TRANSLATION

官僚の役割は「人々に奉仕する公僕として生きる」
ことに尽きる。このことを官僚や公務員は「理解」す
るのは困難ではない。困難なのはこれを実践すること
である。例えば財務省の官僚である佐川氏は文書を改
ざんしたり、柳瀬氏は会ったのに会ったことはないと
嘘を言ったりしている。(2018)
最近の「権力の乱用と権力への忖度」甚だしい。
彼らの権力への忖度、保身のための臆病、虚栄心と傲
慢、己の欲望と権力への渇望、市民の自由の侵害。こ
れらの卑劣さが官僚と公務員の実体といえる。
彼らは知性・知的レベル・知能指数・記憶力等は優秀
だが、人間が人間たるべき根源的な人間性・品性・人
格において対極に位置している。人間の価値は言葉や
知識ではなく実践(何をしたか)である。

権力は常に腐敗する。
昨今の政権党を映画「結党!老人党」では揶揄している。


神は死んだ この国の民主主義について

民主政でも衆愚政でもリーダーは存在する。
民主政のリーダーは国民に自身を持たせることができ
る人。衆愚政のリーダーは国民が心の奥底に持ってい
る漠とした「将来」への不安を煽る扇動するのが実に
巧みな人。前者はプラスの面に光を当てながら国民を
リードしていくタイプ。後者はマイナス面をあばきだ
すことで不安を煽るタイプ。たとえば隣国がミサイル
を持ったので、こちらも戦争の準備をしようという。

ポピュリズム
「神は死んだ、人間がそれを殺したのだ」現代人の精
神のことです。(ツアラトゥストラはかく語りき)
民主主義では知性は全ての人間は同じとしたから、多
数者の意見が少数者の意見より英知があるとした。
何の根拠もないが。

個人は大衆ではない。個人が仲間や階級や組織に属し
たとき「大衆」に転落する。ヤスパースは大衆を「愚
にして劣」と呼んだ。大衆は一切を蹂躙し、いかなる
自立した思考行動を認めず、偉大な人間を育てること
なく、人々を蟻に仕立てる。大衆が求めるものは十二
分な食べ物と性欲と独りよがりであり、大衆が近づか
ないものは暮らしに無縁なものという。大衆の中で効
果をあげるには扇動機マスメデイアが必要となる。

----このような大衆に主権「崇高にして絶対の権力」
があるというのが民主主義です。民主主義によって選
出された代理者は選良とみなされる。実はこれは民衆
を扇動するウソ話にすぎない。大衆は自分に崇高な徳
性と気高い知性があるなんて誰も思っていない。
選挙では人気があるとか外見がよいと
か見返りが期待されるとして選ぶ。大衆は各自のエゴ
イズムを追求してカメレオンのように政治言動を変え
る。

ホセ・オルテガは言う「大衆は大衆でない者との共存
を望まず、大衆でない者を徹底的に憎む」「民主主義
の欠陥は大衆がマスコミの扇動により極めて有能な人
を引きずりおろし、極めて愚かな人に熱狂することで
ある」と。

大衆社会は極めて有能な人材をことごとく抹殺する宿
命をもってすでに久しい。政治家がちょっとした失策
なり醜態を演じることを期待していて、それが実現し
たら揶揄、嘲笑、悪罵、攻撃の一切合切を浴びせてや
ろうと待ち構えている。

その意味で民主主義はドタバタ劇でありプラトンのい
衆愚政治であり、知識人退治である。プラトンはこ
う考えた。個人の自由に基づく民主政治とは、結局、
人々の利益を実現するという大衆指導者が政治の舞台
に立ち、それは大衆迎合主義を経て衆愚政治になると。
その行き着く先は「独裁者の誕生」だと。民意を絶対
視するとそういう結果になると。

舞台は第一権力をもつマスコミとその誘導をもとにし
た世論調査によって上演される。そしてマスコミは劇
中で、大衆がすべての有能な人材を抹殺した後、この
混乱している世を救ってくれる理念を持ちリーダーシ
ップをとれる有能な人材はいないのかと、したり顔で
嘆いてみせる。大衆による世界破壊の野蛮行為は、歴
史の成果をすべて踏み潰して自己破滅して疲れてへた
り込むまでやむことはない。歴史において、民主主義
はことごとく衆愚政治となっている。


この国の民主主義

日本では政治の実権を握っているのは官僚であり、彼
らに逆らえば検察とマスコミが動いて政治生命を絶た
れる。官僚と検察が頂点に立ち、マスコミが大衆を操
縦する。官僚にとっては政治家は無力かつ無能である
ことが望ましい。

それよりもテレビや新聞を利用し、国民への洗脳で政
治不信で無関心である事が最も望ましい。国の指導者
は、劇場的に「党をぶっ壊す」等の「断言」を反復し
、自己の確信を大衆に感染させている限り、官僚に対
して「威厳」を持つ。

権力にとって都合が良いのは、難しいことは考えず、
疑問に思わず、お上が発する情報を鵜呑みにする国民
性です。そしてみんなと同じ行動をしない者を排除し
たり監視し、民衆同士でイジメを行わせる。権力は愚
民白痴政策を進めてきた。

日本の欲望民主主義は元祖である西欧の民主主義とは
異なる。デモクラシーとはデモス民衆のクラティア権
力を意味する。しかしソクラテスプラトンもデモク
ラシーを懐疑した。なぜなら人間の大多数は、つまり
多数派というのは常に欲望のままに行動する利己的な
いい加減さ、情報扇動による画一化されやすく、偽善
、技術主義、抑圧、差別、酷薄、人気主義という自尊
のない衆愚だから最終的に、官僚などによる専制権力
を生み出すことになる。

たとえば歴代のアメリカ大統領は民主主義ゆえに自由
に戦争をすることができる。また民主主義なる大衆社
会の産み落とした最大の怪物とでもいうべきナチス・
ヒトラーはユダヤ人種抹殺の恐怖まで作り出した。

劇は「一番目は悲劇として二番目は喜劇として」であ
り「文明の再野蛮化」であり「たたきあいであり、つ
つきあい」となる。この欲望民主主義の先兵が民主教
育です。青少年のふしだらな行動をみて、大人たちが
「どうにもならん世の中だ」と嘆いたとしても、「ど
うにもならないのは俺たち若者の今後の人生だ」とい
うわけです。
ですから真の民主教育のためにはこの欲望民主主義を
疑ってかからなければなりません。もともと個人主義
というのは「物質的利己主義」をさす。繁栄のただな
かにいてさえ自分たちの滅亡を気にしていたのは、こ
の欲望民主主義のゆえです。

ヤスパースが最後に期待したのは「人間の高貴さ」で
あるが、そのようなものはどこを探してもない。

トックヴィルは官僚(行政)、検察(司法)、政治家(立
法)の三つの権力よりもマスコミの力が強く、第一権
力とはっきり認めた。民主主義を「法学者精神、健全
な宗教心、質朴な家庭」に期待したが、つまり多数派
に道徳的精神を期待したが、これはないものねだりで
す。

オルテガ・イ・ガセトは大衆が支配する時代にあって
は精神の貴族性を説いた。ここでいう知識人とか思想
家とは物事に対して根源的で包括的な解釈が出来る哲
人。
ドストエフスキー「神は死んだ」とはゾロアスタ教の
教祖ツアラトゥストラが10年の瞑想のあと聖人と出会
う。かれは町の広場で神に代わる超人政治について語
るが誰も相手にしなかった。そのときの言葉

