朝日新聞創刊120周年記念演奏会(1998/9/13、フェスティバルホール) のパンフレットの朝比奈隆特別インタビューより引用しました。  ()の中の補足は元からあったもの、私が付けた補足は【】の中に入れました。また本文には一部手を入れてあります。

音楽への情熱と向上心を常に持ち続けたい

〜指揮者が枯れていては19世紀のヨーロッパ音楽はできない〜


松  田  このところ大変お元気ですね。
朝比奈 お蔭でね。「馬鹿は歳をとらない」というから(笑い)。
松  田 今回、ブルックナー(1824〜1896年)の交響曲第八番をやっていただきますが、僕の好みでお願いしただけで、新聞社の会議で決めたわけではないんです。
朝比奈 「創刊120周年記念」とチラシに書いてあるから、重役会議で決めたのかと思っていたんですよ。
松  田 役員会に通すことは通しますが、曲目を決めたのは、僕がブルックナーの中で第八番が一番好きだから。
朝比奈 委員会でも作って、そこで議論して決めたのかと思っていました。

ベートーヴェンの中では平凡に見えて一番
内容がありコンパクトなのが交響曲第七番

松  田 ブルックナーなら第八番、ベートーヴェンなら僕が一番好きな第七番。
朝比奈 ベートーヴェンの『エロイカ』も『運命』も立派ですが、一番内容があってコンパクトなのは七番ですな。でも、ベートーヴェンで七番がいいと言う人は滅多にいないでしょう。私も何十回もやってきて「七番がいい」と思うようになり、四番と七番の組み合わせが最高にいいと思うようになったのはここ二、三年ですよ。七番がいいと思うようになったのは貴方のほうが早い(笑い)。
松  田 六年前(92年6月28日、朝比奈隆の軌跡V)にザ・シンフォニーホールで朝比奈さんの指揮でベートーヴェンの七番を聴いて、生まれて初めてスタンディング・オベーションをやったことを鮮明に覚えています。その直後、朝比奈さんに今回協賛していただいている増進会出版社の藤井史昭社長との対談に出ていただいたんですが、その時の感動と感激ぶりをお話ししたことがあります。とにかくあの時はすごかった。
朝比奈 ベートーヴェンはすごい人ですな。七番を普通の人が演奏していると大曲に見えないけど、 それは演奏家に責任がある。繰り返しがいっぱいあり、フィナーレにいたっては途中まできてもう一度、冒頭に返る。非常に反復が多い。演奏しているほうも、聴いているほうも「何と反復が多い」と思うでしょうが、 説得力のある演奏をすれば、大変迫力がある曲です。終わりの部分になるとやっていて興奮し、気分が高揚しますね。
松  田 あれだけ気分爽快になる曲はありませんね。世の中の嫌なことは全部忘れるぐらい。
朝比奈 矢でも鉄砲でも持ってこい!(笑い)。
松  田 それ以来、ベートーヴェンの七番は「隠れた名曲」だと思っていたんですが、ちっとも隠れていない。音楽之友社が「あなたが選ぶ! 今世紀最後の音楽ベストテン」(96年11月号)と称して好きな作曲家や演奏家、曲目のアンケート調査をやっているんですが、ベートーヴェンの七番は交響曲の中ではブラームスの一番と『第九』についで三位に入っている。91年の調査では『第九』を抜いて二位だったんですから、「隠れた名曲」ではなかったんです。
朝比奈 『運命』や『田園』は長いことやってきたし、特に『エロイカ』は立派な作品です。それぞれ名曲ですが、最終的に七番はすごい。平凡なように見えて力強い曲です。そういう意味でもベートーヴェンってかなわんなあ(笑い)。
松  田 ベートーヴェンなら第一番と第三番『英雄』、または第二番と第七番。僕はどうしても七番をやって欲しかった。その答えは四番と七番。この組み合わせはちょっと意外でした。
朝比奈 二番と七番の組み合わせをしばらくやってきましたが、二番はちょっと綺麗すぎるんです。甘くはないけど、美しすぎる。時間的にもかなり長い。七番に重点を置くには四番との組み合わせがいいのではないか、と最近思うようになってきました。四番は少し控えめな音楽ですね。
松  田 ベートーヴェンとしては小振りな感じがします。

楽章の間は手持ちぶさたで腕をさすったり
腰をたたいてみたりして時間つぶしをする

朝比奈 ブルックナーの八番を決めた「犯人」は貴方ですか(笑い)。
松  田 そうです(笑い)。大阪での朝比奈さんのコンサートはほとんど聴かせていただいているんですが、以前は楽章間に腰をトントン叩かれることがありましたが……。
朝比奈 今もやっていますよ(笑い)。腰が痛いわけでもないんです。指揮者は箱(指揮台)の上で孤独なんですよ。演奏しているときはいいけど、曲と曲の間や楽章間のちょっとした休みの時は所在ないんです。腕をさすったり、腰を叩いてみたり。指揮台には柵がありますが、あれがないと落ちる危険がある。私なんか落ちれば命がない(笑い)。その柵にもたれて時間つぶし(笑い)。別に腰が痛いわけではなくて、手持ちぶさたなだけなんです。
松  田 堂々とした音楽を創る朝比奈さんが、楽章間は何とちょこまかしているんだろうと思って見ているんですよ。落ち着いてじっとしていればいいのに。
朝比奈 所在ないんです(笑い)。
松  田 指揮棒を持ち替えたり。
朝比奈 時がすぎるのを待つのは結構難しいものです。曲によっては次の楽章まで待たなければいけないものもあるし。舞台で五分待てと言われたらすごく長く感じるもので、三分でも長い。
  マーラーの二番の第一楽章の終わりに「五分間ここで休め」と書いてあるんです。マーラーという人はちょっとおかしいから(笑い)。今までのことは忘れ、新しいものを聴いて欲しいということでしょうが。その意味は分かるけど、五分間は余りにも長いから「三分にしてくれ」と頼み、舞台係をちらちら見るんだけど、三分は長いものなんですよ。曲自体が長いのに。
松  田 ブルックナーの八番は約八十分です。

