月と太陽
9
「・・・・・・いない」
ドアを開けると、ベッドはもぬけの空だった。部屋の中を見回そうとしたヒロは、息を呑む音に思わず振り返る。
『ヒロっ!』
振り返ったヒロの瞳に映ったのは、タカを背後から羽交い絞めにしているエリだった。
「タカちゃん!」
「タカっ!」
ヒトエとヒロは同時に叫んだ。思わず身を乗り出した2人に、エリに取り付いた魔物はタカの首に腕を回す。
「動くなっ!動いたら・・・・・・殺すぞ」
ヒロはその言葉に、手のひらに爪が食い込むほど手を握り締めた。悔しそうに唇を噛む。
このまま黙って見てるしか術はないのか・・・・・・。
噛み締めた唇から血が流れる。だけど、そんな事一向に気にならなかった。
『————ヒロ』
ああ、やっぱりこの人に迷惑をかけてしまう。
悔しがるタカのみ身元、聴きなれた声が小さく囁く。
「ご安心下さい」
『えっ・・・・・・?』
いきなりの不釣合いな言葉に、タカは振り返ろうとする。しかし、その動きは腕で制止された。
「————あなたを傷付けるようなことは致しません」
『お前は・・・・・・何?』
タカは心で叫んだ。魔物はそれに切なげに息をつくと、
「記憶を無くされたのですね・・・・・・判りました。私が、必ずあなたを御帰し致しますので」
————帰りたくない!
タカは切実に思った。そして、ヒロに視線を戻す。
ヒロはただ勁い視線でタカを、タカだけを見つめていた。怒っているように見えるけれど、タカには判る。ヒロがどれほど傷ついているのか。
そう、もう以前の事など関係ない。ヒロさえいてくれたら。————決めたのだ、ヒロと一緒に生きて行くと。どんな事があろうと、どんな困難があろうと、そう、決めたのだ。こんな所で立ち止まってる訳には行かない。
タカはすぅっと息を吸った。そして・・・・・・・、
ガブリ。
エリの腕に思い切り噛み付く。いきなりの攻撃に魔物は一瞬怯んだ。その隙を見逃さなかったヒロは、タカをその腕から奪い去る。
「————大丈夫?」
『うん・・・・・・ヒロぉ』
しっかりとしがみついてくるタカを、ヒロは思い切り抱きしめた。切なげな安堵の息をつく。
「う・・・・・・おのれ・・・・・・」
腕から血を滴らせながら————よほど、思い切り噛み付いたのだろう————魔物はきつい瞳でヒロ達を睨んだ。その視界が、不意に黒いモノで遮られる。
「・・・・・・アンタの相手はあたしだよ」
鞘からすらりと剣を抜き、ヒトエは目の前の相手にそれを突きつける。
「お前・・・・・・どこで・・・・・・それを・・・・・・」
魔物は一歩後づさる。ヒトエは一歩歩み寄った。
「さぁ〜てね」
「ち・・・・・・近寄るなっ!こ・・・・・・この身体どうなっても構わないのか?」
その言葉に、ヒトエは一瞬躊躇した。しかし、すぐに表情を戻すと、ゆっくりと歩みを進める。
「————我を倒すには、この身体を切るしかない。そうしたら、この賢者は死ぬぞ!っそれでもいいのか!!」
上ずりながら、魔物は必死に続ける。構わずヒトエは一歩一歩魔物を追い詰める。
————どうしよう・・・・・・このままじゃエリを殺してしまう。
表情を作りながら、ヒトエはぐるぐる考えていた。・・・・・・そう、実はヒトエは何も考えていなかったのである。