日執筆

 都内で夕方からあるいくつかの集会や懇談会などに誘われる。直前まで参加するつもりでいたのだけど、原稿執筆の進行状況が予想以上に厳しいために、どれもやむなく出席を見合わせた。そんなわけで、電話取材やアポ取りや問い合わせなどをしながら、終日執筆作業に追われる。


12月11日(土曜日) 徹夜明けで北浦和

 朝までかかって原稿を書き上げる。やっぱり徹夜になってしまった。あす中にあと1本仕上げれば、締め切りにぎりぎりで間に合いそうだ。シャワーを浴びてから電車に乗って北浦和へ。おお、久しぶりで懐かしいなー。浦和は新聞記者になったばかりのころ、しばらく過ごした初任地なのだ。北浦和駅前には北浦和公園や県立近代美術館、埼玉大学などがある。天気はいいし、ぽかぽか陽気。ぶらぶらと公園周辺などを歩いて散策でもしたいところだが、そうもいかない。30分ほど遅れて、ゲスト発言者として招かれている市民集会の会場に駆け込む。「日の丸・君が代」を考える団体の学習会である。幸いなことにちょうど始まったばかりだった。午後1時から5時まで報告や質疑。終わってから北浦和駅前の居酒屋で打ち上げを兼ねた忘年会。中学校の元校長や大学図書館の司書や劇団主宰者など、面白い人たちと知り合えてなかなか有意義だったが、なかなか放してもらえず、延々と午後10時半まで飲み会に付き合わされる。おかげで、銀座で開かれていた某出版社の忘年会には出席できなかった。ん〜、それはちょっと残念だったかもなー。京浜東北線の中でほんの少し寝ただけなので、めちゃめちゃ眠い。昼間の暖かさと打って変わって夜はとんでもない寒さだ。埼玉だからか…。結局、浦和の街をゆっくりと歩くことなく横浜に帰る。


12月12日(日曜日) 来年のカレンダーは水彩画トトロ

 出すべき原稿をとりあえずすべて書き終えて送信。ほっとする。これでようやく、やりたい取材を好きなだけできる時間が取れそうだ。来週はいろいろと動き回ってみよう。ん〜、とても解放感があるなあ。…と思っていたら、新しいお仕事の注文をいただいた。でも、日程的にもそんなに大変ではなさそうだから、まあ、大丈夫だろう。夕方、友人がノートパソコンを返しに来る。原稿用紙ソフトなるものをもらった。クラリスワークスに比べて、字数設定が簡単なのだという。帰る時に車に乗せてもらって上大岡へ。印刷屋で名刺の追加プリントを注文してから、スピード処理してくれる写真屋で現像・焼き付けを依頼。あしたが締め切りの原稿に付ける写真なので、失敗していたら撮り直しに行かなければならないところだったけど、ちゃんと撮れていた。紀伊国屋書店で市販のカレンダーを吟味。う〜ん、迷うなあ。とゆーわけで、サツキの描写が多いのが気に入ったので、来年のカレンダーは水彩画のトトロに決定した。

サードへのアクセス5万件 きのうのうちに「サードインパクト」へのアクセス件数が5万件を超えたらしい。ご訪問者の皆様に感謝である。


12月13日(月曜日) 読者からの手紙

 3カ月ぶりに髪の毛をカットする。すっきりしたな〜。しかしいつもよりもかなり時間をかけて、ずいぶんとていねいにカットしてくれたような気がする。あんまり行かないから、もっと来てくれとゆーメッセージなのか(爆)。東京・四谷の出版社へ写真を届けに行く。ついでに著者校正(ゲラ刷りチェック)。「月刊司法改革」に書いている僕の記事に対して、読者が編集部に送ってきてくれた手紙を何通かもらう。片山隼君の両親を励ます内容のものや、町田の前田さん夫妻が書かれた「学校の壁」の本を読みたいというものなどで、いずれの手紙も当人たちに伝えるつもりだ。専門家以外の読者にもちゃんと読まれているんだなあと、うれしくなる。夕方から、人権と報道を考える市民グループの定例会に出席。終了後、お茶の水駅前の居酒屋で忘年会。午前零時帰宅。めちゃ眠い〜。