「アホ」でいいから風邪を引かないで仕事
ができることは大変有りがたいことと感謝

朝比奈 我々は職人だからどんな長い曲でもやりますが、そういう音楽を書く人って偉いものですな。緊張が崩れない。写真で見るとブルックナーはつまらない小父さんで、生きている間は皆に馬鹿にされたらしい。ボケッとしているから。でも、八番は全世界というか、全宇宙というか、作品としては完璧ですな。とくにフィナーレはすごい。一人で音楽をここまで創り上げるなんて大事業ですな。でも、この頃の若い人はそう思わないで演奏しているからたまったものじゃない。単に棒を振っているだけの人もいる。
松  田 健康面で心配ないから九十歳になっても頑張れるんでしょうね。
朝比奈 お蔭様で。「アホは風邪引かん」というのは言い得て妙ですな(笑い)。意味は色々あるでしょうが、そういう意味なら「アホ」でいいと思っているんです(笑い)。変にセンシブルでいつもどこか悪いという不安を持っていれば良くないですな。人間、不安を持っているといい仕事はできないですよ。「アホ」でいいから、風邪を引かないで仕事ができるのは有り難いことです。お蔭で指揮者では世界一の年寄りになりました。後ろを見ればだいたい七十代ですから。チェリビダッケ(1912〜1996年)が死んだ後、八十代の指揮者はほとんどいなくなりました。
松  田 海外でもギュンター・ヴァント(1912年〜)とクルト・ザンデルリンク(1912年〜)ぐらいですか。人からよく言われるんです、「あの歳でよくやってはりますね」って。でも、「朝比奈さんが仕事を辞めたら、すぐ死んでしまいますよ」って答えているんです(笑い)。
朝比奈 そりゃあ、そうですな(笑い)。八十代になってからも、歳が増えていくにしたがって負担が増えたという意識は全然ありません。肉体的に健康だけでなく、精神的にもそうなんです。生身の人間だから、たまに風邪を引くこともありますが、幸い大きな病気にかかりませんから。年齢を重ねても、それがちっとも負担ではありません。「いつまでやれるか」ということですが、今のところ……。
松  田 最近は「九十五歳まで」とおっしゃっていますね。
朝比奈 ストコフスキー(イギリス生まれのアメリカの指揮者。1977年9月13日に死去)が九十五歳までやったから「せめてそれぐらいは」という気持ちです。今のところ、N響と再来年【2000年】にやるのが一番先の演奏契約です。再来年に特別な意味はないんですが、N響は「特別演奏会でやってくれ」と言ってきたんですが、「特別演奏会は嫌だ」と言ったんです。「俺はN響の定期演奏会でデビューしたんだから、定期でないと」と言ったんです。すると、N響は外国人の指揮者が振ることが多く、ずいぶん先まで決まっているので、「定期なら二年先になりますけど」「それでいいよ」ということで決まり、ブルックナーの九番をやることになっています。「九番ならこれで終わりになってもやるよ」ということになって。

「ブラームス・チクルスは東京のオーケス
トラにさせてなるものか」という気持ちに

松  田 五年前に朝比奈さんと音楽評論家の宇野功芳さんに対談していただいた時のことですが、対談が始まる前、朝比奈さんが宇野さんにこんなふうに言われました。「ブラームスを四回に分けてやりたい。東京のオーケストラで、会場は東京ならどこでもいい。君がプロデュースしてくれないか」って。宇野さんは「どうして大阪フィルでしないんですか」と聞くと、「大阪フィルはブルックナーをやっているから、二つもやるのは難しい」と朝比奈さんはおっしゃっていました。
朝比奈 ブルックナーとブラームスを同時並行というのはオケに負担がかかるから。
松  田 そのやりとりを聞いて、対談が終わってすぐ、僕はフェスティバルホールの支配人に言いました。「朝比奈さんはブラームスのチクルスをやりたいと言っているので、フェスティバルホールでやれないか」と持ち込んだのです。それで、毎日放送の主催で四回に分けてフェスでやることになり、そして今年、ザ・シンフォニーホールで朝日放送の主催でやられたんですよね。僕としては「東京のオケにさせてなるものか!」(笑い)、という気持ちですよ。
朝比奈 (笑い)。やりたいことが次々浮かんできて、それが私の生きがいでもあるんです。楽しみというのかな。
松  田 それがなくなれば、朝比奈さんはだめになってしまいます(笑い)。
朝比奈 そうですね。飲みたいと思ったときに酒を飲むようなもので、「あれもやりたい、これもやりたい」という気持ちが強いんです。今までベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスの「セットもの」ばかりだったけど、これからは今まであまりやらなかった曲もやっていきたい。チャイコフスキーなどのロシアものや、『シェエラザード』みたいな曲、スペインものやイタリアものなど、最近は全然手を着けていない曲も多いから、そんな曲をやっていくと、レパートリーはもっと増える。「セットもの」もいいけど、こういう曲もやれば、お客さんに喜んでもらえると思いますよ。
松  田 新鮮でいいですね。
朝比奈 シベリウスのシンフォニーもいいですね。
松  田 大阪フィル定期演奏会(99年2月18日)で『展覧会の絵』をやることになっていますが、朝比奈さんの棒では聴いたことがありません。
朝比奈 ずいぶん久しぶりですよ【90年11月22日、大阪フィル特別演奏会以来か】。
松  田 前半がドヴォルザークの交響曲第八番でなかなか充実したプログラムですね。
朝比奈 妙な組み合わせですな(笑い)。
松  田 『展覧会の絵』は組曲と言っても交響曲みたいなものですよね。
朝比奈 あれは曲数は多いけど、そんなに長くないんです。だから、どうしてもシンフォニーとセットしないと演奏会に格好がつきません。いつまでもドイツやオーストリアと言ってないで、シベリウスまで手を広げれば、何でもできるわけです。
松  田 十九世紀のドイツ、オーストリアを中心にやっていくんだと言われてましたから。
朝比奈 「セットもの」はそうですが、これからはそれにこだわらず、いろんなものをやっていくつもりです。
松  田 「朝比奈隆ベストセレクション」と称して十回、作曲家を毎回変えてやりたかったんですが、諸般の事情(笑い)で二回だけになって残念です。
朝比奈 十回とは多すぎますな。でも、やれと言われるとやりますよ。朝日新聞の百二十周年記念にいきなりブルックナーの八番とは驚きです。現金書留でチケット代を送れなんて、ややこしいことが書いてあるので、「チケットが売れるのかな?」と心配していたんですよ。

ブルックナーの第八番に北は札幌から南は
宮崎までに本然国から聴衆が集まってくる

松  田 4月29日に発売開始しました。その三日前、大阪フィルの定期演奏会でチャイコフスキーの四番【ママ 五番】を振られたので、その日に先行発売したんですが、フェスティバルホールでかなり売れました。
朝比奈 そうなんですか。
松  田 五月の連休明けにどっと現金書留で申し込みがきて、7月17日に完売。今では立ち見券もないんですよ。
朝比奈 有り難いことですな。まあ、一所懸命やりますよ。
松  田 朝日新聞社に約七百組の申し込みがありました。
朝比奈 そんな面倒くさいことをよくやってくれますなあ。書留は面倒くさいものですよ。
松  田 北は札幌から二組、南は宮崎から来られます。東京から何人も来られますよ。
朝比奈 それは有り難いですなあ。
松  田 先日も「遠いところからなんですが」という電話の主に「どちらから?」と尋ねると「広島です」と言うので、「広島なんて少しも遠いことはないですよ。札幌から来る人もいるんだから」と言うと、納得してくれました(笑い)。それぐらい日本全国から聴きに来てくれるんですよ。
朝比奈 もう日はないけれど一所懸命やりますよ。
松  田 4月29日の発売なのに、4月8日には申し込みが来ました。朝比奈会がインターネットを使って連絡してくれたんです。
朝比奈 例の連中ですな。
松  田 朝比奈さんの人気はすごい。ファンの熱烈さに驚きました。人気があることは分かっていたけど、これほどと思いませんでした。

