クサのカケラ

  〜愛の物語〜

 

 

「吸殻」

 

 

驟雨の軒に干された俺達は、若干の悪漢をかき集めた。若さと言う帽子を深々と被り、心のラインを渡り歩く。見かけた鳥を狙いも定めずに撃ち落していく。ただ降り積もる雪は灰色にしか見えない忘却の中で、臆病な少年が前から歩いてきた。トイレットペーパーの石油の匂いみたいに真っ白だった。ただ何かを拭おうとしたから、彼の手を止めてみた。

 

「清ければ清いでいいんだよ。俺の部屋へ来てごらん。壁中が嫌なくらい黄色くなっている。でも心配は要らない、部屋はヒョウ柄一点で僕の手作りだから。お茶くらいは出すよ。吸いたければ何かを吸っても構わない。怖い雑誌も揃っているぜ、気持ちがいいのが分かるくらい。その前に公衆電話からの一言、飛ぶためにね」

 

いつもの地下鉄のいつもの暗い出口。いつもの顔でいつもの香水で。

 

「さぁ行こう。とにかく歩幅を取り決めなくちゃ。厚手の軍手とコカコーラの感触。決まる前にこの空を見上げなくちゃ」

 

超合金の橋の下を僕等は潜り抜け、ランダムな匂いを嗅ぎ分けながら進む。そのホットドック屋のメロンソーダはスカッとする。スカッとする。伸びきった靴下を履いた若い女の子達の笑い声。

 

「今日も誰かに、体を売るのかい?」

 

その劈く超音波を耳に残し、この後の楽しみに取っておくことを決めた。ようやく俺達は地下鉄の匂いを確かめた。この前来た時はもう夕暮れ迫る頃だった。確か浮浪者の老人が、地球は二つあるって話してくれた。頷くばかりか俺は彼に煙草を勧めた。彼が言うには、煙草と言うものは何かをなくす理由なのだそうだ。それが何かは、まだ俺には分からないだろうなぁ。シャワーの音を聞かない生活は、きっと何かを変えるんだろう。はにかんだ彼は、僕があげたタバコをポケットにしまって、そして僕にもう一本ねだってきた。どう言うわけも聞かないで彼が去っていくのをただ見ていた。

 

「何を失ってきたのだろう?タバコの数だけ………」

 

黒いニット帽をかぶった目つきが歩いてきた。ひたすら焦点を誤ってる。彼は携帯電話を取り出した。そして僕の携帯電話が軽く震えた。

「翔ちゃん、1Gでいいの?」

「あぁ」

僕は黒いニット帽をかぶった目つきに煙草を勧めて、箱ごとあげた。そして彼も俺に煙草を勧めて、箱ごとくれた。何も言わずに僕等はそこを離れた。本当に鼓動の早さも変えずに。

 

臆病な少年は臆病に似合わず好奇心でいっぱいだった。今日はあいつにやっぱり腹が立った。カルシウムをもっと吸収しなくちゃ。時速100マイルでハミルトンのゴーグルを脱ぎ捨てて、風になるのがささやかかつ大胆な夢だった。

「このエンジニアブーツは飾りじゃない」と、コアな人達に言いたい。もうすぐ組み上がるだろう、僕が作ったアメリカンバイク。

「しかし彼らは何を交換したのだろう?」きっと怪しいものに違いない。

彼に聞かれた。「メロンソーダを飲んで行こう」って、「スカッとしなくちゃ。やっぱりスカッとしなくちゃ」って。

 

その二階にある古着屋は、俺の友達のお父さんがやっていて人気はあるのだけれど、もう古着は錆びれたって言うんだ。若者の間では何かが少しづつ、すごい勢いで変わるんだって。クロムハーツだってガボールだって時代の産物でしかないのかも。衰弱している人間が孤独と戦う時に呟く神の名前。神の名を汚す奴はって言うけど、ただの現実逃避じゃん。宗教家が悪いんじゃない。すがるのもいいだろう。でも、俺の心の空白をそこで埋めるつもりは無いんだよ。素敵な恋をするのにきっと神様なんて関係ないと思うからね。

 

「時間いいですかぁ?少しいいですかぁ?お祈りさせてください」

 

俺達の前に急に変な男が現れた。必死に手をかざしている。「心の浄化?」なぜ、この男にそんな事ができるのだろう……そんなガラクタな石を高いお金で買って、それの力に頼って、そんな物でこの男に心の浄化が務まるなら、俺にだってできるよ。それでも占いや運勢を信じたい俺は黙ってお祈りを受けた。心の空白をまた使ってしまった、絶対な物などないのに。「人間は弱いなぁ」いっそ十字架でも首から下げようか………

 

俺達はまた歩調を取り決めていた。少し浄化された俺の心は、その前と何も変わっていなかった。露天商のお姉ちゃんに声をかけた。ここを通る度に挨拶を交わす。あまり話した事無かったけど、なんとなくそこに並んでいた惣菜を見てみた。いかにも純度の低い銀のアクセサリーが綺麗に並ぶ。それでもヘンプで出来たものはなかなかいい出来だった。俺もヘンプアクセはよく作るけど、この編み方は知らないなぁ。そんなことばかりを考えてみる。俺はそこで、なんだか弱っちいシルバーのクロスを見つけた。

「このチョーカーおいくらですか?」

首から十字架をぶら下げた俺は、歩きながら煙草を取り出した。

「うまく火がつかないなぁ」

風がビルの合間を洗い流した。日差しが強い。こんな事ならこの間買ったディーゼルのサングラスを持ってくるべきだった。

 

俺は双子によく出会う。それもかなりの確率で………3日に一度は会うだろうか?もっとかなぁ?この間は双子の赤ちゃんをベビーカーに乗せて、双子の姉妹がそれを押しているのを見た。危うくエスカレーターの急停止ボタンを押しそうになった。それでも下着売り場で臆病になったのか、その手を止めた。双子はきっと大変だろうなぁ。その気持ちはもう分からないのだろう。

 

俺の部屋は2階建ての2階にあった。やっぱり階段だった。どこかで見たことある老婦に声をかけられた。俺にこの場を提供してくれている人だった。何かと思えば回覧版。「今時こんなのあったんだぁ……」それにしても、ここにもうだいぶ居るのに初めてだった。どうでもよい事は、やっぱりどうでもいいんだ。見事鍵を掛けてなくても、今日も無事だった。どうせ何も無いんだから、きっとそう言う運試しは必要ないのかも。ただ殺風景なヒョウ柄のこの部屋は草の匂いがした。頭に不快感を覚えるこの草の匂い、それでもこれでいいのだ。

