音楽現代76年12月号より引用しました。明らかな誤字・誤植は訂正しましたが、それ以外は原文のままです。

ブルックナー
愛情と誠実さをもって

私にとってブルックナーとは
−−−日本のブルックナー演奏史−−−

 私にとって特にブルックナーだけが重要な作品という訳ではなく、我々指揮者は音楽の流れを辿って行かなければならないのですが、ただ私の場合、ブルックナーは確かに意識してやらなければいけないという意図はありました。
 日本の演奏の中には取り残された部分というのがあって、それがいわゆるブルックナー、マーラー、R・シュトラウスあたりじゃないかと思ったのです。それにはいろんな理由があったのでしょうけれども、何故か皆この作曲家たちには近づかなかったような気がします。
 これは技術的に難しい問題があったと思います。ブルックナー、マーラー、R・シュトラウスというのは、オーケストラという大きな楽器の、規模から言っても技術・技巧の全盛時代、いわばオーケストラのヴィルトゥオーゾ時代なわけです。そんなわけですので大正・昭和初期の日本のオーケストラでは仲々演奏できなかった。バッハやベートーヴェンであれば、刻苦勉励すれば近づくことがある程度可能でしょうが、この時代のものは、編成からいっても技術のレベルからいっても、名人芸が要求されるということもあって、大先達である山田耕筰、近衛秀麿両先生もこの部分にはあまり深く立ち入っておられない。ということで我々後に続くものにとってもかなり遠い存在であるという時代が永く続きました。
 特に日本の演奏の伝統では、ロシア人あるいはロシア系の人の演奏家が多く、例えば、私の先生であるメッテル、またヴァイオリンのモギレフスキー、クロイツァーなどの人たちは、殆ど全てが、マーラー、ブルックナーの曲を取りあげていなかったこともあり、戦後になった私自身、自分のオーケストラをもつようになって、自分たちが若い頃とり残してきた、あるいは先輩たちが立ち入らなかった所に立ち戻らないと、ヨーロッパ音楽の一番重要な部分を空白にして、それを飛び越えてすぐに現代に入ってはいけないんじゃないかと思ったのです。まあ、ドビュッシー、ストラヴィンスキーなんかは早くから演奏されていたんですが、今いったように、一つの重要な部分を廻り道してきたわけです。そこへ立ち戻ることが、日本の聴衆、演奏家、創作家にとっても、ヨーロッパの近代音楽の一番豊かな土壌であった十九世紀末の音楽をとり残して前を進んでしまって非常に観念的になっているときに必要なことだと思ったわけです。それで、割合早い時期に今となっては不用意に知識や準備もなしに、取りかかろうという気持ちだけが先にたって始めたんです。
 最初は数としてはそんなに多くはなかったんですが、ただ誰も触れない領域だったから目立ったんじゃないかと思いますね。オーケストラも聴衆も全く親しみがなく、双方とも余り喜ばず、むしろ嫌っていたんじゃないでしょうか。そういう状態だからオーケストラとしては商売にもならず、八方ふさがりになったのですが、どうしてもやらなければならないという信念で続けたわけです。だから最初「テ・デウム」や「第九」をやった時には、ブルックナーにとっては一番大切な問題であるどういう楽譜を使うかということに関しても実に不用意だったんですね。【テ・デウム 51/2/8,9、九番 54/2/26 と、この二曲はずいぶん早く取りあげている。】
 日本では、割合早い時期に近衛さんが一番とりつき易いブルックナーの「四番」とマーラーの「四番」をやりましたが、オーケストラの能力などの問題で続かなかったんですね。
 関西では私の若い頃にブルックナーの「一番」をやったことがあるんです。当時の宝塚劇場のオーケストラが宝塚交響楽協会という名前でずい分永い間オーケストラの演奏会をやっていたようです。昭和十年頃に第百回定期演奏会をやったのを聴いたことがあるんですね。ということは相当古いんですよ。指揮者にも絶えずドイツ人を招いていたようです。まあそれは宝塚のために招いたんでしょうが、その中の一人の軍楽隊出身のヨーゼフ・ラスカというオーストリア人がブルックナーの「一番」を演奏したのですが、私自身聴いたのですが殆ど記憶にないんです。それは私の聞き取る能力の問題もありますが、聴衆の反応もなく、演奏自体もたいしたものじゃなかったんだろうと思います。
 それ以来私もブルックナーという名前は忘れていたというか、普段のオーケストラのレパートリーには出てこなかったから、勉強もしなかったんだろうと思います。まあ種は東京でも関西でも多少まかれてはいたんですが、結局育たずじまいだったんです。