天皇・皇后両陛下にお聴きいただき明治生
間レの人間として非常に感銘を受けて感激

朝比奈 自分でもすごいと思います。会場を見ると、そんな熱心な連中はすぐ区別がつきます。この間(98年7月26日、大阪フィル第37回東京定期演奏会)、サントリーホールに両陛下がお見えになりましたが、お客さんはまず両陛下に向かってご挨拶をしてから私にワァワァ言うんですが、陛下に向かった時と全然表情が違い、何とも言えない気圧みたいなものを感じました。
松  田 ザ・シンフォニーホールではスタンディング・オベーションになるのに、フェスティバルホールではそんな経験はなかった。でも、この前のブルックナーの五番(98年7月16日、大阪フィル第320回定期演奏会)はすごかった。あれだけ立って拍手をして、ブラボーを叫んでいる姿は初めて見ました。もちろん、僕もやったけど(笑い)。
朝比奈 舞台から客席を見たんですが、一番上までいっぱいでしたね。
松  田 僕は二階で聴いたんですが、天井桟敷までいっぱいでした。お客さんの熱気と熱狂ぶりもすごかったでしょう。
朝比奈 客筋も少しずつ変わってきているのかもしれません。まあ、とにかく有り難いことですな。お蔭様で自分が辞めるとか、死ぬとかそんなことは全然意識に出てこないから。
松  田 朝比奈さんのコンサートは「これで聴きおさめ」という気持ちで聴いていると言う人がいますが……。
朝比奈 そんな人も確かにいるでしょう。年齢だけ見ればそう思うでしょうな。
松  田 本当の朝比奈ファンは思ってませんよ。お元気なことが分かっているから。
朝比奈 毎日歩いたり、体操したりするのは当たり前のことですが、とりたててどこが悪いとか腰や腕が痛いとか、そんなことはなくて、腰掛けて棒を振るなんて夢にも思っていません。でも、ついこの間(98年8月19日)、東京・すみだトリフォニーホールでブラームスの一番を【アフィニス夏の音楽祭管弦楽団と】やった時、前半でワーグナーの『ジークフリートの牧歌』をやりました。この曲は第一ヴァイオリンが六人からせいぜい八人。大きな編成でやると格好がつかないので、小編成でやったんですが、立って振ると格好がつかない(笑い)。それで、お客さんに挨拶をしてから椅子に座って振ったんですが、お客さんはびっくりしたでしょうな(笑い)。今まで座って振ったことなんか一度もなかったから。でも、後半のブラームスは椅子を取っぱらい、立ってやりましたから、その日は二つの姿を見てもらいました(笑い)。
松  田 お客さんは驚いたり、安心したり。以前から「座ってやるようになったら潔く辞める」とおっしゃってましたね。
朝比奈 そりゃあ、そうですよ。僕も長年オーケストラでヴァイオリンをやってましたからね。指揮者が座ってやると、オーケストラとの目線の角度がなくなり、気圧みたいなものがこない。指揮台に立って振る指揮者と、楽団員の目線の角度がちょうどいい具合になっていて、それに皆が慣れてますからね。
松  田 座った朝比奈さんを見て「どうしたんだろう?」と心配した人が多かったでしょうね。
朝比奈 そうでしょうな。
松  田 後半になって一安心(笑い)。
朝比奈 今のところ、立ってやることは辛くないですから。
松  田 東京定期に天皇・皇后両陛下がお越しになったことは昨日聴いたんですが、その時の様子をぜひ伺いたいですね。天皇陛下に聴いていただくのは指揮者としてどんな心境だったか、お話しいただけませんか。
朝比奈 私は明治生まれの人間ですから、天皇陛下がお見えになって非常に感銘を受け、感激しました。誰がいようがいまいが、一所懸命やるのは当たり前ですが、やはり一所懸命やりました。舞台に向かって二階左側【ママ 右側】にわりと狭い貴賓席があって、そこで聴いていただきました。一番前に天皇と皇后両陛下がお座りになり、その後ろに侍従がいて、うちの家内も近くに座っていました。演奏が終わっても、皇后様は全然お立ちにならないんです。皇后様がお立ちにならないので天皇陛下もお立ちにならない。侍従は格好がつかないので立っているしかない。ずいぶん長かったですね。私が舞台に何回も出て行っても、皇后様はお座りになったまま拍手をしてくださいました。
松  田 東京定期ならカーテンコールが十数分は続いたでしょう?
朝比奈 三回か四回舞台に出て、やっと皇后様がお立ちになりました。私は舞台に出るたび、両陛下にご挨拶をして、それからお客さんにご挨拶をしたんですが、学校の校長をやっていた人から手紙が来ましたよ。「その態度たるや、誠によろしい」って(笑い)。まず、陛下に敬礼したことがよかったというわけで、お褒めにあずかりました(笑い)。
  その後、控室に家内とトップを弾いた梅沢君、それに大阪フィルハーモニー協会の小林理事長が呼ばれ、ご挨拶にあがりました。割合小さな部屋でしたが、私は天皇陛下の前に座り、家内は皇后様の隣に座りました。陛下はえらく勉強しておられるんですよ。「ここはどう」とか「あそこはどう」とかって。非常に研究され、準備されていました。陛下はそういう方なんでしょうね。どこへ行かれるにしろ、前もってよく勉強される方なんでしょう。お話しが結構長くて、なかなか終わりませんでしたが、こっちは「はあ、はあ」と言っているだけ。一方、皇后様は陛下のお話しに立ち入らないようにされ、家内に話し掛けておられました。でも、家内はカンカンになって【別に怒っているわけではなく緊張しているということ】何にも分からなかったそうです。皇后様のお話しは、私が長男(朝比奈千足氏)をおんぶして満州から一ヶ月もかけて引き揚げてきたのはさぞかし大変だったでしょうね、という内容だったんですが……。
松  田 朝比奈さんの本をお読みになっている。
朝比奈 家内に聞くと、何も覚えていないって(笑い)。我々にとって非常に感動的だったし、一所懸命やってきて良かったと思いました。
松  田 天皇陛下に聴いていただくのは初めてだったのですか。
朝比奈 宮殿に呼ばれたこともあるし、お住まいは小さなところですが、宮殿だと人がたくさんいるので、ということでお住まいにお招きいただいたこともあります。侍従がいなくて、召使が一人か二人いただけ。天皇陛下とどこかの国に赴任する女性大使と私だけでした。皇后様はお嬢様の頃から存じあげてました。正田博士の弟さんのお嬢さんですから、姪になります。
松  田 僕が小学校六年生の時に婚約されたんですが、その時のことはよく覚えています。学校の掲示板に号外写真が張ってありました。
朝比奈 苦労するのは間違いないから、周囲の者は反対でしたが、陛下は皇后様に本当にお優しいんですよ。それで、我が家では「あんたとはえらい違いだ」と言われたりして(笑い)。
松  田 朝比奈さんとはえらい違い(笑い)。
朝比奈 普通にはできないですよ。貴方もそうでしょうが、人が見ている前で女房にあれほど優しくできないですよ。ちょっと段があれば、すっと手を差し出されるんですよ。
松  田 それだけ魅力があるからでしょう。
朝比奈 どれほど女房に魅力があっても、我々はなかなか真似ることができないよ(笑い)。外国によく行かれ、外国の王室とお付き合いがあることも影響しているのではないですか。
  演奏を聴いていただいたのは今回で二度目で、前は東京文化会館で東京都交響楽団【96年10月7日、東京都響第436回定期演奏会】。やっぱりブルックナー【の五番】でした。両陛下に聴いていただいたんですが、その時は大騒ぎでした。二階の一番前の席でお座りになったんですが、陛下に近づくお客さんと、私のところに押し掛けてくるお客さんの双手に分かれて大騒ぎとなり、陛下はいつまでもお帰りになれなかったんです。何度も舞台袖に引っ込んでも陛下はお帰りにならないから、私は何度も舞台に出てご挨拶をしました。
松  田 座席のところで立つのではなく、舞台にワァーッと寄ってくるでしょう。
朝比奈 舞台に寄ってくるお客さんと、陛下のところへ近づいていくお客さんに別れてしまった。この前も二十分ぐらい舞台に三回出てお客さんにご挨拶しましたが、両陛下は控室に戻られ、私たちが行くまで、ずいぶん待っていただきました。それからお話しも結構長かったから……。
松  田 演奏が終わってからセレモニーがずいぶん長かった(笑い)。
朝比奈 宮内庁のお役人はきっと苦い顔をしていたでしょうね。この頃の日本では間違いは起こりそうにないですな。結婚パレードの時は石をぶつけた奴もいたけど、今はそんなことはなくて、皇室と国民はいい関係にありますよ。皇后様は昔から「お姫様」という感じで、本当にお綺麗で魅力的な女性ですね。

