月と太陽
1
カタリと窓が開いた。
人影は辺りを窺うようにきょろきょろと首をめぐらす。そのまま窓から出ようとしたが、不意に動きを止めた。くるりと振り返り、静かにベッドに歩み寄る。
暗闇の中、安らかに眠っているように見える少女。影はその頬に指を伸ばし触れようとするが、ぴたりと動きを止めた。
「————助けるから」
絶対に、この命に代えても。たとえ、彼女がそれを望まないと判っていても。
「・・・・・・だから、待ってて————エリ」
その瞬間、雲が切れ、月明かりが部屋に差し込む。月明かりは人影を照らし出した。————真っ黒な装備を身に纏ったヒトエを。
ヒトエは身を屈め、エリの前髪ごしに軽く口付けた。そして、決心したように面を上げると、今度こそ窓から身軽に飛び出した。
下へと辿り着いたヒトエは、再び背後を振り返った。深夜なのに、たった一つだけ灯りが灯っている窓がある。
「————ごめん、ヒロちゃん、タカちゃん」
ヒトエは瞳を細め、辛そうに呟いた。届かないと判っていた。
だけど、どうしても、じっとしてはいられなかった。こうしてる間にも、エリの体は蝕まれて行く。それを黙ってみてるなんて、出来ない。
————もう、戻れないかもしれない。
そんな想いが胸を掠めた。その想いを振り払うように、頭を振る。————そして、目的地に向かい、駆け出したのだった。
————出逢った頃の夢を見た。
あの頃はまだ『シーフ』というよりも『こそ泥』と言った方が良かった。あの町に行ったのも偶然で、要するに『火事場泥棒』をしにいったのだ。————町が魔物に襲われてると知っていて。
焼け跡を魔物に気付かれないように物色していると、不意に背後でがさりと音がした。
慌てて振り返り、その場を威嚇するようににらみつける。だが、そこにはみたところ6〜7歳ぐらいの子供が、ただただ静かに泣いていた。
目が合ったのは一瞬。だけど、涙に濡れていた綺麗な瞳は、胸に残った。
「・・・・・・仕方、ないよな」
適当に物色して、その場を駆け去りながらヒトエは呟く。まるで、言い聞かせるように。
子供の自分が生きていくだけで精一杯なのだ。感情だけで、生きていける程、この世界が甘くないことは身をもって知っている。
————だけど・・・・・・だけども。
ヒトエは不意に足を止めた。状況を忘れ、ひとしきり考える。
「あ゛〜〜〜〜も゛〜〜〜〜」
どうしてこんなに気になるのだろうか?胸にざわざわと波がさざめく。
長い髪をくしゃくしゃかきむしると、ヒトエは1つ息をついた。くるりと踵を返し、足早に先ほどの場所へと戻って行く。
「もう・・・・・・逃げてるかもしれないしね」
しかし、少女は逃げもせず、その場にぺたんとしゃがみこんでいた。相変わらずぼろぼろ泣きながら。
カタリ。
ヒトエの足元の石が転がる。その音に少女は振り返った。きょとんとした瞳でこちらを見上げる。
煤まみれになっているけれど、可愛い少女だった。仔犬のようにきょとんとした丸い瞳をしている。
「・・・・・・来る?」
「————・・・・・・???」
ヒトエは少女をじっと見つめた。真っ直ぐな眼差し。
「来る?」
「・・・・・・・・・・・・?」
先ほどと同じ会話を繰り返す。埒があかないと思ったのか、静かに歩み寄ると、ヒトエは少女をひょいと抱き上げた。見た目よりも随分軽い。
「・・・・・・————」
抱き上げた少女は仔犬のように震えている。ヒトエの首筋にぎゅっとしがみつき、甘えるように擦り寄る。
「怖かったね」
自分もそうだったから。何もかもを失って、ただ呆然としていたあの日を思い出す。
こくこく。
少女は素直に頷く。その柔らかい甘い体を抱き上げながら、ヒトエはその頭を優しく撫でた。
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