渡良瀬にこにこサークル通信
597号
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例会報告②
辞書的な意味は、
教育=教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図
をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動。
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ということである。(いずれも広辞苑第五版)
単純に組み合わせれば
となる。
しかし、この前の文で石川氏は「教育論はだれでもぶてるが」と述べているから、「教育
の事実」は「教育論」と対極にあるものだろうと想像できる。つまり、ここは、
口で理屈を言うのはたやすいが、実際に口で言う理屈ほどの効果を持った
事実を実践で示せるのは「よほど優れた教師しかいない」
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ということが言いたいのだろう。
ここまでは分かった。
石川氏は今述べてきたことにある日はたと気付いたのだ。そして気付いたために、「担任
の意図」つまりは「教育論」を書かなくなった。そして、かわりに、「子どもの事実や自分
の感想」つまりは「教育の事実」を書くようになったということだろう。
石川氏が「教育の事実」を示したということは、
ということになる。
う〜む。そうか、この通信は自慢話であったか………。
石川氏はこの結論に対して、どう反論するだろうか。見物である。
ところで、山中が学級通信等の通信を発行する最大の理由は、前にも述べたことがあるが、
である。15年以上通信を書いてきて、結局、自分のためになることが最も多かった。それ
が、他の人の役にも立っているなら、これはもうありがたいことである。
だから、通信を配ることができるということに感謝したい。たとえ通信を読んでくれなく
ても、読む立場にいてくれるということだけでありがたい。そこから、なるべく読んで楽し
い、読んで役に立つものを書こうという意欲が湧いてくる。
学級通信を読む保護者の立場になって考えれば、自分の子どものことが書かれているのが
一番うれしい。だから、私も教育論をだんだんと書かなくなっていった。なるべく子どもの
姿をありのままに書くようになった。描写をするようになった。
それでも、子どものどんな姿をどんな風に取り上げるかというところに、すでに教師の教
育観が入り込むのである。その程度は仕方がないと思っている。また、時々どうしても一席
ぶちたくなることもある。そんな時は、書かせてもらうだけでありがたいと思って書く。
(2)学級通信「Challenge」No241〜No261
黒須氏はどんな理由で通信を書いているのだろうか。