 

「メッセージは三件です」

妙に生々しい機械の声がそう言った。

「9時39分。ピーッ!もしもし、いないの?バイトかな?美咲だけど、また掛けるね、ばいばい。ガチャッ………ピーッ!……9時41分。ピーッ!もしもし?わたし。さっき言い忘れたけどさぁ、週末空けといてよね。絶対だよ。じゃぁね、ばい。ガチャッ………ピーッ!……2時2分。ピーッ!おーい!恋してるか?愛ってなんだろうなぁ?聞けよ!あの子とうまくいったぞ!それはそれで、まぁ、おまえも頑張れよー。また電話するわ、ほんじゃ。ガチャッ………ピーッ!」

なんて淡泊な連中だろう。メッセージはメッセージ。

 

コーヒーを勧めた俺は彼と向き合って座った。

「俺、翔、君は?」

「僕?雷蔵」

吸わないと思っていた彼が、煙草を取り出した。しかもガラム。臆病そうなのに変わった奴だ。彼の一吸いで、部屋中ガラムの香りに包まれた。突然電話が鳴った。受話器を受け取ると耳に魔法を掛けられたようだった。どうやら紙に何か言葉を乗せて動くマシーンが作動した様だ。

「ジジッ。ジジッ」っと、紙が流れ出した。「スーッ」

「人恋しい過去の時代。いまでは簡単に安売りされてる。でも人類の最初の商売は娼婦だと聞く。かっこいい。どんなに擦ったって、もうこの汚れは取れやしないだろう。初めからおいしい食事だと決め付けた悲しい結末だ。マッチ売りの少女だって、所詮絵本の中。書いた奴の企みだ。僕達は、実に下らない悪循環の中に生きている。この紙だってそうだろ?木を切って作ってるんだ。再生すればいいってものじゃない。地球は渇いていく。知ってても一人の努力ではどうにもならないのだ。だから努力はしない。するだけ無駄って決め付けた方がやっぱり楽だよ。新しい下駄を買って街を歩いていたら、みんな俺を見るんだよ。アスファルトの上じゃどうしても都合が悪い。俺じゃないのにね。音によって何もかもが蝕まれて行くって言うけどホントかなぁ?じゃぁ遠回しに人を傷付けていたのかもしれない。知らないうちに人を傷付ける事ってよくあるよね。でも相手の痛みは自分がされた後に気付くから後悔の連続だよ。知的に街をさ迷えば、何か見つかるかもしれないって思ったけど、結局わかった事は、一人より二人ってことかなぁ。この僕の思想。誰よりも詩的で感慨深いのに、ただ闇雲に伝えるだけじゃ駄目なんだね。早く恋をしなくちゃ!誰にも負けられないいい恋を。どこかに赤い車落ちてないかなぁ?金属バットを持って、手錠をぶら下げて、彼の歌を口ずさみながら走って行くのに。そしてそれを思いっきり、ぶっ叩くんだ。ボッコボコに。そしたら思いっきりガソリン垂れ流しになって、オイルも漏れて、真夜中にそれに引火したらすごい音と共に爆発炎上するんだろう。その後の残り火はきっと世界中の何よりも綺麗な筈だよ。間違いない!この世界一面倒くさがり屋の俺が言うんだから。どこかに赤い車落ちてないかなぁ?もし知っていたら教えて。今日は家にずっと居るつもりだから。レポート書いている。今やっている戦争についてだって。何書けばいいんだろう。一番偉い人の目の前でハトを殺すとかかなぁ?そしたら世界中の子供達が泣き出して きっと戦争はまもなく終わるかなぁ?やっぱり悪循環の中で生きてるんだよ。非生産は定めだって………宇宙からこの星を見下ろしたら、きっと世界観変わるんだろうなぁ。だって、きっと小さく、きっと綺麗な青色をしているんだから。着色料無添加。心の水色に逆流があればいいのに…………とにかく赤い車。血液に溶けるくらいの赤い車。暗闇にサングラスをしても眩しいくらい、俺の心を動かして……………」

 

俺は一本の煙草が吸い終わると同時に、この言葉達を読み終えた。雷蔵はゆっくりとコーヒーを吸い、雑誌を見ていた。ところで彼はいくつなのだろう?そもそも何故?孤独ではキマれない俺の心を彼がきっといじったのだろう。彼の臆病そうな顔がきっと心を捉えたのだ。どうでもいい理由付けが一つの考える対象になる。人の記憶たかだか少し。忘れる事は生き物の特権。僅かだから思い出に選ばれた出来事ってやっぱりすごいのだろう。今日はどのくらい俺の胸を焦がすのだろう?明日まで、明日の朝目が覚めても覚えていられるだろうか?そんなの明日になれば分かる。どうでもいい理由付け。先週の金曜日はおろか。さっきの事だって覚えてない。それでも忘れられない物はいくらだってある。

 

俺が幼稚園の卒園式に幼稚園の庭に埋めたタイムカプセル。確かみんなで埋めたのだが、16歳になった春にみんなで掘り起こすと決めたはずなのに、今だ音沙汰がない。どうでもいい事だが過去を知るというのは少し興味がある。埋めた時の事をかなりはっきりと覚えているのは 記憶力の問題ではない。俺の心にしっかりと焼き付いているからだ。だから懐かしくもない。ただ鮮明に普通に思い出す。色までついて自分の声まで。だけど幼稚園の先生が結婚したあの日、その女性の記憶は全て無くなった。何故だろう?幼稚園バスから手を振って、さようならをしてくれた顔も、オルガンピアノを弾いたあの等身大も、全て何もかも。写真を見てもきっとこの人は違うと泣き出してしまうだろう。

 

雑誌を読み終えた雷蔵は、急に立ち上がった。ヒョウ柄のCDラックの中を吟味している様だ。あれを作るのは大変だった。市販のCDラックにペイントを施した。ヒョウ柄の難しさはきっとヒョウには分からないだろうけど、俺は知っている。微妙な黄色の被せ技。絵を書く時の一つの技法でもある。3原色の中の一つの色だけ使って一つの絵を書くのだ。美術の先生はネクタイをしない。それはいい事だ。でも俺はあの先生が嫌いだった。芸術家なのに見た目で人を判断する。でも七宝焼きを作るのはやっぱり芸術家だ。心がどんなのだって、所詮作品は見た目なのだ。綺麗なものは綺麗。そうでないものはそうでない。人がいいと思う自然は、結局人が好きな自然でしかない。そして綺麗な自然ばかりを求めるから、調和が消えて行く。手を加えたものを自然と呼ぶようになって、もうだいぶ経つ。それでいいんだよ、みんなが求めているなら。