12月14日(火曜日) 車だと飲めない

 所用のため関内へ。昼ご飯はサバの塩焼き定食。大根おろしがうまい。時間調整のために伊勢佐木町のドトールコーヒーで、ミルクティーを飲んでケーキを食べながら新聞を読む。いったん自宅に戻ると、自作の記事が掲載されている雑誌や新聞などの郵便物がいっぱい届いている。チェック&片付け&資料整理などの雑用や、電話取材ほかをしてから、夕方から再び取材に出撃である。横浜市内2カ所で高校の先生に会って、いろいろと内緒の話を聞く。すしをつまみながら、生ビールをぐいっと…と言いたいところだが、車を運転しなければならないので熱〜いお茶で我慢した。車で取材に出ると飲めないのが辛い。飲んだら乗るなは鉄則。ん〜、失敗したな。


12月15日(水曜日) すっごい田舎

 早起きして、茨城県の笠間市というところへ取材に行く。初めて聞く名前の市である。上野から特急に乗って1時間以上かかって友部駅着。そこからさらに水戸線というのに乗り換えるのだが、なんと「水戸線はリフレッシュ工事中なので全面運休している。バスで代行運転する」という案内が、特急車内でアナウンスされた。おいおい。そんなのは、あらかじめ乗車券を買う段階や改札の時点でアナウンスしろよな…。まあ、全面的にバスで代行運転するくらいだから、あまり利用者がいない路線なんだろうけど。それでも、バスは高校生や主婦らで満席だった。先に車で行ったカメラマンが笠間駅前まで迎えに来てくれる。そこから十分ほど。すごい田舎と言うと失礼だが、そういう交通の不便な場所に住んでいる転勤族の主婦に、パソコンを使った在宅ワークについて話を聞く。「田舎在住だからこそのパソコン在宅ワーク」ということになるのだろう。取材を終えてから、あまり気が進まないけれど、茨城県内の霞ケ浦の近くに住んでいる母親のところに顔を出して一泊する。


12月16日(木曜日) すっごい田舎・その2

 所用のために茨城県麻生町に行く。これまたすっごい田舎だよ。鹿島鉄道という単線の電車(1時間に1本しか電車が来ないのだ)に乗って、さらにバスで30分もかかるのである。う〜ん、そもそも茨城県全体が田舎なんだな。ところが、これはタクシーの運転手さんが教えてくれたのだが、驚いたことになんと麻生町役場から1日に数本、東京駅行きの高速バスが出ているのだった。所要時間は2時間ほどで、ちょうど昼過ぎにバスが発車するというので、それに乗って帰ることにした。乗客は全部で9人。バスの中では僕も含めて全員が寝ていた。

 夕方帰宅すると、たった1日家を空けただけなのに、ポストの中に郵便物があふれている。手紙やら寄贈本やらでいっぱいだ。誕生日のプレゼントをいただきました。ありがと〜。パソコンでメールチェックをすると、こちらもやけにたくさんメールが届いている。そのうち、エッチビデオや住宅販売などのダイレクトメールが4分の1ほどもあった。もうわかったから、そういうものは送ってこなくていいって。うっとうしい迷惑メールだなあ。


12月17日(金曜日) 初任地びいき

 朝から取材のまとめをして、その後はず〜っと、ただひたすらアポ取りの電話かけを続ける。いやあ、年末で皆さん忙しい時期だからなのか、なかなかつかまらないなあ…。とほほ…である。それでもいくつかは収穫があった。

 埼玉県草加市在住の文芸評論家・染谷洌(きよし)さんが著書を送ってくださった。地元にまつわる文芸家の人と作品を紹介することで、草加という街を描いている。巻頭には、新聞の地方版に三十回ほど連載した染谷さんの文芸エッセイも収録されているのだが、駆け出し新聞記者として草加支局にいた時に、この連載を企画して編集者みたいな形で担当したのが僕だったので、巻末のあとがきに僕の名前も出してくれていた。とても懐かしい思いで読ませてもらう。東京近郊の草加市は確かに泥臭い街ではあるが、都心までの交通アクセスもいいし、のんびりゆったりして住みやすい街だった。僕としては好きな街の一つである。初めて担当した街は強く心に残るから、記者はたいてい「初任地びいき」になってしまうものだ。ご多分に漏れず僕もその一人なのだった。正確には浦和が僕の初任地ということになるのだろうが、記者としての基本的なことを街ぐるみで教えてもらった場所は草加だと言ってもいい。僕にとって草加は「事実上の初任地」みたいなものかもしれないな。


