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テクノ・ミュージックと感覚のズレ



こんなページを見てくれている方であれば、かなり高い確率でテクノ・ミュージックファンなのだろう。
そして、YMO以外のテクノ・ミュージックにも、手を伸ばしているに違いない。

私も、そんな形でテクノの世界に漬かってみようと思った時期があった。
しかし私は、すぐにそれをあきらめた。

如何してだろうか? 自分でもよくわからないが、YMOはとんでもなく好きになれたのに、 他の(まあ、比較的最近の)テクノを聴いてもピンとこないのである

趣味が合わない、といってしまえばそれまでだが、それ以外の部分でも、なにか(ごく個人的に)駄目な要素があるような気がするのだ。
で、その中の一つとして挙げられるのが、曲作りにおける制限がない。ということ。
私は音楽に関しては全くの素人なので、そんなにはっきりと言い切るのは少々気が引けるが、
今の音楽には、「どんな音でも比較的楽に作れちゃう感」があり、それが曲作りにおける工夫を失わせているような気がする

誤魔化しがきく、といってもいいかもしれない。
最近のテクノ(と分類される音楽)は、派手なエフェクトや効果音で誤魔化されている感じがするのだ。
ドキドキするようなメロディーは、今のテクノからは聴く事ができない。
激しい曲調を追求したような音楽は好みではないし、すぐに飽きてしまうことが多い。

私が未だにYMOやクラフトワークに夢中になれるのは、「できない事の方が多い」という環境から生まれる ストイックさが素敵だと感じるからだろう


少し話は変わるが、日本で言うところの「テクノ」と、ヨーロッパ等で言うそれとは、
若干の違いがあるような気がしている。
「テクノ」という言葉自体は、単に[科学技術に関すること]という意味しかもっていないのだが、 音楽のジャンルとしては、[シンセサイザー等を用いた電子音楽]という意味になる。
ヨーロッパ等で言うところの「テクノ」は、上記以外の意味はないと思う。
しかし日本では、「テクノ」の意味は、それよりももっと変化しているように思う。

こう考えるのは、私がYMOが好きな上に妄想しがちな成年男子、だからなのかもしれないが、 こと日本においては、
「先進的でありながらも、それをジョークに昇華する精神」という意味合いがあるのではないだろうか?

新しくて、最高にカッコイイはずなのに、自らそれをジョークにしてしまう。という。
YMOにしても、それ以降の日本テクノの雄、電気グルーヴやテイ・トウワにしても、そういった部分があるように思う。
私は、そういった精神的な意味合いでの「テクノ」が大好きであり、それを作ったのは、実はYMOではないかと考えている (それも、メンバーが意識したのではなく、細野氏が言うところの”第四の人格としてのYMO”が作ってしまったのではないかと)。

最近のテクノ・ミュージックに今ひとつピンとこないのは、上記の「ストイックさが足りない」ことと、
「”テクノ”の解釈にズレがある」という2点が、私の中ではかなり大きく影響している。
他のYMOファンの皆様は、そういったものを感じることはないのでしょうか?
だとしたら、やはり、私の趣味が極端なだけかもしれません。




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