┌────────────────────────┐ │稲葉小学校学校課題研究通信 │2001. 7. 3 発行 │ │第 25号 │ │文責 山中 │ │ └────────────────────────┘ 意欲と知識・技能について考える ② ┌─────────────────────────────────┐ │ 一つの英語表現を使おうとすれば,ある程度の繰返し練習が必要である│ │しかし,単調な繰返し練習や定期的なドリルを強いると,子どもは英語を│ │楽しいとは思えなくなる。日常的なあいさつややりとりの言葉は,活動の│ │中で何回か使っているうちに,次第に覚えていく。その時間内に是非とも│ │覚えさえなければならないと考える必要はない。(P20) │ └─────────────────────────────────┘ 繰返し練習の必要性は認めながらも、単調な繰返しや定期的なドリルは否定 しています。つまり、変化のある繰返しが望まれているわけです。これは優れ た見識だと思います。しかし、後半部分「その時間内に是非とも覚えさせなけ ればならないと考える必要はない。」をそのまま実行すれば、児童が英語を身 に付ける度合いは極端に少なくなるでしょう。 こういう考え方の背景には、次の捉え方があります。 ┌─────────────────────────────────┐ │ 聞く活動においては,子どもにとって日本語と似ている音もあれば,微│ │妙に違う音や大きく異なる音もあり,その連続である英語をたっぷり聞き│ │それに次第に慣れることが大切である。これらの新しい音に慣れるととも│ │に,日本語の音との違いに気付き,それを模倣することによって,英語を│ │話す活動も自然に行うことができるのである。 │ └─────────────────────────────────┘ つまり、多くの英語を聞くという状況の中にいれば、次第に英語に慣れ、自 然と英語が話せるようになる、という捉え方です。 しかし、果たしてそうでしょうか。第一、「英語をたっぷり聞」く機会が日 本の小学校の児童にあるでしょうか。英語が公用語になっているような国の小 学生が英語を習得するのとは訳が違うのです。自然と話すことができるように なるとは到底思えないのですが。 ┌─────────────────────────────────┐ │子どもが間違ったことを言った場合も,いちいち間違いだと指摘して言い│ │直しをさせると,英語を話すことに臆病になってしまう。何を言いたかっ│ │たのか分かる程度の誤りなら,教師が言い直して,正しい英語を聞かせる│ │だけで十分であろう。できるだけ子どもが自分で気付いて次から正しく言│ │えるように指導する。 │ │ また,英語に自信がない子どもに無理やり発話を強いることは避け,や│ │さしく楽しい活動を工夫して,少しずつ参加させ表現させるようにする。│ │発言できなくても,よく聞いて行動できたとか,一つでも良いところを認│ │めて評価することが大切である。(P21) │ └─────────────────────────────────┘ こういう書き方はずるいと思うのです。なぜなら「何を言いたかったのか分 かる程度の誤りなら」と限定した場合のみを述べ、それをあたかも全ての事象 に当てはまるように書いているからです。「『何を言いたかったのか分かる程 度の誤り』ではない誤り」の場合はどうするのでしょうか。その場合は「いち いち間違いだと指摘して言い直しをさせる」方がいいのでしょうか。「発言で きなくても,よく聞いて行動できた」とほめればよいという考え方も、結局何 を目指したらいいのかが相当ぼやけてくることを容認する記述です。 こういうのを読んでいると、「結局、何でもいいんじゃないか」となげやり な気持ちになってくるのですが、どうでしょうか。 もし、先生方で異論のある方はどうぞおっしゃってください。それもまた、 研究を盛り上げていく材料になっていくと思いますので。 ┌────┐ │お知らせ│ └────┘ ①1学期中に児童の意識調査を行いたいと思っています。後日、詳しくご連絡 いたしますので、ご協力ください。 ②18日(水)の放課後、現職教育の時間をとらせていただきます。「1学期 の活動を振り返って」「アンケート結果」「2学期の計画について」などに ついて行う予定です。お忙しいところ恐縮ですがご辛抱ください。