光の使徒 第一章 ヴァンブリア編
 第二話「未来見の夢」

  1.
 小さな石造りの個室に、一人の少女が、椅子に腰掛けていた。
 個室の壁にはいくつものランプが備え付けられ、炎の光がゆらゆらとその部屋を包み込んでいた。
 彼女はテーブルの上に置かれた水晶球を、興味深そうに覗き見ていた。
 少女の額にはルビー色の宝石が輝き、同じ色の瞳がその水晶の中を睨み付ける。
「そんな怖い顔して見なくても良いでしょぉ」
 その少女の後から、どこか間の抜けた、軽い印象の女の声が響いた。
 少女はその言葉を聞き不機嫌そうな表情を浮かべつつ、水晶球から目を離し、天井に視線を向けた。
「あらぁ、やめちゃうのぉ?」
 クスクスと笑いながら、先ほどの女性はその少女の顔を、真上から覗き込んだ。
 彼女は妖しい美貌を持ち、黒い瞳の奥にも何かを宿している。目の下の黒子が、その艶やかな彼女の魅力に拍車を掛けていた。
 女性と少女の視線が上下でぶつかり合った。
「愛名……何の真似?」
 自らの顔を上から覗き込む女に向け、少女は冷たい声で尋ねた。聞く者によってはそれだけで近づきたくなくなる、静かな迫力を持った声であった。
「エリスちゃん、怒っちゃ嫌だぞぉ」
 あははは、と声をあげながら、愛名は……少女エリシークの上から顔をどけた。
「つまらないわ」
 エリシークは椅子から立ち上がり、愉快そうに笑う愛名に一言毒づいた。
 彼女の外見は齢14か15か。殆ど子供のような外見を持ちつつ、その整った顔立ちは冷たい表情を浮かべる。彼女の耳は普通の人と異なり長く伸び、その先は鋭く尖っていた。
 生地が薄く、直接肌に身につける衣服は、丈が短く、幼いながらに挑発的な衣装であった。
「付き合い悪いぞぉ……」
 冷たくあしらわれた愛名は、つまんなそうに呟くと、部屋から出て行こうとする彼女に、一言尋ねた。
「でぇ、近いのぉ?」
 エリシークはチラッと愛名の方に一瞬視線を向け、一言だけ呟く。
「……そうよ」
 そして彼女は、部屋を出て行った。
「ふふぅん……」
 口元を歪めて愛名は笑った。
 腕を胸の下で組むと、その豊満な両胸が押し上げられた。彼女の身につける草色のプレーンドレスは、魅惑的な彼女の体型をそのまま晒している。
「楽しみだねぇ」
 彼女は誰に言うのでもなく、一人で呟いた。

  2.
 ガラスで作られた床や壁。それらは透明度は低く曇りガラスで出来ているかのように向こう側が見通せない。このガラスは、一定の波長を持つ光だけを、反対側に通すのだろうか。
 その部屋はクリスタルルームと呼ばれていた。
 透明なガラス張りの大部屋であるが、その中は大小様々なガラスのコンテナが置かれ、入り組んだ配置は迷路のようになっていた。
 ガラスの壁は向こう側が見通せるようで見通せない。その不思議な視覚効果に惑わされる者は、気分を酷く崩すと言う。
 黒い衣服に身を包んだ一人の女性は、注意深く辺りを窺う。翡翠色の瞳が左右へ鋭く動かされていた。
 右手にはハンドガンを持ち、左手は壁に付けて慎重に歩みを進めていた。
 彼女は長く美しい灰色の含んだ黒髪を頭の上まで結い上げていた。その髪の色に良く合う美麗なドレスを身に纏っていた。
 ヒールはそれほど高くは無いものの、運動性の良いとは言えない綺麗な靴と、やはりロングスカートのアフタヌーンドレスは、動きやすいとは言えない。
 細い一差し指を引き金に当て、いつでも発砲出来る準備を行っていた。
 丁度通路がT字に分れていた場所で、彼女は立ち止まった。三方向から開ける地形は、注意力が分散して危険だ。
「!」
 後に気配を感じた彼女は、咄嗟に背後へとその銃口を向けた。
 しかしそこには何もなく、今まで自分が歩いてきたガラスの床と、左右は壁のみ。
 彼女はすぐに正面に向き直り、T字通路の左右をそれぞれ確認した。
 すると左側に影を見つけ、素早く銃を構えると、迷わず発砲した。
 ガガンっと発砲音を立て、銃口から弾丸が発射されると、その火線は彼女が確認した黒い影を捉えた……が、弾丸がその影に到達すると何事もなくすり抜けていった。
「後ろで合っているぞ」
 彼女は、自らミスを犯したと気づくよりも先に、後から声が掛けられた。
「……しまっ!」
「お前の負けだ、ガラテア」
 振り返ったガラテアの額に、銃口が突き付けられ。
 彼女が相手を確認するより先に、その銃弾は発射されていた。
 頭に凄まじい衝撃を感じ、そこでガラテアの意識は途絶えた。
 意志を失った彼女の身体は後へと倒れ込み、握られていた銃は、虚しそうに床に転がった。