プラトンは民主主義には懐疑的であった。彼の主張は
「哲人政治」で、哲学者がアドバイザーになるか又は
執行するというものだった。そのわけは、政治とは人
々が力を合わせて善い国を作るものであるとした。
大衆は立派な知識を持った哲学者ではない。「人々が
ほしがっているものは何か」ではなく「善い国はどう
あるべきか」を政治の基準にすべきとした。
哲人政治は大衆からはもっとも嫌われるもので、民主
政治とは相容れない。

「民意を反映することこそが政治だ」とする民主主義
と、「善い国を作ることこそが真の政治だ」とするプ
ラトンの政治とどちらがすぐれているだろうか。

サンデル教授の政治哲学
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第二部日本の政治構造
松本清張氏が膨大な資料をもって作成された現代官僚論より。

 権力の総本山官僚

権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する
ジョン・アクトンの格言です

官僚は民間の会社員と異なり、正義感や思いやり・情
け深さなどは皆無であり、ただ法律や規則どおり杓子
定規にロボットとなる。保身や既得権益のためにウソ
をつく。官僚は色々な思惑で不正な工作をし、虚偽の
報告をし真実を隠蔽する。自らの利益のために国民に
は真実を知らさない。官僚は明治以来、国民を超越し
ている。恐怖や怒り、他者の軽蔑、罪悪感や自己嫌悪
といった感情を持ちやすい環境の結果として権力行使
者である官僚は傲慢となり「腐敗」する。

権力を振るうことは快感です。偽証や隠蔽工作をし「
犯罪」を重ねる。政府は官僚そのものであるから、虚
偽不正など悪事を重ねる官僚と同様に、政府もまた犯
罪者集団であり、権力者は常にスキャンダルまみれで
ある。政府は国家であり、国家そのものが日常的に犯
罪を犯している。独裁国家はその犯罪者の極致である。

「自由」「平等」「民主主義」という動機は「宣伝」
であって、本当の動機は「恐怖」「憎しみ」「怒り」
「我欲」ということです。たとえば世界平和の為や自
国防衛の為に、核を所有すべきであるというのは、目
的が世界平和や防衛ではなく、敵に対する恐怖と同時
に利権をもさがす。
政府や官僚など国家権力は必ず腐敗し、国民を愚弄し
欺き、大小の犯罪を日夜遂行している。それは歴史が
証明している。そして改善の方法は今もない。

「あらゆる行動の基準は正しさではなく、慈悲を中心
とする優しさ(無我)を基準にすべきだと思う。」仏陀
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2014年の「内閣人事局」設置によって首相
官邸が霞ヶ関の人事を掌握し、官僚は政治家の
顔色をうかがうようになった。

官僚は今、官邸の言うことを聞こうと忖度以上
のことをしようと擦り寄っている。

☆安倍政権が財務省の首根っこを押さえたのは201
4年5月、内閣人事局の発足による。これは小沢一郎
が考え出したことだが、弱体政権のため官僚の抵抗で
実現できなかった。各省の審議官から上の人事は内閣
人事局が行うことが決定した。各省大臣に委ねられて
いた人事権を首相官邸が握った。その結果、今までの、
役所の上司の顔色をうかがうから、官邸の顔色をうか
がうようにとなった。官僚が自律性を持って判断する
官僚主導は終焉を迎え、内閣トップの意に「そんたく
」忖度せざるをえなくなった。官僚は官邸のトップが
示したモデルを具現化することにエネルギーを集中す
ることが求められるようになった。

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ところで松本清張氏によれば、

諸悪の根源は霞ヶ関官僚である
という。

日本の国民は、日本は民主主義国家だから国民が政治
を主導していると思っている。だが実は、明治維新以
来140年間、実質的に官僚が国民を支配してきた。

官僚は膨大な情報を独占し強大な権限を持って、国民
の上に君臨してきた。国家官僚は国一番の利権組織に
他ならない。何回もの天下り、増殖する組織、やたら
に多い官僚と、それを吸収する地方事務所。知事の過
半が官僚出身、県の主要部長が国からの出向者です。

彼らの退職金を負担させる一方的な地方分担金。利権
組織の先兵である検察官僚や税務官僚は官僚天国を守
るため、官僚主権体制に挑戦するものに対しては、マ
スコミと検察と警察を使って死にもの狂いで闘う。

「明治以来続いてきた官僚内閣制を終わらせ、国民の
ため根本的に官僚機構の改革をし、政治家による統治
機構に変えたい」「行政の仕組みを中央集権の官僚支
配から地方分権に変える改革を実行する」などという
政治家が現われたならば、検察と権力御用機関のマス
ゴミがおそいかかって政治生命を絶ってきた。

司法権の濫用は江戸時代はもちろん、明治維新以降に
顕著です。お上意識として警察・公安・検察は大衆に
恐怖心を抱かせ、現在も、官僚と検察が統治機構の頂
点に立ち、官僚の意を受けたマスコミが大衆を操縦し
ている。日本の検察官は正義への鋭い感性で動機づけ
られているのではない。単なる公の秩序維持・体制組
織の維持・自分たちの縄張りの既得権益省益の維持・
保身に心を寄せているだけである。

検察官は異常に強大な権限を持っている。逮捕・尋問
・起訴か不起訴について、自分ひとりで決める権限を
持っている。検察官が起訴した裁判は99%有罪にな
っている。裁判は実質的に検察官の頭の中で行われて
いる。裁判になって検察官が決めたシステムに従わな
い判事は昇進しない文化がある。

検察官も官僚制度の下僕であるから、強力な政治家が
現れ官僚帝国が脅威を感じたら、検察全体がすぐ動き
出す。マスコミは官僚から垂れ流し情報をもらってい
る「お役所の出入り業者」であり、官僚の手下、手先
になりさがり、「マスゴミ」と化している。ネットも
作為的に世論操作され、洗脳された若者は「ネット右
翼」と呼ばれている。そもそもLINEやフェイスブック
やスカイプなどのネットは常に当局によって監視され
ている。

明治政府によって、日本の官僚は公僕ではなくて天皇
の下僕として国民を支配し、自らが情報と人事権と既
得権益を握って永久に繁栄し生き残る目的でつくられ
た。不都合な情報はパニックを生むとして、国民に対
し隠匿したり操作したりしてきた。戦争中はもちろん
戦前戦後とも世論を誘導するため一貫して官僚はウソ
をつき隠蔽し続けてきた。

日本の官僚組織は明治維新を作った大久保利通のアイ
ディアといわれる(岩倉説あり)。大久保利通はビスマ
ルクに心酔していた。ビスマルクは大の議会嫌いで、
鉄(大砲)と血(兵隊)によって政治を行うことの重
要さを彼に説いた。
薩長藩閥政府が、「四民平等」といいながら、「有司
専制」と称して議会政治を無視し、官僚政治を推し進
めた。その理由は帝国主義と富国強兵のためだった。
明治維新で、薩長の下級武士たちが東京へ出て高級官
僚となり、国民を支配する官尊民卑の縦型の藩閥政府
をつくり、現在まで140年間実質的に官僚政治によ
って日本国民を支配している。
西南戦争で西郷軍が滅ぼされて以降、軍官僚の上層部
は長州閥山口県で占められた。山県有朋はヨーロッパ
視察でフランスの「民権」に恐れを感じた。軍部長州
閥の勢力は、伊藤、山県の元老政治により権力を増大
し、「軍部大臣現役武官制」によって気に入らない内
閣を次々と葬り、戦争から戦争へと突き進んだ。銃口
によって生まれた政府は銃口を頼りに行き着くところ
まで突き進む。更に軍部と結びついた「新官僚」であ
る東条内閣の商工大臣・岸信介(商工省官僚)と実弟・
佐藤栄作(運輸省官僚)を通じて戦後の日本政治にまで
大きな影響を及ぼした。