詳細な指揮記録と精密な年譜ができあがり
ファンや音楽関係者には最大のプレゼント

松  田 先日のブルックナーの五番の時、『朝比奈隆 90歳〜一日でも長く生きて、一回でも多く舞台に立つ〜』というタイトルの小冊子を500円で買いました。
朝比奈 500円で売ったんですか。
松  田 これだけ内容がある記録集が500円なんて安いですよ。
朝比奈 そうかもしれませんな。小野寺という大阪フィルの事務局長が作ったんです。彼が地下の資料室に入って、昔のプログラムを細かく細かく調べ上げたんですよ。記録がいいですね。
松  田 定期演奏会の指揮記録、ブルックナーの指揮記録、それも曲目別の一覧表とオーケストラ別の一覧表になっている。それと『第九』の指揮記録、海外での指揮記録、詳細な年譜、しかも、ふんだんに写真が使われている。これだけの記録集が500円なんて、作られたご苦労を思えば安すぎます。ファンやマスコミにとって、こんな有り難い小冊子はありません。9月13日、フェスティバルホールのロビーで販売されますから、まだの人はぜひ買ってほしいですね。この前のブルックナーを聴いた感動より、僕はこれをお作りになったことに感動しました(笑い)。
朝比奈 彼は「記録魔」です。小野寺君は一時期、その仕事にかかりっきりだったそうです。これは私に関する文献になりましたね。本当に精密な記録集で、私なんか全然覚えていないことがいっぱい載っています。
松  田 ところで、「朝比奈といえばブルックナー」「ブルックナーといえば朝比奈」と言われて久しいですが、ブルックナー演奏にかける情熱の源泉は何なんでしょうか。

原典版をやれと言ったフルトヴェングラー
が残しているブルックナーはすべて編曲版

朝比奈 十九世紀のドイツとオーストリアの音楽をやっていこうと思っていたわけですが、ブルックナーを初めて演奏したのは九番でした。
松  田 1954年2月26日、大阪フィルの前身、関西交響楽団の第68回定期演奏会で、会場は大阪朝日会館でした。
朝比奈 九番を選んだ特別な意味はなく、たまたま楽譜があったから。当時はみんなポケットスコアで、それを楽譜係【当時はホルン奏者として在籍していた大栗裕氏が担当していた】が写譜するんです。著作権法違反ですが、楽譜を買う金がないから、そんなことを言ってられない。うちは金がないから、たえず写譜をしていたんですよ。
  私がベルリン・フィル【ママ ヘルシンキpo】を振った後、フランクフルトのホテルで泊まっていました。食堂で朝飯を食って部屋に戻ろうとすると、大きなじいさんが立っている。どうもフルトヴェングラー(1886〜1954年)みたいな感じなんです。舞台でフルトヴェングラーを聴いたことは何度もありましたが、側で顔を見たことはなかったのでボーイに「あれはフルトヴェングラーではないのか」と尋ねると「そうだ」と言うので、私は滅多にそういうことはしないけど、名乗りあげました。すると、いとも気軽に彼は「お前は自分のオーケストラを持っているか」と聞くので「持っている」と答えると、「帰ったら何をやるのか」と聞くので「ブルックナーの九番だ」と答えると、「それなら原典版でやれ」と言う。私は「ありがとうございます」と言っただけの会話なんですけどね。でも、原典版のスコアなんかなかったし、見たこともない。それで、フランクフルトに本屋がたくさんあるので探して買いました。今でも使っているスコアですが、第二楽章のスケルツォなんか、それまで持っていた楽譜と全く違う。それで、あわてて航空便で原典版のスコアを送り、写譜のやり直し。それ以来、九番はフランクフルトで買った原典版で演奏していますが、あの時にフルトヴェングラーに出会わなかったら、ブルックナーのお弟子さんの手が入った楽譜でやっていたんでしょうな。それ以来、ブルックナーの演奏はオーソドックスだとお褒めいただいています。でもね、フルトヴェングラーが残しているブルックナーは全部、編曲版でやっているんですよ(笑い)。
松  田 自分がやれなかったから、朝比奈さんにやらせた(笑い)。
朝比奈 会った時はだいぶお歳でした。その後間もなく亡くなりました(54年11月30日死去)。それで、初めてブルックナーを演奏して以来、私はずっと原典版でやっています。私にとってフルトヴェングラーはオールマイティーですから。たまたま会っただけの奇遇ですが、私にそれだけ大きな影響を与えてくれました。原典版でやって評判がいいのは私のせいじゃない。フルトヴェングラー自身がやってなくて、それを私にやらせたからなんですよ(笑い)。

楽譜を見て指揮をしても少しも恥じること
なく、暗譜しているから偉いわけでもない

松  田 【ブルックナーの】八番を初めて演奏されたのは意外と新しいんですね。71年9月16日、大阪フィルの第94回定期演奏会、会場はフェスティバルホール。九番の初演からずいぶん経っています。
朝比奈 そうですね。東京ではいつになっていますか。
松  田 74年7月22日、東京文化会館で第13回大阪フィル東京定期です。
朝比奈 暗譜でやっていた時代ですな。あの頃は何もかも暗譜でやっていました。暗譜すると、本番は楽なんです。楽譜を見なくていいから。下手をすると、楽譜を二枚めくったりするから(笑い)。楽譜を置く以上、実際に演奏している箇所を開けておかないと危険で、ひょいと見た時に演奏と違う頁が出ていると危ない。楽譜を置くと、たまには見るからそれを読んでしまう。それなのに、違うところを演奏していると、間違うもととなります。
松  田 楽譜を見た時、実際に振っている箇所が出ていないと間違う恐れがある。
朝比奈 目から入ってきたものと、耳から入ってきたものが違うと危ないので、この頃はちゃんとめくるようにしています。二、三枚ずつをね。誰かに言われたんですよ。「六十を超えたら、暗譜なんかしないほうがいい」って。我々は記憶力が勝負ですが、覚えているようで忘れていることもあるかもしれない。万が一ということもあるから。それに「楽譜を見て指揮をしても、少しも恥じることではない。暗譜しているから偉いわけじゃない」。そう言われると、その通りですな。八番を初めてやった時は覚えましたよ。こんな長い曲を覚えるのは大変でしたけど。ベートーヴェンのシンフォニーはもちろん全部覚えていますが、最近は楽譜を置いて演奏するようにしています。よく覚えていて、楽譜を見ながらやるのが一番いいんでしょうね。とくに八十を超えるとね。自分は老齢であることは間違いないんだから。若気のいたりで(笑い)、がむしゃらに暗譜するなんて時代は過ぎました。