  3.
 軌道都市ヴァンブリア。
 シュナイツ合衆国最新鋭区ガニメデの空に浮かぶ浮遊都市の名だ。
 ここには多くの最先端技術が取り込まれ、空を行き来するエアカー、超高層ビル群、テレポータ輸送技術など、登場して間もない技術も多く使われていた。
 彼の地に住む人々は、自分たちが選ばれた民であると幻想を見る。
 夢を見る都市。それがヴァンブリア……。

  4.
 ヴァンブリア中央区に存在するセントラルオーダーアカデミー。通称COAには、毎年多くの生徒が入学を希望する。
 凶悪化する犯罪に対抗する為、また政府からの特殊な任務を請け負う為の、仕事人「オーダー」を育成するための学舎である。
 オーダーはヴァンブリアでも人気の職種であり、ヴァンブリアに住む多くの人々の憧れであった。
 生徒は厳しい審査を受け、適正のない者は入学を許可されず、選民思考の強い組織体である。もし入学出来たとしても、多大な学費を要求され、その維持も容易ではない。
 そして生徒達は多くの試験を受ける事で、細かくランク分けされ、卒業時にそのランクは大きなステータスとなっている。
 彼等はランクと専攻する学科により、クラス分けされ、担任の教師と一つのチームを編成することとなる。ランクの高いクラスは、場合によっては実戦のミッションを請け負う事もあるのだ。

 ランクAの剣士兵科に所属するレオルドは、クラスルームの窓際に座り、片膝を立てながら教室から外の景色を眺めていた。高々度に位置するCOAからの景色は、なかなかに壮観だ。
 短く切りそろえられた黒髪に黒い瞳。彼は引き締まった肉体を持っていた。
 レオルドの所属するクラスの規模は20人程度。
 教室には人数分の学習デスクと、その正面に教壇が存在している。教壇の裏手には電子掲示板が備え付けられ、講義に必要な情報を表示する。もっとも生徒それぞれのデスクにも直接表示可能なので、形式的な意味合いが強い。

 喧噪に包まれた教室の中で、仲の良い一組の生徒達が、他愛のない話をしていた。
「今日、副担任が来るらしいぜ」
 長髪の生徒がふとっちょな体格を持つ友人に話題を振った。
「副担任?」
 彼は興味深そうに訊ね返した。
 レオルドは彼等、同じクラスの生徒達がする噂話へと耳を傾けた。
「うちの担任はどちらかというと飛び道具が得意だろ?」
 茶色に染められた長髪が尋ねる。
「元々専攻が重火器らしいな」
 相手をする割と太めに入る体格の生徒が答えた。
「そこで武術系統の補佐という事で副担任が付くらしい」
 彼等の興味は尽きない。
「ふぅん……」
「それで重要なのは、ここからだ」
「なんだ?」
「その副担任が女だって言う話だぜ」
「は? 女?」
 ふとっちょが意外そうな声をあげる。
「女が武術系統?」
「意外だと思うだろ。美人だったらどうするよ?」
「馬鹿言え。武術系の女が美人か? 顔中ぼこぼこじゃないのか」
「でも隣のお嬢は美人だろよ」
 長髪は隣のクラスの「お嬢」こと、セリス・カルヴィナの事を口に出した。
 ランクA実戦格闘科。そこでもトップの成績を収めている女生徒である。
「セリスか……」
 ふとっちょは口をつぐんだ。確かに美人ではあるが、あの格闘科のトップは好めない。
「まあ、あいつは特別じゃないのか」
「どうだかねぇ」
 丁度二人がそこまで話したとき、教室の自動ドアが開いた。