1890年国会が創設され、下野していた板垣や大隈は、
それぞれ自由党と改進党を率いて国会議員となり、薩
長藩閥官僚と闘うことになる。対する薩長側つまり山
縣有朋を中心とする藩閥官僚と検察官僚は、国会開設
に伴う民選議員の攻撃に備えて工夫を凝らし「政」と
「官」の攻防は始まるのである。

現在まで続く官僚の堕落ぶりは、はっきりいって明治
維新が原因です。維新で政治・軍事などの全てを刷新
したから、人員不足で、薩長の出身なら無能で強欲な
人でも官僚になれた。大名や武士は、幼少よりそれな
りの学問を学び、潔癖であろうとし、質素倹約は当た
り前だった。
ところが、明治維新で下級武士や足軽や農民といった
者がいきなり国家の頂点の高級官僚に位置した。大名
並みの権力を手にしたため、狂った。尊大、専横、増
長と、国民に対する謙譲や慎みなどどこを探してもひ
とかけらもない。官僚だけでなく国家地方公務員の隅
々まで浸透している。やはり、人の上に立つには、幼
少よりそれなりの精神教育を受け、潔癖で博識で人格
の高い人でなければならない。

戦後は個人エゴイズム、効率主義による金銭第一主義
のアメリカ追従に変化したものの、官僚が国民を支配
する官尊民卑の縦型の組織モデルに変化はなかった。
アメリカにとっても、そのほうが日本統治がやりやす
かった。

☆改革策の例

○*中途採用、中途退職の常態化。年功序列を打破し
抜擢人事や外部人材の採用。 
○*人事の評価を国家国民に尽くした度合、業績と評
価を内閣人事局が収集し決める。 
○*高級幹部
職の昇進降格の政治任用ローテーション制度。 
○*天下り禁止。給与体系を見直す・民間に準ずる 
○*地域主権。
○特別会計の廃止。
○情報公開

◇改革政策 この改革を実行する首相は、小泉首相が
成功した経済財政諮問会議(国家戦略本部)を創設し自
らトップとなり、首相になる前からスタッフに登用し
ていた改革派官僚と官僚OBのチームで固め、首相の
信頼する有能な大物をサブトップに据える必要がある。
さもなければ官僚の反撃により潰される。

1.官僚利権共同体の壊滅。高級官僚人事権を政府内に。
2.特別会計の廃止。
3.特殊法人と独立行政法人の廃止。
4.新聞とテレビの持ちあいクロスオーナシップを禁止。
5.司法改革、地検特捜部の廃止
6.対米従属から日米対等。
7. 地方分権 
8. オンブズマン制度(情報公開・行政監査請求)
9. ベーシックインカム制度。最低限所得を保障する。
10. リカレント再教育制度。就業しながら別分野の学
習が可。
付. 介護手当と親同居手当の創設。
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官僚制度

☆ナチの戦犯として有名なアドルフ・アイヒマンとい
う男がいた。彼は非常に優れた実務家であった。ナチ
の最高幹部たちからユダヤ人の最終処理、要するに大
量殺戮という課題を与えられ、どのように遂行すれば
よいかを具体的に検討する。そしてプランを立てた。

彼の意識には、その行為が正しいか正しくないかとい
う疑問が浮かばない。頭にあるのは、短期間にどれだ
けローコストで1100万人のユダヤ人を処理できる
かということだけだった。輸送計画と作業要員と処理
方法、つまり焼くか埋めるか溶かすかガスか。彼は机
に向かって日夜せつせと計算する。実行に移された彼
の計画は計算どうりの効果を発揮する。戦争が終わる
までに600万人のユダヤ人が煙となった。

エルサレムの法廷の防弾ガラス張りの被告席で、彼は
自分がなぜこんな大掛かり裁判にかけられ、世界の注
目を浴びているのか、アイヒマンにはまったくわけが
わからなかった。彼は言った。「自分は一人の技術官
僚として、上から与えられた課題に対して最適な解答
を提出しただけなのだ。世界中のすべての官僚がやっ
ていることとまったく同じことじゃないか。どうして
自分だけが責められなくちゃならないのか」

官僚制度は本来、独自の意思を持たない装置のはず
である。車で言えば車の構造部分であって、運転手が
いなければ動かないものだ。アイヒマンの言うとおり
欧米の官僚はまさしくそうである。それが正しい官僚
の姿である。

ところが
日本の官僚組織は運転手がいなくても勝手に動き、運
転手がいても運転手のハンドル操作に従わない。あく
までも、自分が行きたい方向に向かって突き進んでい
く。省益や局益や既得権益や利権によって。
人事権を官僚自身が握っているからです。

野球の監督が選手交代の権限を持たなければ選手は勝
手に動く。事故米問題、年金記録、薬害肝炎、防衛省
汚職、裏金問題、大阪特捜部、など相次ぐ官僚の不祥
事は、すべて、大臣や政治家や国民の目が届かないと
ころで起きている。官僚組織が国民と隔絶された内向
きの密室組織(一家)となってきたからです。

☆官僚や役人など公務員はただ社会のメカニズムが命
じる機能的役割を忠実に果たすだけであって、そこに
一片の良心も持たない。人間的に成長する人格向上は
、決断したら責任をとることですが、彼らに人格は無
い。というより良心や人格を持つことを許されない。

なぜなら彼らは職場に居るときは、法の忠実な履行者
ロボットである。しかし一旦家に帰ると放縦な烏合の
衆となる。良心や人間性のないところには、責任ある
行為など生まれてこない。しかし、あらゆる仕事に対
して責任を持たない代わりに、命じられさえすればロ
ボットのようにどんなことでもする。たとえムチ打ち
刑吏や死刑執行吏や首を絞める役や首を斧で切り落と
す役であっても情け容赦なくやる。これが公務員とい
うものです。

☆今の政治家は役人におんぶに抱っこで、鼻先であし
らわれて馬鹿にされている。それというのも、国会に
提出される法案の9割9分は霞が関の官僚たちが用意
しているからです。本来は国民から「あれをやってく
れ」「これやってほしい」と言われたことを自分たち
が責任を持って議論して、法律にまとめあげ、実施す
るのが本来の役目です。
このような機能的かつ機械的な人間を大量に飼育して
おくことが権力体制の変わらぬやり方です。たとえ優
秀な成績の官僚でも単に記憶力がよいだけで、内面は
依然として下劣で利己的なままです。

☆歴史社会学 (社会学のアプローチの方法を歴史的形
成過程からみていくこと) の分野での最大のテーマは
「支配者」対「人民大衆」です。歴史上、支配者の手
足となって実務を遂行してきた官僚が、実質的に権力
を握り大衆を支配してきました。官僚制度は本来、独
自の意思を持たない装置である。
それが人事権をもち政策立案実行機能をもち、自己増
殖細胞となり、ついには巨大な官僚帝国という怪物が
つくられる。
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官僚独裁帝国

マックスウェーバーによると「官僚制」はひとたび
完全に実施されると、破壊することのもっとも困難な
社会形象の一つとなる。官僚制化は、官僚による「共
同社会行為」を合理的に秩序づけられる「国一番の利
権行為」に導く特有の手段なのである。官僚制が一度
でも、完全に滅亡するという歴史的実例はまったくな
い。
さらに近代官僚制はそれ以前の官僚制と際立っている
点がある。すなわち合理的、専門的、特殊化と訓練で
ある。もし私的資本主義が排除されて国有化されても、
公共経済の中に受け継がれた経営管理もまた官僚制化
され、国家の官僚たちが我が物顔で支配することにな
る。
今の中国の共産党幹部官僚は許認可権や土地収用権と
いう絶大な権力のもと富の蓄積つまり私腹を肥やして
いる。旧ソ連においても同様。官僚制は普遍的なので
ある。