94年東京定期でのブルックナーの八番で
朝比奈さんに「後光」が差していたと感激

松  田 71年といえば、僕が入社した年です。ブルックナーの八番はまだ四回ぐらいしか聴いていないと思いますが、よく覚えているのは94年7月9日、八十六歳の誕生日におやりになったバースデー記念コンサート。朝日放送でテレビ放映され、今日もビデオを観てきましたが、その時の熱気はすごかった。カーテンコールが二十分ぐらいありました。その直後、サントリーホールで大阪フィルの東京定期(94年7月24日)でやられていますが、僕にとっての八番の最高の演奏は【この】東京定期でした。
朝比奈 東京へ行かれたんですか。
松  田 もちろん。
朝比奈 ご苦労様ですな(笑い)。
松  田 大友直人さんを見掛けたし、音楽評論家は宇野功芳さんをはじめ、大勢来ていました。僕には音楽のことは分かりませんが、あの時、「朝比奈さんに後光が差していた」という思いです。そうとしか言いようがない。そんなふうに言うと皆は納得してくれるんですよ。「そんなにすごい演奏だったのか」って。
朝比奈 そういう感じだったと思いますよ。まともにできていればね。聴いている人は、演奏者と音楽を目と耳で同時に感じとっているから。そんな音楽がつつがなく終われば、そういう感じになるでしょうね。作曲した人と演奏した人の区別がなくなってしまうから。
松  田 一番すごいと思ったのは東京のお客さんです。大音響とともに演奏が終わると、直後に拍手とブラボーが沸き起こるものですよね。ザ・シンフォニーホールでやった時がそうでした。ビデオを観ると、終わった直後にものすごいブラボーが叫ばれている。もちろん、僕もそのうちの一人ですが。同じ八番なのに、サントリーホールでは何秒か静寂がありました。
朝比奈 この頃はそうなりました。ポピュラーな曲は別だけど、ブルックナーなんかやると、すぐには沸き起こらない。ちょっと時間がある。でも、それが本当ではないでしょうか。聴いているのはブルックナーの曲だけど、拍手は演奏者に向けてでしょう。この間に少しぐらい時間があるべきじゃないですか。
松  田 「余韻を味わいたいのに、すぐ拍手が起こり、ブラボーが出るのは止めてもらいたい」という意見が必ず一通や二通あります。
朝比奈 すんでパッとくるのはちょっとどうかと思います。
松  田 勢い良く終わる曲は勢い良くブラボーが出るのが好きで、静かに終わる曲は一瞬、間をおいてやる。僕はそういう考え方です。東京定期の八番は拍手もできず、ブラボーなんかできなかったほど感動し、息を飲み込んだ状態だった。余韻を味わっていたからではないと思うんです。
朝比奈 八番で一番思い出があるのは東京・目白の教会でやった時です。
松  田 80年10月24日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「ブルックナー交響曲シリーズ」ですね。
朝比奈 その時は異常でして、拍手は何もないんです。シーンとしている。しょうがないから、ほどほどにお辞儀をして(笑い)、袖に引っ込んだ。楽屋に戻って燕尾服を脱ぎ、ネクタイをはずし、こういう上着を着ると、係の者が「お客さんがまだ帰らないんです」と言いに来ました。仕方なくネクタイもしないで舞台に出ると、若い連中がワァーと言うので長い間、挨拶をしました。教会ですから、家内も木の長椅子に座っていたんですが、三楽章になると、近くに座っていた若者がハンカチを出して泣き始めたそうです。泣くのは移るもので、次第に泣いている人の輪が広がっていき、ワァーワァーまでいかないけど、ハンカチで口を押さえて泣く人が出てきた。その様子を見て家内はたまらなかったそうです。亭主がやっているのを聴いて、自分も泣くわけにはいかない(笑い)。だからなんですね、拍手がすぐに起きなかったのは。今まで泣いていたのに、すぐに拍手はできない。場所が教会だから、ちゃんと仕掛けができていたんです。お客さんが入り口でお辞儀をして(笑い)、入ってくる様子を家内が見ていたそうです。
松  田 舞台装置ができていた(笑い)。
朝比奈 音楽は会場の雰囲気によって違いますから。こっちはしゃにむになってやるしかありませんが、いろんな聴き方をしていただいて結構です。今度もしゃにむにやりますよ。実は、朝日新聞の120年とブルックナーの八番と何の関係があるのか、と思っていたんですよ(笑い)。
松  田 何の関係もありません(笑い)。
朝比奈 毎日放送会長の斎藤守慶さんが小学校の後輩ですが、「先輩とこは朝日放送としかやらないんですか」と言うので、「そんな馬鹿なことはない。名前が似ているだけだ」(笑い)、「それじゃあ、うちでもやらせてくださいよ」というわけで、この間のブルックナーの五番を放送することになりました。フェスティバルホールの前に毎日放送と書いた録音車(中継車)を並べて。
松  田 放送局はどこでもいいから、今度の八番も放送してほしいと思っているんですよ。
朝比奈 録音することになっていますが、CDになるかどうか分かりません。出来次第というわけです。

