LOVE IS HERE

 

「んーと」

 どうせ、昨日の今日で眠れないことは判っていたので、寛子は珍しく机に向かって勉強などをしてみることにした。しかし、どうしたって手につくわけがない。

「あ〜〜〜〜あ」

 大きく溜息をつくと、ついにはシャープペンをパタリとノートに放り投げた。そして、頬杖をつきい、物思いに耽る。

「あたし・・・・・・どうしたいんだろうなぁ」

 自分に問い掛けてみる。

 好きと自覚してもどうすれば良いのか判らない。小学生の頃のように『両思いです。じゃ、そゆことで』という関係だったら、正直欲しくない。

 だったら・・・・・・だったら、何をしたいんだろう?

 寛子はその姿勢のまま、再び溜息を落とした。

 そんな時・・・・・・、

「あの・・・・・・」

「————え?」

 不意にかけられた声に、寛子は椅子ごと振り返った。部屋の境界線のカーテンが人1人分開き、パジャマ姿の多香子がそこにいた。

「う・・・・・・上原さん・・・・・・」

 何故だかどもってしまう。

「あの・・・・・・英和、貸してくれない?」

 カーテン越しに、多香子の机の上も灯りが灯っているのが判った。きっと、勉強していたのだろう。

「あ・・・・・・ああ、うん」

 机の上に手を伸ばし、辞書を取る。ゆっくりと歩み寄ると、多香子に向かってそれを差し出した。

「はい」

 多香子は黙ってそれを受け取る。そのまま立ち去るのか、と思いきや、何故だかその場を動こうとしない。

「————上原さん?」

「————ちょっと、時間、いい?」

 いきなりの申し出に、寛子は瞳をぱちくりとさせる。しかし、直ぐに我に返ると、こくこくと何度も頷いた。

 多香子は、そんな寛子の態度にくすりと微笑うと、寛子の部屋にゆっくりと足を踏み入れ、静かに寛子のベッドに腰掛けた。寛子はそのまま動けない。

「————訊かないのね」

「え?」

「昨夜の、こと」

 多香子の言葉に、寛子は切なげに瞳を細めた。その表情を真っ直ぐに見つめながら、多香子は続ける。

「傷のことも————なにも訊かないのね、あなたは」

「だって・・・・・・」

 寛子は思わず多香子に歩み寄った。そして、同じように視線を返す。

「だって!だって、訊いたってあたし、何もして上げられないもん!何を訊けっていうの?」

 両手をぶんぶんさせながら、寛子は怒鳴る。多香子は冷たい視線のまま、冷たい口調で告げた。

「————バカ」

「ど〜〜せ」

 判ってるそれぐらい。そして、そんな相手に惚れてしまった自分を知ったら、もっと『バカ』だと思うのだろう、この人は。

————それでも、それでも、こうして言葉を交わせる事が嬉しいのだ。情けないことに。

 ふんと寛子は横を向いた。

 しかし、多香子は何を思ったのか、いきなりベッドから立ち上がる。そのまま帰るのかと思った寛子は、視線を戻した。その寛子が見たのは、悔しそうな多香子の顔だった。

「バカ・・・・・・」

 そう呟くと、いきなり抱きついてきた。不意打ちで寛子は支えきれなくて、そのまま床に倒れてしまう。「————ったーーーー!」

 強かに打った後頭部をさする。そんな寛子を多香子はじっと見つめるだけだった。強いのか弱いのか微妙な加減で揺れる瞳が、寛子を見下ろしている。

————ああ、綺麗な瞳。

 寛子はぼんやりと思う。初めて逢った時から、ずっと惹かれていた。どんなに『嫌い』だと思っていても、この瞳だけはいつも胸にあった。

 思わず寛子は手を伸ばし、その頬に触れた。多香子は身動ぎもせずに、寛子の瞳を見返す。

 その瞳に、どうしても気持ちを押さえ切れなかった。心の縁ぎりぎりまで来ていた想いが溢れるように、自然に言葉が口をついた。

「————好き」

 多香子は驚いたように瞳を見開く。躊躇しながら、寛子の手に自分の手を重ねた。そして、囁く。掠れた声で。

「あたしのこと・・・・・・嫌いだったんじゃないの?」

「うん・・・・・・でも、今は好き」

 寛子は身を起こすと、昨夜のように多香子を胸に引き寄せた。されるがままに、多香子はその腕に閉じ込められる。胸に耳を当て、多香子は黙って瞳を閉じた。

「何処が好きとか、何が好きとか判らないんだけど・・・・・・だけど・・・・・・」

 優しく優しく綺麗な髪を撫でた。それは、うっとりするぐらい心地よくて、多香子はますます寛子に擦り寄る。その行動が、とても愛しい。

「あたしのこと、直ぐに好きになってくれなんて言わないよ・・・・・・だけど・・・・・・」

「嫌いじゃない」

「は?」

 意外な返事に、寛子はその手の動きを止める。多香子は面を上げると、キツイ瞳で寛子を見た。

「嫌いじゃ、ない」

 今度は寛子が驚く番である。先程の多香子のように瞳を開く。しかし、次の瞬間、華が綻ぶようにパァっと微笑った。

————今、判った、この笑顔だ。

 多香子の胸は、ドクリと鳴る。

 誰にも言えなかったけど、自覚すらしてなかったけど————好きだったんだ、この微笑みが。

 いつも真っ直ぐで太陽みたいに輝いていた。それに惹かれることを、自分のプライドが頑なに拒んでいた。

 嫌いと思うたび、好きになっていった。どんどん想いは深くなっていった。屈折した心に、寛子の笑顔は目を背けたくなるぐらいまぶしかった。————それを、素直に認めるのが悔しかっただけ。

 だけど・・・・・・だけど、今は・・・・・・。

 意地を張っていた自分がバカみたいに思えた。最初からこうしていれば、きっときっと楽だったのに。

 多香子は小さく息をつくと、全身を寛子に預ける。その重みを感じながら、

「・・・・・・今は、その言葉だけでいいや」

 そう告げると、寛子は多香子をきゅっと抱きしめる。多香子もその背に恐る恐る腕を回した。その感覚が嬉しくて、寛子はますますキツく多香子を抱きしめた。そして、額と額をこつんとつけると、互いにくすくす笑い合う。

 

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