☆民主主義下で選挙によってできた国民政権を官僚側
が倒した例は、世界中で日本においてのみ存在する。
検察官僚による田中政権崩壊です。検察の下僕である
マスコミを先導させ「検察ガンバレ」とチョウチン行
列をし世論を誘導させた。

☆政治が議会を中心に廻り、行動する議会による行政
執行があり、地域委員会などの国民参画による行政と
行政監視システムの設置で、国民に主権者としての自
覚が醸成され、官に対してはっきりと物申す体制が整
えば、官による身勝手な論理は通用しなくなる。あわ
せて学歴偏重や試験万能思想の払拭のための社会制度
に取り組まなければならない。

☆官僚制は、国民の民度や政治的レベルが向上してく
ると、北欧のように官僚と国民側が一体化してくる。
つまり「権力を腐敗させないため、開かれた組織にな
る。インターネットが、開かれた社会への個人参加が
可能となり、さまざまの意見や組織内部からの告発が
発信されるようになり、オンブズマン制度(情報公開
制度と行政監査請求制度)や内部告発・外部告発する
自由を保障することとなる。その窓口を外部にするこ
と。議会任せでなく、やはり国民による直接的な監視
制度、評価システムが必要」で、それによって国民も
変わり、公務員は国民への奉仕者である公僕・サービ
ス機関との認識に立つようになる。

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なぜ官僚は責任をとらないのか。

官僚の弱点

官僚の最大の弱点は「想定外の事態に対処する能
力が全く無い」「臨機応変に対処する」「創造力発想
力がない」ことです。責任を回避するため、上司にい
ちいち許可を申請しなければならない。上司もさらに
上の上司に許可を申請する。官僚制だから。

もちろん福島原発事故も誰も責任をとらない。

結論から言うと、責任があまりにも過酷だからです
。私達は自分のしたことは自分が責任をとるのが当た
り前だと考えている。丸山真男氏は「まつりごとの構
造」で、日本における責任とは「極めて過酷な無限責
任」で、いったん責任を負わされるスケープゴートと
されると、その損害は破壊的破滅的であまりにも大き
いので、誰もが責任を逃れようとするので、「無責任
社会」になったという。

例えば、原発事故では、東電社員に対する世間の圧力
は凄まじいものがあった。もし親が事件を起こすと子
供や親族まで徹底的に深刻な被害が及ぶ。日本だけの
住宅ローンの特異な連帯保証人制度は昔からの五人組
や隣組に由来している。
日本人ならこうした責任の残酷さは誰もが知っている
。その結果、権限と責任が分離し、外部からは一体ど
こに責任をとる権力の中心があるのかわからない状態
となる。
日本の社会では、太平洋戦争にしろ福島原発事故にし
ろ責任を追及しても、「空虚なもの」が待ち構えてい
るだけだ。

今回の原発事故や津浪を見れば一目瞭然です。そも
そも日本は世界有数の地震国です。大昔から地震や津
波で散々な目にあっています。だから過去の記録が
示す惨事で最大級のものを想定し、それを上回る天災
でも壊れないような発電所を建設するのが当然です。

しかし日本の官僚は「そういう事態が起こるとわれわ
れは予算的にも対処にも困る」「利権とか保身のため
という自分勝手な思いが、自分たち自身を洗脳し「
そういう事態はまず起こらないであろう」「そういう
事態は決して起こるはずがない」と、自己中心の自縄
自縛の考えに陥いる。こうしていつもどおりの「人災
」が起こる。想定外とは「こんなはずではなかったの
に」という後悔の「人災」です。

●福島原発事故も官僚や専門家集団は早々と「想定外
」を連発し、誰もが自己責任はないと言い出し、残さ
れた者たちの怒号と罵声と怒鳴りあいの大混乱のなか、
この原発の人災被害が拡大していった。

責任者の東京電力は早速、原子力賠償法による免責を
申請した。誰も責任をとらない以上、国がなんとかす
るしかない。政府は東電を救済するため、東電が債務
超過にならないよう無制限の資金援助をする代わりに
免責を断念させた。
免責といっても責任のためのカネは国民のカネで、一
企業の東電は救済された。株価は下落したものの東電
の株主は責任を免責された。結局、実質的には誰も責
任をとらなかった。

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少し遡れば、太平洋戦争で負けた原因もここにあ
ります。少しでも賢明な人であれば容易に想定し対処
することができるのですが、出る杭は打たれるという
か、余計なことはしない、もし起きたら仕方がないと
いう社会的文化的歴史的風土があります。最悪の事態
は予見していても、想定したくないわけです。「想定
外だから仕方がない」と言う言葉を使い、一切の責任
をとらない。つまり人災。やはり、アメリカに占領と
いう革命がおきたように、種々の既得権益を根底から
なくすよう社会制度を変革しなければならない。あり
えないが。

●アメリカに二度駐在経験のある山本五十六は戦前、
「アメリカと戦争したら、東京なんか三度くらい丸焼
けにされて日本人は惨めな目を見るだろう、」、と。
そしてその通りになりました。

●太平洋戦争に負けてアメリカ軍に支配された日本で
「戦争責任は誰にあるか」という政治論議が起こった。

東京裁判ではかつての政治指導者や軍幹部すべてが責
任を否定した。「天皇有責論」はアメリカ軍が戦後の
日本統治に天皇の協力が不可欠としたため誰も言わな
かった。次に「一億総懺悔論」が出てきたが、特攻隊
員にも戦争責任があるのかという反論に誰も答えるこ
とはできなくて消滅。次に「国民は軍国主義者にだま
されて戦争に駆り出された」とか「天皇も軍部の傀儡
で責任はなかった」としてすべての悪をA級戦犯に押
し付けた。

さらに「屍に鞭打つ必要なし」として、責任の追及は
うやむやになった。
が、その後「東京裁判そのものが勝者が敗者を裁く政
治ショーだ」との認識が国民の間に浸透し、A級戦犯
も免責された。その結果、300万人の日本人死者と
2000万人とされるアジアなどの死者に対する責任
をとるものは、誰一人いなくなってしまった。

●丸山眞男氏は「まつりごとの構造」で日本の政治と
は、「まつられる」だけで実質的な政治を行なわない
天皇と、それをまつり上げて意思決定を行なう実務者
が分化しているとした。このように正統性の源泉と意
思決定する主体の分化した二重統治は、摂政関白や将
軍や執権や老中などさまざまなレベルに見られる。こ
れは皇帝が権力を独占して国家を支配する中国の政治
とは違い、法によって政府が統治するのとも違う。

●現在の政治でも、国会は立法府としての機能を
果たしておらず、実質的な意思決定を行なうのは官僚
機構である。官僚は政治家をまつり上げて「先生」と
呼ぶが、実権は自分たちにあることを知っている。そ
れを知らないで「政治主導」でやろうとした民主党政
権は、霞ヶ関のボイコットで粉々になってしまった。

つまり日本社会の「民主的」な構造は、権力を分散し
て互いに牽制させ責任を曖昧にして現状を維持する
技法だ。それを支えるのは法的ルールではなく関係者
の暗黙の合意なので、異質なメンバーが交錯する社会
では意思決定が麻痺してしまう。