 

誰かが俺の部屋のチャイムを鳴らす。そして、俺はおもむろに立ち上がった。

 

 

「美咲の憂鬱」

 

テレビの画面では、剣玉をやっている少年が笑ってた。どうしてこんなに笑っているのだろうか、私は最近笑ってない。そして、おもむろに畳んでいる途中の洗濯物の山をなぎ払った。下着は散乱して、まるで汚れた下着だった。そして、それを面倒臭そうにまた拾い集めて畳み始めた。薄れて行く私の日常、繰り返しているだけなのかも。焦げ臭い匂いに我を取り戻して日常に戻る。台所では駄目になったスープが異臭を放った。

 

「結局こんなものなんだ。私って………」

 

洗濯物をとりあえず脳裏から外して、私はお湯加減を気にした。とにかくこのお鍋を救出しなくちゃ、日常に溢れるために。外ではあんなに嫌な音を出している人達がいる。昼間の工事中。夜の工事中。昼間の電車。夜の電車。とにかく駄目な大人達。この国を動かそうと必死になって今だけがんばっている。

 「そのたすきに何を込めて、地位と名誉を買うの?あなたは政治家、道化師と呼ばれてもおかしくない。とにかくそのマイクの音は迷惑だ。鼻息だけが聞こえてくる」

でも日常はこんなものだ。少し歳をとったのかもしれない。宣伝カーに狙いを定めて、一言。

「うるさい!!」

お鍋にお湯を張って、リビングに戻る。畳みかけた洗濯物の山が脳裏に帰る。テレビのチャンネルはどこに行ったのだろう。何故リモコンと呼ばないのだろう。チャンネルはリモコンじゃない。リモコンもチャンネルでもなくて、リモコンはリモートコントローラー。どうでもいいことは、やっぱりどうでもいいのかも。だから、とにかくテレビのチャンネルを変えた。何処も彼処も下らない物ばかりだ。まだこれを見て笑うには若すぎる。そろそろ身支度を済ませなくては。時間は迫るものなのだ。しわにならない事を祈って、とにかく手を止めた。

 

お化粧と言う日常が待っている、何故だかわからないけど。私に与えられた課題は、綺麗になる事と飾る事。そうでもしなくちゃ太陽の下を歩けない。

 

「いつからこうなったのだろう?きっと始まった時からだ」

 

化粧はして損はない。得はあったかなって思っても困る。それでも、それが一度してしまったが為の悲しい悪循環。それでも煙草を見て火を出すような女にはなりたくない。年下の彼は、私をどう見ているのだろう。ヒョウ柄ばかりが好きで、私をどう見ているのだろう。たかだか一つ年下なのに、どうしてこんなにも歳の差を感じるのだろう。しかもここ最近よく思う。この2ヶ月が悪いのだろうか?この2ヶ月の間だけ、彼との歳の差が二つになる。気にしたってどうしようもないけれど、時間とはそう言うものなのかも。すっかり化粧が済んで鏡と話をしているのも終わった。頭には、ヒョウ柄のカチューシャをしてみた。最後にこのフレグランスを振って終わり。彼が好きと言ってくれたこの香りを大事にしたい。それともこのヒョウ柄の容器がかわいいのかも。D&Gのこの香水は私のお気に入り、それでいいじゃない。私は玄関のドアを静かに閉めた。ゆっくりと外の世界に入っていった。

 

スキンヘッドに日章旗。卍マークにMA—1。黒い短パンにブーツ。くちゃくちゃチューイングガムを食べながら、仰け反っている。何処を見ているのか、視線の先を追う。そこにはぶら下がった広告。なんだか、たくさんある。吊革に掴まる時はよく目にするけど、覚えられる程じゃない。まして電車にはあまり乗らない、ここは小さな収容所だ。まるで反吐が出る悪臭、他人とのまるで無い距離。ごつごつとした手がスーッっと伸びてくるあの感触。

 

私は今でこそいいけど、昔は電車が嫌いだった。セーラー服を着ていた頃に一度嫌な思い出がある。いつもの時間にいつものホーム、私はこの車両。乗車率が高いこの時間はいつでも人で押し捲られる。駅員のお兄さんはいつも挨拶の対象で、一番身近な異性として目を馳せていた。その日は朝ではなく、夕方だった。いつもこの時間はこのホームで汗を流している。人で溢れる時間と言うのは大抵決まっているのである。私はいつも悩んでいた。若いと言う事もあった。動く指が嫌らしく、体温が嫌いだった。私はこの満員電車で、痴漢にあっていた。それは或る日までの私の心の小ささだった。そう、あの日までは、あの日までは。

 

電車の扉が開いて私はそこからいつもの様に逃げ出した。後ろで喧騒が響いた。私のよく知っている人だった。私に体温を怖がらせている本人だった。勢いがいい誰かが彼の手を思いっきり掴んで天に掲げた。そして次第に怒鳴り声を張り上げて行った。駅員のお兄さんが走り寄ってくる。私の頭の中は次第に真っ白になってくる。二人を止めたお兄さんは、知らないうちに真っ赤になった。死とは突然だった。それは時間の流れを止めるのに十分だった。ラズベリー色に染まったナイフがホームの上に落ちた。誰もが予期せぬ事を誰もが見ていた、心も使わずに。私はその場に倒れこんで、白い部屋で目が覚めた。

もうお兄さんには二度と会えなくなっていた。私の失恋は、彼の終わりであり、彼の終わりは、私の終わりだった。警察に行くのを拒み続け、やがて自分の部屋で眠った。小さなクリスマスツリーがそこにあった。涙と言うものはいくらでも溢れてくる。どんな映画だって、どんな小説だって、私の心は動かせない。あれから私は5分間長く歩いた。隣の駅は違う場所だった。私は心の病と戦って 新しい教室に入った。そこには誰も見たことも無い人達ばかりだった。そして二度目の修学旅行で彼と恋を覚えた。彼が始めてくれたプレゼントは、ヒョウ柄の手帳カバーだった。

 

「この駅で降りなくちゃ」

 

私は席を立った。スキンヘッドも立ち上がって、私の後ろを通過した。おもむろに彼は 「久し振り」って言った。ジャラジャラとしたバタフライナイフ。私は扉の開きざまに駆け出した。そしてトイレへ駆け込んで、眩暈の中、吐き出した。鏡を見て私は、化粧の崩れに気を取られた。そしてまた顔中にペイントを施す。胸の鼓動は静かになって、駅から逃げる様に歩き出した。

