HP管理人日記(03年11月)


#674 11月27日(木)

「なんとなく」
決勝まで来てしまった。1回も練習してないのにいいのだろか、という状況。勝因は何と言っても両エースの安定度である。ソフトも投手に8割くらい依存している。今日の自分は2つの局面で大人げなく周りからみていたらずいぶん見苦しかったであろう。しかし、同じ局面がもう一度きても同じ反応をしていたことは間違いないし、悔いはない。それより10年に一度体験できるかどうかの決勝に出られるかどかが微妙なのが今から危惧される。

#673 11月26日(水)

「よしよし」
部屋に活気を感じる。いいことだ。

#672 11月25日(火)

「晩餐」
アギトよ、今日の晩飯の様子は秘密だ。それにしていもオデンに熱燗って最強だな。

#671 11月23日(日)

「オレのん」

新しい仕掛けは好調だった。ヒットこそしないものの、新しい撒餌カゴはうまい具合に撒餌の出し入れができ、新しいハリス:フロロカーボンは糸ヨレがほとんどなく自己オマツリを完全に防御、そして新しいウキが踏んでも割れない材質で(そんなことはどうでもいいが)敏感に負荷重量を反映していた。そしてーーー今日はじめての根がかり。頻度としてはかなり低い方だったのでストレスにもならない。ちょっと力を入れるとハリスがキレてしまった。これもOK。その結果、撒餌カゴ、ウキ、オモリなどを失う。ここまではよくある話だ。

次にめったにないことを体験した。

ふわふわと漂うウキは潮流の関係で波止に沿うようにして東へ100m以上移動。まあ、しゃーない:と何も考えないでいた。しばらくするとそのウキが徐々に自分の方へ戻ってくるのがわかった。これもコロコロ変わる潮流のなせる技だ。そこでセコイひらめきが。。。相変わらずの小物狙いのためタモは持参していないが、長いひも付きバケツを(海水を汲み上げる、釣り人なら誰でも持っているビニールバケツ)投入してウキを回収する考えが頭を支配した。人目を気にせず、バケツを2,3回投入してみた。2匹の子馬たちは当然、熱い視線を投じている。が、そうそううまくいくはずもなくバケツは空振りをくらうだけ。あーあ:ということで、西側へ流れていくウキにサヨナラを告げた。

話は続く。

またまたしばらく時間が経ち、ふと西側を見やると、タモが投じられるのがふと目に入った。大物か!と思い、タモの先を注視するとそれなんとちょっと前まで自分のロッドについていた、あのウキではないか。ウキをタモで回収するのか。。。半ばあきれながら(自分もバケツのくせに)、半ば自分もタモを持参していればタモで回収できたのに。。。と悔いながら、その様子をじっと見守った。ウキ君は何事もなかったかのように久しぶりに陸に上がった。

次に。

釣果も上がらないので、アギトと共にウキがすくい上がった方向へ進んだ。一応、いけすのマダイやヒラメを見に行くという名目だ。そのウキ君はすくいあげた人のタックルボックスへ封じ込められたわけでなく「このウキだーれの?」といった風情でその人の周辺へ不造作に放置してあった。「すいません。このウキぼくのんですけど。。。」といえば、「ああそう、持っていって」と言ってくれそうな雰囲気であった。

しかし。

そうはいえない癖なのが自分というものである。名乗り出るということは:一般的にセコイ、その人がウキをすくいあげる様をじっと見ていた→さらにセコイ、ということでウキ君の回収は断念した。高価なものでもないし、お金とヘンテコなプライドを天秤にかけた結末である。

まあ、平和ということで。

#670 11月18日(火)

「オヨヨ」
標的を捜していたら、なんと以前から尊敬していたあの方だった。事情を聞き、かえって同情した。夕刻、久しぶりにどーっと冷や汗がでて「オレか??」と緊張していた。が結果は違ってアンド。本当にドキドキした。本当に機械をいじるのは苦手だ。帰宅時、「ええっ!?、なんで○○○パンきてないんやー!」とショックに打ちひしがれていると今日は火曜日だった。疲労の一日。

#669 11月17日(月)

「密」
一日の間にいろんなことが起こり、対応しきれない。そんな中、松井(稼)選手のメジャー宣言を知る。イチローを凌ぐ、運動神経の塊のようなエリート選手がどこまでやるのか本当に楽しみだ。井口選手も来年までじっと待っていて欲しい(オレがいうな)。

#668 11月16日(日)

「生」
5mくらいの竿はほとんど球形になるまで反り返っている。テレビでやってるような魚とのやりとり。いくら経ってもそいつは浮いてこない。廻りの衆が固唾を飲んで見守る。しばらくして誰かが、「あっ、おもりが見えた!」と叫んだ。ようやく上がってきたのは1m弱のスズキ。「こんなでっかいのは珍しい」公園のベテランも舌を巻いている。なんとも驚いたのは口キレまであと数ミリという事実。あと数秒かかったらなんとも悲惨な結末だった。。。【これが自分だったらなあ。。。】とその場を離れた。

#667 11月15日(土)

