小牧山城(小牧城)
1563年織田信長により築城されるが、古くから戦いのたびに砦が築かれていたとの説もある。 1567年斎藤氏を滅ぼした信長が岐阜城の移ると廃城となった 1584年小牧、長久手の戦い時に徳川家康の本陣となり土塁、郭が再整備される。 この戦いの後構造物は取り壊され再び廃城となる。 その後徳川家の所有地となりとざされていたが昭和にはいり地元小牧に寄贈され公園となっている。(天守は小牧市歴史館となっている) 現在の天守は平松茂翁氏が私財を投じて建設し小牧市に寄贈したものである(京都飛雲閣がモデルになっているとのこと) |
第08流血小隊潜入記録
七月某日小隊による第三次偵察が観光?された、海抜86Mの小山のためあなどっていたがなかなかに大変な山だった。
本丸にたどり着いた担当官が見たものはどこかの博物館かと思えるような天守閣であった。
もともと復興天守は鉄筋コンクリートで味気ない物だがちとこれは、、、と思ったが館内の小牧、長久手の戦い展示はリアルタイム合戦の展開がわかりやすくなっており見ごたえがあった。常に城が在った訳ではなく公園そのものといった感じ、、、、。
麓から望む小牧山城、近効には平野のため他に山は無く美濃攻略には適していたと思われる | 本丸への道、所々に郭、土塁などの跡らしい個所が点在しているがすでに林となっていて詳細は不明 | 郭の跡?広場の端は急斜面になっていた |
小牧山を寄贈した尾張徳川家19代徳川義親と13代将軍の新旧混在した珍しいショット(笑) | 天守より美濃方面を望む、画面中央一番手前の小山が犬山城。小牧長久手のおり豊臣方池田恒興が攻略在城した。 | こちらも画面中央の小山に砦があり豊臣方のわすれちゃった武将が在城していた、、、(爆) |