タワーレコードの冊子ミュゼ創刊号(96年3月)より引用しました。

現役最高齢の巨匠
朝比奈 隆

−−−  インタビューの五日前、大阪フィル名古屋演奏会(愛知県芸術劇場)曲目は、前半ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、後半シューベルト:交響曲第九番「ザ・グレイト」。特に「ザ・グレイト」が非常な名演であった。朝比奈の演奏というと近年はとみに悠然と構えたゆったりとしたテンポを予測してしまうが、この日は絶えずオーケストラを挑発し過激な表情を隠そうともしない演奏であった。朝比奈は95年にも都響でこの曲を取り上げて名演を聴かせたが、この日はそれをさらに上回る演奏で名古屋の聴衆を熱狂させた。驚かされたのは曲の終結で、クライマックスをストンと切り落とすように終わらせたことである。ハプニングに近い衝撃だった。当日の演奏はキャニオン・クラシックスがライヴ収録しており、遠からずCD発売される。
朝比奈  あんな長い曲をまともにやったらお客様が寝てしまいますからね(笑い)。一旦走り出したら止まらない競走馬みたいなものでどんどんオーケストラを走らせてやらないと。この頃の指揮者は棒振るのがうまいものだから、みんな、オーケストラを細かくコントロールするでしょう。そうするとオーケストラは走りにくいから普通になってしまう。僕なんかそんなに器用でないからオーケストラを走らせて「やれ行け!それ行け!」とね。だから、ああいうその場の雰囲気になるんです。名古屋では特にフィナーレは激しかったでしょう。僕も弾いたことあるけどあの三連符のところなんかはあんなに早いテンポではそうそう弾けないですよ。
 考えて計算して指揮している人の演奏だと一回聴けばお客様は解っちゃうでしょうが私なんかは言ってみれば場当たりみたいなもんですから(笑い)。その場の成り行きと言っては変かも知れないが、感興は大事なことです。あの曲の終わり方も計算した訳ではなくて、曲の後ろに行く程遅くなってゆくようだとあの曲はもたないでしょう。ああいう演奏だとお客様も手が叩きやすかったでしょう(一同爆笑)。
−−−  東京に於ける朝比奈のコンサートの常連にはなじみ深い終演後延々と続く拍手。オーケストラを去らせても続くこの光景は良い意味でほぼ慣例化したものともいえる。もちろん日本のコンサートでは極めて稀な例である。だが、ヨーロッパではかつてワルター、クナッパーツブッシュらが敬愛されているウィーンではスタンディング・オベイションで巨匠を指揮台に迎えたというし、現在もハンブルクではヴァントが盛大な拍手を浴びるという。
 朝比奈のコンサートには若い人が多く集まる(男性が異様に多いのは残念だが)。熱狂的拍手が多いのはそのせいもあるのだろうか。
朝比奈  僕のコンサートには若い人が多いですね。それは大変にありがたい。だいたい若い人が興味を持たない世界というのはもう先がないのですよ。僕らが学生の頃は制服、制帽を学生は身につけていましたが、今の学生はシャツ一つでね。僕のコンサートには上着を着た人はほとんどいない(笑い)。若い方は皆自分でチケットを買って来てくれるわけですから、招待された人が大勢来たって嬉しくない。そうして若いお客様がああして拍手して下さる。嬉しいことです。ヨーロッパの千人も入らないホールだと延々と続く拍手というのも結構ありましたね。
 ヨーロッパの聴衆はじいさん、ばあさんが多いですよ。僕のコンサートはこっちがじいさんなんだからお客様は若くないと(一同爆笑)。演奏会の聴衆としては非常に良い傾向だと思います。
−−−  朝比奈ファンにとっての御馳走はその美しい舞台姿である。恵まれた体格な上、見事におしゃれな人で二日連続のコンサートでは初日に燕尾服、二日目にはモーニングというように衣装も変え、さらには眼鏡も変える。この日も少し派手とも映るジャケットを着こなしていた。
 氏の若い頃の写真を見ると無声映画時代のスター俳優もかくやと思わせるほどの美男で、例えていえばルドルフ・ヴァレンチノ、鈴木伝明、岡田時彦タイプである。若い頃はさぞかし…などという不謹慎な妄想も交えて伺ってみる。
