教育ポピュリズムという言葉

 「教育ポピュリズム」という言葉を、1月号の『学校運営研究』で初めて知った。
初めて知ったということ事態は、恥ずかしいことなのだろうか。今までに『教育
ポピュリズム」という言葉は一度も聞いたことがなかった。そもそも「ポピュリズム」
という言葉も知らないのであるから、これはもう勉強不足というか、常識知らずの
部類に入るのかもしれない。
 ちなみに、「ポピュリズム」を広辞苑(第5版)で引いてみると、

ポピュリズム【Populism】
①1890年代アメリカの第3政党、人民党(ポピュリスト党)の主義。人民主義。
②(populism) 1930年代以降に中南米で発展した、労働者を基盤とする改良的な
 民族主義的政治運動。アルゼンチンのペロンなどが推進。ポプリスモ。

とある。人民主義? う〜む。ということは「教育ポピュリズム」は「教育人民主義」
ということになるのだが……。これではさっぱり分からない。
 雑誌を少し読んでいくと、何となく分かる言葉が登場してきた。「大衆迎合主義」
という言葉である。これは分かる。
 「迎合」とは「他人の意向を迎えてこれに合うようにすること。他人の機嫌をとるこ
と。」(広辞苑)であるから、教育が大衆、つまり保護者に代表される社会のことだ
ろうと思われるが、大衆の意向に合うようになっていくこと、大衆の機嫌をとるよう
になっていくことである。
 これは何となく分かる。今の教育は、どこか保護者や社会におもねっているよう
な気がするのである。
 例えば、学校のシステムというものは、内部からはなかなか変わっていかないも
のだが、保護者の2,3人から苦情が来ると、容易に変化する。その変化が当然そ
うなっていく方向であるにしても、保護者の苦情が大きなきっかけとなる。ましてや、
その方向が誤った方向であっても、システムが変化してしまうことさえある。外圧に
負ける日本外交そのものである。
 雑誌はこの「教育ポピュリズム」に否定的で、読んでいて小気味よい。そして、そ
のように考えている人々が意外に多いというのも、なんとなく勇気づけられる。
 思うに、教育というものは社会や保護者に迎合してはならない分野を多く抱えてい
るはずである。教師自身がしっかりとした理念を持って、大衆におもねる必要のな
い実践を自信を持って遂行すべきなのだ。そのような理念と力量を備えた教師の数
が増えていくことが、教育を立て直すことにもつながると思う。