12月18日(土曜日) 年賀状の版下は作ったが…

 パソコンで年賀状の版下を作った。せっかくの2000年なので、いつもとは違ったデザインにしてみる。画像を加工するような大層な技術はないので文字が主体なんだけど、シンプルさをテーマにほんの少しだけ工夫してみた。まあ、何とか体裁の整ったものができたかなと思う。だがしか〜し。この先、プリンターで印刷するのはいいとして、自筆による宛名書きという大変な作業が残されているのだった…。たぶんギリギリまでやらないと思うが(自爆)、もしかしたら年明けまで引っ張るかもしれない。ん〜、毎年毎年繰り返すこのいい加減さ。そればっかりは避けたいなあ。きょうは版下を作ったから、ま、いっか(おいおい)。

 港南台に買い物に行って1時間ほど路上駐車して戻ると、所轄警察がパトカーの赤色灯を回転させながら、駐車違反の車をチェックして回っている。アナウンスが聞こえたので慌てて走った。僕の愛車にもタイヤにチョークで印が付いていた。あ〜やばやば。もう少し遅かったらミラーにワッパをはめられるか、最悪の場合にはレッカー移動されるところだったなと、ヒヤッとする。でもさあ、あんな広い道にずらーっと駐車車両が並んでいたって、だれも迷惑なんかしないじゃん。もっと狭くて危ない道や駅前に堂々と止めてある車の方を、先に摘発すべきだと思うぞ。確かめてみたけど、あっちはノーチェックなんだな。どうも順序が逆のような気がする。


12月19日(日曜日) マニュアル人間?

 決して意識して書かなかったり、書くのをサボっていたとゆーわけではないのだけど、「どうして『身辺雑記』で触れないのか」という疑問というか、お叱りの声をいただいているので書くことにする。このことはず〜っと取材を続けている問題なので、あえてここでは書かなかっただけのことなんだけどね…。

 一つは、横浜市教委が市立の小中高の約五百人の校長に対し、日の丸・君が代に反対する教職員の言動を事前にチェックするシートを配ったことについてである。このシートは、掲揚、斉唱、起立、伴奏、指揮、指導などの8項目について「反対意見の表明」や「拒否」や「妨害」の有無をチェックするだけでなく、そうした行為をした教職員の名前まですべて書かせる形になっている。さらに、式典で校長が出した指示や職務命令の日時や場所を、事細かに記入させるようになっている。これと一緒に市教委は、職務命令の出し方やシートへの記入方法などを詳しく説明するマニュアルも配った。物理的な抵抗や妨害をチェックされるのならいざ知らず、反対意見の表明すらチェックされるとして、それでも自由に発言できるだけ勇気のある人が一体どれだけいるだろうか。こんなものが日常化したら、それこそ現場の教職員は自由にものが言えなくなってしまうだろう。国旗・国歌法は単に国のシルシを決めただけに過ぎない法律であって、決して法的には強制するものではないはずだが、しかし現実としては、じわじわと「強制」が広がっているのだった。それにしても、こんなものを配られた校長先生たちは教委の小役人からずいぶんと馬鹿にされたものだと思うよ。

 そういう動きを補強するのが、東京都八王子市教委による文書訓告事件である。市立中学校の先生が、授業でオウム真理教事件や日の丸・君が代の問題を取り上げて「指示を待つだけの人間にならないで」「自分で考えましょう」などと教えたのが問題とされたのだという。「自分で考えることの大切さ」を教えるのがダメなら、独自の授業なんか成り立たなくなるじゃん。全国一律に決められたことや教科書に書かれていることだけを教えていたら、それこそ「マニュアル人間」を育て上げるだけになってしまう。ああ、それが学校教育の本当の目的なのか、それなら仕方ないかな…って、そんなわけねーだろ。日の丸・君が代を教えることが「学習指導要領」なるものに明記されていると教育行政が主張するのなら、歴史的背景や歌詞の意味などを逆にしっかり教えればいいはずなんだけど、先生たちの多くはこれまで、そういったことを子どもたちにきちんと教えてこなかったんだよね。実は、それが現在の状況を招いたと言えるかもしれない。しかしなあ、自分で考えるっていうことを教えちゃダメって言われたら、もうどーしよーもないよね。