ブルックナーで一番出来が良くて最高傑作
をひとつ挙げろといわれると第八番と思う

松  田 ブルックナーの五番と八番では、僕は八番のほうが好きですね。
朝比奈 ブラームス【ママ ブルックナー】で傑作を一つ挙げろと言われれば八番ですね。九番もいいけど。
松  田 未完成ですからね。
朝比奈 未完成ゆえに余韻があっていいけど。アダージョの後は書けなかったのじゃないかな。アレグロは書けなかったのかもしれません。シカゴ交響楽団でやった四日間ともシーンとして、いい余韻でした。 
松  田 ところで、ブルックナーのどんなところがお好きですか。
朝比奈 初めは「掴みどころがない」という表現がぴったりでした。出来が良くない作品もありますが、七番、八番、九番はいいですね。六番は一番掴みどころがなく、出来があまり良くない。四番の『ロマンティック』と五番はそれなりに出来はいいですね。一番と二番も悪くはない。一番なんか面白い。三番はご承知の通りで、六番は出来が良くないので、誰もやらないでしょう。
松  田 やってもお客さんを呼べない。ブルックナーでお客さんを呼べるのは四番、五番、七番、八番、九番の五曲でしょうね。
朝比奈 一曲だけでコンサートをできるのは五番、七番、八番、九番ですね。四番はちょっと短いから。朝日新聞社がすむと、東京(98年9月28日、東京都交響楽団第475回定期演奏会、【10月1日、東京都交響楽団特別演奏会】)で八番を二回やるんですよ。いいかげんなもので(笑い)、切符が売れたから二回にしたらしい。中二日あけてくれるからいいけど。
松  田 朝日がやるから東京都響もやることになったのですか。
朝比奈 向こうのご希望です。朝日がやることを知っていたのかどうかは分かりません。
松  田 偶然の一致なんですね。
朝比奈 向こうは定期演奏会ですから、先に決まったのじゃないかな。
松  田 ブルックナーを聴くなら、まず八番だと思います。
朝比奈 一番出来が良くて、どこにも問題がないですね。
松  田 四番も聴いてみたいのに、最近は全然されませんね。
朝比奈 八番は四番や五番とだいぶ世界が違います。中期作品と後期作品の境目に六番があるんですが、ブルックナーに迷いがあったんじゃないでしょうか。四番や五番の古典的な形式から七番以降のロマンティックな形式にいたるまでの迷いがね。リンツのブルックナー・フェスティバルに出てくれと言われ、断る手はないと思って引き受けると、「六番をやってくれ」と言われたことがあります【84年9月20日、リンツのブルックナーハウスにて、ウィーン・トーンキュンスラー管弦楽団演奏】。ウィーンのオーケストラがやっているんですが、聴いてみるともたもたやって、違うところを吹いたりしている。
松  田 二年前に五番をシカゴ交響楽団でやりましたね【96年5月16,17,18日】。
朝比奈 五番を三日、九番を四日やりました。五番はどこのオーケストラでもできますよ。理路整然としているから。
松  田 よく体力が持ちましたね。
朝比奈 こっちは棒を振っていればいいんですが、オーケストラは大変ですよ。でも、彼らは逞しいからケロッとしています。それでシカゴのやつらと仲良くなっちゃいました。シカゴ交響楽団は世界各国からメンバーが集まっているオーケストラですから、ドイツ語、イタリア語、英語を使っている団員もいれば、中国人もいる。
松  田 リハーサルは何語でやったんですか。
朝比奈 英語とドイツ語をまぜて。向こうは勝手に自分の国の言葉を使うからね。私はフランス語は苦手ですが、英語、ドイツ語、イタリア語はなんとかできます。フランス語は授業に出なかったから(笑い)。何となくフランス語は好きじゃないんです。ラテン系の言葉なのに、どうしてあんな発音になったんでしょうね。ある程度読めますが、耳にすると分かりにくい発音ですね。
松  田 前にお会いしたときに「ロシア語をやってみようと思っている」と話されていましたが。 
朝比奈 先生がロシア人ですから、読むのは多少できますが、会話は難しい。ハルビンのオーケストラで二年間【ママ 半年】やっていましたが、一人はドイツ語を話せたけど、それ以外は全部ロシア語だけ。だから、「何小節前」「大きい」「小さい」まで全部ロシア語でやってました。ロシア語はボキャブラリーが少なく、文法が単純だから、単語さえ覚えれば何とかなります。
松  田 字が引っ繰り返っています(笑い)。
朝比奈 ギリシャ語をやっていれば覚えやすいですよ。ロシア人がギリシャ文字を覚えるためにギリシャに行ったんだけど、間違えて覚えたんじゃないかな(笑い)。そんなことをロシア人に言うと怒られるけどね。ロシア文字の基本はギリシャ文字だと思いますよ。

上海交響楽団での経験から外国人が怖くな
くなり言葉も覚えて欧州演奏旅行に役立つ

松  田 そう言えば、朝比奈さんは中国の上海交響楽団で振っていたことがありましたね。
朝比奈 今も同じ名前の楽団があるけど、中身は私が振っていた時代とは全く違います。
松  田 名前が同じだけ? 
朝比奈 そうです。昔と今ではすっかり変わりました。私がやっていた時は全部ヨーロッパ人でしたが、今は中国人です。共同租界にあった上海交響楽団はオペラやバレエ、シンフォニーが中心の素晴らしいオーケストラでした。そう言えば「中国人にも機会を与えるべきだ」という日本の政策があって中国人は一人だけいました。あの時の上海交響楽団は、ロシア革命から逃げてきたユダヤ人の「溜まり場」で、こっちのほうが勉強になりました。ちょっと棒を動かすと、音が出てくるような感じなんです。日本が占領しているから大きな顔をして行ったんですが、向こうの人たちに嫌われないように「お守り」をしているようなものでした。毎週日曜日に演奏会があって、月曜が休み。火曜から土曜まで練習。曲によるけど、二回ほど練習すると言うことがなくなるんです。それで私はずいぶんレパートリーが増え、いい勉強をさせていただきました。年取った亡命ロシア人は私の師匠のメッテル先生をよく知っていて、「メッテルの弟子だから」と、よく助けてくれました。あの時の体験から外国人が怖くなくなり、言葉も否応なしに覚え、その後、ヨーロッパに演奏旅行に行って何人が出てこようが、怖くなかったのは上海での経験があるからです。
松  田 五年前お会いした時は「もう外国にまで行って振る気がない」とおっしゃっていたのに、シカゴに行きましたよね。
朝比奈 自分でルートを作って外国に演奏旅行をするのはやめにしましたが、シカゴ交響楽団は特別です。90年にハンブルクに行った時のことですが、「アルプス交響曲をやってくれ」と言われて四日間やったことがあります。
松  田 四回もアルプス交響曲を?
朝比奈 ハンブルクで三回、そしてリューベックという港町で一回やりました。R・シュトラウス生誕100年の時に【1964年】、ケルン放送交響楽団など、【3つの】大きなオーケストラをベルリンに集めてアルプス交響曲をやる演奏会と、ハンブルクで同じR・シュトラウスの家庭交響曲をやる演奏会の二つがあるけど、お前はどっちを選ぶかと聞いてきたので「もう一人の指揮者はどなたですか」と尋ねると「カール・ベームだ」と言うので、「冗談じゃない。大先輩のベーム先生にお好きな曲を選んでいただき、残った方を私がやる」と言いました。すると、ベーム先生は家庭交響曲を選ばれ、私がアルプス交響曲をやることになりました。百何十人ものプレイヤーで舞台がいっぱいになってましたね。ベームさんによると、あの曲はあまり上等とは言えず、小さな曲が二十六曲も並んでいるだけ。それに、主催者側としては、アルプス交響曲を演奏するには、ものすごく大勢の人間が必要なので……。
松  田 お金がかかる(笑い)。
朝比奈 そうです(笑い)。指揮者もやりたがらないし、主催者もやりたがらない(笑い)。しかし、生誕百年の記念事業なので、いくら金がかかってもいいから、日本から指揮者を呼ぼうということになったみたいです。初めてやった時は泡を食ったけれど、よくよく勉強すれば二十六曲並んだだけの曲だから、何とかなりましたよ。