 戦後オーケストラの水準が上がっていくとともに、R・シュトラウスやマーラーは結構とりあげられるようになりました。R・シュトラウスやワーグナー、マーラーなんかは、聴衆もまだ親しみがあるんです。あの豪華絢爛、演奏効果もあるということで楽しみがある。ところがブルックナーになると、色彩感の少ない地味な音楽だからどうしても取り残されてしまう。これは意識して取り上げていかなければならない、と思ったわけです。
 俗に3大Bと言われますが、交響曲の3大Bはやはりベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーではないかと思うわけで、それまでにベートーヴェン、ブラームスは当初からよく演奏していたので、当然の帰結としてブルックナーに至るわけですね。ただ非常に資料が少ない、私自身の経験が浅いということでいろんな失敗もありました。
 その一つの例としては、1953年私がヨーロッパ旅行の最中、ベルリン・フィルハーモニーの定期演奏会でフルトヴェングラーが最も末期の頃、ブルックナーの「四番」【ママ 五番】を演奏したのを聴いたんですが、これは非常に感動的なもので、その数日後私がフランクフルトのホテルにいたところ、フルトヴェングラーも同じホテルに泊まり、食事の時にロビーで会ったわけです。私の方から名のりをあげ、彼も気さくにいろいろと話し合ってくれたのですが、その時に偶々、私が帰国してから、ブルックナーの「九番」を演奏するという話になり、すぐフルトヴェングラーが「どの版を使うか」と訊かれましたが、私は非常に不用意で何の意見もなかったのです。
 その当時は楽譜も買えずポケット・スコアから写譜をして使っていたわけです。その時はフィルハーモニー版で、これは弟子たちの手がかなり入っているものですが、フルトヴェングラーは即座に「絶対にハースのオリジナル版を使わなくてはいけない。ブルックナーはすべてそうだ」と断言して私に注意してくれました。それが非常に強い印象を受け、もっともフルトヴェングラーに対しての印象も強いものでしたが、その時にそういう楽譜に何を使うかということが大切なことだと解ったんです。日本ではそんなに重要だと思われていなかったですから。それで近くの本屋で売っていたのが「ハース版」で、それは今でも持っています。
 その楽譜を見るとひどく違うんです。場所によっては全く違うところもある。原典版の方は線が太い、大まかなオーケストレーションでして、スケルツォなんかも大へん違うわけです。それですぐ日本に送って写譜をさせたんです。それでも結局は間に合わず一部原典版というつぎはぎのような状態で演奏したわけです。やったということに意味はあったのかも知れませんが、まあ非常に不用意なものでした。
 しかし、そこでいろいろな問題を宿題としてもったようです。御承知のようにフルトヴェングラーは晩年非常に「ハース版」を支持してそれを提唱していたんですが、そのことを身をもって経験したということは非常に大きい印象でした。日本では特にそういう資料がないものですから、したがって「ハース版」にしても「ノヴァーク版」にしても原典を調べる専門家を通してみるより仕様がないものですから、そういう意味でもかなりの勉強になりましたね。
ブルックナー演奏の難しさ

 一口に後期ロマン派といっても、ブルックナー、マーラー、R・シュトラウスなどはそれぞれずい分異質なものですね。というよりも、ワーグナー、マーラー、R・シュトラウスは、オーケストラを使うことにおいては名人芸を持っている作曲家で、シューマン、ブラームスの時代からワーグナーの世界が出てくることは誰も想像できなかったでしょう。
 そういう大天才の系列がある中で、ブルックナーは全くそういう才能がないんではないか、というより彼自身興味がなかったというか、彼の音楽に必要でなかったということが一つのポイントになると思うんですね。ブルックナーの音楽には何も飾りがいらない。鉛筆のデッサンではないけれども、余り濃厚、多彩でない特殊な色彩がほどこしてある。それがデッサンをカヴァーしている。そういう色づけをする音楽家は他にはいなかったので、非常にユニークに感じられるんではないでしょうか。だから後期ロマン派と一括していうのは危険というか間違いであると思います。
 初めはブルックナーのシンフォニーを演奏する場合、その捉え方も私はかなり迷ったのです。日本にはそのお手本が無かったし、そういう場合に、フルトヴェングラーみたいに非常に強烈な個性でもって名演出をやる人の影響が非常に強いわけです。ベートーヴェンなんかでもそうですが、今残されているフルトヴェングラーのブルックナーは非常に面白いわけです。いわゆる聴かせる、退屈させない、思い切ったテンポやダイナミックの変化をやっています。
 そういうのをお手本に私も演奏してみようということで始めたわけです。ただこれは「原典版」でやったとしても、取り上げる姿勢がそうですと、どっちかというとワーグナー的な表現の変化の非常に多彩なものになっていくわけですね。それはそれでたいへん面白いし、フルトヴェングラーのレコードがうけているのはそのせいもあると思います。もちろんオーケストラもいいですが……。
