甘いワナ
後編
「あたしの部屋、見にこない?」
それが誘いの第一歩。だけど、その頃には里奈の噂は色々聞いていたから、それに頷くのは、正直躊躇われた。
「————噂、聴いてるんだ」
躊躇した仁絵に、里奈は軽く微笑む。
「いや・・・・・・そういう、わけでは・・・・・・」
言いよどむ仁絵に、里奈は軽く笑った。
だいぶ、この物置にも慣れた。里奈といるのは、正直、あまり苦にならない。何故だか判らないけど。
「いいよ、別に気ぃ使わなくても。ま、全部とは言わないけど、殆んど事実だし」
「————それって?」
突っ込む仁絵を、あえて無視する。
「ま・・・・・・いいけど。寝るのなんて、簡単だよ、新垣」
くるりと振り返ると、里奈は一歩、仁絵に近付いた。仁絵は、一歩下がる。
「————それは、ちょっと、違うと・・・・・・」
「新垣、好きな人、いるでしょ?」
単刀直入な言葉が放たれる。それに、仁絵は視線をきつくした。
「それを、あなたに答える義務はありません」
「うん。でも、その人とは、両想いになれないんだよね?」
かわいそうに、とちっとも同情していないような声音で里奈は続けた。さすがの仁絵も、それにはむぅっとくる。
「————帰ります!」
しかし、その手を捕まれ、仁絵は逃げられない。壁に押し付けられ、ほとんど口付けされる位置まで、里奈の顔が近づく。
「・・・・・・忘れられるかもよ?」
「————どういうことですか?」
「・・・・・・試してみれば?正直な事を言えば、あたしは、新垣に、興味、ある」
一言一言区切るように、里奈は囁いた。それに、仁絵は首を横に振る。
「————あなたが、代わりになるわけ、ないじゃないですか」
自嘲気味に笑った。その笑顔がいい、と素直に里奈は思う。
「————代わりになるなんて言ってない。ただ、あたしを利用して、いいって言ってるの」
「・・・・・・・・・・・・どういう事ですか?」
里奈の言葉が理解できないのだろう。仁絵は、不思議そうに問い返した。
「忘れる為にそれとも、諦める為にかな?利用しなさい、あたしの事を。————忘れさせてあげるなんて、言わないよ」
————心に想いを溜め込むのは、辛いだろうから。
「どうして・・・・・・」
「ん?」
「どうして、あたしに、そんな事言うんですか?」
「さぁ・・・・・・似てるから、かな?」
苦笑気味に呟く里奈に、仁絵は眉を潜める。
「————正反対の意味でだけどね」
尚更意味不明だ。
里奈はその髪に軽く唇を当てた。そして、瞳で問う。
『さぁ、どうする?』
仁絵は、暫く躊躇していたが・・・・・・静かに瞳を閉じた。それに満足げに里奈は微笑むと、ゆっくりと唇に、唇を押し当てたのだった。
————仁絵が甘いワナにかかった瞬間だった。
END/BACK