桜の花が咲く頃に

 

「卒業、おめでとう」

「また、逢おうね」

 そんな言葉が交わされる校庭。新垣仁絵は、春にしては弱い風の中、晴れた空を見上げた。

「————卒業式日和だなぁ」

「そんな日和ってあるの?」

 隣でクラスメイトがくすくす笑いながら問う。それに、仁絵は軽く笑うと、再び空を見上げた。

 

*      *

「————仁絵ちゃん」

 休み時間、教室で居眠りしていた仁絵は、幼い声で起こされる。

「………うん?」

 きょろきょろと辺りを見回すと、仁絵のすぐ横にある廊下側の窓から、ひょこんと二つの顔が覗いた。

「・・・・・・どしたの?こんなところまで」

 そこには幼馴染みである今井絵理子と島袋寛子が立っていた。3年生である絵理子達が、仁絵の教室へと来るのは相当な勇気がいったと思う。

「だってさ・・・・・・最近、仁絵ちゃん忙しいって遊んでくれないから」

 『むぅ』と膨れる絵理子をたしなめる様に、寛子は隣を睨む。

「仁絵ちゃん、受験なんだよ?忙しいに決まってるじゃない。今、何月だと思ってるの?」

 2月もそろそろ終わるこの時期、仁絵は受験の為に学校に来る事自体少なくなっていた。それが絵理子にはご不満らしい。

「だってさぁ〜〜〜」

 ぶちぶち言う絵理子に、仁絵は微笑む。

「ごめんね・・・・・・でも、もう、終わったから。あとは発表待ち」

 その言葉に、絵理子は顔を輝かせる。

「じゃあ、じゃあ、今日、遊びに行ってもいい?久し振りだし!いい?」

「いいよ・・・・・・ちょっと散らかってるけど」

 そして、寛子にも視線を向ける。

「ありがとね、寛ちゃん。気ぃ使ってくれて」

「・・・・・・別に」

 唇を尖らせながら、寛子は呟く。だけど、これは寛子の癖であって、けして怒ってる訳ではないことを、仁絵は知っていた。

「寛ちゃんも来るでしょ?おいで」

「————うん」

 仁絵の誘いに、寛子も嬉しそうに頷いた。

 

 

「あらあら、寛ちゃん、絵理ちゃん、久し振りねー」

 仁絵の母に出迎えられて、二人は礼儀正しく挨拶をする。

「こんにちわ」

「お邪魔します」

「相変わらず2人とも可愛いわね〜〜〜」

 よしよしと頭を撫でると、仁絵の母は2人に上がるように勧める。

「仁絵、部屋にいるから。————クッキーとケーキどっちがいい?」

『ケーキ!』

 絵理子と寛子が同時に答えると、仁絵の母は嬉しそうに微笑った。

 

「お邪魔します」

「はい、どうぞ」

 仁絵はドアを開けると、2人を招き入れた。わきゃわきゃと入ってくるお子様に、仁絵は苦笑する。

「それよりさ、仁絵ちゃん、何処受験したんだっけ?」

 程無くして出されたおやつを食べながら、寛子は問う。

「S女学院とかT学院とか?」

「まぁ、そこも受けたけど・・・・・・」

 言いよどむ仁絵に、寛子も絵理子も深く突っ込まなかった。まだ、合格発表されてないから、ナーバスになってるのだろうと、小さいながらも考える。————しかし、それは違っていたということを、2人は後で知る。

 

 

「新垣、受かったのか?」

「おかげ様で」

 合格の挨拶にいった職員室で、担任が安堵の息をつく。そして、名簿に視線を落とすと、仁絵の欄に丸をつけた。————その中には、もちろん×がつけられているクラスメイトもいて、現実の厳しさを知る。

「しかし、良く受かったな。————あそこ、全国的に有名な学校だから、倍率も激しかっただろう?」

「今年は30倍だと聴きました」

 その言葉に、担任は目を丸くする。そして、しみじみと仁絵を見つめた。

「よくまぁ・・・・・・」

「本当に」

 仁絵も苦笑する。それに、やっと年相応の笑顔を見つけて、内心担任は安堵する。

「大学までのエスカレーター・・・・・・に、全寮制か・・・・・・。新垣、大丈夫か?」

「え?」

「————慣れない土地は大人にだって辛い。それをわざわざ選んだってのは・・・・・・覚悟あるんだろうなぁ。それに、お前と仲良しの・・・・・・3年の島袋と今井。彼女達も悲しむだろうなぁ」

「ええ・・・・・・」

 複雑そうな表情で、仁絵は頷く。そして、頭を下げた。

「じゃあ、失礼します」

「ああ、おめでとう」

 その言葉に頷くと、仁絵は静かに職員室を出て行ったのだった。

 