音楽への情熱、衰えることのない向上心を
教えられたと書かれたカードを大切に持つ

松  田 ヨーロッパの場合、放送交響楽団が充実しているとおっしゃってましたね。
朝比奈 国営ですからね。日本でNHK交響楽団が一番上手いのと同じですよ。金があって、権力があって、ネットワークをもっているから。N響の連中に「君たちは日本で一番古く一番金を持っているオーケストラで、残念ながら(笑い)、一番いいプレイヤーが集まっているオーケストラだと自分たちで思っているんだろう」と言うと、「うんうん」とうなずいていますよ。「それだったら、こんな演奏をしているとみっともない。これだけ良い条件が揃っているなら、もうちょっと良い音を出せ」と言うと、彼らは一言もない。
松  田 「N響なんか振らない」とおっしゃっていたのに、四年前に久し振りに定期演奏会(94年6月3,4日)で『運命』をやりましたね。僕もNHKホールに聴きに行きましたよ。
朝比奈 こんなものがあるので、見てやってください。NHKのカードに書いているんですが、演奏が済んだ後、花束にくっつけて持ってきたんです。誰が書いたか知らないけど、演奏が終わって30秒くらいで書いたメモです。N響にもこういう殊勝なところがあるんですよ。
松  田 あの時はチケットは完売でした。それでチケットを持っていない人が、「余ったチケットを売ってください」と書いて呼び掛けているんです。それもグループで。ロックコンサートならいざ知らず、クラシックコンサートでは滅多にないことだと思います。
朝比奈 そりゃあ、そうでしょうな。
松  田 たまたま手に入ると、そのグループでジャンケンをし、勝った人が意気揚々と会場に入っていく。そんな姿を見て驚き、感心したことを覚えています。
朝比奈 すごいし、可愛いなあ(笑い)。
松  田 休憩になっても、チケットを持っていない人が会場の玄関あたりに大勢いました。もちろん、演奏は素晴らしかった。演奏が終わってから女性のヴァイオリン奏者が朝比奈さんに花束を渡したのを見て驚きましたね。
朝比奈 私もびっくりしました。愛想の悪いオーケストラだと思っていたから(笑い)。
松  田 オーケストラが指揮者に花束を渡すのは指揮者が辞める時、というのが相場だから。
朝比奈 その時にもらったのがこのカードなんですよ。
松  田 全メンバーと書いてありますね。読んでもよろしいか。
朝比奈 いいですよ。
松  田 「朝比奈先生、素晴らしく充実した楽しい時をありがとうございました。音楽する歓びを満喫しました。九七年も心から楽しみにしています。どうか益々お元気で。N響全メンバーより」と書いてあります。これは96年にいただいたカードでしょうね。「朝比奈先生、今日のことを我々全員、忘れることはないでしょう。先生の大きな心、音楽への情熱、何よりも先生ご自身の衰えることのない向上心、私たちは本当に多くのことを教えられました。いつまでもお元気で。ご一緒できる日が近いことを待ちわびています。NHK交響楽団全メンバー」。これは97年ですね。
朝比奈 私はこれを宝物にしているんですよ。財布の中に入れ、ずっと持っています。N響は愛想の悪いオーケストラの代表みたいだけど、「こんなこともあるんだ」ということです。「時により、人により」ということなんでしょうね。
松  田 ブルックナーの八番をN響でおやりになったのは97年3月6日と7日ですね。
朝比奈 何をやってもN響はよくやります。
松  田 『運命』を聴いた時、「さすが上手い」と思いました。
朝比奈 ちゃんとやればね。
松  田 オーケストラも指揮者も日本人は優秀だと思いますが。
朝比奈 オーケストラは上手いし、棒を振るのも上手いですよ。棒なんか、私が一番上手くないほうです(笑い)。指揮者が要求するものを持っていないと、オーケストラはやりようがない。どうしろと言われているのが分からなければ、オーケストラは演奏のしようがありません。

指揮者の意気込みと情熱にオーケストラは
的確に応え、それに合わせて演奏するもの

松  田 「最近の指揮者は何も言ってくれない」という不満を、楽団員や事務局員から聴くことがありますが。
朝比奈 何も言わない指揮者が増えてきましたね。何も言えないのかもしれませんが。指揮者がオーケストラに向かって「よろしくお願いします」と挨拶する人が多いけど、「何をよろしく」なのか分からない。頼みたいのはオーケストラの側なのに。練習が済むと「ありがとうございました」と言って帰る。指導を受けるのはオーケストラ、指揮者はオーケストラを指揮するんですよ。
松  田 指揮台に立った指揮者は……。
朝比奈 オールマイティーでないといけない。オーケストラは指揮者に言われた通りしなければいけないシステムになっているんですよ。どんな下手な指揮者でも、指揮台に立っている時間はオールマイティーでなければならないんです。平均して楽団員の一ヶ月分の給料を、指揮者は一回の演奏でもらっているんだから。私なんかもっと多くもらっている。それだったら、少しぐらい何とかしないとギャラ泥棒じゃないですか(笑い)。何も言わず、もみ手をしながらオーケストラに向かって「ありがとうございました」としか言えない指揮者じゃどうしようもありませんな。
松  田 淡々とやり、リハーサルがすぐ終わる指揮者もいるそうですね。
朝比奈 時間オーバーはいけませんが。私は予定時間の五分前ぐらいまでやることにしています。人間のすることだから、いくらでも言うことはあるはずです。
松  田 練習時間が余ってしまうほど言うことがないのか……。
朝比奈 要求する内容がないのです。
松  田 「オーケストラは指揮者次第」とよく言われますが、そうではなくて、その時の指揮者の意気込みというか、オーケストラに向かって放つ情熱次第だと思うんです。楽団員は指揮者から放たれるエネルギーに的確に応え、それに合わせているんだと思います。「この指揮者にはこの程度でいいや」と足元を見られ、胸の内を見透かされると、ほどほどの演奏になってしまう。
朝比奈 コンサートは指揮者とオーケストラとの共同作業ですから。オーケストラは音を出す。指揮者はどういう音を出すのか、楽団員に要求する。指揮者は総括的な責任を負う。兵隊と指揮官との関係と同じですよ。オーケストラは指揮者に「犬死に」させられたらかなわんですよ。
松  田 朝比奈さんは明治の人だから、何かのたびに軍隊用語が出てきます。今もそうです。朝比奈さんはヴァイオリンを弾いておられ、その後、指揮者になったわけですが、「歩兵あがりの指揮官と同じだ」と僕らには分かったような、分からないような(笑い)、説明をされますが……。
朝比奈 兵隊をやったことのある指揮官のことです。士官学校をポッと出たような指揮官ではだめという意味で、鉄砲を撃ったことがない指揮官では戦争はできませんよ。
松  田 楽器を演奏したことがない指揮者では……。昔は音大に指揮科がなくて作曲科や演奏科を出た人が指揮者になるケースがたくさんあった。でも、今の音大には指揮科があり、そこを卒業するだけでは「楽器を演奏できない指揮者が増えてくるだろう」とおっしゃっていました。
朝比奈 指揮科はあったほうがいいと思いますよ。スコアの読み方や知らない楽器を覚え、レパートリーを増やすことは必要です。問題は、どれぐらい経験がある教師かどうかです。国立の音楽学校(東京芸大)に指揮科があるのは大変結構なことです。指揮というものは、習ったらできるものでないから厄介です。パーソナリティーが一番ものをいうから。それを含め、教育すべきと思います。