 ただそういう入り方でブルックナーをやりますと、いろいろぶつかる問題があると最近は思っています。例えば今から十年程前に最初に「七番」を演奏したときもそのような解釈でやりましたから、演奏として面白いものにはなったと思います。そのことによって、オーケストラからの拒絶反応を解消することや、聴衆に面白く聴かせるということの手助けになったとは思います。表面的に旋律的にも美しく、私が系列的にブルックナーを取り上げるためにも助けになりましたし、オーケストラも馴染んでくれたとも思います。
 しかし、肝心な問題はそのことではなく、ブルックナーが書いた音そのものを、先ず演奏者が直接に率直に感じたものを演奏しなければならないと感じたんですが、ただ、そのためにはいろんな問題があったわけです。
 第一に楽器の問題がある。アメリカ式の金管ではどうしようもないのでドイツ式のものを使いたいのですが、思うように購入できない。メーカーに直接注文したり、私がヨーロッパへ行った時に少しずつ買ってきたりして徐々に揃えていったり。音を作るペア一人一人が、ああいう半音階進行で違った調子にどんどん入っていく転調していく曲では、まあワーグナーやR・シュトラウスのオペラをやり馴れているオーケストラであれば、自然に身についてくるんですが、丁度その部分が抜けているものですから、この辺の難しさもあったわけです。そこをちゃんとやらないとブルックナーの味わいというのは全く出てこない。
 そこで、当時売り出された電子オルガンの小型のを作らせ、それを指揮台兼用にして、半音階進行、エンハーモニック転回を一つ一つオルガンで弾きながら、パート、パートをはめていくというけいこをしたわけです。これはたいへん時間と手間がかかることで、しかも全然面白くない練習なんですね。
 譜面を見ますと、例えばコントラバスが半音ずつ降りてくる、D→Des→C→H→Bになってくるという進行の場合、その半音違う毎にその上にのっている和音が全然違う調子になっていく、というようなことがブルックナーでは、非常に緻密に行われていることが多いですね。それを肌で感じなければ、肝心の音のカラー、特徴が出てこない。
 この練習の期間がかなり長かったです。数年かかりましたね。それもポイントだけ。例えば「七番」であれば最初主題のトレモロの部分−いわゆるブルックナー・トレモロ、内声が全部半音階進行をしている部分ですね−を例にとってやったわけです。
 それから非常に誰が聴いても感動的な部分があるわけですが、その部分を念入りにやったりして、ブルックナーの非常に素朴な旋律、殆ど旋律と思えない程、音がボン、ボンと跳んでいくだけの主題が多いのですが、しかも簡単なオーケストレーションで、ヴァイオリンだけがメロディーを弾いて他はみなピチカートで伴奏しているだけとか、中には伴奏も何もなくてフルートだけで演奏しているのもありますね。
 「改訂版」では、大概そういう時にはヴァイオリンにはフルートを重ね、フルートだけの時には木管の和音をつけ、オーボエ一本だったらクラリネットを重ねるといった具合いに、豊かな美しい音を作るように改訂されているのですが、実際は何度もやってみると、そうではなくてヴァイオリンやフルートが一体でやっているところに、ブルックナーの音、ブルックナーが考えている真実性があって、文学などの場合と同じように音楽でも音そのものの真実、ブルックナーの心の中で響いていたであろうと思われる楽譜の音を、そのまま再現する方がいいようです。「四番」シンフォニーもアレンジしたものはずいぶんやりやすく書いてあって、旋律や動きなんかも全てに重複があってやりやすいんです。クナッパーツブッシュなんかは平気で改訂版を使っているらしいんですが、まあハースでもノヴァークでも使いようでどうにでもなるんですが、ノヴァーク版の方が少しカットが多いようです。
 しかし、そんなに大差はなくてやはり原典の味わいというものが、いくつかの楽譜を見、曲を演奏してみるとわかります。問題は効果を狙わないという姿勢にあると思うんです。それさえふっ切ってしまうとずいぶん気が楽で、例えばベートーヴェンのシンフォニーなんかは、何百回やっても安心感がないのです。これでいいのかという不安がいつもつきまとっています。
 ブルックナーの場合は、わりと簡単にその辺はふっ切れました。安心感ができてきたように思うんです。それはフルトヴェングラーのような大演出家が絢爛たる演奏をするということをふっ切ればいいんで、彼に対等に勝負を挑もうとしてもやはりかなわないですね。フルトヴェングラーの場合は、テンポの設定やクレッシェンド、ディミヌエンドなど非常に起伏の大きい演奏をやりますが、我々があれをやるととても続かなくて息が切れてしまいます。
