Act5 そして…

「まあ、お前たちにもいろいろあるんだろうな…またいつか、どこかで会えるか?」
 祐一は徐々に意識がとぎれとぎれになっていくのを感じた。何かの変化が起きてることは間違いなかった。あとはその変化がいい方向に向くことを期待するだけだった。
「そうね、信じてれば、いつかきっとどこかで」
 ルーはほほえんで、祐一にキスをした。と言ってもそれは魂のふれ合いであり、現実のものとは意味が違う。
「わたしは結構貴方のことが気に入っていたわ。じゃあ、またどこかで」
「さらばだ。いずれ会ったとしても、その時は君が死んだときだろうな」
 最後まで変わらないサイファに、祐一は笑った。そして祐一の意識は、かつて感じたような白に包まれる。
「…ごめんね、サイファ」
 ルーが言った。自分のわがままにつきあわせたこと、後始末を押しつけてしまうこと、そして数百年という長きにわたって積み重ねてきたものを無駄にしてしまうこと…どれほど詫びても足りない気がした。
「気にするな。わたしはいつでもお前のそばにいる。いつまでも待ってる」
 サイファの意識がルーを包む。その心地よさを、ルーは絶対に忘れないと誓った。
「わたしたちもあの二人みたいになれる?」
 そう言いつつ薄れていくルーの魂に向かって、サイファは言った。
「ああ。物語はハッピーエンドがいいに決まってる」

 渚がついに言ってしまった…と思った瞬間、突如、祐一の体が異常なけいれんを起こす。祐一の体は激しく波打つようにベッドで暴れる。そのただならぬ様子は、渚の告白で流れが止まったかのようだった病室内の時を再び動かした。
 香奈美がナースコールに走る。紘太朗は慶生を憎々しげに一回蹴りつけてから、祐一を押さえつけようと駆け寄る。陽子は既に病室を飛び出してナースセンターに向かった。そして渚は、荒れ狂う兄の肩に両手を乗せて、お兄ちゃん、お兄ちゃんと必死に呼びかける。
 そして医師が病室に駆け込んだとき、突然糸が切れたかのように祐一の体が動かなくなる。医師はあわてて渚と紘太朗を押しのけて祐一の体にとりつくと、心停止状態なのを確認した。心臓マッサージに続いてカウンターショックが施される。その部屋にいたもの全員が、その様子を声もなくただ呆然と見つめていた。
 そして、医師がその手を止める。疲れ切った表情で渚のほうを振り向くと、ちらりと時計を見た。
「15時34分…ご臨終です」
 機械の奏でる単一のトーンだけが、そこに存在する音だった。渚はよろよろと兄の元へ崩れ落ちた。
「嘘だよねお兄ちゃん…ねえ、嘘よね…!!」
 渚は兄の顔を揺さぶる。だが祐一は何の反応も見せない。
「いやあああああ…!」
 その場に崩れ落ちた渚の悲鳴が、辺りの空気を切り裂いた。その声に、慶生がゆらりと立ち上がり、笑った。
「ははは…死んだ、死んだ。祐一は死んじゃった…!!これで渚ちゃんは僕の…」
 紘太朗はそれを皆まで言わせなかった。自分でもこれほどの力が出るとは信じられないほど強く、慶生の顔面を殴った。指の骨にひびが入ったような気がしたが、目の前の現実により与えられた衝撃のせいか、全く気にならなかった。
 陽子は紘太朗にすがりついて震えた。まさかこんな事になるなんて…と、紘太朗のシャツをつかんで泣いた。
 香奈美は動かなくなった祐一にのそばによると、そっと言った。
「馬鹿…みんなをこんなに悲しませて。祐一、あんたは世界一の馬鹿…!」
 そして祐一の胸に顔を埋めて泣いた。だがその瞬間、香奈美はある違和感を感じた。
「…馬鹿って言うな」
 そこに響いたのは、聞き間違うことなど絶対にあり得ない、香奈美の大好きな幼なじみの声だった。


 祐一が気が付いたのは、ちょうど香奈美が自分に向かって何かを言って、顔を埋めたときだった。馬鹿、と聞こえた気がして、ついそう答えてしまったが、何となく場違いだったような気もした。
 どうやら無事だったようだ、とすぐに直感できた。もうルーやサイファの存在は感じられない。もはや彼らがどうなったかを知るすべはないことを祐一は残念に思ったが、それよりもまず現実の世界を何とかしないと…と割と冷静な自分に驚きつつ辺りを見回した。
「…頼むから幽霊でも見るような目つきはやめてくれ。ほら、足もついてる」
 祐一は起きあがると、ベッドに腰掛けるような体勢になって足をぶらぶらとさせた。そのおどけた様子に、周囲の凍り付いた空気が次第に暖かなものに変わっていく。
「おにい、ちゃん?」
 渚は何が起こったのか理解できていなかった。目の前にいるのが本当に愛する兄なのか、それを確かめようと、座り込んだままゆっくり顔を向ける。
「おいで、渚」
 祐一は手を広げた。言葉は要らない。抱きしめてあげれば、伝わるはずだった。
「…お兄ちゃん!お兄ちゃん、お兄ちゃん…!!」
 渚はその胸に飛び込む。そして兄にしがみつき、泣きながら何度も何度も呼びかける。渚の頭を優しくなでながら、祐一は辺りを見回した。
「…まあ、そういうわけで無事下山」
「馬鹿…!」
 そう言った香奈美の目からは涙がこぼれていた。だがそれは、さっきまでの涙とはちょうど正反対のものだった。紘太朗と陽子は事態をようやく飲み込んで、紘太朗は親指を立てて祐一に向けた。陽子はその傍らで祐一を身ながらちょっとうなずいてみせる。お帰り、と言っているように、祐一には思えた。