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日本では「官僚の無謬性」つまり「お上のやること」
「官僚のやることはまちがいない」ということで、失
敗らしき政策でも一切責任は問われない」ことになっ
ている。
しかしこの国際時代にそんなバカなことが!−−−と
思うが事実、福島第一原発事故や社保庁問題をはじめ
誰も「責任」をとったということは聞いたことがない。
官僚の「隠蔽体質」はここからきている。
民主主義にとって一番大事なのは、言論の自由ではな
く、無謬性の否定だ。

官僚にとって「責任」をとれ、ということは「死ね」
と同じ意味です。刑事訴追のような最悪な事態は別と
しても、小さな失敗でも生命線にかかわる。考課表が
ついてまわる。だから責任を取って辞職した官僚はい
ない。

官僚の特性として、すべての役人と同様に、上の者に
は無抵抗・迎合・阿諛追従・手心・便宜・卑下でペコ
ペコと屈服し、下の者や国民には傲慢で威張りまくる  
という下劣な品性を持っている。もちろん役人は誰ひ
とり公僕だなんて思っていない。権威をふりまわし、
権力で国民を抑えるかたちは江戸時代の代官から続い
ている。

日本の秘密主義VS先進国の情報公開主義

公務員になると職業病的性格を持つようになる。つま
り、保身・出世・縄張り根性と秘密主義と隠蔽体質で、
三百代言や平気で嘘をつき恫喝する。血も涙もない冷
酷で、人を疑う、責任感や倫理感は全くなく、責任は
一切とらないロボットそのものといえる。
給料は一生懸命働かなくても一定なのでスローモーで、
ほとんど仕事をしない。公務員は「遅れず、休まず、
働かず」と言われ、一般人の見えない場所や見えると
ころでも、おしゃべりをしたり、パソコンのいろいろ
サイトんだりしている。

報酬も民間より多いし、倒産やリストラの心配もない。
税金は自分たちのものだと考え、自分たちのためにジ
ャブジャブ使う。これほど徹底した利己主義の世界も
珍しい。つまり日本の歴史では官僚と言う言葉は狡賢
い悪党の代名詞として使われています。

バラマキ政策
予算は、一言でいうと「人を動かし、金だけを回す」
という中国式のやりかたである。つまり運営のためと
いうよりも、「分配バラマキ」のためということであ
る。増税に次ぐ増税、年金制度の破綻、無能なバラマ
キの結果の天文学的な累積財政債務、その結果として
の極度の経済格差社会。国民に蔓延する政党政治への
不信。このような日本をあなたは好きですか。世論調
査の主流は「あまり好きではない」。国民全体が閉塞
感を感じ、国や官僚や役人に反感を抱いている。

先進国の政策
そこで、個人が選択可能な政府つまり、適度に政府を
無力化すべきである。例えば東京電力一社だと独占的
な料金を設定できるが、自由競争にするとさまざまな
料金となる。そこで政府も各州政府を作り、つまり道
州制にして、携帯電話を選ぶように消費税率も法人税
率も所得税率も介護保険料も自由にするのです。選択
肢が生まれるということが自由の拡大につながるわけ
です。教育も福祉も北欧並みに無料にする道州もでき
るかもしれない。

これはSFや夢物語ではなく、すでにヨーロッパでは
好きな国に移り住むことができるのです。またアメリ
カでは各州が州政府があって独立国のようなものです
から、自由に移動し政府を選べるわけです。
だからEUやアメリカ人にとって「自分で政府を選べ
ない国」というのは中国や北朝鮮のイメージです。驚
くべきことに日本がその「自分で政府を選べない国」
だったとは、世界の恥といっても過言ではない。

そして憲法によって分立する政府や州政府に適度な制
限を加えて衝突を防いでいるわけです。自由に政府を
選べるようになれば、日本の社会に存在する「他人に
どう見られるか」というパノプティコンもおのずと弱
体化していくことでしょう。
今の時代、アメリカの会社に就職し、次にスイスの会
社で働き、最後にオーストラリアで永住権を取得する
という生き方は少しも珍しくありません。

一度、外国で生活をしてみるとか、それが無理でも先
進国に旅行をする機会を持てば、いかに日本の官僚政
治の酷さに気づきます。(苫米地英人氏)

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権力とは行政指導権・法律立案権・官吏監督権・予算
編成権許可認可権・徴収査察権・国家資金配分権・汚
職の温床の発注権・警察権・裁判権を自由自在に行使
できる権利です。

役人の楽しみは出世することにある。上に行けば行く
ほど多くの部下に威張れるし、外部から平身低頭の扱
いを受ける。
経済的にも恵まれる。給料のことではない。何となく
うまみのある金が転がり込んでくるのだ。

役人の嫌いな言葉は「責任」です。

また後進国ほど官僚は権力と利権を握っている。隠蔽
工作・虚偽工作はじめ国民を虫けらのごとく扱い、愚
民政策をとる。東南アジアを旅行すればわかる。
中国共産党国家でも同様で、官僚は絶大な権力を握り、
株式市場を操作し、利権は官僚が独占する。そこから
汚職と腐敗がはびこっている。

先進国になるほど公開性は強く、官僚の力は弱い。こ
の点で日本は後進国に分類される。

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鉄の四角形「日本権力構造の謎」

いったい日本という国家は誰が権力をもっているのか。
どこに権力の中枢があるのか。どのように権力がはた
らいているのか。日本人でさえ解きがたい謎に一人の
外国人ジャーナリストが敢然と挑んだ。
北朝鮮は金日成の後継者に支配されている。アメリカ
は産軍共同体に支配されている。中国は共産党に支配
されている。
しかし日本人は支配されているのに気づかない。いっ
たい誰に支配されているというのか。

利権構造
日本の官僚独裁政治を支えている政治・官僚・
財界・報道・労組・宗教の既得権益ネットワー
クはがっちりこの国の社会に根を張っている。
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55年体制の終焉のころ、最初に指摘したのは在日オ
ランダ人ジャーナリストのウオルフレンだった。
彼の主張は、第一にわが国には、官僚・政治家・財界
人からなる明確な支配階級が存在するが、彼らは半自
治的な存在で、お互いのバランスの上になりたってい
る。ウォルフレンは、これを「管理者」(アドミニス
トレーター)と呼んだ。
第二に、日本社会には、この管理者を中核として、教
育、組合、野党、マスコミ、宗教などのありとあらゆ
るものを抱きこんでしまうがあり、彼はこれを「シス
テム」と名づけた。このシステムは、市民に服従を強
いる。
第三に、「管理者」にも「システム」にも、政治的な
中核や強力な指導者はなく、責任の所在は不明確で、
権力の正体は見え隠れする、という三点にある。

彼自身は、欧米流自由民主主義体制を絶対視し、その
価値観が普遍的な妥当なものと信じ、そうした視点か
ら日本の現状を断罪している。

日本社会には個人よりも儒教的な共同体尊重という抑
圧的性格がある。民主主義や人権は、今日では全人類
共有の財産である原理からみても、日本の現状が深刻
な問題を抱えていることに疑いはない。

彼は「日本は民主主義国家の装いはしているが、その
内実は官僚独裁国家で、政治家には官僚をコントロー
ルする力がなく、政治家は族議員として政財官界と癒
着していると断定する。つまり既得権益擁護側の指導
する民主主義です。

逆に政治家が官僚に支配されており、日常的に検察と
官僚によるクーデターが起こっている」という。ウオ
ルフレンの主張は著書『日本権力構造の謎』に詳しい
が、「官僚政治を打破しないと日本は滅びる」という
のが彼の主張の骨子です。