 もう一つは、雅子さんの懐妊についてだ。これについては、別にだれからも書けとは言われていないけど。雅子さん個人が妊娠してもしなくても、僕としては「ふ〜ん、ああそう」というだけの気持ちしかない。ただ、雅子さんが産んだ子どもが将来の天皇になるかもしれないということを考えるならば、日本人である限りは関心を持たざるを得ないのだろうとは思う。でもそういう問題とは別に、マスコミの圧倒的多数が、思考停止状態みたいになって「おめでたい」と繰り返しているのを見聞きしていると、疑問がふつふつと沸き起こってくる。もしも妊娠していなかったら、あるいは流産でもしてしまったら雅子さんの立場はどうなるのだろう。障害のある子どもが産まれてきたらどうなるのか…。それに世の中には子どもを産みたくても産めない女性や、産まないと決めている女性も大勢いると思うが、ずっと前から続いてきた一連の「懐妊報道」というのは、女性の主体的な生き方をまるっきり無視したひどい報道だと思うんだけど、そこのところを世間の人たちはどう考えているのだろう。そもそも取材しているマスコミ関係者は、みんな本当に心から「おめでたい出来事」だと思ってリポートしているのかな。やっぱりマニュアル通りにやっているだけなのかな。そしてもしも女の子が産まれたら、やっぱり「残念でした」ってことになってしまうのだろうか。そんなことを考えると、雅子さんはかわいそうだなあと同情を禁じ得ない。


12月20日(月曜日) アポ取り快調

 電話でアポ取り作業をひたすら続ける。きょうは気持ちいいように予定がどんどん入っていく。リズムに乗る時はす〜っと乗れるものなんだなあ。横浜中央郵便局に行ったら、年賀状を出しに来た人たちでごった返していた。う〜ん、こういう風景を見るとかなり焦る。なぜなら裏面のプリントはおろか、宛名書きなどこれっぽっちもしていないわけで、しかも「書かなければ」という気持ちはあるけれども、「書こう」という意欲がまるで起きないからだ。やはり切羽詰まらないとやらないのだ。夕方から、情報公開関係の市民グループの集会を取材。終わってから軽く飲む。午後11時帰宅。

 「セカンドインパクト」に「論説・解説・評論」のページを新しく設けた。ルポでもエッセーでもコラムでもなく、雑感記事でもない。そんな種類の文章を収容するためには「論説」とか「評論」みたいな区分けが妥当かな、とゆーわけである。それから、「インタビュー/司法改革」のページに「作文開示訴訟」を追加更新した。しかし、なかなか「新・大岡みなみのコラム風速計/ネット版」の更新ができないなあ(ぼそっ)。実は筆者としても困っていたりするのだ。忙しくてと言うよりは、やっぱり締め切りがないとなかなか書けないやね…。


12月21日(火曜日) 広がる取材

 朝から愛車に乗って取材に次ぐ取材。横浜市内の学校を駆け巡る形になった。いろいろと興味深い話が聞けたけど、内容は秘密である。そのうち記事に反映させる予定だ。取材した人からさらに別の取材協力者を紹介してもらえるという感じで、次々とネットワークが広がっていくのは、取材が順調に進んでいる証拠だろう。話を聞いていてもとっても楽しい。

 ビクターが創刊した「zakki(ザッキ)」という雑誌を読んだ。「テレビ・映画・音楽などのエンタテインメントで活躍する人々が書き綴るスーパーコラム集」というのが歌い文句である。タイトルに何となく親しみを覚えて手にしたのだが、クリエイティブな仕事をしている人たちが、さまざまな切り口で日常雑記を書いていてそれなりに面白い。ところでこれ、月刊誌なのかな…。