 

店長は独身なのだろうか?見かけはかなり、若く見える。高校生くらいのバイトの男の子が発する、「店長」と言う声がおかしかった。そんな事より私はずいぶん待っている。特にここで人間ウォッチングをしていても飽きはしない。それよりバイトの男の子の声が私には気になる。店長はずいぶん背が高い、ファミリーレストランには似合わない。携帯電話が鳴った。申し訳なさそうな声だ。私は伝票をおもむろに掴んで外に出た。一人でもいいやって、私はデパートの中に入っていった。ヒョウ柄がたくさん集まる雑貨売り場。彼が一つ年下に成る為に、ロウソクの火を消すために、今週の週末はシャンパンを開ける。その日を待ちわびて、私はヒョウ柄を見て回る。私は電車を避けて家路に下りた。ショルダーバックにヒョウ柄のリボンと包装紙を詰めて、私は家路を急いだ。肩が痛い、バンブーの柄が付いたショルダーバックが欲しかった。見た目のかわいさより、肩が痛かった。2ヶ月前に彼がくれたこのカバン。少々肩が痛くたって、私は気にしない。彼はヒョウ柄のものが贈りたかったのかもしれない。それでも私はこのバンブーのショルダーが欲しかった。不器用なわりには良く出来た、早く週末が来ます様に。

 

私はロードショーを見ていた。涙した。そもそもこう言うものは涙を流させるために作ってあるのだ。それでも泣いてしまった。複雑な思いが胸を過る。製作側に負けたのか、私の心が素直なのか。どちらにしろ私は泣いた、なんだか久し振りに。私には、偽物の感動は届かなかったはずなのに……。寝る前にする事がある。電子メールをチェックすることだ。悲しくもいつも見るだけ無駄のメールに期待をしてみる。私は少し空しくなって、目を閉じた。

 

今日も朝から外が騒がしい、朝の騒音。今日は彼に電話をしなくちゃ、バイトだろうか?とにかく受話器を上げる。機会の声だ。一度メッセージを入れた後、大事な事を思い出した。そしてまたメッセージを入れた。大事な事だった。

「翔ちゃんに会いたい」

彼は結構、物事を考えているのか?私のことはどうでもいいのか?そう言う事では説明つけがたい。彼は自由だ。彼がそう言っていた。だからやっぱり、彼は自由なのだろう。朝のワイドショーを見ながら、やっぱりまだ早いのだと私は思う。チャンネルを変えると そこには少年が映っていた。カメラ目線でチラチラこちらを見ながら笑っている。

「テレビは笑う理由なのだろうか?そう言えば私は最近、心から笑ってないな」

そして美咲は、視界に入ったヒョウ柄のリボンを見て、少しだけ笑った。

 

 

 

 

「老人」

 

木目調の人生の中に、私は何かを見ていたのかも。ただその年輪の中に、小さく歪みを浸けて人に道徳を伝えるなど、なかなか難しいことだ。自分でさえしっかりと足跡を残せないのに、何が道徳だろう。ただ醜い物達。

 

私はまた煙草を一本取り出した。からだの中に快感と痛みが同時に走る。校庭を騒ぐ学生達のはしゃげない声、彼達の先を見越した目はどこにあるのだろう?彼女達の羞恥心は何処に消えたのだろう?

 

顎を撫でた私に、不快感が走った。不精と呼ぶにはまだ若いこの肉体。それでも人は日々歳を貫き重ねる事を最近知った。妻の体はもう見飽きたのかも……或る日と待たず、妻は段々醜くなって行く。それでも高い代償を妻に払い、私は生活を続けていられる。誰が悪いとも言わず、不幸せじゃない事だけを祈り、二人は暮らしを営んできた。逃げたのではなく前だけを見ながらひたすら毎日眠る。不眠症とは戦う事も知らないほど、夢だけは見る。目が覚めればそこには生活の匂いがして、また一日が始まるためのエネルギーを採る。それでも毎日電車に揺られながら私の生活は始まるのだろう。妻が微笑みながら私に告げた、新しい生命の誕生だって。歓喜乾かぬ内に、新しい命は結末を迎えた。それ以後妻は繁殖能力を失った。生き物として辛いのかは解らないけれども、それでも不幸せにならないように二人は続けた。おふくろが急いで買ったガラクタはその日から薄れて行った。廃棄物にはもったいないほどの思い出の無いガラクタだった。

 

私達がこの国を作り上げてきたのだろう。きっとそうに違いなかった。みすぼらしい服を着て、たくさんの兄弟を抱え、それでも時代は回り、高度な成長を迎える。東京オリンピックがどうだとかそんな事じゃない。白黒のテレビの中で、世界チャンピオンが誕生したとか、もう昔の話だ。

 

私は顎を撫でながら、この不快感を味わった。無精と呼ぶにはもう相応しい歳だった。時代は、一日を見れば何も変わらなくても、長い目で見ればやっぱり全てが変わったのかもしれない。妻が他界してもうしばらく経つ。目が覚めてもそこに生活感など無く。そして私は電車に揺れ動かされて行くのである。相変わらずこの煙草だけは辞められそうに無い。

「何を見てきたのだろう?煙草をくわえながら………」

満員電車の息遣い、何食わぬ顔の感触。

 

私は牢屋の中にいた。臭い飯を食わされている。ただここでこうして長い事タバコを渇望している。その喉から出る苦しみは、次第にどうでも良くなった。私は本を所望した。なんでもいいが時間と戦う事を忘れたかった。私が開いた本には、この星を見据えた先が載っていた。地球と言う大地。あるいは星と言うものは試される為に在るのだそうだ。この日常に溢れている全ては何食わぬことでまた、創めに戻る。私達の生活は、誰かに日々見張られていて、その引かれた世界の中で駒の様に動いている。どうやら私は変な宗教の本にでも惹かれてしまったらしい。「地球は二つ在る」それが私の答えだった。特に何の問題も無く私は優等生で仮出所した。そして第二の人生がそこから始まったのである。

 

私は噛り付いた、煙草も放さずに。それでも時代の起点は簡単に行くものであって、波に乗ったまま私は進んだ。その内出世して、私は地位と名誉を取り戻した。一番偉い人が死んで、私は一番になった。私のことを「教祖様」とみんなは呼んだ。

 