人より一回でも多く舞台に立てばお前みた
異な不器用な奴でも少しは進歩するだろう

朝比奈 私はメッテル先生の下で十数年いましたが、何も教えていただきませんでした。私が初めてオーケストラを振ったのはベートーヴェンの七番でしたが、先生に教えてもらおうと思って芦屋のご自宅に行っても、玄関の中に入れてくれなかった。「これからオーケストラの練習をするのに、人の意見を聞いてやるとは何ごとか」というわけで、玄関払いです。「自分で考えてやれ」というのがメッテル先生のお考えでした。「演奏だけは聴きに行く。聴いたうえで、言うべきことがあれば言うから」って。理屈のような、理屈でないような(笑い)ことを言われました。
松  田 評価だけはしてやる。
朝比奈 「そのうえで、教えることがあれば教える。とにかく自分でやれ。指揮は学ぶべきものではない」、ということですね。私も今、そう思っています。棒を振ること自体は教えてもしょうがない。それでメッテル先生は演奏会に来てくれ、一番前の席で座っているんです。嫌な感じでしたけどね。打ち上げを京都・四条大橋の近くでやったんですが、「先生、約束だから何か言ってくださいよ」と言うと、「短く言えば朝比奈さん、万歳!」だけ言って、酒をぐっと飲んで帰ってしまいました。今にして思えば、言うことなんかないんですよ。口で言えることなんかほとんどない。格好悪いとか、棒はちゃんと振れとか、そんなことは言われなくても……。
松  田 自分でよく分かっている。
朝比奈 オーケストラが一番良く分かっているみたいです。「一つだけ言えることは、人より一日でも長く生きて、人より一回でも多く舞台に立てば、お前みたいな不器用な奴でも、少しは進歩するだろう。それを心掛けよ」と言われ、九十歳になった今まで、それだけは守りました。
松  田 教えられたのはそれだけ?
朝比奈 現役の指揮者で九十歳というのは私だけですから。お蔭様でたくさん舞台に出していただいているし、先生の言う通りになりました。禅問答みたいな話だけどね(笑い)。

ロマンの塊の十九世紀のヨーロッパ音楽は
指揮者が枯れていてはできるものではない

松  田 人間、八十になれば老境に入り、枯れた感じになるものですが。
朝比奈 十九世紀ヨーロッパの音楽はロマンの塊みたいなものです。空想、妄想など、感情の結晶みたいなものだから、枯れているとできるはずがない。バッハもバロックだからといって、感情がないことはない。いつまでも歳をとらないのはアホかも知れないけど、アホでもいい(笑い)。
松  田 精神は常に青年ですか。
朝比奈 そうでなかったら、朝日新聞は私を使ってくれますか。身体が老い込んだらいけませんが、幸い丈夫だから。よぼよぼしている爺さんを使ってくれるものですか(笑い)。
松  田 朝比奈さんの最近の様子を知らない人は「大丈夫か?」って聞きますよ。
朝比奈 言いますね。
松  田 僕は「何を言っているんだ!」と言ってやりたい。こんな立派な仕事をしている間は大丈夫(笑い)。
朝比奈 期待に添えるよう頑張りますよ。
松  田 この際、いくつか聞いておきたいことがあります。朝比奈さんはたくさんCDを出されていますが、ご自分のCDは聴かれますか。

人間の耳より正確な練習の録音テープを聴
き不注意な点をチェックして翌日に生かす

朝比奈 送ってきたらだいたい聴いています。練習は全部テープに録っていますが、それは必ず聴きます。一番大事なことは練習の録音テープを聴くことです。オーケストラの欠点も分かる。人間の耳より、録音テープのほうが正確だから。家でテープを聴き、どこかで変なことをやっていないかをチェックする。オーケストラのせいだけでなく、自分の不注意でテンポが崩れたりすることがありますから。それを修正し、翌日の演奏に生かす。それを二日なり、三日繰り返して本番に臨む。でも、本番のテープは聴かないですな。終わった後で聴いても手遅れ(笑い)。もう、どうしようもない(笑い)。CDになってくると聴きますが、たいがい修正して綺麗になっています。この頃はちょっとした音の間違いなら直ってますから。ディレクターが「ここのところは音を直しておきました」と言ってくれます(笑い)。直せるものは直し、直せないものはもう一度、その個所を録り直す。
松  田 テレビ放送はご覧になりますか。
朝比奈 夜中の放送が多いからね。ビデオを送っていただいた中で聴いたものもあります。ベートーヴェンやブラームスはビデオ全集を出しているので、聴かなければいけないと思いながら聴かないですね。 
松  田 練習テープは保存しているんですか。
朝比奈 本番のテープは保存していますが、練習のテープはしていません。同じテープを何回も使いますから(笑い)。
松  田 批評は読まれますか。奥さんが全部、スクラップに取ってあるとか。
朝比奈 スクラップに取ることもあります。この頃はあまりボロクソに書かれることはありませんが、単なる悪口みたいなものは読んでもしょうがない。この頃の若い評論家は割合、自分の意見をそえて書いていて、中には傾聴すべき意見もあります。自分についての文章なら、耳の痛いものでも読んだほうがいいですね。 
松  田 悪意に満ちた批評をされることは?
朝比奈 多少はあります。金管が弱かったとか、弦楽器がもうちょっととか。そんなことはだいたいこっちも分かってますけど。でも、客観的に聴いた人の立場で書かれた文章は重いから。そういうのはたいがいスクラップにしてありますよ。

五十年前に初めて朝比奈さんの音楽を聴い
た時から 「初恋の人」 と思うファンもいる

松  田 立ち見券がなくなった今も毎日「何とかなりませんか」という電話が掛かってきます。今日も「五十年前に初めて朝比奈さんの音楽を聴いて以来、ずっとファンでした。まるで初恋の人みたい」という熱い電話が掛かってきました。
朝比奈 五十年前と言っても、私は四十歳。相手の女性は二十歳ぐらいだったのかな。この頃は割合、年取った人が多いですね。
松  田 「立ち見券しかありません」と言うと、「立ち見ですか」と言う人に、「立ち見でも聴かせていただくだけありがたいと思いませんか。主催者の僕も立って聴くんですから」と言うと、「分かりました。立って聴かせていただきます」と言う人もいました。
朝比奈 八番を立って聴くのは大変ですよ。でも、私も立って棒を振るんですからね。
松  田 「朝比奈さんも立って振るんですよ」と言うと、すごく説得力があります。「朝比奈さんより若い人が八十分ぐらい、どうして立てないんですか」と言ったことが何回もありますよ。
朝比奈 座ってやらなければならなくなった時演奏をご遠慮するつもりです。オーケストラとの関係でいい演奏ができませんから。
松  田 朝比奈さんが座って指揮をする姿は見たくないですね。
朝比奈 こっちだって見せたくないですよ。いい仕事ができるとは思わないし。いい意味で楽団員が私のことを心配し、気を使いながら演奏しても、いいものができないですよ。何くそ! と思わなければダメですよ。ある意味で、オーケストラと指揮者は敵と味方ですからね。同情なんてとんでもない。
(98年8月25日、朝日新聞社・松田一広氏によるインタビュー)


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