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dear 後編 部屋のベッドでは、タカがく〜く〜と眠っていた。ヒロは当てずっぽうが当たって呆然としているヒトエを押しのけると、慌てて部屋へ足を踏み入れた。静かにベッドに近寄ると、そこに腰掛け、タカの頭にそっと触れる。 柔らかいさらさらした感触。夢ではなく、実際存在する手応え。 それを感じて、ヒロはやっと息をつく。『安堵』の次に胸に到来したのは『怒り』だった。心配していた分だけ、それは大きい。 『・・・・・・・・・・・・』 人の気配を感じたのか、う〜〜〜〜んと身動ぎすると、タカはぼんやりと目を開けた。その瞳に、怒った表情のヒロが映る。 慌ててタカは飛び起きると、ヒロの表情を恐る恐る見上げた。いつもだったら、この視線で許してしまうヒロだが、今回ばかりは違う。本当に怒っていた。 「タカちゃん」 静かだけど、怒りを込めた声音でその名を呼ぶ。口が聞けない分、タカはそういうのには敏感だ。思わずベッドの上にちょこんと正座する。 「約束したよね?1人で出歩かないって」 『・・・・・・ごめんなさい』 「謝ればすむわけじゃない!」 思わず声を荒げるヒロに、タカはびくっと身を竦めた。いつに無く険悪な雰囲気の2人の間に、流石にエリとヒトエは割って入る。 「まぁまぁ・・・・・・ヒロちゃん落ち着いて」 「タカチャンだって、悪気があったわけじゃないんだし」 『ね?』と確認するように、タカを向く。タカはヒトエにこくこくと頷いた。 「————悪気があったら、余計困る」 2人のフォローにもヒロは連れない。エリとヒトエは、顔を見合わせ『あ〜あ』と溜息をつく。 その光景を横目に、ヒロは立ち上がり、黙ったまま部屋を出て行こうとする。そんなヒロに、タカは慌ててベッドから降りると、上着を必死につかんだ。しかし、ヒロはその手を冷たく振り払う。 『・・・・・・・・・・・・!』 ヒロの、そんな冷たい態度は初めてだったので、タカは驚いて立ち竦む。目の縁にはもうぎりぎりまで涙が溜まっていた。しかし、タカはもう一度果敢にチャレンジする。ヒロはくるりと振り返ると、タカの手を再び外し、きっぱりとした口調で告げた。 「もう、勝手にすればいいよ!1人で遊びに行こうと何しようと、あたしには関係ないから!」 『違う・・・・・・違うよ、ヒロちゃん!』 懸命に涙を堪えながら、タカは訴えた。だが、ヒロはそのまま、部屋を出て行ってしまった。 『・・・・・・・・・・・・ッ!』 ————————————嫌われた。ヒロに嫌われた・・・・・・。 タカはその場にへなへなとしゃがみ込む。心臓がズキズキ痛む。ひとりでに涙がぼろぼろ零れる。 「タカちゃん!」 エリはタカに駆け寄ると、しゃがみこんで顔を覗き込んだ。その横を、ヒトエがすいっと通り抜けてゆく。 『あっち行ってくる』 『お願い』 エリと瞳で会話すると、ヒトエは静かに出て行った。 「タカちゃん・・・・・・タカちゃん、大丈夫?」 『どうしよう・・・・・・』 抱き寄せてくれるエリの胸をどんどんと拳で叩きながら、タカは喚く。誰にも聞こえない叫びだったけど。 『どうしよう・・・・・・どうしよう・・・・・・!』 不意にエリの胸に顔を埋めると、タカはびーびー泣き出した。 頭の中が真っ白になる。もう何も考えられない。 ただひたすら、タカは泣き続けた。 「な〜に、むくれてるわけ?」 自分達の部屋でむっとしているヒロに、ヒトエは軽い口調で声をかけた。しかし、ヒロはそっぽを向いて答えようとしない。 「タカちゃん、泣いてたよ〜〜〜」 ヒトエの言葉に、ヒロの胸はつきりと痛む。思わず心臓の辺りを手で押さえた。ヒトエは、ヒロの仕草に少しだけ安堵する。 ————これは、大丈夫。もう一押しだな。 「————心配のあまり怒っちゃった心境はわかるけどさ、後悔してるんだったら謝った方がいいよ」 「後悔なんて・・・・・・」 ヒトエに向き直り、ヒロは口を尖らせる。そんなヒロを見つめるヒトエの表情は、困った子供を相手にしている大人の表情だった。 「————ただ」 「ただ?」 優しくヒトエは促す。俯きながら、ヒロはぽつぽつと語り始めた。 「あたしばっかり心配してさ・・・・・・なんか、悔しくなっただけ」 いつだって、そうだ。自分はタカに振り回されっぱなしである。ほんと、些細なことで喜んだり落ち込んだり。 今だってそうだ。結局、タカは自分との約束なんて大したことじゃなかったんだろう。 そう思ってしまった。ただの子供のわがまま。 「だから・・・・・・だから」 「もういいよ」 「え?」 いきなりの言葉に、ヒロは顔を上げる。ヒトエはその頭をぽんと叩くと、優しく笑った。 「ヒロちゃんの気持ち、判る。だから、もうこれ以上口、挟まないし、訊かない」 こういう所がヒトエは大人である。子供でいられる時間が短かったヒトエは、たった16才なのに、妙に大人のように人の心を察するところがあった。それが心地よいときもあるし、寂しく思えるときもある————しかし、今回は前者だった。 