ここに来てくれている皆さんの大抵は教師を夢見る人がほとんどだと思うけど教師を夢見るキッカケは一人一人違うはず。そんなキッカケを是非聞きたい!
皆さんのキッカケは掲示板やメールで聞かせて下さい。ここでは私の教師を目指した理由や道のりを書きますね!!
今振り返ると、きっと私が教師を目指した原点は間違いなく小学校三年の時代にあった。それは担任だったM先生との出会いだ。
当時の私は勉強は×、スポーツも×という俗に言う劣等生だった。学級の中には私のような児童もいたし、逆に模範児童もいた。でも、担任のM先生はどんな児童に対しても分け隔てなく接してくれた。テストが返ってきた時や運動で失敗した時の劣等生の自覚。劣等生を自覚する私にはそれが子供心にどんなに嬉しかった事か。M先生は一生懸命に私を教えてくれた。休み時間や放課後に残り勉強を教え、放課後の運動場や体育館ではスポーツを教えてくれた。そして少しずつ上がる学力や運動能力。能力上昇の喜びを感じた私は野球部入部を志願し、以後、飛躍的に運動能力は上昇した。
そこには、教師から児童に送る愛情が確実にあった。人に迷惑をかけると震え上がる程に怒ったM先生。何度怒られても怖い先生という印象は生まれる事はなく、頼りがいのある憧れにも似た感情がそこにはあった。M先生のような男性になりたいと。厳しさと優しさという相反する愛情の中で、二年の時間を経てM先生は他校へ転勤された。学校を去る日、一人引越の手伝いをしに休日の学校へ行き、一日中引越の手伝いをした。手伝いが終わり、M先生は定規とペン立てと一冊の国語辞典を手渡してくれた。その辞典の最後のページには、M書房と押印があった。それが私にはむしょうに嬉しかった事を今でも覚えている。そしてM先生は私の理想の教師像に今でもなっている。M先生に頂いたものは、あまりにも多く、あまりにも重い。私が教師になったら、数年後に同じような想いをしてくれる児童がいれば、それはM先生への一種の恩返しだろうと考えている。M先生に出会えたからこそ今の自分がいると思う。
私の教職という夢の最初の岐路は高校の進路相談だ。その頃のM先生への思いは変わる事なかったが、ただM先生のような男性にという事が、これから始まる苦難の道への始まりでもあった。
大学受験を前に、人並みよりは美術の才能があった私はテニス部を退部して美術部に入部していた。学力は一応公立高校へ進学できる程度の学力しかなく教育大学進学は到底無理があった。進路相談の際、美術の教員免状を得られる大学を志望していたが、近所に芸術大学が設立され、その大学へ進学した。
誤算だったのは、在籍中に教員免状が取得制度ができると踏んで進学した事。結局制度はできなかった。しかし、それを恨んではいない。今では十年来になる親友を三人も得られ、卒業後にも一緒に呑める恩師に出会えたのだから。
大学時代に私は家庭教師のアルバイトをしていた。中学三年・中学二年・小学生と三件を掛け持ちでしていたが、受験を控えた中学三年生は大変だった。成績を見る限り、進学は厳しい状況だったからだ。しかし、少しずつ学力も上昇し無事合格!この間、出来るようになる喜び、笑顔が私の中に眠っていた教師への道を完全に開眼させた!教職の情報を調べ、二度目になる教師への岐路である就職活動の時期へと突入した。
この時、進路は二つ。一般企業へ就職して通信教育で免状を取得するか、他教育大学へ編入して免状を取得するか。長い時間悩み、先生に相談した事幾数回、家庭状況もあって、就職する事にし、東京の本社勤務になった。就職してからは覚える事が多く、勉強もできない状況であった。しかし一年が過ぎ、仕事も落ち着いてきた四月、京都の佛教大学へ編入し、通信教育が始まった。
通信教育は本当に大変だった。昼休みに会議室に篭ってテキストを開いたり疲れて帰ってからも勉強。休日も勉強に当て、科目試験を受けた。教えてくれる人はおらず、テキストのみの独学。盆休みと有給を足して、上司に嫌な顔されながらも京都で体育や図工の実習を受講する生活。当初一年で卒業の予定が三年かかってしまった。そして最大の難関・一ヶ月に渡る教育実習の時期になった。社会人にとって一ヶ月の休職は命取り!退職を余儀なくされ退職。ついに教育実習が始まった。一人暮らしの無職の者にとって一ヶ月の実習はさすがに辛かった。実習が終わってからアルバイトと思っていたが、朝は早く、帰ってからも教材研究などがあって、アルバイトできる状態ではなく、生活費を切り詰めながら日々を過ごした。給食は本当に有り難かった・・・。こうして三年に渡る通信教育時代を経て、念願の教員免状を取得!感慨深かったのは言うまでもない。そして今年、遂に教師という夢への挑戦が始まった。
通信教育は本当に過酷だった。でも実習は楽しかった。私より若い人から年齢制限を越えている年配の方まで様々な方がいた。年配の方は自分の夢の証明に通信教育をやっていると言う。これは通信教育者しか理解できないだろうが普段一人で孤独に勉強に打ち込む反面、実習で同じ環境の人が日本全国から集まると「同じ環境の人がこんなにいたんだ」と嬉しくなった。将来は狭き門に挑むライバルかもしれない人たちに愛着と友情が強く生まれるのだ。初めて顔を合わせ、二週間のみの共同生活者。こんな風に勉強しているとか聞いてもいないのに皆話し出す。通信教育ならではの光景である。今でもたまに手紙が届く。皆頑張っているようだ。ものすごく嬉しい瞬間である。
神戸の実家に戻り、就職していた私ではあるが、教育実習で教育大学出身者との知識・学力との差に、私は三ヶ月の休職という手段で、その差を埋めようと考えた。名目上は体調不良と言う事で休職。出身校の図書館で勉強しつつ、ピアノや水泳なども習いながら日々過ごしている。三ヶ月でどこまでやれるか分からないが今年できる事を一生懸命やるつもりだ。
そして今年七月、遠回りした夢への挑戦が始まる。私は兵庫県の採用試験を受験します。紆余曲折しながらも、よくここまで辿りついたと自分で思う。たとえ今年、不合格でもきっとまた来年受験すると思う、自分の為に。