当時、ウォルフレンは日本の既得権益支配層の最大の
「嫌われ者」で、会議などの場で彼の名をいうことは
タブーだったし、マスコミでもタブー視されていた。
というのも、ウォルフレンは政界・財界・官僚の鉄の
三角関係にマスコミを加えて鉄の四角形の癒着が、日
本の官僚独裁政治を支えていると的確に指摘したから
です。

日本のマスコミはこのネットワーク社会秩序の維持が
仕事だと勘違いをしていて、権力を監視する仕事や社
会が変革される方向のために努力をしていない。ジャ
ーナリスト自身の責任を問わないで、このネットワー
ク以外の野党など他人の責任ばかりを問うているとし
た。つまりは、マスコミは日本人の幸福のために機能
しないで、逆作用しているとした。

ウォルフレンは、「結び」において、官僚制の能力の
限界について言及している。そして、今日、わが国が
直面している諸問題の解決には、官僚制は力不足であ
り、政治家の決断を期待している。実は、そのことに
官僚制自身が気づきはじめているという。「最終的に
決めるのは消費生活者の市民である」、というのがウ
ォルフレンの結論です。

愚民政策 
日本人は、その気になって選挙参加すればこの社会を
変えられるのだ、ということを教えられなかった。闘
争によって得たものではなく、与えられたものだから
です。欧米のような民主主義なら当然備わっているは
ずの、「説明責任を求めるとか、情報を公開せよとか
、発信するとか、投票するとか立候補するとか、この
社会のシステムがどうなっているかということを考え
て行動すること」が日本人には欠けている。

だが、政・財・官とマスコミを敵に回すと、日本では
生きてはいけない。当然、彼は既得権益によって日本
から「追放」された。それでも、今でも彼の指摘を超
える説はでてこない。

官僚的という言葉もある。国民に対しては不親切・蔑
視・支配観念を持つ。たとえば役所などに電話を
かけると電話をたらい回しにされたという経験をする
、もしくは受付で無愛想な対応で長々と待たされる、
やたらと書類を書かされて提出しなければならないよ
うな状況のとき「まったく官僚的だ」と口ずさむ。

ところで、日本人は官僚という権力者によく飼いなら
された奴隷だと断言できる。日本人が真の自由を手に
入れ、幸福な人生を歩めるようになるために必要なこ
ととは何かというと、現在の官僚政府を否定し、議員
自身による政府を作ることだ。しかしこのことを主張
する議員が現れると、地検特捜部が動いて政界から抹
殺される。今まで、どれだけの改革者が逮捕されたこ
とか。

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日本の権力構造

法は権力がつくる
権力は官僚を中心に政界財界とメディアを源泉とする。
権力は常に富裕層には篤く、貧困層には冷たい。そし
て自分たちに都合のわるいものは、負のレッテルを張
って封じ込めようとする。権力側の社会運営に都合が
わるいかどうかでフルイにかける。権力とは法による
規律によって私たちを都合のいいように従わせようと
するものですから、不合理さや理不尽さを覚えて当然
でしょう。ただ、目に見える権力はまだましなほうな
んです。わかりやすい権力の行使といってもよいかも
しれません。これに対して「見えない権力」はもっと
やっかいで、もっと恐ろしいものなのです。

「パノプティコン」をご存知。「一望監視
装置」と訳されます。フーコーによるとこうです。「
一望感知装置、は<見る=見られる>」を切り離す機
械仕掛けであると。イメージするならば、中央に監視
塔があって、その周囲にドーナツ状の独房が並んでい
る。そして中央からは全体が見渡せる一方、囚人たち
側からは中の様子が分からないようになっている。

つまり、監視する者とされる者のまなざしに不均衡が
存在しているのです。この不均衡こそが権力の象徴で
す。一方が他方に完全に従うという構図の存在といっ
てもいいでしょう。たとえばマイナンバー制。

結局、私たちが基本的人権など人間の特権と信じ込ん
できた主体性という概念さえも、実は権力の見えない
監視のもとで骨抜きにされ、都合のいいように規律化
された自己規律にすぎないわけです。
自分の意志で選択し、行為しているつもりが、知らず
知らずのうちに権力の気に入るようにしかふるまえな
い体になっているということです。

そんなことを言われると、自分が自由に生きているの
か、それとも権力に生かされているのか、よくわから
なくなってきませんか。だから、逆らう相手が見えて
いるうちはまだ、ましなんです。逆らうべき状態を自
覚しているんですから。ところが、相手が見えなくな
ったときは、自分の置かれた状態がいいのか悪いのか
さえもわからなくなってしまいます。これは本当に恐
ろしいことです。奴隷が奴隷であることに気づかない
のは、人間の終わりを意味するのですから。

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「泥棒国家」

ベンジャミン・フルフォードは言う。日本が民主主義
国家というのは建前で、実態は、勤勉な国民が産出し
た富を「政治家、官僚、マスコミや電力や銀行などの
官僚癒着業界、アメリカという泥棒」たちが、よって
たかってかすめとっている。彼らの「鉄の四角形」が
国家に寄生しているだけでなく、泥棒たちが国家を支
配している泥棒国家であると断じた。

日本には優秀な国民と優良企業も存在するが、その富
は、官僚が実質的に倒産している政府系ゾンビ企業群
を存続させる為につぎ込まれており、その媒介となっ
ているのが「銀行」であるとした。このために日本人
は働けば働くほど貧しくなり、国家の経済破綻が起き
ている、とした。

日本では不良債権の約3分の1がヤクザ絡みで、公共
事業の30%にヤクザが関係しており、その建設費の
3%がヤクザへ支払われている。政治や経済問題を追
求していくと、いつもヤクザに突き当たる。

また日本が「法治国家」であるというのも建前だけで、
政治家の口利きや官僚の裁量に基づいて国家が運営さ
れていて、至る所で法が意図的に運用されているとも
言う。「ソープランド」など売春や、パチンコなどの
ギャンブルなどが黙認されている。

格差社会

OECDが2006発表した「相対的貧困率」「格差率」
はなんと、OECD中で日本13.5は、アメリカ13.7
に次いでワースト2位にランクされた。OECDの分
析によると、コスト削減でパートや賃金の安い非正規
社員を増やした結果、全体としては就労者は増えてい
るが、所得格差の二極分化を助長させたとしている。

小泉竹中改革で、労働者が受け取る金が減り、株式を
持っている外資が多くの配当を得ている。国民全体の
生活水準を下げることで、日本人が一生懸命に稼いで
きたお金が、外資と金持ちが吸い取っている。
日本の大企業などでは、会社の目的は配当をたくさん
出すことであって、労働者はモノとして使い捨てにし
て安くこき使う。こうして格差社会になっていく。

●東大生の親の過半は年収1000万円以上であり、学力
という基準は収入の影響を受けている。収入の格差に
よって東大に入れないならば、それは公正といえない。
マイケルサンデル
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官僚

☆高学歴イコール優秀な人材とは限らない。中国の科
挙試験のように単に暗記力が良いだけであって、事務
処理能力と現状での答えの確定した事象への理解力お
よび一般教養の高さが証明されるに過ぎない。
極言すれば過去の事例に詳しいだけで、①重大な局面
に立ったときの判断力・決断力(新事態の対処力)や
②未来などのファジィな不確定な問題に対する洞察力
や③新しいものを創り出す創造力は皆無といえる。

☆官僚たちは他の省庁がどんな知識をもっているかに
ついては、まったく知らない。日本の官僚は自分たち
の限られた専管分野では、まるで小さな国家の独裁者
であるかのように、好き勝手に振る舞う。日本の行政
システムは、たくさんの小国の連邦と考えればわかり
やすい。縄張り意識、セクショナリズムです。