「なくなく」
エエモン見過ごした。【よかった!】という話を見聞きするたびにため息。はー

#666 11月14日(金)

「とてつもなく」
やることがたまってきたような気がする。【気がする】ということは全体像を把握できていない、ということである。性格上、どんどん先のことをこなくしていくのが本来だけど、いまは完全に追い込まれている。追い込まれると力以下の結果しかでなくなる自。

#665 11月13日(木)

「残念ローズ」
先日、ローズ選手が近鉄を退団するという記事を読んだ。実に残念である。敵ながらほれぼれするシャープな打撃・飛距離はまさに歴代の近鉄外人、マニエル、ブライアント選手を継承するものだった。そしていま、巨人へ行くということになりそうな気配である。優勝のため(ケガの具合もあるんだろうけど)、メジャーを諦め近鉄に残留した中村選手の胸中をおもんばかる。

#664 11月11日(火)

「ものとり」

なんかおもろいものがとれたようだ。が、今の自分の力量で最後まで行き着けるかどうか不安な面もある。マテーに感謝。いい人だ。

【○○○パン来てる】というメールが2件も(ありがとうございます)。思わずあのイイ匂いが思い起こされる。50mくらいの距離から感知できた。そしてヨダレー。8時過ぎにもかからわず3人が列をなしていた。先週も来ていたようだがあいにく自己不在。思わず8個も注文した(キリのいい10個にしようとも思ったが毎週、来そうな感じだったので自重)。とても驚いたのは売人が変わっていたことだ。「このパン、めっちゃおいしいですね。いつからやってはるんですか?」「よくしらないんですけど、以前は店でやってたのが、今では何台かの車で分担してあちこち回ってるんですわ。」ということで、売人が開発した逸品でないことが判明。大元締めのもの凄いグルメシェフがどこかにいるということだろう。これからは、マニュアル通りに焼いているだけの売人を尊敬するのはやめよう。事実、今日は底の焼き具合が不十分であったが(忙しすぎて焼き具合を充分に監視できなかったのだろう 〜1,060円渡したときの返事【もう、この時間になるとお釣りがわからなくなるんですわ】がそれを物語っている〜)、とびきりうまいことに変わりはない。

#663 11月10日(月)

「バレーボール」
アナウンサー悲惨:【わたしはバレーについてなにも知りませんが、とりあえず中継を担当できて嬉しいです。私の自慢はとりあえず節操もなく叫ぶことと選手に関するしょうもないネタを何回も繰り返すことです。やったー、勝ったあ〜〜〜〜〜〜!】。

#662 11月8日(土)

「問答」
タクシーのおじさんは意外と親切だった(みためこわかった)。ものすごくたどたどしい会話であった。修練を誓う。移動はスムーズに。もうどこでも行けそうな勢いである。

#661 11月7日(金)

「再訪」
前回は店が全部閉まっていたが、今日はじっくりと楽しむことができた。しかし、サムルのDVDを見つけることはできなかった。これが唯一の残念。夜はウィギュンさんと4年ぶりの再会!ヒョンと3人で大いに飲み食いした。【肉】はヒョンも納得の上物で、ビールのあと野イチゴの焼酎を2本(といっても360mLくらいである)あけた。雨にたたられたが、忘れられない一日となった。

#660 11月6日(木)

「でき#2」
今日は満足。やはり練習量が違った。

#659 11月5日(水)

「でき#1」
今日は悪かった。アル程度予定通りだったけど、やはりデキの悪いときは恥ずかしい。そうしてあの人もデキが悪いらしい、相変わらず。正常君の発見は収穫。

#658 11月3日(月・祝)

「ストアウト!」

今年も盛況、いつも盛況ストアウトである(去年は病欠のため目撃していないが)。これまたいつものようにアギトに「はよいこ」とせかされ現場へ。ストボードを搬入したあとロバさんが車を撤収している間に時間があったので自分で組み立てようとする。が、大工センスのないわたしにはちょっとひらめきが足らないようだった。そんな中、2年生の【キタ】ツインズが興味津々で近づいてきた。「これはこうむきやろー」「そんなんちゃうやろー」「あっ、われてんで!」などなどたちまち活気に満ちあふれる。感じのいいツインズである。組立結果はやっぱり最後のツメが甘かった。が、これで次回は自己組立可能である。

今年は場所変更もあって投球距離がかなり近かったのでハイスコア続出かと思われたが、年齢層が低かったせいか(自分の見た限り、ああそれといつもは12球だが今回は10球)最高は5枚であった。アギトは黙々と投げ。、黙々と並び続けた。おそらく投球回数ではチャンピオンだろう。記録は4枚に留まったが、「記憶に残る投球」をしたのではないかと思う。特に、同じ年頃の孫をつれたばあちゃん2人が彼のストレートの迫力・コントロールをみて【おくちあんぐり】していたのはおやばか圧巻だった。フレームによくあたり、またテニボであれば抜けていたのが記録停滞の原因だった(彼は2年前にパーフをやって、チッチさん提供の新庄リストバンドをゲットした・もうええバカ)。ホーム援軍の方も子ども好きな感じで楽しくやれた。