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やかみ  一生直らん 金魚のフン 

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昭和49年のみんなの声を聞いてみよう。
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 このぺージは、大阪の美原町立八上小学校を、昭和49年に卒業した6年4組のメンバーを中心に、上田耕司先生に世話になった?かけた?人たちのために開設しています。  6−4で消息不明というか、何人か連絡先がわからなかった人が、このホームページを何かのはずみで見てくれたり、「上田先生と聞いては黙っていられない」という教え子さんからの連絡もお待ちしています。
 先生は1999年に定年退職され、我々と25年ぶりの同窓会をしたあと突然、死の危機を迎えられましたが、持ち前の気力と体力で奇跡の生還を果たされました。

 2000年の夏には、先生の岐阜の隠れ家(左の写真)に集まって、田舎を満喫させていただきました。

 2001年には、せっかく作ったトマトやとうもろこしをサルに根こそぎ取られたショックからか、年末に糖尿の気で近大病院に拉致され、我々がてっちりとヒレ酒を堪能した忘年会にも出席されず、大変お気の毒な年でした。あぁおいしかった。

   2002年は懐かしい気分がうすれ、倦怠期に入ったらしく、みんなほとんど通信もせず、忘年会も開きませんでした。

 2003年2月、しびれを切らした先生が「金魚の寝言」と題したエッセイの執筆を始められ、子供の頃のことや戦争のことなどを語られました。25話までで止まってますが、ぜひ、我々を担任して卒業させるところくらいまで書き進めて欲しいものです。

 2004年 え〜と、何があったか、思い出せないほど何にもありませんでした。

 2005年9月現在、「小生はまたまた死にかけて40日も入院するはめになったぞい」とのメールが届きました。「何度か心停止してそのつど生き返ったらしい」とのことで、まわりからは化け物だ、ゾンビだと、言われているとかいないとか。ほんと気をつけてくださいね。

 2005年10月、順子姫のコンサートに先生と2人で行ってきました。まぁ、出演者も観客も年齢層の高さといったらすごかったです。

 2006年6月「私は昨年生き返ってその後好調を継続中です。もうこれから百年は死なない筈です。日々若返っているので、間違いありません。」とのメールが届きました。お元気でなによりです。

 2007年2月 先生のメールアドレス変更テストから、急遽、ちょっと集まってみようということに。大阪城梅園の梅を愛でつつ、俳句の一句でもひねり、そのあと酒宴をしようじゃないかということで、ひさしぶりに集まりました。同窓会のときに来られなかったマキちゃんとは高校以来XX年ぶりの再会。長く離れていても昔の仲間は気が置けなくていいなぁ。

 2010年11月20日 あれから9年、前回から



LAST Update [ 2007年2月12日 19時10分 ]

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