渡良瀬にこにこサークル通信

597号
 

2002. 3. 8 発行

文責 山中伸之
 
 
例会報告②
 
 辞書的な意味は、

教育=教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図
   をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動。
 

事実=事の真実。真実の事柄。本当にあった事柄。
 
ということである。(いずれも広辞苑第五版)
 単純に組み合わせれば

「教え育てること」の「真実の事柄」
 
となる。
 しかし、この前の文で石川氏は「教育論はだれでもぶてるが」と述べているから、「教育
の事実」は「教育論」と対極にあるものだろうと想像できる。つまり、ここは、

口で理屈を言うのはたやすいが、実際に口で言う理屈ほどの効果を持った
事実を実践で示せるのは「よほど優れた教師しかいない」
 
ということが言いたいのだろう。
 ここまでは分かった。
 石川氏は今述べてきたことにある日はたと気付いたのだ。そして気付いたために、「担任
の意図」つまりは「教育論」を書かなくなった。そして、かわりに、「子どもの事実や自分
の感想」つまりは「教育の事実」を書くようになったということだろう。 
 石川氏が「教育の事実」を示したということは、

石川氏は「よほど優れた教師」である。
 
ということになる。
 う〜む。そうか、この通信は自慢話であったか………。
 石川氏はこの結論に対して、どう反論するだろうか。見物である。
 ところで、山中が学級通信等の通信を発行する最大の理由は、前にも述べたことがあるが、

自分の勉強のため
 
である。15年以上通信を書いてきて、結局、自分のためになることが最も多かった。それ
が、他の人の役にも立っているなら、これはもうありがたいことである。
 だから、通信を配ることができるということに感謝したい。たとえ通信を読んでくれなく
ても、読む立場にいてくれるということだけでありがたい。そこから、なるべく読んで楽し
い、読んで役に立つものを書こうという意欲が湧いてくる。
 学級通信を読む保護者の立場になって考えれば、自分の子どものことが書かれているのが
一番うれしい。だから、私も教育論をだんだんと書かなくなっていった。なるべく子どもの
姿をありのままに書くようになった。描写をするようになった。
 それでも、子どものどんな姿をどんな風に取り上げるかというところに、すでに教師の教
育観が入り込むのである。その程度は仕方がないと思っている。また、時々どうしても一席
ぶちたくなることもある。そんな時は、書かせてもらうだけでありがたいと思って書く。
(2)学級通信「Challenge」No241〜No261
 黒須氏はどんな理由で通信を書いているのだろうか。