そばにいるきみのために
7
「あーあ」
多香子は、ベッドにごろりと横になると、盛大なため息をついた。
寛子が実家に帰ってから、早一週間。時間はのんびりと過ぎ去っていってる気がしてならない。
「たいくつ〜〜〜」
じたばたじたばた足を動かす。続いてころんと枕を抱えながら、寝返りを打った。
普段だったら、絶対に最終日まで残っている宿題も、仁絵が寮にいるおかげか、8割方終わってしまっていた。
「・・・・・・・・・あーあ」
再びため息をつくと、多香子はむくりと起きあがった。そして、寛子のベッドに視線を向ける。
『多香ちゃん・・・・・・・・』
不意に耳元で声がする。甘く切ない声。寛子はいつでもそうだ。どんなときでも————喧嘩して気まずい時でも、不機嫌な時でも————自分の名前を呼ぶ時の声は、いつもいつでも優しい。
「寛・・・・・・・・」
多香子は両手でぎゅっと自分の肩を抱きしめる。押さえていた心が、どうにも止まらなかった。
逢いたい、触れたい、抱きしめたい。目を見て、きちんと想いを伝えたい。
多香子はふらふらと立ち上がると、寛子のベッドに歩み寄った。枕にぽすっと顔を埋め、小さく息をつく。その瞬間、嗅ぎなれた香りが鼻を掠めた。
————寛子の匂いだ。
寛子の残り香に、多香子の胸はきゅうっと痛くなる。自然にあふれようとしている涙をこらえるのが、精一杯だった。
いつから、こうなってしまったのだろう?今の自分を一年前の自分が見たら、きっと鼻で笑うに違いない。
それが寂しいことだなんて知らなかった。寛子が教えてくれた、気づいてくれた。————本当の自分を。
「・・・・・・・・たい」
小さく小さく呟くと、多香子はそっと瞳を閉じた。
「多香ちゃ〜〜〜ん」
ドアをノックしても、返事がないことを怪訝に思い、仁絵はおそるおそるドアを開いた。と、そこには、枕を抱え寛子のベッドで、くぅくぅと眠っている多香子がいた。
「え〜〜〜と」
困ったように前髪をかきあげながら、仁絵はそっとベッドに歩み寄る。しかし、多香子は目を覚ます気配すらなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱ、綺麗だなぁ」
可愛い娘が多いと評判鋸の学園でも、多香子の美貌は群を抜いていた。
心まで見透かされそうな強い瞳。薄い唇、スッと通った鼻筋。————十人中九人に『綺麗』と思わせる多香子は、この学園ではちょっとは名を知れた存在だった。
でも、それは寛子と出逢ってからのこと。
寛子と出逢ってから、多香子は変わった。頑ななな蕾だったのが、綺麗に花開いたかのように。
「寛ちゃん・・・・・・・・大変だろうなぁ」
しみじみと仁絵は呟く。
でも、寛子も変わりつつあるのを、仁絵はちゃんと気づいていた。子供子供していた顔付きは、どこか大人っぽくなり、それより何より人を慈しむことを覚えた。
多香子が大切で大切で堪らない、という気持ちは、二人の関係を知っている仁絵は、見てて痛いくらい感じる。
絵理子もそうだ。ころころしていた子犬が、急に成長してしまった気がしてならない。柔らかい表情の中にも、ふっと意志の強さを感じさせる表情を見つけるたびに、ずきりと胸が痛むのは、何故だろう?
「・・・・・・・・変わってないのは、あたしだけ、か」
ぽそりと呟くと、仁絵は細く息をついた。その空気の動きに、気付いたのか、多香子が小さく身動ぎした。
「う〜〜〜ん」
そして、ぱっちりと目を開く。
————起こしちゃったかな?
しかし、多香子はぼんやりとした視線を仁絵に向けただけだった。どうやら、寝ぼけているらしい。
「た・・・・・・・・多香ちゃん?」
目の前で、手をひらひらさせてみるが、ほとんど意識はないらしい。ぽや〜〜とした視線で、仁絵を見続けていたが、不意ににこぉっと微笑った。
その笑顔はあまりにも無邪気で、仁絵ですら見たことのない笑顔だった。
————うわぁ!!
不意に、多香子の腕が延び、寝顔をのぞいていた仁絵の首筋に巻き付いた。驚いたのは、仁絵である。
「ちょ・・・・・・・・ちょっと多香ちゃん!」
ふりほどこうとするが、思いの外、多香子の力が強くて離れない。両手で、二人分の体重を支えていると、小さな小さな声が耳に届いた。
「・・・・・・・・行かないで」
「えっ?」
「どこにも・・・・・・・・いかないで」
「多香ちゃん・・・・・・・・
その囁きを最後に、するりと腕がほどけ、多香子は再び眠りの世界に戻ってしまった。
取り残された仁絵は、何ともいえない表情をしたまま、その寝顔を見つめているだけだった。