☆日本官僚帝国の実質上の主権者である官僚は国民に
対して一切の「説明責任」を果たさない。官僚政治の
最大の欠陥は実質的な決定者が逃げて、誰も失政の責
任をとらないことにある。

☆この状況が国民の死命を制する多くの問題を何ら考
慮していないという結果を生んでいる。薬害エイズ事
件一つにしても、必ず中心人物がいて部分的には責任
の所在がある。にもかかわらず、決裁し許可した官僚
は責任もとらずに天下りしていった。また薬害肝炎の
問題でも当時の責任のある官僚が巧妙に逃げて、関連
業界や公益法人に天下っていった。

☆官僚は国民の審判を受けることもなく身分保証され
ている。外部からの監視も評価も受けず、組織内の論
理と省益だけで動いている。この異常な権力構造を1
40年も維持させている最大の要因は、官僚組織が自
らの人事を自らの手によって決めていることにある。
この「お手盛り人事権」こそが日本の官僚組織を世界
に類例のない特異なものにしている。
ただし2014年に高級官僚のみ内閣人事局が任命す
ることになった。

☆日本の検察官は正義への鋭い感性で動機づけられて
いるのではない。単なる公の秩序維持・組織の維持・
既得権益や利権の維持に心を寄せているだけである。

検察官は異常に強大な権限を持っている。逮捕か起訴
か不起訴について、自分ひとりで決める権限を持って
いる。検察官が起訴した裁判は99.8%有罪になっ
ている。裁判は実質的に検察官の頭の中で行われてい
る。裁判になって検察官が決めたシステムに従わない
判事は昇進しないという文化がある。

☆検察官も官僚制度の下僕であるから、官僚たちが強
力な政治家が現れ脅威を感じたら、検察全体が動き出
す。
田中角栄氏にこれが起こり、金丸信にも起きた。日本
の警察や検察の取調べを可視化し、情報公開すれば間
違いが少なくなる。透明化したら警察や検察官もおか
しなことはできない。(ウオルフレン)

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自己増殖する官僚機構

マックスウエーバーによれば、近代国家においては、
真の支配は政治家ではなく、行政の執行に当たる官僚
の手に握られざるを得ないという。
なぜなら資本主義への移行が経済の近代化の尺度と同
様に、官僚制への進歩こそが国家の近代化の尺度だか
らです。
すなわち任命権、給与制度、年金、昇進、権限区分、
書式主義、上下の位階秩序、専門的訓練と分業に立脚
するのが官僚制への進歩である。

労働者とそれを管理する者との分離において、決定的
権力をもつものが官僚である。官僚制国家への進歩、
つまり合理的に制定された法や行政規則にしたがって
司法や行政を実施することは、近代資本主義ときわめ
て密接に関連している。確実な規則によって合理的に
計算することができるような司法と行政が資本主義の
経営のために必要だからである。

官僚制が一度でも、完全に滅亡するという歴史的実例
はまったくない。さらに近代官僚制はそれ以前の官僚
制と際立っている点がある。それは、合理的、専門的
、特殊化と訓練です。
もし資本主義が排除されて国有化されても、公共経済
の中に受け継がれた経営管理もまた官僚制化され、国
家の官僚たちが我が物顔で支配することになる。官僚
制は普遍的なのである。官僚という「生きている機械
」は「死せる精神」をもち、「死せる官僚機構」をつ
くりだす。官僚は死せる機械の官僚機構と手を結び、
新しい容器である特殊法人など外郭団体をつくりだし
自己増殖する。

官僚と政治家マックスウエーバー

事実、この官僚機構の重要性はますます不可欠なもの
となり、その権力的地位をますます増大させ、階層と
して圧倒的に優越性を増して大衆に君臨している。つ
まり民主主義というものは、大衆がこの「死せる精神
をもつ生ける機械」である官僚に隷属している。
そこには個人主義といえる「活動の自由」はない。

ならば欧米のように官僚機構の増殖を制限し、制御す
ることは可能なのか。----その問いの答えは、官僚制
そのものが成しえない事柄を考察することによって得
られる。

それは「過去にない新しい出来事への対処」とか「未
来を見通し指導していく精神ビジョン」とか「結果に
対する責任のとり方」である。ゆえに政治家は自分の
権力をめぐる闘争と、その権力から生じてくる自分の
ビジョン仕事に対する自己責任こそが政治家の生命で
ある。

「政治とは、官僚主導とか党主導とかの体制を倒して、
ビジョンを実現するため、同志と自発的追随者を糾合
した権力闘争です。」

政治家は自分の権力をめぐる闘争と、その権力から生
じてくる自分のビジョン仕事に対する自己責任こそが
政治家の生命要因である。--だが、偉大なる政治的資
質というべきこの天性を備えて生まれてきた政治家は
数十年あるいは100年に一度しかあらわれない。

たとえあらわれたとしても、検察官僚側の逆襲「リー
ク・悪口・サボタージュ」攻撃と議会の無力と閣僚の官
僚制の結果として、まさしく阿呆になっているほかな
い。必要なのは「おしゃべり議会」でなく「行動する
議会」であり、「官僚の操縦による内閣」でなく「行
動する内閣」である。「たえず行政と共働きしながら
行政を統御するような国民」です。

この「行動する議会」「行動する内閣」「行動する国
民」こそが真に政治的な指導者の資質を成長させ上昇
させる土台となりうる。現在の政治をそのように建て
直さなければ、国民大衆は依然として官僚の下僕とし
て惨めな姿のままになる。
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今の日本の最大の問題は国民の上に君臨し統治してい
る巨大な「官僚機構」です。この官僚利権機構は、国
民のためよりも自分たち官僚の既得権を優先するため
に、官僚主導政治を推し進めています。公務員改革を
することこそ、国民が生き延びられる唯一の道です。

民主主義でない国や成熟していない国や民度の低い国
ほど官僚が跋扈している。たとえば江戸時代では切り
捨て御免や絶対権力を持つお代官様が存在した。現代
でも民間業界を官僚が査察する時、夜の接待では居並
ぶ業界の重役連を下座に、査察官僚は床の間を背にし
て杯を受ける。

石原都知事は新党結成の理由として「国とかかわる行
政はほとんど国の妨害にあった。明治以来の中央集権
制度をシャッフルしなければならない。命あるうちに
中央官僚の国家支配をぶち壊さなきゃいけない」とし
て国家官僚を主敵とした。
現在の硬直した中央官僚政治の欠陥を指摘し、その改
革を行う意欲を語った。「性根を据えて中央官僚制度
と戦い、国のために最後の御奉公をする」と語った。
2012/10/25 
しかし#どちらが勝ったかといえば石原・橋元組は惨
敗した。小沢・渡辺に続き。
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日本の現状について

ハーバード大学ビジネススクールで最初に扱う国は日
本です。巨大な財政赤字を抱える日本。ギリシャでさ
え世界経済を震撼させた。もし日本と米国のどちらか
が破綻したら、世界は破局を迎える。「巨大な借金に
苦しむ富裕国の軌道」これが今世界中で一番大きな問
題だ。実は日本が富裕国のなかでも最先端の実験をし
ている。世界は日本の実験を見ながらその軌道を修正
しているのだ。

