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「本当は………」
 多香子が眠ったのを確認して、寛子は小さく呟く。その柔らかい頬にかかる髪を、そっと払うと、
「知らなかったんだ」
 多香が悩んでいる事。—————様子が変だ、っていうことは気付いていたけれども。ここまで深刻な話だとは。
「—————悔しいなぁ」
 くぅくぅと安堵しきったような子供のような寝顔を見つめながら、寛子は誰ともなしに呟いた。


『好きだったら、動け』
 不意にかかってきた里奈からの電話。その言葉に、ただただ寛子はうろたえるばかりで。
『あの………ちょっと、よく飲み込めないんですけども』
 その言葉に、里奈は『ああ』と溜息をつくと、やんわりと言葉を選んで話を始めた。
『………寛子が鈍感なのは知ってる。だけども、こればっかりは、寛子が動かなきゃダメ』
 彼女はきっとすでに動く決心をしているだろう。だけども、そうじゃないのだ。
 さらりと失礼な事を言ってくださる相手に、少しばかりむっとしながらも、寛子は携帯を握り締め答えた。
『————………でも、多香がそうしたいんだったら』
 そうさせてやりたいんですけど。
 そう答えた寛子に、里奈は軽く哂う。
『判ってないね、アンタ』
 愛されて育ってきた彼女。きっと判らないだろう、あの『暗闇』を。多香子は寛子を好きになることで、懸命にそれから逃れようとしていることを。
『里奈先輩!』
 がぅ!と怒鳴る後輩に、里奈は『まぁ、いいから』と告げる。
『何が良いんですか!』
 さっぱり訳が判りません。先輩が言ってる事!
 喚くしか術がない寛子に、里奈は小さな凛とした声を出す。
『寛子』
 卑怯だ、そんな声出すなんて。
 寛子はきゅっと空いてる方の手を握り締める。
 逆らえない、その声に。—————滅多に聞くことがないだけに、彼女がいかに真剣な話をしているのかを今更ながら痛感してしまう。
『助けて、あげなさい』
 彼女を。あなたを愛することで、『家族』という呪縛から逃れようとしている、弱いけれども、必死な彼女を。
『………重荷だ、って思うんだったら、中途半端に優しくしないほうがいいから』
『そんなこと、ないです!』
 そう思う訳ない。絶対に。それだけは、言える。
 潔い寛子の言葉に、
『そっか』
 そう答えて、携帯を切ったのだった。


「—————悔しいけどさ」
 でも、彼女にそう言われたから、動くことが出来た。ちゃんと、話すことが出来た。
 きっと、彼女以外だったら、寛子は聞く耳を持たなかったであろう。
 言葉とは裏腹に寛子の口元は笑みを作っていた。
「………ん」
 微かな声を上げて、多香子はうにゃうにゃと目蓋を開いた。
「………寝てていいよ」
 安心して。
 寛子の声に、多香子は頷いたけれども、その細い首筋に腕を回した。
「—————寛子」
 好き。
 そのまま、するりと腕を解き、今度こそ深く眠りにつく彼女に、
「寛子も、好きだよ」
 だから、出来る限り、一緒にいよう?—————頑張るから。
 そっと顔を近付けると、柔らかく囁いたのだった。