蘭界からの誘い

蘭の世界に足を踏み入れたのは、以前妻が訪れた堂ヶ島洋蘭センターで買ってきたセッコク系の白い花がたくさんついた名無しのデンドロビュームの小さな鉢がきっかけだった。早速NHK趣味の園芸作業12か月シリーズ、江尻さんのデンドロビューム(昭和56年6月1日第12刷)を買い、首っ引きで育て翌年ひとまわり大きくなった株にびっしりと蕾がついたときにこの魔界に落ちてしまったのだと確信している。2〜3年はそのデンドロを増やしながら、もしかしたら他の蘭もいけるかな,という気になった。

初めて自分で蘭を購入したのはその頃だった。堂ヶ島まで行ってC.bowringianaの花付株だったと思う。これも本を片手に毎年良く咲いてくれた。その頃は伊東の高台にに住んでいて、庭の日当たりのいい南側に廃材を利用した蘭棚をつくり、花屋から見切り品を今よりはるかに安い値段で手に入れ、手当たり次第育てるようになった。時々はちゃんとした株も購入した。その中には前述の江尻さんのデンドロビュームの教科書20ページに載っている写真の、細竹で仕切られたベンチ(ランを乗せる台)が並んだ温室の持ち主から頂いたDen.Yukidaruma KingとDen.nobileもあった。職場の同僚のお父さんがくだんの温室の主であった。温室は全てデンドロで埋め尽くされ、それが一斉に咲くと赤やら白やら黄色やら色とりどり、息を呑むほどであった。Den.Yukidaruma Kingは丈夫で50cmぐらいに伸び、遮るものが無いため朝から日没までふんだんに日光を浴び、旺盛な成長力と繁殖力で花もあきれるほど咲き、株もどんどん増えていった。カトレヤ系やバンダ系は半透明のビニールトタンを張ったカーポートに吊り下げて栽培するとよく咲いてくれた。

冬は小さなビニールカバーのついたワーディアンケースに150Wのヒーターと温度調節器で温度を保ち、ヒーターには水を張った空き缶を載せて湿度を保った環境に高温系の蘭を入れ、その他は室内に剥き出しで越冬させていた。

その後東京へ転勤することになり家財道具さえ入りきらないマンション暮らしのため、泣く泣くほとんどの株を処分した。そのとき残したのが名無しのセロジネSlc. Estella Jewell 'Kazumura'の二鉢だけで、今も生き長らえているからもう15年もの付き合いになる。

仕事に手一杯でしばらく蘭から遠ざかっていたが最近ボツボツ株を集めながら再開した。伊東と違って埼玉は家が建て込んでいて通風、日照、温度−特に夜温−の条件が最悪に近い。世界中の多種多様な,恐らく一般的な植物の物差しで計ると著しく過酷な条件下で種を繁栄させるべく常に遺伝子レベルでの適合=進化を重ねてきた2万5千種といわれるラン科植物を、ここ、埼玉の春夏秋冬という単一の環境で育てること自体,生態系を無視した神をも恐れぬsin(宗教上の罪)という他ない、のかもしれない。しかし、どれだけ多くの種を単一環境でスクスクと育てられるか挑戦してみたい、それのが趣味家としての本心であろう。ある種は環境に耐えられず暑さ,寒さに負けて消えていき、また自生地と似た環境であるがゆえに元気に育つ、場合によっては帰化植物として埼玉に定着するもの−−はあるはずもないか。

それでも毎年何とか夏や冬を乗り切り、律儀に咲く蘭たちを見ていると手をかけずにはいられない。これも蘭の魔力かもしれない。

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