12月22日(水曜日) きょうは「種まき」

 きょうの取材はこんな感じ。地裁で裁判を傍聴して、報告集会に顔を出して、オンブズマン事務所に寄って、市教委に行って、情報公開申請する市民から話を聞いて、日の丸・君が代に対する組合の取り組みをインタビューして、図書館で調べもの。やたらに目いっぱい詰め込んだごった煮のような一日で、自分でも何が何だかよく分からないよ。中身のあるような話があったかと言うと、そんなことはほとんどなかった。たぶん「種まき」の一日だったのだろう。芽が出て収穫できるのは、もっと先になるんだろうな。う〜ん、とても疲れました。「おおっ〜!」というような話が聞けたわけではないので、心地よい疲れと言うのとはまた少し違うなあ。

 横浜市教委へ市民団体が抗議に出向いた様子を、たまたま見ていたのだが、市教委職員の態度のでかさと横柄さには正直言って度肝を抜かれた。市民に向かって「これは公務執行妨害だよ」とか「うるさいんだよ、さっさと出て行け」などと、ものすごい形相で怒鳴りつけるのだ。もうびっくり。これが納税者に対する公僕の態度かなあ。市民団体のメンバーがアポなしで役所を訪れたのは、それなりの理由がある。部課長への面会要請を取り次いで日程を連絡すると約束しておきながら、放ったらかしにして逃げ回っていたから業を煮やして役所に来たのだった。たぶん意図的にそういう対応をしているのだろうけど、高い税金を取ってそれで生活しているんだから、せめて市民対応くらいは満足にやれよな。小役人の姿勢というか正体を、そんなにやすやすと露見しちゃったらダメだよね。


12月23日(木曜日) 「筆者自身」が見える記事

 ず〜っと悩んでいることがある。ルポルタージュ記事の「文体」についてだ。自分の意見を積極的に打ち出して、筆者の姿勢や考え方が見えてくるような「分かりやすい」記事を書くべきなのかどうか。このことについて、ず〜っと考えている。「校長たちの苦悩と葛藤」「葬られた作文」の二つのルポを読んだ読者から、後者のルポの方が「筆者自身が見える記事だった気がする」と言われたことがあるのだが、まさにその通りで、「葬られた作文」はその辺のことを実は少しだけ意識して書いたのだった。

 新聞記者の文章は、なるべく客観的に(別の言い方をすれば客観を装って)、感情を排して「事実」を淡々と積み重ねて書くというのが基本だとされている。もちろん「事実」と一口に言っても、どの事実を選び取って、どんな切り口と表現で描くかによって事実の内容はまるで違ってくるのだが、少なくとも新聞記者の書く文章には、コラムなどを除いて「私は…思う」とか「僕は…考える」という表現はまず存在しない。一般記事はもちろん、ルポなどの連載企画でも「客観的な書き方」をするのが原則だ。僕も新聞記者として育ってきたので、そういう文体でずっと書いてきた。

 同じルポでも、新聞記事と雑誌に載っている文章とは、かなり文体に隔たりがあるように思う。雑誌の文章はそれこそかなり意図的に、感情や意見を前面に出している。確かにその方が、筆者が何を言いたいのかとか、ポイントは何かとか、読者としては分かりやすくて読みやすいかもしれない。「読み物」ということを考えれば、そうした書き方が受け入れられやすいのだろう。「週刊金曜日」の編集長には、そういうことをそれとなく指摘されて、「うちの雑誌は他誌よりもオピニオン性が強いんだから、どんどん筆者の考え方を前面に出していいんだよ」と言われた。なるほど…。それは僕も分かる。けれども、まだまだ新聞記者としての意識が残っているからかもしれないが、僕としては「事実をきちんと提示した上で、記事全体にあふれる記者の思いや怒りや感動は、行間から読者に読み取って判断してもらいたい」と思っている。それが、ルポを書く時の僕なりの美学(?)でもあったりするのだ。

 あえて記事の途中や最後に、筆者の意見や感想や感情は書かないで、登場人物の表情や風景や事実の描写だけで攻めていく手法だ。例えば、ルポ「校長たちの苦悩と葛藤」の記事で言えば、「宮崎校長は思い詰めた様子だ」で終わらせる(実際にはこの後に2行だけ記者雑感的なものは入っているが)とか、「教育の曲がり角」の記事で言うと、「みのりさんのことは公式の場で全く議論されていない」だけで終わるとか…。筆者が何を言いたいのかは記事全体を読めば分かるでしょう、ということで読者に下駄を預けて、「だからどうなんだ」という表現は徹底して排除するのである。余韻を残す書き方が僕としては好きなんだよね。