「地球は二つあるのだよ」と、みんなに説き伏せた。何がそこから変わって行ったのか、私にはわからない。それでも神に成りたかった私は、なんにでも手を染めた。人を簡単に洗脳するには、薬物が一番だった。お金と言うものは何処かに必ず在る物で、何処からかたくさんの金が降ってきた。それでも欲は立ち止まらず、私は二回目の裁判を受けた。

 

「裁判長、私は黙秘します」

 

そして私はきっとおかしくなったのか、世界などどうでもよくなってきた。それでも地球は二つあって、私はそれを見守る一人の神なのだ。

 

ダンボールの家に住み、自分では悟りを開いているのだと主張する。シケモクを食らって、私は生き延びる。最近は悲しそうな若者を見つけては何かを説き伏せる。あいつらは私のことをバカ呼ばわりしているかもしれないけれど、いつかそれに気付く日が来るのであろう。私は煙草を辞める気は無い。患者と呼ぶ人もいるが、それはきっと重要ではないのだろう。私は、本当は神に一番近くて、神、その者なのかもしれない。それでも煙草を拾い集めてそれを吸う。誰が悲しいなんて決めたのだろう。

 

私は顎を撫でてみた。もう無精などとは呼べない。伸びきったその髭は、彼には快感も生活感も与えない。体が臭いとか、鼻が利かないだとか、何がなんだかさっぱりわからない。

 

「私は神であり、タバコが好きだ」

 

私が垢を落とす時は、肉体その物を落とす時であるだろう。何処かで必ずしも風化して灰にもならず、魂だけが残り、この悲しい人類と言うのを上の方から見守るのだろう。

 

ポケットを探ってみた。そこにはマッチが入っていた。

 

「あぁ、煙草が吸いたい」

 

あの地下鉄の入り口でたむろしている少年からくすめよう。私が説き伏せる代償として 煙草を頂く。安いくらいの買い物だろう。その地下鉄は何かを巻き上げる風の元となる。若者達の悲鳴が聞こえてくるかのようだ。

 

ヒョウ柄のテンガロンハットを被ったその若者。彼はなんだか物憂げに真剣な表情をくれた。彼はなんだか感慨深かった。私はいい事をしたと思って、煙草を二本拝借した。煙草は人生を左右する。それに気付きたくは無いのだけれど、私は煙草と人生を歩んできて、その本数と同じだけきっと何かを失ってきたのだろう。

 

「本当は気付いているのだよ。本当は気付いているのだよ。私は神なんかではなく、狂っているのだって。私はもう死に急いだって仕方のない歳だ。だからここで昔の過ちを誰かに話して、その心を保っている。次に生まれるだろう愚かな神の為に。私は狂っているのだよ。私は狂っているのだよ」

 

生まれてくるはずだっただろう私の子供が死んだ時、私の中で世界観が逆流し始めた。天に召されるのは死を迎えた者の宿命なのだ。誰だって空高く舞いあがる。下に落ちるほど不幸な奴は存在しない。正義なんて悪のおかげで生まれてくるのだ。それは立派な仕事であり、悲しき為の循環なのだ。私が犯した過ちはたくさん在る。数え切れないほどの渦の中で渦巻いて、私を捕らえた者は、私の中で生き続け、きっと死ぬ事はないのだろう。

 

「私は愚かな神だ」

 

神と言う者は人の生死を大きく左右する。そんな粛清など誰が許そう物か。私は欲望のままに生きてきただけなのだ。私でも悟ったものが在る。私の肉体はもう時期、滅びるのだ。

 

「お母さん、あなたとの時間をもう時期拾い集めます」

 

私の思い出はガラクタなんかじゃない。私には道徳を人に伝える事などできやしなかったんだ。校庭をはしゃぐ生徒達、ただひたすら何かを恐れながら何処に希望の目を向けている。何をこれから生み出そうとしている?この学校の屋上から見渡す景色、学校というものは何かを閉じ込める悲しい世界だ。自由というものを、金を、払ってまで棒に振っている。私はここでたくさんの生徒を育ててきた。

 

「若さなんて棒に振るものだよ」

 

私はそう伝える事が出来たら、なんて楽だったんだろうって思う。若気の至り。どうせ気付くものだったら、早く気付いた方がいいのかも……私に冷や飯を食らわせたあの記憶。今ではちっぽけだが、悲しくも事実。若気の至りと呼ぶには遅すぎた。勢い良く飛び出したいじめ。どんな世界にだって一つや二つはあるはず。悲しくも人の上に人は立ち、誰かを尻に敷く。それは悲しみのはけ口で、エゴイストと言うものだ。自分で精一杯なのが当たり前で、誰かに手を貸そうものなら、誰かの手によって蹴落とされる。

 

正義を振り回して、一人の女の子を助けた。間柄は教師と生徒。近からず遠からず。私は人生の疲れからか、彼女と恋をした。テレビの前で深々と頭を下げた、お偉い方。傷付いたのは彼女の方で、体制だけを気にしている奴らにはわからない。それでも愛があれば良いのではないか。それは法律で守られているだけの事。歳なんて関係ないよ。それでも国が許さない。私は冷や飯を食らい続けた。そして教祖が誕生する。

 

私は記憶をたどって煙草と並べた。もうすぐ全ての灰が落ちる。その灰が空から降ってきたみたいだ。まるで、排気ガスで薄汚れた、雪。キリストが生まれた日?それとも死んだ日?まぁ、どちらでも良いのかも………。ただ、ちょっと羨ましい。

 

私は神を誤った。

 

 

 

 

「虚しい誇り」

 

克美はステージの上から突然飛び降りた。その波に乗って洪水の嵐へと体を躍らす。馬鹿でかいアンプから飛び出す音に、みんなは自由に頭を振る。ろくでもない連中が、ろくでもない暇潰しに没頭する。べろに開けたピアスが不感な痛みを告げる。ツーバスは、けたたましく響き、体中を揺さぶる。みんなの体は壊れた消火栓の上で、水に体を預けるコメディーの一場面。消防用のホースで、ストロベリーダイキリをぶちまける感触。そこに法律なんて在って無いようなものだ。機関銃の乱射、若者達は全てに酔いしれている。揺れるバタフライナイフ、カチャカチャ音を立てながら、その地下に米軍すら屈するくらいの空間。カーテン、ガソリンを染み込んでそのまま燃え盛る。火の粉は一人一人を焦がし、そして汚す。缶コーヒーの空き缶に、無理やり詰めこんだ未来。ステージの上でしきりに指を動かす。覚えたてのブルーススケールが運び込んだ、この奇妙なサウンド。水平がガレージの中でしきりに音楽を演奏する。