  5.
 開いたドアの向こうから姿を現したのは、無精髭を生やした中年男性であった。きちんとクリーニングされていない時代遅れのスーツを身に纏う。
 クラスの担任教師である、ゼッツだった。
「よ〜し、お前ら雑談はそこまでだ」
 気の抜けたような親父面、と生徒に揶揄される彼は、教室に入って早々言い放った。
 生徒達は彼が教壇に立つまでには着席していた。
 正式な統率を学んでいるCOA生徒は、無駄話を続けるほど愚かではないのだ。
「今日は新しい教師を紹介する。お前らの副担任だ」
 ゼッツは教壇からクラスの生徒達を見回すと、ニヤリと思わせぶりに笑う。
「副担任って、女らしいじゃん」
 生徒の一人が口を出した。
 ゼッツは驚いたような表情を浮かべた。
「何だお前ら。どこでそんな話聞きつけてきやがった?」
「ヒンクスの情報網は伊達じゃないっすよ。朝には言いふらしてくらいだし」
「あ〜、ばらすなって」
 ふとっちょと話していた長髪……ヒンクスは慌てたように言い出した生徒に言い返した。
「まあ、お前らの事だから、既に知っているとは思っていたがな」
 ゼッツはそう口にしながら入ってきたドアの方にチラッと目をやる。余り待たせすぎるのも不味いだろう。
 彼は自動ドアに近づき扉の向こうにいる人物を呼んだ。

 賑やかなで軽い雰囲気を持っていた教室は、その彼女が入ってきた事で静まり返った。
 黒いドレスを着た古い世代の貴婦人。それがこの教室にいた、誰もが持った第一印象であった。
 ゼッツは彼女をエスコートするように教壇へと導く。
 彼女はその誘いに従い、優雅な足取りで教壇へとたった。緑色の瞳が、各々のデスクに付く生徒達を優しげに見つめていた。
「あ〜、彼女が副担任だ。挨拶して貰うからしっかり聞けよ」
 静まりかえった教室の雰囲気に、ニヤリとしながらゼッツは言った。
「初めまして。Aクラス剣士兵科の副担任を務める事となりました。ガラテア・ルミナンスと申します。以後よろしくお願いします」
 彼女、ガラテアは優雅に自己紹介を述べ、軽くお辞儀をした。綺麗に結い上げられていた髪の毛が形を変えた。アンティークな印象を受けるアフタヌーンドレスに身を包み、とても剣士兵科の講義を行う人間には見えない。
 レオルドもその彼女の様子を呆然と長めながら、同時に彼女の肩の上に浮かぶイミテーションに目がいっていた。
 漆黒色の水晶球。それがガラテアの肩より少し上、その左右に浮かんでいる。ただの飾りにも見える。だがただの飾りだとは思えなかった。
 彼は素っ気ない表情のまま、右手の指でディスプレイを軽く叩いていた。
 スキャン結果は無反応、か。
 レオルドは一瞬ディスプレイに目をやり、その表示を見てから再び教壇に視線を動かした。
「……」
 彼女の緑色の瞳と、視線がたまたまぶつかり合う。優しく深い慈悲のような意思が伝わって来る気がした。
 彼は心地悪さを感じ視線を反らしていた。
「ガラテア講師には実刃系近接武器の扱いを教わる事になるから、仲良くしてやんだぜ」
 生徒達の反応に気をよくしたゼッツはそう続けた。彼は何かあるごとに、得意そうに語る性分であった。
「先生。疑うわけではありませんが、実刃系近接武器は、女性には少々荷が重いと思われますが」
 長髪ヒンクスとよくつるんでいる、「ふとっちょ」ヴィレージは片手を上げながら質問を行った。いや、正確には質問と言うよりも力量の確認であろう。
 ゼッツが何か言おうとして、ガラテアが手で制した。
「確かに私の技術を疑うのも無理ありません。それは正当な評価と言えるでしょう」
 彼女は一息つき、
「しかし外見でその技術を判断するのは、大変危険な事だと思います」
 ニコリと微笑みながら、ゆっくりと続けた。
「は〜い、せんせ〜、質問っす」
 別の生徒がからかうような声で手を上げる。「お調子者」と呼ばれているクラスのムードメーカー、昴であった。
「かなりの美人だと思うけど、せんせ〜って何歳っすか?」
「えっと……」
 ガラテアは苦笑しつつ困ったような視線を昴へと送った。
「おいおい、女に歳聞くのは失礼だろうが」
 その様子に不味いと思ったゼッツが口を挟む。
「まあ、これ以上お前らに質問させても、下品なネタが出てくるだけだろうから、これくらいにするぞ」
「え〜」
 生徒の何人かが冗談めかして非難の声をあげた。
「俺は副担任を送っていくから、お前らは自習でもしてろ」
 ゼッツは言ってガラテアをドアの方に行くよう指示を出す。
「え〜、自習っすか。せんせ〜達だけで良い事でもするんですか〜?」
 昴がからかいの声をあげる。
「馬鹿言ってろ、明日の実技でしばいてやるから、覚悟してやがれ」
 あはははと笑う生徒達の声を背に、ゼッツとガラテアは教室を後にした。