朝比奈  人から誉められますが、とくに格好良くとかそんなことは考えていません。ただ服装は商売道具ですからねえ。僕のは普段着も銀座の壱番館で作っていますが、平服で電車に乗ってもお客さんに見られている上、舞台に立てば何千というお客様に見られてますから。見苦しい格好はできません。燕尾服のズボンがぶかぶかに見えるなんていうのは洋服屋が悪い。そういう人は壱番館でお作りになるとよろしい(笑い)。学生の頃は勉強しないでサッカーばっかりやってましたから肩幅もあるし、燕尾服には良い体型ですね。眼鏡も今はほとんどこの眼鏡を使っています。黒縁はあまり使わないな。本来は礼服にこんなプラスティックの縁の眼鏡というのは良くないんです。ただ非常に重いですから、最近はこの眼鏡で失礼しています。懐中時計というのは男子の礼服の一つなのです。燕尾服っていうのは前が開いているでしょう。そうすると何か飾りがなければいけない。それで唯一の飾りが、チェーンなんです。あれは女房の首飾りを半分に切ってもらったんです(笑い)。昔のクライスラーやハイフェッツはもっと幅の広い金のチェーンをよく見えるように使っていました。コンサートは照明を暗くしてありますから、真っ黒の格好だけだと何か面白くない。ちょっとチェーンが光るというのが舞台の工夫ですね。今の指揮者はねえ、小澤(征爾)にもこの間言ったんだけど、あれはあのスタイルで売っちゃったもんだからね。カラヤンなんていう人はファッション・ショーみたいなもんですけど。そこまでする必要もない。大昔はフロックコートを着ている人がいました。ハイフェッツも着ていましたが、もちろんヴァイオリンがうまいからフロックコートでも格好良かったですね。舞台経験と演奏技術が伴わなきゃ格好ばかり良くてもだめです。先日亡くなったチェルカスキーなんかはタヌキみたいだったけど、あのテクニックでしょ、僕より少し若いんですが、ああしたテクニックを備えているから美しく見えるんですね。ルービンスタインなんか体は小さいですが良いスタイルね。シャツみたいに細い燕尾服で、えりの高いシャツを着てました。昔のコンサートは限られた人のものでしたから。お客は中年の御夫妻なんかが多い。そうすると奥さんに気に入られたアーティストでないと旦那さん来ませんから(笑い)。そんなことで昔の演奏家の方がスタイルに気を使ったのかな。
−−−  海外のオーケストラに60余り、オペラハウスにも30余り客演した朝比奈は世界で最も舞台経験の豊富な指揮者である。当然共演した大物ソリストも数知れず、その話題も尽きぬものがある。共演したソリストについての話をかいつまんでこの辺で。
朝比奈  ヘンリク・シェリングとは何度もやりました。あれは立派なヴァイオリニストでした。惜しいことに早く亡くなりましたが、あれは酒とオーヴァーワークでしょう。ある程度年を取ったら仕事を減らさないとね。僕もこのところ一年間に大阪フィルを20回と東京のオーケストラを10回でおさえてあります。師のメッテルが「お前はスタートが遅いんだから人より長く舞台に立たないと追いつかんぞ」と言いましてね。教えを守っています。ルービンスタインは大きな音でした。うちのオーケストラなんか吹っ飛んじゃうくらいでした。クロイツァー先生も、かなりお年でしたが、オーケストラに向かって「今、弾いてんのか?」なんていう調子でした。チェルカスキーとも若い頃からやっていますが、あの人は演奏終わるとしゃべってばかりでしたね。グールドとは聖チェチリア音楽院管でやりました。ベートーヴェンの第二番をやったんだが、変な奴が来たなと思いました。練習のときはコントラバスの裏に隠れていて、呼んだらあの人はカナダ人できれいな英語で「今日寝てもいないし、何も食べられない。もうピアノはやめたい」なんて言ってましたが、結局あのきれいな柔らかい音で弾いたもんだからコンサートは大成功でした。ただ音は小さかったから、オーケストラは大変でした。非常に特殊な才能で、ブロイロフスキー、ルービンスタインのようなコンサート・ピアニストではないですね。
−−−  朝比奈はご承知の通り1908年生まれ。世界で最も高齢の指揮者である。同年生まれの指揮者にはカラヤン、カイルベルト、アンチェルなどがおり、カラヤンに対しての挑発的見解はいまだにおとろえない。ここでは同時期に活躍してきた演奏家のことを伺ってみた。運良く、朝比奈のもとには北ドイツ放送響より送られてきた今年のカレンダー(過去にこのオケが共演した指揮者、ソリストの写真が織り込まれている)が届いており、話は縦横に広がった。こうした話は朝比奈の独擅場。
朝比奈  G・アルブレヒト 若い頃、知っています。僕がボンのオーケストラを指揮したとき、彼はまだ学生だったのでしょう。アルブレヒトですなんてかしこまって自己紹介されました。
バックハウス 子供の頃は英雄でした。さんざんレコードを聴いたものです。
チェリビダッケ 実演を一度だけ聴いたことがありますが、個人的には知りません。僕がルーマニアのオーケストラに良く出た頃に彼はルーマニアにはいなかった。
エルマン フランクフルトでブラームスの協奏曲をやっているのを聴いたことがありますが、昔と全然変わっていませんでした。大きな音でね、オケの方が大変そうでした。
フルトヴェングラー フランクフルトでお会いしました。御挨拶しましたが、そのときにブルックナーは原典版でということを教えてもらいました。その話がなかったら僕はこんなに人からブルックナーの専門家のように言ってもらえなかったかも知れない。