 

また2時14分だ。何故だろうこの感覚。知らないうちにこの時間に吸い寄せられている。この奇妙な体験、毎日この時間に時計と目が合う。奇妙な事はきっと連続して起こって、体中を痛感させるに違いない。確か昨日も2時14分。そして一昨日も………それは一瞬の出来事なのに、妙に脳裏に焼きつく。とにかくこのプラスチックな世界を壊したい。それを焼き付ければ、きっと嫌な有毒ガスが出てくるだろう。俺は中毒患者だ。それでも病室には収まってはいない。なんだか最近耳がおかしい。馬鹿でかいアンプのせいだろうか………2時14分に魅せられた中毒患者なのだ。

 

どうでもいいくらい陰気臭いこの部屋の中で、何故呼吸を続けるのか、髪の毛にスプレーで固定したまま眠ったから、変な形が頭の上に残っている。今日は無駄なく断髪式をしよう。まずはバリカンで髪の毛を左右対称に仕上げた。それはいつものことだ。モーホークと呼ばれる人達が残した偉大な形、俺はモヒカン頭の中毒患者、そしてそれを卒業する。難なく後ろからモヒカンを剃ったそれはサイコカット。そしてそれを全て剃ってスキンヘッド。

 

新しい自分に出会った。ロカビリーに憧れて、髪を逆立てていたのはもう昔のことだ。トニーラマのウエスタンブーツは今でもヘビ柄だけれど、少し冬眠してもらっている、履いていない。人の音楽性も変われば、人の視覚に対する憧れも変わる。音楽と服装は何処か繋がっていて、流行と言う者は音楽に乗ってやって来る。それでもウッドベースは宝物なのだ。

 

あれは高校一年生の夏、俺は友達二人と出かけた。それは夜でも暑苦しく、妙に嫌な夜だった。ブラスバンドの部室に、音も立てずに忍び込んだ。そしてそのままウッドベースを担いで、そこから逃げ出した。

「うまくいったな」

「ありがとう、これで俺も一人前に重低音が出せるよ」

「克美の重低音に、俺も乗りたいからな」

それが俺の憧れを強くさせる切っ掛けではなかったが、ウッドベースはさすがに良い音を出した。純粋なロカビリーたちが集まるこの場所。そしてここで俺は良い低音を出す。みんなは激しく震えて、額に汗をかく。まるで爽快なこのスリーピースバンドは、伝説と成って幕を閉じた。ボーカル兼ギターの突然の死で、時代に名を残し衰退することなくそこに留まる。それを殺したのは、太鼓を叩いていたもう一人のメンバーだった。だから残ったのは俺一人。その日、その自慢のリーゼントは二度と逆立つ事は無かった。

 

また2時14分だ。無くなった髪の毛がざらついている。頭にばんそこうを貼ってまた時計に吸い込まれた。嫌な夢を見ていた。そこで俺は髪の毛を逆立てている。結局犯罪者は、犯罪者扱いされる。たとえ罪を償っても、何処かで誰かがまた名前を呼ぶ。十代だから何をしても良いと言うのは間違っていた。十代でいられる事はなんの武器でもなく、ただ非力なだけだ。

 

カチューシャを頭にする女が好きだった。ただカチューシャが好きだった。そのヒョウ柄のカチューシャ、俺の目に飛び込んでくる。電車の広告から目を外すとそこにはヒョウ柄のカチューシャ、彼女に一目惚れをした。なんて言う言葉を吐いて良いか分からずに、どうやら変な事を言ってしまった様だ。彼女は青ざめて逃げて行った。

 

「なんだかつまらないなぁ」と思って、街を歩き出した。このバタフライナイフを見せ付けて歩くのは、どうでもいい事だ。刺す勇気なんて何処にも無い。「もう若くは無いのだよ」って、誰にも認めさせたくない。ばかげた事だけど、それでも良いと思う。そして嫌な煙の放つ地下への階段を降りて行った。甘い物が好きだと言うのは、若さの理由にはならない。それでも好きなものは仕方が無い。イチゴポッキーは永遠にはずす事が出来ないだろう。大げさではなく、これが無いと生きて行けないんだ。つぶつぶじゃなくてスタンダードな奴。つぶつぶなんて邪道なだけだ 。ここは親切だよ。昼間から未成年に酒を勧めてくれる。でも俺は、もう大人だ。未成年でいた頃が懐かしい。そして、難なくカルアミルクとイチゴポッキーを昼食にして、下らないワイドショーを見ながら独り言を呟く。

「克ちゃん」

「ん?

「最近面白いことあった?」

「別に」

ここのマスターとの会話は、いつもこんなものだった。

「本当に音楽やめちゃったの?」

 

ふと時計を見れば、また2時14分だった。今日は何をしようかまだ決まってなかった俺は、酔い覚ましに街の中を闊歩する。世界は乱れて、誰かがミサイルのボタンを誤って押さないか心配した。あそこに行けば誰かが居ると思って、地下鉄の入り口まで足を運ぶ。そこは若者匂いが吹き溜まる、虚ろな入り口だった。今日はまだ誰も居なかった。そこへ一人の老人が歩み寄って来た。

 

「地球は二つ在る」

 

いきなり老人は言い出した。「時に君は煙草を持ってないか?」と聞かれ、煙草が無いと言うと老人は去って行こうとした。仕方なく煙草より大事なイチゴポッキーをあげると、老人は話をまた始めた。老人の描いた世界は素晴らしかった。その日から克美は、毎日と言って良いほど老人と接触した。吸わない煙草を持って、安い買い物だとお触れを貰いに行った。

 

「おめでとうございます。315番台大当たりスタートです」

「あぁ、また掛かっちゃった。さっきからずっと確変引いているよ」

嬉しいとは思うけど、なんだかなぁ。最近は連チャン台無いからなぁ、どうも盛り上がらない。隣に座った女の人がセブンスターを吸いながら俺の積み上げたドル箱を羨ましそうに見ていた。用事がある時に限って、銀色の玉がじゃんじゃん出る。

「そろそろ行かなくちゃ」

その目が綺麗だったから、俺はその女の人に、確変のままのその台を譲った。

「あの、名前なんていうんです?」

「私?愛理」

「愛理さん。よくこの店に?」

「そうね」

「じゃー、またね」

「ありがとう」

 