  6.
 教室の中は、再び講師達が去ると、元の喧噪に包まれた。
 すぐに新任女講師の話題を始める者や、デスクの端末に、教材用のメディアディスクを突っ込み、言いつけ通り自習を始める者。音楽を聞き出す者など様々だ。
「レオ、あの女どう思う?」
 再び窓際に腰掛けて、街の様子を見ていたレオルドに、昴が声を掛けてきた。二人は割と仲の良い間柄で、良く雑談を行う。
「どうだろなぁ。油断出来ない気がするけど」
「いや、そうじゃなくてだ〜。どうだ、好みか?」
 昴は小指を立ててレオルドに顔を近づける。
「そっちかよ」
 彼は昴の言いように苦笑する。
「なかなか美人だけど、整形かな〜。ボクはもう少し胸があった方が良いと思うけど。そこまで治す金無かったのかな〜」
 つくづく女性に対する失礼な台詞を繰り出す昴。しかし彼は、これでも他の学科の女生徒から人気のあるプレイボーイであった。生まれながらの白髪や、甘いマスクは、女を騙すのに役立っている。
「今度、チャンスあったら、食っちまわね?」
「レオ、お前も油断ならないと思うか?」
 しかし突然の不穏当な台詞を言い出す昴を無視して、ヴィレージが話に割り込んだ。
 太めの体格を持つ彼は、その外見とは異なり細かい分析を得意としていた。知的そうな青い瞳がレオルドを真っ直ぐと見ていた。
「俺のは直感だから、根拠はないけど」
 その言葉を口にしながら、デスクに張り付いて端末を弄っている一人の生徒にその視線を送った。目に入ったのは長髪ヒンクスが、熱心に学舎のデータバンクから、情報を洗っているところだった。
 レオルドは彼に声を掛ける。
「どうだヒンクス」
「わかんねぇ。COAに在籍しているようだけど、今まで講義は出てないな。近接と魔術部門が専門らしい」
「魔術ね〜……」
 昴を始め、彼等に一瞬沈黙が訪れる。
「明日の講義で、実力拝見させて貰おう」
 そのヴィレージの言葉に皆は頷いた。
 彼は彼女の答えを挑戦と受け取っていたのだから。

 ゼッツとガラテアは、COAの休憩エリアにいた。
 カフェ用の席に腰掛け、コーヒーのカップがテーブルには二つ置かれている。
「講義をさぼっていて良いのですか」
 質問と言うよりも、確認するように、ガラテアが尋ねた。問い詰めるような声色を持っている。
「ああ、大丈夫だ。いつもの事だしな」
「いつもさぼっているのですね」
「……」
 不味い事を言ったとゼッツは顔をしかめた。
「まぁ、大丈夫だって。あいつらも馬鹿じゃない。やるときゃやるさ」
「彼等は心配無くても、あなたは心配ですね」
 彼女の台詞にゼッツは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「まあなんだ、心配ないって言うが、気になった奴はいたのか?」
 手にしたカップに視線を送っていたガラテアは、そのカップを一度口元に運び、一杯だけ口に含む。
「外見で判断するのは危険な事と、彼等に語ったばかりですが」
「建前だろ。見当つけてるのはわかってんだぜ」
 ガラテアはフフッと小さく笑う。
「そうですね……」
 ガラテアは少し考えた。
「一番後の席に座っていた黒い髪の子。名前はなんて言うのですか」
「ん、レオルドか?」
「レオルド……」
 彼女は名前を確かめるように呟く。
「後は私の年を聞いた子に、それに熱心にデスクのパネルを叩いていた子」
「昴にヒンクスか。大体お前の眼鏡に適ったのは、そんなところだな」
 ゼッツもコーヒーを口に運び、一気に飲み干した。
「何にしろ、明日が楽しみだなぁ。お前の泣いてるところを見てやるぜ」
「あの子の趣味の悪い言葉は、あなたからの悪影響ですか?」
 彼は面食らった表情を浮かべ、
「そいつは冤罪だ」
 と抗議の声をあげた。
「それよりも、あなたはそろそろ授業に戻りましょう」
「へいへい……」
 空になったコーヒーカップを手にして、ゼッツは大人しく立ち上がる。それを返却ボックスに放り込むと、背中を向けたまま手を振った。
「明日はよろしく頼むぜ」
「心得ています」
 ガラテアは自分の教室の方へと去っていくゼッツの背に、返事を送っていた。


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