Power


 目を開けると、もう、部屋は暗かった。————いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
「………何時?」
 枕元の携帯を手に取ると、『20:02』。ついでに『着信有り』の表示も。
「………ふん」
 時刻だけ確かめると、寛子は携帯を枕元に放り投げた。そして、再び横になる。
「————めんどい」
 思わず言葉にする。そうすると、本当にそうなってしまうから人間の心理というのは不思議なもので。何もかもが面倒になる。動くことも、食事する事も、何もかも。
 前髪をさらりとかき上げ、小さく息をついたそんな時————チャイムが鳴った。

「あ〜〜〜〜、うるさい!」
 こちらの気持ちを知ってか知らずか、ガンガンと鳴らされるそれに、とうとう寛子は起きあがった。————こんな事をする人間は、一人しかいない。………それは、今、一番逢いたくない人なんだけど。
 がちゃり、と扉を開けると、そこにいたのはやはり多香子だった。怒ったような瞳でこちらを睨み付けている。
「………うるさい」
「今日、行くって携帯に留守電入れた」
「………見てない」
「メールも入れた」
「だから、見てないって」
 寛子の返事に、多香子はますます口をへの字にした。そして、玄関へと足を踏み入れる。
「今日は、帰って」
「————ヤだ」
 強引に入り込み、後ろ手でドアを閉めると、多香子は寛子にいきなり抱き付いた。不意打ちに、支えきれずに思わずしゃがみ込む。
「………多香ぁ」
 尾てい骨を思い切り打った痛さに、思わずこれしか声が出ない。しかし、多香子は寛子に甘えるようにすり寄ると、きゅっと首筋に腕を巻き付ける。
「————どしたの?」
 全く、甘ったれなんだから。
 どこか諦めたような口調に、多香子は視線を寛子と合わせた。力のある、気持ちまで見透かすような綺麗な、瞳。
「………多香?」
「どうしたの、は多香のセリフだよ」
「………え?」
 多香子は寛子の頬を両手で包み込んだ。そして、こつんと額をくっつける。
「………また、何もかも、イヤになっちゃったの?」
 どくり。
 不意に、鼓動が高まった。だけど、それを隠して、微笑む。————どうせ見透かされると判っているのだけれど。
「………寛子」
 無理して、笑わなくていいんだよ。多香の前では。
「………………」
 むかつく、目の前がぐらぐらする。吐き気がする。————吐き出せない、想い。
 この世で一番大好きな人。だけど、一番憎らしい人。自分が自分で無くなって、しみじみと自分の弱さを見せつけられる。
 一人でいると、何だか暗いことばっかり考えてしまって。何もかも億劫になってしまう、最低な自分。
「………それでも」
「………ん?」
 寛子は多香子に抱き付いた。そして、叫ぶ。
「それでも………あたしは多香を手放せない!」
 いきなりの言葉に、多香子は目を丸くした。だけども、その背を引き寄せるように抱きしめると、甘く囁く。
「そう思ってくれるんだったら、手放さないでよ」
「でも………あたしは………」
 強くないのだ。腕の中の相手ほど。————自分は自分という確かな自我もなくって。迷ってばっかり、考えてばっかり。そして、こうして相手に心配させてしまう。
「あのね………多香は」
 強いから、寛子を好きになったんじゃないの。そういうどこか不安定な所も、全部含めて、好きになったんだよ。
「………………多香」
「たまにはお姉さんに甘えなさい」
 どこか威張ったような口調で告げる相手に、寛子はぷっと吹き出した。その反応に、多香子は『なんだよぉ』という表情をする。
「………お姉さんとは、こんな事出来ないよ」
 額をこつんとくっつけると、唇に軽く唇を当てる。
「………………」
 むぅっとした表情で、こちらを見つめる多香子に、寛子は小さく小さく息をつくと、
「————寛子でいいの?」
「寛子が、いいの」
 弱気になった時に、その気持ちを吹き飛ばす力をくれる彼女。————手放せないのは、きっと自分の方。
「こら」
「あが」
 多香子は不意に寛子の鼻をつまみ上げると、『めっ』と告げる。
「………にゃにするんだよぅ」
「また、情けない事、考えてたでしょ」
 ————なんで、判ったんだ?
「判るよ」
 全く、もう、と微苦笑する多香子に、寛子も苦笑いを返す。
「………そっか」
「そうなんです」
 ふふん、と口元だけで微笑うと、再び寛子の首筋に抱き付く。
「————そーゆー情けないとこ見せられるのも、嬉しいんだけどね」
 少しは頼られてるって証拠だもんね。————正直、好きな人の力になれるってのは、嬉しいんだよ?判らないかなぁ。
「え?何?」
 今、ちょっと聞こえなかったんだけど。
「何でもなーい」
 寛子の言葉にそう返事をすると、誘うように瞳を閉じた。

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