 その一連の状態変化に対し医師は何が起こったのかを論理的に説明することは出来ず、最終的には奇跡、という陳腐な言葉で済まされてしまった。俺も実際に自分が経験したことを喋るつもりもなく、その後すぐ全く異常のない健康体であることが確認されて、俺は数日の後無事退院の運びとなった。
 その数日間に、事故の原因となった聡、そしてその父親である学文路氏、自分の両親その他諸々の人間が俺のもとを訪れた。その一つ一つにうんざりしながらも、帰れと言うわけにも行かず対応した。よく我慢できたと我ながら感心する。
 何とかしてお詫びを、という学文路親子にはいちいち交渉するのも面倒なので、聡に一生山へ入らないことを誓ってもらい、そして父親のほうには大学の学費を免除してもらうことで決着した。放っておけば就職の面倒まで見かねない様子だったが一応は納得してくれたようで、これでおそらく、学文路親子と自分の人生が直接交わることは無いだろうと思う。
 慶生については、渚は特に何もしようとしなかった。既に興味を失ったというか、どうでもいい存在なので放置した、というべきだろうか。ただ慶生の父…安慶寺の住職、は息子の行動に激怒して、慶生は即日彼の宗派でもっとも厳しいと言われる山奥の禅寺に送られたという。住職は一生そこで暮らせ、と言ったらしいが、一体慶生はそこで何を思って暮らすのか。渚に暴挙を働いた俺にとっては殺したいほど憎い相手とはいえ、間違いなく友人だった男だ。行く末は少しだけ気にかかる。
 紘太朗と陽子は依然と全く変わった様子は見えない。だが、何となく俺はこの二人が近いうちくっつくのではないか、と思っている。陽子の尻に敷かれる紘太朗の姿が目に浮かんで仕方ない。
 そして同じ幼なじみの関係にある俺と香奈美と、そして渚はというと…。

 俺と渚は、事故の前と変わらず家で二人きりの生活を過ごしている。それまでと違うのは、せいぜい、俺と渚はより親密になった、というところだろうか。べたべたしすぎることはないが、恋人同士のそれとほぼ変わらない。
 とはいえ、俺たちの関係は結婚も出来ないし子供を作ることも許されない。同性愛カップルなどに比べると、世間的にはおそらく一生認められることはないだろう。紘太朗や陽子は理解してくれているが、世の中はそう甘くないことは俺も渚もそれは十分判っている。
 いずれ両親にばれるか、こちらから言う日も来るだろうし、それによっておそらく俺たちの家庭は狂いはじめる。どこか知らない土地で夫婦の振りをしてごまかすか、人里離れた山奥でひっそり暮らすか、外国に出るか…可能性としてはそんなところだろうか。まあ、どれを選んでも生きて行くには支障はないと思う。
 それと、なんとなく俺たちはセックス…いわゆる挿入を伴う行為には至らないという気がしている。子供が出来るとまずい、というのが問題ではない。それが問題なら俺が不妊手術でもすれば良いだけのことだ。そうではなく、俺も渚もおそらくはそこに至ってしまうことを本能的に恐れているのだろう、と思う。いずれどうなるかは判らないが、ともかく当分そういう可能性はないだろう。
 とは言っても性欲はしょうがない。最初こそ知らない振りだったが、いつしかお互いの自慰を手伝うようになり、今では軽いペッティングのような事をするようになっている。俺は渚を指とか舌で愛撫するし、渚は口でしてくれる。妊娠の危険性が絶対無いように気を付けてしまうのが悲しいところだが、これが実に気持ちが良い。奇妙かも知れないが、セックスを前提としない性行為、というのもそれはそれでいいと俺は思いはじめている。
 そして香奈美は、渚にライバル宣言をした。いずれ祐一を奪ってみせるから、というような事を言ったらしい。俺と渚は結婚できないし、俺も香奈美のことを嫌いなわけでもない。やつの出方次第では、一波乱有りそうな気はしないでもない。俺ら3人に、ハッピーエンドは来るのだろうか。来たとして、どういう形で訪れるのだろうか?俺はそれが楽しみだったりする。
「できたよ、お兄ちゃん」
 階下から渚の声が聞こえる。どうやら俺の好物のタイカレーが出来たようだ。
「早く来ないと全部食べちゃうからね」
 なぜだか、香奈美の声まで聞こえる。俺ははいはい、と返事をして席を立った。
 やれやれ、今日もにぎやかになりそうだ。

 完

一応これで終わりです。練りが甘かったかなと思いますが、ご容赦下さい。加筆修正するかもです。

あと何本かAfterネタを書きたいと思います。もし良かったら今後とも宜しく…。