俺は無理強いして、この圧力を守ってきたのかもしれない。本当は悲しいくらい臆病で繊細だ。優しさの半分が俺の体を組織していて、後の半分は女々しさって奴だ。偽善者の中の一人だって、ここまで優しい奴はいない。子猫をなんの痛みも無く打つ少女や、毎日同じ所をひた走るバスの運転手。本当はこのままバスを乗っ取って、何処か知らないところまで行きたいはずだ。その優しさが嫌だから、移ろう為に努力をする。それ然り、煌びやかに光るナイフのエッジ。刃物を振り回す滑稽な仕草。赤い目をして泣いているウサギさんは、悲しいと死んじゃうんだって、その寂しさは何で補うか知っているよ。何も感じないくらい寂しくなるんだよ。もっともっと孤独になって、もっともっと悲しんで、それでも泣く事があるならその目を閉じて、二度と開くことなく、その目を閉じて。心の中にもう一人の自分が住んでいて、そのもう一人と綾取りをして遊んでいる。きっと終わる事の無いこの綾取りは、俺の心の中で虚しく続くだけ。そんな心の隙間を縫って、一筋の光が舞い降りる。俺達は試されていた。いつも上から誰かに見られていて、その一人に俺もなりたい。悲しくも心の弱い人達ばかりが集って、この世界を形成して行く。

 

「ウッドベースは捨てたよ。バタフライナイフは捨てたよ。地球は………二つ在るんだよ」

 

 

 

「おもいやり」 

 

高速道路の上でけたたましく炎上している車は俺の車だ。感受性が強いや否や、目の前の光景に心を躍らせる。赤いカルマンギア、原型を留めているのがやっとのこの車。その炎の脇に小汚い四人の若者、嘆かわしく笑っている。この寒空の下で軽く腕を組み、四人は笑っている。地元へ帰るこの道の上で、四人はウーハーから流れる低音に酔いしれていた。突然、「ボンッ」と言う、激しい音と共に爆発炎上したこの赤いカルマンギア。そして難なく逃げて、ここでこうして炎を見ている。何もかもが燃えちゃった。二次爆発を待たないばかりに車に近寄って、それでも寂しそうに笑っている。煙草を取り出して吸ってみた。

 

「どうせなら、思い遣りのある人間に生まれたかった」と、赤いカルマンギアの爆発炎上を見て四人は思った。

 

ロングヘアーを振り乱して、夜道にサングラスをしているこの若者。成り行きだけでこの世を渉り生きている。

ボーズ頭に正義感だけは強いこの若者。最近彼女と別れて、少しダウン気味だ。

ツイストパーマを当ててカッコ良く決めようとしたのに、伸びきって取れかかったパンチパーマに間違われるこの若者。殆ど何も話さずに耳を傾けている。

ブルース・リーの髪型でウルフチックなこの若者。何にでもチックを付けて話せば良いと思っている。お兄ちゃんは2年ほど行方不明で、別に対して誰も気に留めていない。

 

とにかくエンジン音より激しく、この四人はけたたましく、やる気の無さが滲み出てきて、ただ呆然とそこで観賞していた。この寒空の下で、早くパトカーが来てくれるのをひたすら待った。何も出来ないのが無力で、それでも良いかと四人とも口をつむってそれを見ている。赤いサイレンがちかちかと見え出してやがてその車は止まった。開口一番そのお巡りさんは言った。

「あぁ、こりゃだめだわ。とにかく危ないからこの車に乗って」

若者達は2台のパトカーにそれぞれ乗った。

「で、これは誰の車かね?」

そしてロングヘアーは答えた。

「俺の車だけど、さっき道で拾いました。持ち主を尋ねたら誰も答えないから、誰も答えてくれないから、俺の物になりました。そして今でも俺の心の中でこいつは俺の物です。良い音を出すんです。走りたくてどうし様も無さそうに俺のことを呼んでいたので、俺の車になりました。こいつは俺を待っていたんです」

お巡りさんはこいつは薬でもやっているのかと思って聞き返した。

「君はこの車を盗んで、そして運転していたのかね。君お酒は飲んでいるのか?薬とかやってないだろうね?」

ロングヘアーはこう答えた。

「薬もお酒も何もやってないです。でも少し心が渇いています。この渇きの底でこいつに出会ったんです。こいつはなぜか親友と呼べます」

「君何歳?」

「……15歳………」

「とにかくここでは何なので一度署に戻ろう」

車は走る事20分。赤い電灯の入り口。それに何も興味を示さない。四人は嘆くことなく笑いながら、その中に入っていった。入り口に自動販売機を見つけて、ウルフチックが言った。

「お巡りさ〜ん。喉、乾いたんでお金貸してくださ〜い」

仕方なくお巡りさんは四人分のお金を渡した。缶コーヒーを握り締めて一言、「暖かい」何も言わずツイストが隣の自販機で、ハイライトを買った。お巡りさんは叱った。

「君は未成年だろ?」

四人はそれぞれ別室の方へ通された。ロングヘアーはお腹が減ったとしきりに言った。お巡りさんは仕方なく夜に食べようと思っていた菓子パンを彼に与えた。

 

彼はさっきもパトカーの中で言っていた事をまた話し始めた。

「カルマンギアは良い音を出すんだよ。誰にも負けないくらいのね。ワイパーもシートベルトも何もついてないんだよ。ただ走る事だけを目的に彼は生まれたんだよ。この世の中に歪みを付けるために、良い音を出すために………」

ロングヘアーは延々と赤いカルマンギアについて語っていた。ボーズ頭は正義感の強い男だった。彼は最初から最後まで全て綺麗に話した。ツイストは黙ったまま宙を見つめ、その天井のシミが気になって仕方無かった。この事務用の机にはこうも何故落書きがあるのだろう。だれだれが参上とか、よろしく、だとか、どうも、うざい。ウルフチックはお兄さんの捜索願はどうなったのか気になったけど、まぁ、いいやと思って、煙草が吸いたい事をしきりに願った。やがて夜が明けて暇な一日が始まると、彼達は指紋を残してそこを後にした。

 

教室の隅で四人は唸っていた。爆音と共に何かを弾けさせたい。赤いカルマンギアはまだ俺達の中で眠っているのだと主張した。四人の取り決めは毎日学校に来る事だった。学校が楽しくて仕方が無いのが四人だった。特に何か有るわけでもなく、それでも学校が好きなのだ。不良少年と呼ばれるのはカッコ良いことの象徴で、それでも他のみんなからは憧れの的だった。若者達は優しかった。不良少年でいて優しいのだ。学校側も彼達の悪事を知っていた。それでも人を傷付けない彼達の事をイメージをかばう程度に見守った。時に人はささやかな正義を期待するのである。彼達は不良少年であって正義だった。それが彼達だった。

