Pain
05
「おはよー、多香ちゃ・・・・・・」
人がごった返す朝の食堂。多香子を認めた絵理子は、明るく挨拶しようとした・・・・・・したのだが、多香子の表情を見て口を閉ざす。
ただでさえ『冷たい』と称されるその表情に『不機嫌』がプラスされるとこんなにも怖いものなのか。
絵理子は戸惑ったように、辺りをきょろきょろと見回す。そして、寛子がいるのを確認すると、慌てて駆け寄った。
「おはよう・・・・・・寛・・・・・・」
ここでも絵理子は口を閉ざした。寛子の表情にも、多香子に負けず劣らず『不機嫌』と書いてあったから。
絵理子は再び逃げ出した。逃げ込んだ先は、もちろんあの人のところである。
「仁絵ちゃ〜〜〜〜〜ん」
のんびりと朝食を取っていた仁絵は、その声に顔を上げる。そこにはえぐえぐとほとんど泣きそうな表情の絵理子が立っていた。
「ど・・・・・・どしたの、絵理ちゃん」
「なんか怖いの〜〜〜」
運良く空いていた仁絵の隣にすとんと腰掛けると、絵理子は一生懸命訴えた。仁絵はやれやれと息をつくと、食事の手を休め、絵理子の話を聴く準備をする。
「怖いって何が?」
「多香ちゃんと、寛ちゃん。2人ともむっつりしててさ、近寄れないの〜〜〜」
その言葉に仁絵は視線を食堂内へと彷徨わせた。絵理子の言葉通り、普段だったら一緒に食事をとっているのに、今日に限っては別々に食べている。しかも、2人とも同じような————それはそれはとっても不機嫌な————表情して。
「ふむ」
仁絵は顎に手を当てると、軽く頷いた。そして、そのまま食事を続行しようとする。
「仁絵ちゃん!」
「あ・・・・・・」
その手から箸を奪い取ると、絵理子はぶんぶんとそれを振り回した。
「え・・・・・・絵理ちゃん、危ないって」
「あたしの話、真剣に聞いてよ!」
「聴いてるってば。————大丈夫、心配する様なことじゃないって」
「・・・・・・どういうこと?」
絵理子はその言葉に、渋々と箸を返した。仁絵はそれをカタンとトレイに置くと続ける。
「ただの喧嘩だよ。そんな気にしなくてもいいよ、絵理ちゃんだって、喧嘩ぐらいしたことあるでしょ?」
「う————でもぉ」
絵理子は前髪をがしがしかきあげると、小さく息をつく。
「絵理ちゃん?」
・・・・・・何をそんなに心配してるの?
「————元に戻ったってことは、無いよね?」
そして、仁絵に縋るような視線を向ける。
姉である多香子と幼馴染みである寛子の仲を————この2人は出会った頃はそれはそれは仲が悪かったのである————誰よりも心を痛めていたのは、絵理子であった。
それに気付いた仁絵は、絵理子のサラサラで綺麗な髪をそっと撫でた。
「大丈夫だよ」
好きで付き合ってるのならば、喧嘩は絶対にありうる。だけど、絵理子にはあの2人が『恋愛関係』であるのが判らないらしい。
こういうところは絵理子はとても鈍い。それなのに————いや、それだから————絵理子はモテるのであろう。
「ほんとに?」
しゅんとした表情のまま、絵理子は呟いた。それに仁絵は告げる。
「あのね、絵理ちゃん」
「うん?」
仁絵の声に絵理子は視線を上げた。例えれば仔犬の様な瞳で、こちらをじっと見つめる。
「あのね、喧嘩ってのは、確かに『相手がいやだなぁ』って思いながらするってこともあるけど、逆の場合もあるんだよ」
「逆?」
仁絵はうんと頷いた。絵理子の手に手を重ね、続ける。
「好きな相手だから喧嘩するってのもあるんだよ。大丈夫、あの2人はそっちの方だから」
お互いをもっと知りたくて、分かり合いたくて。
「そうなのかなぁ?」
尚も心配げに呟く絵理子の肩をぽんぽんと叩くと、
「そうなの!」
仁絵は力強く応えた。その答えに、絵理子はやっと笑顔を見せたのだった。