L・ヘルシャー 良く呑みました。腕はあまり良くないが熱演型で面白かったな。
クシェネク クシェネクの弦楽四重奏曲の日本初演は僕ですよ。訳の分からない音が多くてね(笑い)。皆、クレネクなんて呼んでいた頃です。
クナッパーツブッシュ ミュンヘンで「英雄」を聴きましたが、何もしないんだな。行儀の悪い人で、ズボンの中に手を突っ込んでかいたり、背中かいたりしてました。うちのオーケストラに昔、バイロイトで弾いていた人がいたんだけど、そいつが言うには「パルジファル」とかなんかでも、何もしなかったそうだ。寝てるんじゃないかなんてオーケストラは思ってるんだが、ちょっとでも間違うと、棒でこつっと叩くんだそうです。ああ、やっぱり聴いてるんだ(笑い)。
メニューイン 若い頃しか知らない。今はヴァイオリン弾かないんでしょう。
イッセルシュテット 彼は大先輩ですが、彼が北ドイツ放送響の人集めをしたんですね。東ドイツからも相当人を引っ張ってきて、優秀なオーケストラができた。一度挨拶をして名刺を渡したらリハーサルも見せてくれました。長い名前の人ですが、全部発音しろと言うんです(笑い)。理想的な指揮者の一人でしょう。
シューリヒト ハンブルクのムジークハレで初めて聴いたコンサートがこの人でした。ブルックナーの第三番をやりましたが、この人が出てきただけで襟を正すというような雰囲気がありました。
セル 理想的な指揮者です。今、録音を聴いても良いでしょう。この人は相当偉くて、カラヤンなんかは「Herbert!」なんて呼ばれてました。呼ばれてカラヤンは、「Maestro」なんて小声で言っていました。
トスカニーニ 最晩年にニューヨークで聴きました。かなり弱っていまして、棒を落としてしまったこともありました。
ヴァント 忘れようったってあの顔は忘れられません。非常に人なつこくない男で(笑い)、僕がベルリンに行ったときに、若い指揮者のコンサートがあるから行ってみないかと誘われて行ったのがヴァントのコンサートでした。あとでバーで呑んだのですが、なかなか口をきかない男で、神経質そうな感じでした。ただ頭の良い男で、ああいう指揮だと、オケから文句は言えません。ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスの全集は私も聴きましたがなかなか良いでしょう。もちろん好き嫌いは別ですが。
−−−  今まで積極的とは言えなかったスタジオ録音を採用したり、何十年振りでヴェルデイ・レクイエムを取り上げたりと朝比奈はますます精力的である。そして今年はシカゴ交響楽団にも客演。ここ数年ヨーロッパからのオファーも断っていたのにである。朝比奈には安住という言葉はないようだ。このインタビューも大声、早口でまくし立てる青年といった様子で、すぐに終わってしまった。巨匠朝比奈がまだ求めてやまない高みとは
朝比奈  スタジオ録音はいやだと言ったんだけど、レコード会社さんにはかないません(笑い)。キャニオンにはブルックナーを全部録音しましたが、一、二、三、六番は舞台ではそうは演らない曲ですからね。スタジオで入念に仕上げて綺麗な音で収録できました。この間のシューベルトも良い音でよろしくとお願いしました。生かすも殺すも録音の方しだいですから(笑い)。
 シカゴ交響楽団は今、アメリカで一番優秀なんじゃないかな。楽しみというよりオーケストラが優秀だと指揮者にとっては非常に楽なんです。フォーゲルという男(シカゴ響事務局長)は凄い奴ですね。僕のコンサートを日本に何回も来て聴いて、CDや演奏評を全部集めたっていうんですから。それでやっと契約書が来た。呼び方が周到なんです。こちらも安心ですよ。東京で大フィルとブルックナーの八番をやったでしょう。あれもシカゴのスタッフが四人来ていて腹を決めたっていうんだな。
 実はもう一度ベートーヴェン全部を演奏しようと思っているんです。東京は東京のオーケストラと、大阪は大フィルと。ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーを全部やるというのが、私の信念といっては大げさだけど。若杉(弘)君もブルックナーを全部やると言うんだ。全部やっておけと言いました。彼は今、何でもやらなければならない時期ですからね。僕だってベートーヴェンを何度やったかわかんないくらいですが何度やってもこういうものはね。それにお客様も入るでしょ(笑い)。お客様が来てくれないならやっても仕方ないですから(一同爆笑)。
96年2月21日、大阪フィルハーモニー会館にて 宮岡博英


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