「仁絵、片付けは進んでる?」

「うん。後、こまごまとしたもの送るだけ」

「————ほんとに、全寮制の学校だなんて。受かると知ってたら、受けさせるんじゃなかったわ」

 お茶を飲みながら、母親がしんみりと溜息をつく。それに仁絵はムッとした表情で返した。

「仕方ないじゃない、受かっちゃったんだから!」

「そうね・・・・・・でも、寛ちゃんと絵理ちゃんにも暫く逢えなくなるわね」

 その言葉には、胸が痛む仁絵だった。

 

「・・・・・・・・知ってるよ」

 ベッドに寝転がると、仁絵は自分の部屋の天井を眺めた。

 この部屋とももうすぐお別れである。しかし、そのことよりも仁絵の胸に到来するのは、『痛み』だった。

「言われなくても・・・・・・もう、そう簡単に逢えなくなるって」

 でも、そういう風にしたのは自分だ。いや、逆に進んでその道を選んだと言っても良い。

 仁絵は起き上がると、最後まで送るかどうか悩んでいるフォトスタンドに視線を向けた。

 寛子と自分と絵理子。仲の良い幼馴染み。————そう思ってる人がほとんどだろう。本人達もそう信じて疑ってなんかいないはずだ。

————でも、自分だけは違う。

 いつからだろう、胸の中に逆巻く感情を見出したのは。一緒にいると楽しいはずなのに、それが時々物凄く辛くって。

 仁絵は胸を押さえた。想うだけで、胸がつきつきと痛む。

 その笑顔を独占したくって。自分だけに向けて欲しくって。だけど、それは出来ないと本能的に気付いていて・・・・・・。苦しかった、これ以上側にいると、きっと自分は、自分の事を信じて疑わない彼女のことを傷付けてしまうに違いない。そう、確信していた。

————子供だけど、子供なりに真剣に考えた。そして、出した結論。

 彼女と・・・・・・絵理子と離れる。そう、決めた。

 

「仁絵ちゃん!!」

 卒業式まで、あと数日。そんな時、絵理子がどたばたと仁絵の家にやってきた。よっぽど慌てたのだろう、上着も着ていない。

「どうしたの、絵理ちゃん?」

 丁度、母親は出かけてて留守。出てきた仁絵に、絵理子は視線を上げて問うた。

「県外の・・・・・・学校に行くって・・・・・・ほんと?」

 『嘘だよね?』と瞳が語っていた。そう信じたいと訴えていた。しかし、仁絵はあえてそれを見ない振りをする。

「本当だよ。————もう、荷物はあっちに送った」

「どうして!?こっちにだって、学校いっぱいあるじゃない!どうして、そんなとこなんて・・・・・・」

「絵理ちゃん」

 仁絵の静かな言葉に、絵理子はびくっと身を強張らせた。そして、恐る恐る仁絵を見つめる。

「あたしが、決めたの。もう、決めたんだよ」

「————どうしてっ!?」

 絵理子は叫んだ。そして、仁絵を見上げる。

「やだよっ!仁絵ちゃん、いなくなるの、ヤダ!ヤダヤダヤダ!」

 ダダを捏ねる絵理子を仁絵は切なげに見つめた。そして、三和土に降りると、絵理子と対面する。

「困らせないでよ・・・・・・」

 君の為に、離れるんだから。

「だって・・・・・・だってぇ・・・・・・」

 絵理子は仁絵に抱きついた。仁絵は一瞬躊躇したが、その身体を抱きしめる。

————絶対に、忘れない。この身体の温もりを。これから先、他の誰に抱きしめられようとも。

 仁絵は浮かんだ涙を悟られないように拭うと、絵理子の顔を覗き込んだ。

「もう絶対あえないわけじゃないし。休みには、帰ってくるよ」

————大好きだよ。素直で、泣き虫で純粋な、絵理。この世で一番。

「行かないでよ・・・・・・」

 泣きじゃくる絵理子の言葉に、仁絵は困ったように首を横に振ったのだった。

 

 

*      *

 

「風が強くなってきたね」

 髪を押さえながら、仁絵は呟く。それに、クラスメイトは頷くと、

「じゃ、そろそろ、校門の方にいこっか?」

 仁絵を促した。仁絵は、二、三歩歩みかけたが、ふと、振り返る。

 桜の花びらが、風に吹かれて揺れている。それを見上げ、仁絵は小さく呟いた。

「行ってきます」

 これから、君のいない生活になるけれど。絶対に、忘れない。この街で暮らして、彼女を好きになった日々を、絶対に。

「ひとえ〜〜〜〜」

 遠くから呼ばれる声に、仁絵は振り返ると、その場へと駆け出したのだった。

————もう、仁絵は振り向かない。

 

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