 でもなあ…。確かにこういう書き方だと、忙しい人は記事をじっくり読んでくれたりしないから、ストレートに筆者の意見を出さないと「分からん」とか「分かりにくい」などと思われてしまうこともあるだろう。読解力のない人は、こんな書き方をしているからこそ、まるで見当外れの読み方をするかもしれない。新聞と違って雑誌を買って読んでくれる人には、すぱっと言いたいことや感情などが表現されている方が好まれるのだろうか。「週刊金曜日」の担当編集者は「大岡さんの文章は余計な飾り文句や表現がなくて、事実をきちんと積み重ねていく書き方をしているので、安心して読めます」と言ってくれたのだが…。自分でも果たしてどちらがいいのかよく分からなくて、暗中模索しているところなのだ。そこで「葬られた作文」では文中に、体面ばかりを重視する親たちについての考察(主張)を、試験的に少し長めに書いてみたのだが、そうしたら冒頭に紹介したような感想をいただいたのだった。とまあそんなわけで、これから自分の文体をどうしていくべきかと、ひそかに試行錯誤しているのである。


12月24日(金曜日) お仕事…

 うひゃ〜。目いっぱい仕事をしてしまった。横須賀と横浜で取材して、アポ取りの電話もかけまくる。その結果、暮れも押し迫った来週にいくつか取材予定が入った。やっておかなければならない取材なので仕方ない。そんなわけで来週は忘年会も複数あるから、年賀状を年内に書き上げて投函するという野望は、やはり無理かもしれない。さて、これから原稿を2本書かなければ…(涙)。あすの昼が締め切りなのだ。う〜ん…。眠いんですけど…。


12月25日(土曜日) 大先輩記者たちの熱い志

 朝までぐっすり眠ってしまい、昼までに大急ぎで原稿2本を書き上げる。シャワーを浴びてから、誘われていたJCJ(日本ジャーナリスト会議)の定例会に顔を出す。会場は上大岡。インターネットによる発信の可能性などについて話し合われる。夕方から忘年会と称して2軒はしご。黒ビールや焼酎のお湯割などを飲む。僕よりもはるかに経験豊かな大先輩記者(64歳)に「この歳でもジャーナリストとして、これからますます頑張ろうという気力でいっぱいだ。それに比べたら君はまだまだ若僧なんだから、もっと頑張らないとな」などと激励される。参加者の皆さんは、新聞社の元論説主幹や通信社の局長を経験したベテランがほとんどだが、現役ジャーナリストとしての姿勢を崩す気配などまるで感じられない。どこまでも熱い志に満ちていて、とても刺激を受けた。


12月26日(日曜日) 「筆者自身」が見える記事・その2

 12月23日付の「身辺雑記」に関して、いくつかメールで感想や意見をいただいたが、誤読されている部分があるみたいなので、あの文章の意味するところなどについて、ちょっとだけ補足説明をしておきたい。

 僕がこれまでに書いてきたルポルタージュは、事実や具体的なエピソードを一つ一つ積み重ねていく手法で、ストレートに自分の意見を書くことはしてこなかった。だけど、それでも筆者の言いたいことや伝えたいことは表現できていたと思うし、読者からいただいた感想を読ませてもらう範囲では、筆者の思いはそれなりに伝わっているのかなあと感じていた。ただみんながみんな、そういう手法でルポルタージュを書いているわけではなくて、思い入れたっぷりに、あるいは評論家みたいにさまざまな分析や注釈を盛り込んだ文章を書く人が雑誌には多いので、僕みたいに「新聞記者らしい書き方」を続けていてもいいのかなと思案しているのだった。つまり、言いたいことや伝えたいことをストレートに文章に盛り込まなくても、筆者の思いはきちんと伝わっているか、そして分かりやすく面白く読んでいただいているか、ということなのだ。そういう意味ではまさに「伝え方」の問題についての自問自答なんだよなあ。

