BREAK OUT EMOTION
4
————コンコン。
あと数センチで唇が触れそうなその時、ドアがノックされた。それと同時にドアが開く。寛子はぐるりと椅子を回転させ、机に向かい、多香子はベッドへとダイビングする。
ドアを開けた人物が部屋を見渡した時、2人は何事もなかったかのように相手を迎えた。
「ど・・・・・・どしたの、絵理?」
「今・・・・・・いいかな?」
絵理子はぼそりと問うた。その情けない声に、多香子はとても心配になる。
「いいけど・・・・・・どうしたの?具合でも悪い?」
多香子の言葉に、絵理子は小さく首を振った。そして、多香子の隣にすとんと腰掛ける。
「訊きたいこと・・・・・・あるんだけど」
絵理子はきゅっと胸元を押さえた。昨夜から胸がくるしくなって、暖かかったり、冷たくなったり忙しくてしょうがない。————もう、それにすっかりくたびれてしまった。
「あたしで答えられるんだったら・・・・・・」
いきなりの言葉に、多香子は言葉を選びながら、答えた。
「うん・・・・・・あのね」
絵理子はちょっと言い淀んだ。視線を落としたまま、小さく問いかける。
「————『好き』ってどういう事?」
「はぁ?」
唐突なその質問に、多香子は思わず大声を出した。
————会話を聴くともなしに聴いていた寛子も、ぐるんと椅子ごと振り返る。
「今・・・・・・なんて?」
動揺している多香子に、絵理子は同じ言葉を繰り返した。
「・・・・・・『人を好きになる』ってどんな感じなのか、知りたいんだけど?」
「絵理、好きな人いるの?!」
多香子は思わず、がっしとその肩を掴み、がくがくと揺さぶった。揺さぶられながら、絵理子はぎゃんぎゃん答える。
「そうじゃないよ!判らないから訊いてるんじゃない!」
「あ・・・・・・そう」
パッと手を離した多香子に、絵理子ははぁはぁと息をつく。
「そんなに変かなぁ?」
あたしがこんな事、訊くの。
「いや・・・・・・そうじゃないけど・・・・・・」
確かに絵理子がこういう恋愛ごとに、興味を持つのは今までにないことである。しかし、絶対に恋など出来ないと信じ込んでいた自分が、こうして恋をしてるのだから、それをどうこう言う気は更々ない。
————ただ、自分にそれを訊かれると困るのだ。
「あのさ・・・・・・絵理・・・・・・」
「ん?」
「それってさ————仁絵ちゃんに訊いたほうが早い気がするんだけど・・・・・・」
————かぁぁぁぁ!
多香子のセリフに絵理子は耳まで真っ赤になる。そして、首をぶんぶん振った。
「き・・・・・・訊けないよ!そんな事、仁絵ちゃんなんかに。絶対、絶対!」
恋愛中の人に、そんなこっぱずかしいこと聞けやしない。
それを言うなら、目の前の2人も恋愛中なのだが、絵理子にはそこまで見抜く洞察力は、まだ、ない。
「あ・・・・・・そう・・・・・・」
絵理子の勢いに、多香子は一瞬身を引いた。しかし、直ぐに自分に難題が課せられてるのに気付く。
「絵理子・・・・・・ちょ・・・・・・ちょっと待って!なんで、あたしにそんな話題振るのよ?」
「だってーーーーーーーー」
多香子に抱きつくと、絵理子はぐりぐりとその額を多香子の肩に押し付けた。そして、叫ぶ。
「他に訊ける人いないんだもん!助けてよ〜〜〜〜多香ちゃ〜〜〜ん」
仁絵と同じで、多香子も絵理子に泣かれるのは滅茶苦茶弱い。困ったような情けないような表情で、絵理子の肩に手を回す。
————じぃぃぃ。
ふと、こちらを興味深々という感じで見ている視線に、多香子はやっと気付く。顔を上げると、寛子が何ともいえない表情で多香子を見つめていた。
『何よ!?』
口パクで寛子を睨む。寛子は慌てた様に首を振ると、くるりと身体を机に向けた。しかし、背中で聞き耳を立ててるのは言うまでもない。
その背中と絵理子を交互に見やると、多香子は悩んだ。そりゃもう、思考をフル回転させた。
————だけど、ここで答えるなんて、できっこない。
考えた末、達した結論がそれだった。
「絵理子・・・・・・・・・・・・」
「ん?」
餌を待ってる仔犬のように瞳をキラキラさせながら————ああ、この瞳に弱いんだ、あたしは————絵理子は顔を上げた。
その肩にぽんと手を乗せると、多香子は重々しく告げる。
「————それは自分で見つけなさい」
「答えになってな〜〜〜〜〜〜い!!」
「うるさ〜〜〜〜〜い」
多香子も同じように叫ぶと、とっとと部屋を逃げ出した。これ以上、この場にいられたもんじゃない。
そして、部屋に取り残されたのは。悩みまくってる仔犬と、複雑な心境の仔猫の2匹なのであった・・・・・・。
「・・・・・・ごめんね」
消灯直前に帰ってきた多香子は、きゅっと背中から抱きついた。パジャマに着替えていた寛子は、その腕を止め、やれやれと息をつく。
「気にしてないよ」
腰に回される腕に、そっと手で触れると寛子は小さく答えた。その答えに、多香子はますます強く寛子に抱きつく。
「————ごめんなさい」
もう一度呟くと、多香子はそっと離れた。寛子はくるりと振り返ると、多香子を見つめる。
情け無さそうに俯いてる多香子が、とても頼りなく見えて、それでもとても可愛くて、寛子は思わず微笑んだ。そして、腕を伸ばし多香子をその中に閉じ込める。
「————気にしてないよ」
「・・・・・・ほんとに?」
腕の中、多香子は寛子を仰いだ。その表情は、もう、胸がかきむしられるほど綺麗で、返事をする代わりに、その瞼に軽く口付ける。
「寛ちゃん・・・・・・」
「あたし、多香ちゃんの事、好きになってそんな時間経ってないけど・・・・・・でも、少しぐらいは多香ちゃんの性格、判ってるつもりだから」
そう、多香子はとてもシャイなのだ。絵理子に面と向かってあんな事を問われて、とまどった末に逃げ出してしまったのだろう————それに、自分が側にいたから。
「・・・・・・・・・・・・」
多香子は寛子の首筋に腕を巻きつけた。ゆっくりとその顔を引き寄せる。寛子も、引き寄せられるまま、多香子に顔を近づけた。柔らかく唇を重ね、静かに離れる。
————好き。
寛子の胸に凭れながら多香子は思う。口には出さなかったけれど。
何も言わなくても、気持ちを判ってもらえる。それが、こんなにも心地好いだなんて、今まで知らなかった。そんな想いを教えてくれた寛子と出会えて、すごく、凄く嬉しい。
その想いを伝えたいけれど、上手く言えそうになかった。だから、多香子は寛子に強く抱きついた。
「多香ちゃん・・・・・・?」
「————なんでもない」
その答えを聞きながら、寛子はくしゃりと笑った。
————こういところが、すごく『らしく』て大好き。
そう思いながら、寛子は再び優しく口付けたのだった。