いい詩には「自分だけの表現」がなくてはなりません。自分だけが気づいたこと、自分だけが感じたこと、自分だけが発見したことです。 |
でも、ただ、自分だけの表現があればいいというわけではありません。たとえば、「研究授業」の詩で、「みんなこんにゃくになった」なんて言ったら、それは自分だけの表現かもしれませんが、それを読んだ人には何のことかさっぱりわかりませんね。ですから、自分だけの表現があって、さらに、それを読んだ人が「ああ、なるほどそうか」と思わなければなりません。 |
ルナールという人の作った「へび」という詩があります。 へび 長すぎる というものです。 |
「長すぎる」っていうのが、作者の発見、作者だけの感じ方ですね。長いっていうのなら誰でも感じたでしょう。でも「長すぎる」と感じる人はいなかった。そこが作者の発見ですね。しかも、それを読んだ人は、「あ〜、なるほど、長すぎるよな〜」とあらためて気づいて納得します。そういうのがいい詩なんですね。 |
そう考えると、「くもの巣」の詩はくもの巣を、夜空の星のようなひび割れだって言っていますが、これは作者の発見、作者だけの表現ですね。でも、どうですか、ああなるほどくもの巣っていのは夜空の星のようだと思いますか? あまり思わないんじゃないでしょうか。ですから、これはちょっといい詩とは言えませんね。でも感じ方っていうのはその人によりますから、そう思う人にとってみればいい詩です。 |
このように、いい詩には自分だけの発見が必要です。それを読む人は最初、え? と思ったり、おや? と思ったり あれ?と思ったりします。でも、しばらくすると、その感じ方に共感して、へー、なるほど、そうか、うん、と納得します。 自分だけの発見 え? おや? おれ? 何? 共感する。納得する。 へー なるほど そうか うん |