それでは日本はどうすればよいか?
一番目の課題は官僚から権力を奪い取れるかどうか。
二番目は巨大な財政赤字をどうするかです。

特に官僚が問題で、官僚機構が自らの既得権益を守る
ためにだけ力を注ぎ、たいせつな課題に何の効果もあ
げていなかった。
結論としては、古い官僚統治機構制度を根底から破壊
して、地方分権、教育制度、女性の権利、資源エネル
ギー開発など、あらゆるものを現代化することが必要
です。明治維新の時のように。
ハーバード大学ブィートー教授

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報道の自由度ランキング

日本がいかに官僚によって報道が規制されているかを
示すものです。
一位から三位までは北欧の国です。20位まではほと
んどヨーロッパです。アメリカは49位。パプアニュ
ーギニアに次いで、日本はなんと61位です。62位
がガイアナです。
日本では政府の意向に反する報道は厳しく禁じられて
います。つまり政府にとって都合の悪いことを報道す
ると、圧力がかかるわけです。御用新聞の読売・産経
・日経と政権の広報部NHKとなっていることがわか
ります。

日本では権力とマスメディアの癒着は日常的に行われ
ており、アメリカのエリスクラウス教授は著書「NH
Kと日本政治」のなかで、日本のマスメディアは権力
の愛玩犬であり、権力の寄生虫だと看破しています。

マスメディアの使命としての存在意義は権力側の欺瞞
偽装や不正や怠慢を見逃さずに、取材し調査する力に
ある。しかし日本のマスメディアは調査の知識や手法
も持たず、十年一日のごとく、真の情報を提供しない
で、官僚や権力側の発表をただただ垂れ流して国民を
扇動している状態です。
視聴率のためだけという低級な娯楽となり、健康に悪
いジャンクフード粗悪な食品類のようになり果て、今
や新聞は衰退消滅しつつあり、テレビはミーハーB層
オバカサンのための白痴放送と化している。
(マスコミ研究者松田浩氏)


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民主党政権はなぜ失敗したのか?

なぜマニフェストが実行できなかったか。
なぜ政治家主導ができなかったか。

結論から言うと実質の政治体制が「官僚内閣制」つま
り政治が官僚によって動かされていて、「大臣は省庁
を代表する体制」だから、マニフェストを実行しよう
としてもできないわけです。政治家が新しい政治改革
を主導しようとしても、官僚制が変わらない限り限り、
できない仕組みになっています。
特に官僚から権力を奪うことは、官僚側の死に物狂い
の抵抗を覚悟しなければなりません。たとえば政権を
倒すほどのマスコミリークによる政治家スキャンダル

「官僚内閣制」
本来は議院内閣制だが、各省庁の大臣に拒否権が与え
られているからです。閣議決定は全員一致が原則なの
で、大臣が反対するものは閣議に回されないのです。
前日の事務次官会議で各省庁の利害調整という事前の
根回しが行われ、そこで反対のなかったものだけが翌
日の閣議の議題となる。
この「官僚内閣制」では政府の意思決定の主体が官僚
なのか内閣なのかあいまいで、真に必要な決定ができ
なくなる。つまり官僚が国家を侵食するので、統治体
制が変質しているわけです。

地方公務員の劣化
官僚制は地方政府や業界団体を通じて日本の隅々にま
で根を張っている。例えば、警察機構はやくざ組織と
酷似しており、公的資金をもらった銀行、官僚や地方
役人からもらった情報を垂れ流しているだけの新聞や
テレビなどのマスメディア、特にひどいのは道府県市
町村の地方公務員です。市町村など小さい単位になる
ほど公務員は劣化し、税金泥棒化している。役人の血
縁関係者や県市町村議員関係者が優先される土地競売
や公営住宅入居や優先採用など汚職の巣窟といえる。

農協と土木建設業界
また金融保険業をはじめガソリンスタンドから葬儀場
まであらゆる業種に手を出し利権を漁る農協や砂糖に
群がるアリのように税金にたかり談合を続ける地方の
土木建設業界も同じ穴のむじなです。

ウオルフレンも書いているように、中央官僚利権機構
は社会の諸集団の利害関係の結節点としての働きをも
っている。官僚の政策はトップダウンではなく、地方
の現場からの積み上げによって作られている。この官
僚権力権限のネットワークは省庁毎に縦割りで分断さ
れており、各省庁間で熾烈な権限闘争を行っている。

「既得権に干渉する政策の立案がまったく不可能」
この「省庁代表体制」といえる「官僚内閣制」の最大
の問題は「既得権に干渉する政策の立案がまったく不
可能」なことである。現に1990年代以降のあらゆ
る危機に対処できず、漂流政治となっている。

官邸主導政治
小沢一郎は根回しの事務次官会議を廃止し、大量の政
治家を省庁に送り込み官邸主導政治をしようとした。
事務次官会議の代わりに国家戦略局を作った。EUが
やっているのと同じく農家への個別所得補償制度で、
将来のコメの関税引き下げにも対応できるようにした。
それは間違っていたのではない。それにもかかわらず
民主党のマニフェストは大失敗に終わった。

原因は最初に述べたように、国民の代表である「政治
家主導内閣」は「2.26の原因であった腐敗した省
庁代表の官僚内閣」に負けてしまったからだ。つづく
菅政権と野田内閣が官僚にすり寄り、小沢一郎はなす
すべもなく失脚した。

既得権益にすがる権力者に追随する大手マスメディア
は、わざわざ体制を壊す人物には危機感を覚え、人物
破壊に邁進する。猛烈なマスメディアからのパッシン
グ。それを何時も聞いたり見たリする国民はこの洗脳
器にかかって思考停止状態で、全体主義に翻弄される。

「官僚の権力の源泉」
官僚たちは権力をふるうというこの上ない楽しみを得
られる。「官僚の権力の源泉」は、「事実上の立法権
を有していること」「法律の解釈を独占し、事実上の
司法権を有していること」「予算の編成権を持ってい
ること」です。
憲法上は三権分立だが、「事実上」は官僚が持ってい
る。さらに法の枠から自由な、「通達や規制、許認可
権」まで持っていてあらゆる業界に影響力を及ぼす。
天下り先から選挙への影響力まで「官僚天国」でやり
たい放題できる。権力の源泉は情報にある。その「
報を秘密に」すること、独占することで権力を更に強
くなる。

つまり国民に知られてはならないのだ。秘密厳守、守
秘義務によって情報漏洩を防ぐ。特定秘密保護法案が
まさにそのものズバリ。マスメディアは官僚から情報
をもらうために官僚の番犬と化しているから官僚にと
っては屁でもない。

それでは、どうすれば官僚政治ではなく、欧米のよう
な政治家主導の政治を実行できるのか?

結論として、情報公開と日本社会の本質である「終身
雇用と年功序列」の廃止を核とする公務員制度改革が
必要

連合の支援を受けている民主党政権に官僚が死守した
い日本的雇用の既得権益に手をつける覚悟があるはず
もなく、予定調和的に破綻した。以上(飯尾潤氏)

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三人のプレイヤー

ジェームス・ブキャナンの公共選択理論によれば、政
治の主要なプレイヤーは三人いる。政治家、有権者、
官僚だ。誰もがそれぞれの利益を最大化したいと考え
ている。政治家は次の選挙で当選することを目指す。
有権者は投票によってどれだけの経済的利益が得られ
るかで候補者を選ぶ。官僚は自分の地位を高めること
を第一に考え、所属する省庁の組織と権限を拡大しよ
うとする。

つまり政治家は当選するために有権者に補助金や公共
事業や景気刺激でお金をバラマキ、官僚は権限や組織
を拡大するために予算を求め、有権者は投票と引き換
えに実利を要求する。かくして、国の借金は膨張を続
け、財政は破綻し、日本ではついに1000兆円とい
う人類史上未曾有の額になってしまった。
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