「ありがと・・・・・・ヒトエちゃん」 『どういたしまして』という感じで、軽く片目を閉じると、ヒトエは微苦笑した。 そんな時、タイミングよくドアがノックされた。 全く、このバカは!折角、和らいでいたヒロの心をまた逆戻りさせやがって! ヒトエはエリに心で毒ずく。しかし、エリは一向に気付かない。一生懸命ヒロに言葉をかける。 「ね・・・・・・ヒロちゃん・・・・・・」 何回目かのエリの言葉に、ヒロはやっとエリに視線を向けた。その事に、エリはホッとする。 「————タカちゃん、落ち込んじゃってるから」 「・・・・・・・・・・・・」 しかし、再びそっぽを向く。 ————————ブチ! ヒロの頑なな態度に、エリはとうとうキレた。つかつかとヒロに歩み寄り、胸倉を掴むと、ぎゃんぎゃん喚く。 「怒るのも判るけど!タカちゃんの言い分聞いた上で怒れ!」 「ちょ・・・・・・ちょっとエリ・・・・・・」 「ヒトエちゃんは黙ってて!」 「————言い分?」 ヒロは意外そうに問い返す。エリは頷きながら続けた。 「そだよ・・・・・・理由なく、タカちゃんが、ヒロちゃんとの約束破ると思う?」 ふるふる。 ヒロは無意識に首を横に振った。ヒロの行為に、エリはやっと手を放す。 「・・・・・・どういうこと?」 ヒトエも理由を知りたいのか、エリに問う。エリは前髪をかきあげると、ぽつぽつと語りだした。 「この前さ・・・・・・あたしの誕生日のお祝いしたじゃない」 いきなりの話題転換に、ヒロとヒトエはついていけないらしい。目が丸くなっているが、それを敢えて無視してエリは続けた。 「で、皆、各々プレゼントくれたでしょ?————それ見てて」 「もしかして・・・・・・ヒロちゃんに・・・・・・」 ヒトエの言葉に、エリは頷いた。ちらりとヒロに視線を向けると、ヒロは黙り込んだまま、エリの言葉を待っている。 「大分遅くなったけど、プレゼントあげたかったんだってさ。でも、ヒロちゃんと一緒じゃ買えないでしょ?だから・・・・・・」 「だから・・・・・・ひとりで」 ポツリとヒロは続けた。 ヒロとタカが出逢ったのは、確かにヒロの誕生日が過ぎてからである。だけど・・・・・・だけど、そんなこと考えてるだなんて、思っても見なかった。 「あたし・・・・・・バカだ」 ヒロは誰とも無しに呟く。タカの言い分すら聞かず、自分の感情だけぶつけて。————こんなにもタカは自分のことを思っていてくれたのに。 「確かに」 冷たいヒトエのお言葉に、ヒロはガクリと来る。しかし、優しく続けた。 「だけど・・・・・・今からでも、遅くないよ」 ヒロの背を、ヒトエはそっと押しだす。それに勇気づけられたかのように、勢い良くヒロは部屋を飛び出した。 「タカちゃん・・・・・・」 ドアを開けると、タカは自分のベッドに突っ伏していた。ヒロの声に、恐る恐る顔を上げる。その顔は涙でぐちゃぐちゃだった。 「————ごめんね」 ヒロはベッドに腰掛けると、顔をハンカチで拭う。タカは呆然とヒロを見つめていたが、次の瞬間えぐえぐと表情を歪めた。 「あ〜〜〜、もう泣かないの」 ぼろぼろと泣き出すタカに、ヒロは困ってしまう。だけど、こんなときでもタカは綺麗だと、間抜けた事を考えていた。 『ごめんなさい』 泣きながらも、タカは必死に許しを乞う。ヒロは柔らかい頬を両手で包む。 「謝るのはあたしの方だよ・・・・・・ごめんね。あたし、酷い事言った」 ぶんぶんぶん。 タカはヒロの言葉を否定する。そして、もどかしげに指を走らせた。 『約束破るつもりなかったの・・・・・・だけど・・・・・・』 「もういいから」 ヒロは必死なタカを腕に抱きこむ。優しく髪を撫でながら囁いた。 「ありがと・・・・・・あたしの為だったんだよね?それなのに・・・・・・あたし、話聞かないで怒っちゃって」 『許して、くれるの?』 タカの言葉にヒロは、懸命に首を振る。許しを請うのはこっちの方だ。 「謝るのは、あたしの方だよ・・・・・・ごめんね」 タカはヒロの胸に耳を当てながら。切なげに息をついた。 ————戻ってこれた。この場所に。他のどんな場所よりも、居心地のいい腕の中に。 『嫌われたかと、思った』 タカの言葉に、ヒロは切なくなる。こんなにもこんなにも、大切な相手にそう言わせたことが辛い。 「————ごめん」 『嫌われたら、どうしようかと思った・・・・・・』 ヒロに嫌われたら、死んでしまう。 あの時の胸の痛みは、まだ残ってる。この痛みを癒せるのもヒロだけ。自分をこんなに傷付けるのも、切なくさせるのも、たった一人、この人だけ。 ヒロの背にきゅっと腕を回すと、ぴったありと擦り寄る。ヒロももっとタカの側に寄りたくて、タカをぎゅっと抱き寄せた。 「嫌いになるわけ・・・・・・ないよ」 なれっこないのだ、腕の中のこの人を。 『もうこんなことしないから』 視線デ言いたいことは判った。ヒロはその額に唇を当てる。そして、次々と唇を移動させる。 「————いいから」 タカの言葉で、自分がどれだけこの人を傷付けたのかわかった。 「ほんとに・・・・・・ごめん」 どうやれば、彼女の傷を癒せるのか。子供の自分には、判らない。だから、ただ謝り続けるのが精一杯だった。 END |