 ルポルタージュについて言えば、僕は、評論家的に分析したり解説してみせたりするのは好きではない。事実やエピソードの積み重ねによる検証が好きなのだ。もちろん、読者にとって問題の本質がよく分からなかったり、あるいは面白く読んでもらえなかったりしたら、プロが送り出す商品としては失格だけどね。先輩記者の例で言うならば、どちらかと言うと僕は、本多勝一や鎌田慧のようなルポルタージュの書き方に共感を覚える。記者は「評論家」であってはならない、あるいは「評論家」にはなりたくないという思いが強くあるんだよね〜。机の前に座っていて集まるような情報だけで書くのではなくて、現場取材がジャーナリストとしての基本だという意味だ。それは取材姿勢だけではなくて、文章として表現する時にもできるだけ、取材してきた事実だけを積み重ねて伝えたいのである。もちろん、ここで言っているのはルポルタージュについての話であって、コラムや論説記事などは別だ。その辺は「大岡みなみのコラム風速計」を読んでもらえば分かると思うけど、コラムには批評や嫌味はたっぷり盛り込んである。ただ、あれだってジャーナリストとして取材はきっちりしてあるつもりなんだけどね。

 【ごめんなさい】 このところ忙しくてメールの返事が滞っている。どこまで返事を書いたのか自分でもよく分からないところがあったりする。ちょっと待ってくださいませ。


12月27日(月曜日) カニ鍋

 早起きして教職員組合へ行って話を聞いてから、教育委員会を取材。市役所の駐車場が満車状態で止められずに右往左往する。おかげで約束の時間に30分近くも遅れてしまったよ。取材が終わって昼ご飯は役所の別館地下にある食堂で、黒豚の味噌焼き定食を食べる。ボリュームがあってお腹いっぱいになった。いったん帰宅してシャワーを浴びて、夕方から再び出かける。東京・四谷で出版社の忘年会。もう刺身はいいよって言うくらい刺身が次から次に出てきて、すっかり食べ飽きてしまう。おいおい鍋はどーした。カキ鍋がいいんだけどなあと周囲の人たちと話していたら、ようやく出てきたのはカニ鍋だった。カニは身をほじくるのが面倒なんだよなー。カニ鍋はカニそのものよりも白菜の方が断然うまいと思う。で、鍋といえばお楽しみはその後のおじやであるのだが、カニのだしがとてもよく出ていてうまかった。カニ鍋のカニはだしを取るためにこそ存在しているのだね。そんなわけで二次会にも連れて行かれ、さらにラーメン屋にも付き合わされる。タクシーで午前4時帰宅。次の日も取材があるんだけどなあ…。


12月28日(火曜日) 英単語集

 取材のために横須賀へ行く。この人と話しているとなぜか「頑張ろう」という気持ちになってくるんだよなあ、とまあそういう人に話を聞く。昼食は取材先の近くの食堂で、生姜焼き定食を食べる。きのうに続いてきょうの昼食もボリューム満点だった。英語の勉強を少しやっておこうと考えて、上大岡の紀伊国屋書店で適当な本を探していたらなかなかよさそうなものがあった。とにかく単語力が弱いことは自覚しているので、英文を読んで覚える「速読英単語」(Z会)を購入する。ただ漠然と英単語を覚えようとするよりも、英文を繰り返し読みながら単語を覚えていく方が、確実に身に付くだろう。港南台の専門店でジーンズを買う。リーバイスのスリムストレート。はき心地がよいので愛用しているのだ。マガジンハウスの「鳩よ!」1月号を購入。特集「アニメ世代の心のゆくえ」。萩尾望都と庵野秀明の対談など、面白そうな記事が載っている。


12月29日(水曜日) やりたいこと

 夕方から東京・新宿へ行く。駅や列車への爆発物テロが横行しているからか、JR新宿駅ではひっきりなしに注意を呼びかけるアナウンスが流れていた。学生時代の友達と久しぶりに会って忘年会。マスコミ就職を目指して、作文の勉強会(自主ゼミ)を毎週一緒にやっていた仲間たちだ。みんな新聞社や通信社や放送局で活躍している。勉強会の後でよく飲みに行っていた安くてうまい居酒屋に集まって、学生時代と同じようにくだらない話題やジャーナリズムについて熱く語るのはとても楽しい。取材の裏話や悩みなどを聞かせてもらうのも勉強になる。でも当時と少し違うのは、マスコミの嫌な部分や馬鹿馬鹿しい部分を身を持って体験してきたから、熱い気持ちだけを語り合うのでは済まない点だった。