 最近そういうことが解ってきましたから、私も大阪フィルのメンバーもブルックナーを安心してやれるようなところがありますね。キザな言い方をすればメンバー一人一人が自分のパートを誠意と愛情を込めて演奏すれば、必ずブルックナーのシンフォニーは立派なものになるという信念のようなものですね。これを私はどこのオーケストラとブルックナーをやる時にも言うわけです。
ブルックナーの音楽の本質、版の問題

 ブルックナーほど素直に入っていくことのできる作曲家は他にいないんではないかと思います。それが証拠に、実にブルックナー・ファンというのは若い人達が多いですね。つまりジャズとかロック、フォークを聴いている層なんでしょうが、彼らが素直にブルックナーの世界に入ってきているのが、演奏をやっていてもよく解ります。彼らの方が、ぼくらの若い頃よりもずっとナイーヴでしかも将来、いろいろな音楽をどんどん吸収していくことができる、そういう要素をもっていると思います。
 ブルックナーの音楽の宗教性ということがよく論議されていますが、確かに彼個人の生活からみれば当然のことなんですが、これは、ヨーロッパ人の中でもいろいろなタイプがあります。
 自分の体験をいうのも変ですが、昨年スイスで私がブルックナーの「七番」を演奏したとき、演奏前に楽屋へ年輩の人がたずねてきて、「貴方はどういう意味でブルックナーをとり挙げるのか」ときかれたんですが、その時その人は「カトリックの信者でもない人がブルックナーのシンフォニーを演奏するなどということは信じられない」というふうに言っていましたが、まあ一方にはそういう考え方も成り立つでしょうが、しかしそれは狭義の見方であって、私達はブルックナーの音楽を人類共通のものとして、あるいは音楽の心の一足跡である、というふうに思って演奏しています。しかしその人はこの考え方は論理としては理解できるが感情としては理解できないといったので、私の演奏をとにかく聴いて、これがブルックナーではないと思うならば、終わった後又話をしよう、ということで別れましたが、結局その人は来ませんでした。それは私の演奏をブルックナーだと認めたのかどうかわかりませんが、そのような事で宗教的感情というのは勿論大切なんだけれども、決してそれだけではない。
 ただ、シンフォニーなんかでも明らかに教会のオルガンのような響きがするところは確かにありますよ。それはやはり、オルガンの響きのように演奏しなければなりません。
 ブルックナーのシンフォニーには、弦楽合奏だけとか、金管合奏だけとかの部分がたくさんあります。だから非常に淡彩で彩りに乏しいと感じることはあります。しかし、マーラーのようなオーケストレーションの大家でもシンフォニーではブルックナーの影響を非常に濃く受けています。
 例えばマーラーは「第九」シンフォニーでは、終わりの楽章が、前三つの楽章の絢爛の楽器法に比べると、一転して三十分程の長い楽章を殆ど弦楽合奏で作曲しています。だからマーラーのような大家でも、単彩の妙味、美しさを知ったのは、ブルックナーの弦楽合奏の説得性のある力強さと無縁ではないと思います。
 ちょっと前に戻りますが、ブルックナーはどの版を使えばいいのか、という質問をよく受けるのですが、これは信頼度によるのであって、今一番信頼されているのが、オーストリアの学者であるハースとノヴァークそれぞれが編さんしたものですが、これはどちらも大変なもので、勿論意見の分かれるところはありますし、それもまた止むを得ないことなんでしょうが、私が今まで研究したり、実際に演奏してきたところでは、ハース版の方が、ブルックナーが考えていた音の世界により近いのではないかと今は思っています。
 例えば「八番」のシンフォニーなんかでは、ハースとノヴァークの版はかなり違います。これはどっちが先に出たかということは問題ではありません。だから専門家の間でも意見がかなり分かれていますね。ただ私はハース版の方がブルックナーをより正しく表していると考えて、ハース版を使っています。この方が、各フレーズの途中の中断や省略が全くなくて、全部完成したカデンツで終わってまた次に行く。そのために非常に長くはなります。だから最近は省略はしないで演奏するようにしています。
 この版の違いは各シンフォニーによってそれぞれ異なりますが、私はその都度単純な方を選ぶようにしているのです。実際ブルックナーが生きているわけではありませんので、版の問題も去ることながら、全ては演奏にかかってきていることを忘れてはならないので、そのためにもブルックナーばかりではなく、どの作曲家の場合も先程言いましたように「誠意・誠実・愛情をもって」ということが大前提だと思います。 


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