以前、ヒロ達が泊まっていた部屋の扉が、勢い良く開いた。それに振り返るでもなく、エリはぶつぶつと何事かを呟き続けていて。
 ぐぃっと肩を引かれ、後ろを向かされたその瞬間、エリに物凄い衝撃が走る、
「………っ」
 その勢いで壁際へと跳んだエリは、反射的に痛みの箇所を抑え、顔を上げた。視線の先にいるのは、険しい顔をしているリナで。
「何してるんだい?賢者様」
 つかつかと歩み寄ると、片膝をついて顎を掴んで自分の方を向かせる。
「何、甘ったれてんの?」
 その手を振り払う事も無く、エリはただ虚ろな目でリナを見つめるだけで。
 がしぃ!
 そんな相手の頬に、渾身の力を込めて拳を叩きつける。エリの身体が床に突っ伏し、反動で跳ねた。
「そうやって、閉じこもってる訳?」
 立ち上がり、腹に蹴りを一発。
「ぐ………ふっ………」
 流石に効いたのか、エリが身体を二つに折った。
「ヒトエが何も言わないのを言いことに?」
 短い髪をむんずと掴み、腕の力だけで上半身を持ち上げる。その顔に吐き捨てる様に呟く。
「あんたばっかり辛い想いしてんじゃないよ!」
 このガキが、甘ったれんな!
 今度は鼻っ柱に、肘を打ち付けて。ぐしゃりとイヤな音がした。
 倒れようとするが、リナに頭を掴まれてそれすら叶わない。—————だから、エリはぼんやりと思う。
 何だ………どうして………こんなに、彼女は。一生懸命なんだろう?
 もういいんだ、あたしなんか、誰の役にも立てないんだ………もぉ、放っておいてよ。
 だって、ヒロちゃんはもういない。タカちゃんだっていない。気配すら、感じられない。—————何も、出来ない。
 絶望の淵へと追いやられる感じ。
 全身の力を抜いたエリをリナは床に叩きつける。
「あんたが、そっちに行っちゃったら、ヒトエはどうすればいいんだよ?」
 戻って来いと、叫びながら、リナはエリを殴り続ける。その痛みが、エリの意識をはっきりとさせていく。
「………エ、ちゃん?」
 その言葉が、ある種のキィーワードの様に、エリの胸にすとんと落ちた。
 そうだ………ヒト、エちゃん………。ヒトエちゃん、護らないと………それすら出来なかったら。
「………たし、の………がない」
 うつ伏せに床に倒れたまま、エリはぼそりと呟いた。
「………?」
 その言葉を聞こうと、リナは殴る腕を止めた。その目に映るのは………。腕立てをする様に、両手を床について起き上がろうとするエリの姿で。
「エリ………」
「ってぇなぁ、もぉ」
 ぺっと口から溜まった血を吐き出す。それと同時に『かつーん』と渇いた音が響いて。
「歯ぁ、折れちゃったじゃん、リナ」
 ぐいっと口許の血を拭いながら、エリは胡坐をかく。そのまま、壁に寄りかかった。
「ちょっとはさ、手加減しようとか思わなかった?」
 頬をつぅっと自らの指で撫でると、そこにあった傷は見る見るうちに消えて。
「あんたを起こすのは大変だからさ」
 手加減なんて、してられなかったよ。
 くすくす笑いながら、リナはしゃがみ込んでエリと視線を合わせる。
 目に力が戻っている。いつもの、エリだった。仔犬の様な、太陽の様なエリだった。
「もぉ、大丈夫」
 あたしには、まだ、することがあるんだ。諦めちゃ、いけないこと。
「なら、良かった」
 殴った甲斐があったよ、うん。
 へらりと笑うリナは、不意に反対側の壁へと吹き飛ばされる。
「………ったぁ〜〜」
 エリの右足が伸びて、リナの腹にクリーンヒットしていた。
「あんたねぇ〜〜〜!」
 いきなり、何すんのよ!折角、助けてあげたのに!
「もうちょっとやり方考えろ!」
 痛い想いすんのは、こっちだ、こんちくしょう!何発、殴りやがった、てめぇ!
 ぎゃんぎゃん吠え合う二人の声は、宿中に響き渡るのであった。