 「上から指示された仕事や記者発表をこなすだけで精いっぱいの毎日だ」「やりたい仕事なんか全然できないよ」「充実感のある仕事ができたと感じるのは1年に1本くらい」…。つまり結論としては「今の仕事は全然楽しくないよ」ということになるのだった。やる気も熱い心も問題意識もないわけでは決してないのに、記者たちの意欲がまるで生かされない今のマスコミのシステムは絶対におかしい。窮屈で横並びでやたらと忙しくて、みんな疲れ切った表情をしている。では、フリーランスになれば「やりたいこと」ができるのかと言うとそんなことはなくて、決して「やりたいことだけ」ができるわけではないのだが、しかしそれでもフリーランスになった僕は「やりたいことも」できているのだから、幸せだと言われた。経済的なことを除けば、確かにそういう言い方もできるかもしれない。だけどなあ…。う〜ん…。日本のマスコミはやっぱり危機的状況にあると言わざるを得ないと思う。


12月30日(木曜日) 教師への締め付け

 きのうに引き続いて東京・新宿へ。都内の教師たち数人がこっそり集まっている場に、顔を出させてもらう。記者は僕だけだ。納得いかない処分を教育委員会からされた教師たちの話を聞くにつけ、この国の教育は少しずつ確実におかしくなっているなあと実感するばかりだ。破廉恥行為やわいせつ行為を働いたわけではなくて、民主主義や憲法について子どもたちに考えさせるための授業をしたことが原因で、不当配転されたり処分されたりするなんて…。教師として当たり前のことをしただけなのに…。こんなことがいつまでも続いたら、創意工夫した教育をしようとする教師なんていなくなってしまうんじゃないか。独自のプリントや学級通信を作ろうなどと考えて主体的に行動するような教師は、教室から一人残らず消えてしまうだろう。全国一律に決められたことや管理職から言われたことをこなすだけの能面教師ばかりになってしまうよ。教育委員会はもちろん、処分の理由として「民主主義や憲法について考えさせる授業をした」とは決して言わない。もっともらしい理由をいろいろと並べるのだが、不当処分されたそういう教師を組合がしっかりと支えないのもまた問題なんだよなあ。信じられないよ…。とても勉強になった取材だった。必ず記事にしようと心に誓う。

 紀伊国屋書店の本店で取材に必要な本を購入。急に忘年会をやると友人から言われたので、山手線をぐるっと回って新橋へ。駅前の居酒屋でかき鍋をつつきながら生ビールを飲み、その後はお楽しみのおじやを食べる。フリーのライターと編集者から、本を出す時の手続きや印税などについて話を聞いた。さらにもう1軒の居酒屋で飲んでいると午前零時を回ってしまったので、京浜東北線の横浜・山手で降りて友人宅に泊めてもらう。こたつで雑魚寝。


12月31日(金曜日) 2000年対策

 ホットドッグとコーヒーとミルクの朝食をご馳走になって、午前中に友人宅を出る。爆発物テロを警戒して、JRの各駅ではコインロッカーもごみ箱もすべて封鎖して使えないようにしている。まったく困ったものだ。上大岡で正月用の食料品やセーターなどを買って帰宅。資料整理や部屋の掃除などをして、夕方から再び買い物に出かける。「2000年対策」として一応これまでに、パックのご飯やカップ味噌汁、缶詰、ペットボトルのお茶などはいくつかまとめて買っておいたのだが、きょうは念のために「六甲のおいしい水」の2リットル入りボトル一箱(6本)を購入した。さすがに水はとても重い。やっぱり買い出しは、車で行かないと収拾がつかないよね。「2000年対策」と新年を迎えるための準備としては、そんなところかなあ。食糧や水の備蓄は防災対策にもなるし、どのみち食べたり飲んだりしてしまうものばかりだから、買っておいても無駄にはならないよね。あと愛車にガソリンを入れて満タンにする。何も問題が起きなければいいのだけれど。


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