 

去年の文化祭で、彼達は最高のステージをやって見せた。未成年しか出せない音で、未成年のキックで、彼達は最高のステージをやって見せた。特に一人一人の楽器の腕はどうだっていい、それでも彼達にしか出せない音があった。

 

666

 

紀子はステージの上で歌う彼のことが好きになった。ロングヘアーを振り乱して歌う彼のことが好きになった。紀子は優秀な生徒だ。誰もがそれを認める。それでも彼女は恋をした。ゴムで留めた髪を振りほどき、眼鏡を外して笑った。スパンコールの軽快さで、紀子は変わった。彼女ははじめて誰かを好きになって、彼女ははじめて胸の痛みを覚えた。これが恋と言うものだって、彼女は何かを確信してみた。彼女は鏡を良く見るようになった。鏡を見ては、笑ったり怒ったり泣いたりはしゃいだり。彼女の胸の内は急速に成長して、女というものに少しずつ目覚めて行く。紀子は想い焦がれた。そして募る物を募らせて、思春期に大人になるのは当たり前のことだ。それが自然で、恋を否定するのは自然じゃないのだろう。だから膨らんできた胸を押さえながら、この恋はいいものにしなくちゃならなかった。それでも知らぬ間に時は流れた。恋の駆け引きに計算なんか無かった。いくら、誰もが認める勉強の出来る女の子だって、恋の仕方はまるで知らない。それでも無情にも時は流れ、そしてステージから一年半が過ぎて、彼女は覚悟を決めた。4度目の春に彼女は想いを乗せて、彼女は胸の鼓動を悟られない様にして、そして白い心を告げた。

「あなたが好きです」

そして紀子の初恋は、何気ない衝撃と共に砕け散った。紀子は泣いた。そしてそれが冷めると、いい恋をしたんだと自分に言い聞かせた。不幸せじゃない事が彼女にとって、心地良かった。次にいい恋をすればいい。次にいい恋をすればいい。そして彼女は日本を離れるため、一人成田に居た。高校進学を海外でしようと決めた彼女は、いい顔をしていた。紀子は海外に行く事を学校の誰にも言わなかった。そして搭乗口の最後の最後まで、誰かが来るんじゃないかと期待をして、結局、誰ともさようならを言わず、翼と共に海を渡った。

 

666

 

橋の下で四人は普通の会話をしていた。おもむろにそこのケーキ屋で買ったモンブランを食べながら、話は頼りなく進んで行った。

「あそこのモンブランは世界一だぜ」

「この間テレビでも紹介されてたからなぁ」

「やっぱりモンブランはあそこのケーキ屋だよなぁ」

そしてミルクティーでそれをほおばって一時の時間を過ごした。そして一斉に煙草を吸い出すと、そこにはもう甘さの一欠片も無かった。ウルフチックはセブンスターを吸っていた。彼の部屋には一昔前のセブンスターの箱が封も開けられず飾ってある。それは宝物なのだそうだ。若者達は最近面白い事が無いとしきりに嘆いていた。何だろうこの感覚。最近はなんだか楽しい事が無い。義務教育を終えた四人は、悲しい自由の中にいた。彼達の活路は今のところ何も無いところだった。ただ闇雲にそれを「黒い自由」と呼んだ。四人の生活の源は、バイトと音楽だった。それに酔いしれてくれる人達の為に、いい音を出そうと努力しなかった。自分達がそれを好きであり、自分達がカッコ良ければいいのだ。それに頭を振ってくれる人達は後からついてくる。それは魅せられた人の結果であり、今は自分達の欲のままにいい音を出す。彼達は彼達の生き方の中で、決してコーヒーに砂糖を入れる事は無かった。それは誰が決めたわけでもなく、自然にそうなって行ったのだった。

 

今日は4バンド中3番目をもらった大事な日だった。いつもより険しく、実は何も考えてない。それでも何かが違っていた。そして出番になると、四人はお互いグーで殴った。それは気合を入れるために、本番前には必ずする事だった。そしてチューニングを確かめるとそのままステージの上に転がり込んだ。ハウリング音から、それをかき消すシンバルの音で演奏は始まった。全部で5曲をやって最後に決めようと思った太鼓叩きは、無言のまま頭でシンバルを鳴らした。そして予期せぬ事は予想もつかずに起こり、ステージの上に鮮血が走った。シンバルで思いっきり頭を切ったツイストの額はぱっくり割れて、そこから綺麗なストロベリーダイキリがそこら中に飛び散った。そのままロングヘアーは観客席に飛びこんで、その中を泳いで空まで飛び立った。ボーズ頭とウルフチックは、モンブランを持って病院に向かった。

 

四人はそこでまた、普通の話しに明け暮れた。笑って、ただ笑って、新しい事は楽しい事だ。それが何にせよ心が踊る事は良い事だ。ボーズ頭とウルフチックは病院にいる二人の分も働いた。それは当たり前の事で、誰かに何かを言われる筋合いなどまったく無い。それはきっと違う立場でもきっとそうに違いない。正義と言う者はむやみに遠吠えをしない。そしてそれを貫いて初めて正義なのだ。決して自分達に見返りを求めない。自分がしたい事をしたい様にする。仲間想いとかそんなのじゃない。確かに四人はまだ不良少年だ。悪事の数々もこなして行く。それでも人は傷付けない。それも結果論だ。恋でもなんでもそうだけれど、傷付かせるのと傷付くのは裏と表だ。恋に破れし者が良い思い出と言うのは正解だ。彼達は知らないうちに優しさを使っている。それも無邪気な優しさで、それも無邪気な優しさで、四人の若者は自由だ。彼達は彼達の為にいい音を出す。

「どうせなら、思い遣りのある人間に生まれたかった」赤いカルマンギアの爆発炎上を見て、四人はそう思った。

 

ボーズ頭は小奇麗な格好をして遊園地の入り口に立っていた。幾度と待ったこの恋の予感、彼は熱い男だった。バイト先で知り合った女の子に声を掛けたのは先週の事で、真っ向から何処かに行こうと誘った。その女の子は遊園地がいいと言った。楽しい事ばかりが急に広がって、そして弾ける。そして恋の予感は的中して、そこに恋が始まる。その日の内にキスをして、その日の内に一緒になる。そして18で子供が出来て結婚した。二人は式を挙げずに、ひっそり旅に出た。そして普通の暮らしにそれが焼き付いて、生活が始まる。彼はベーシスト、いい低音を出す。

 

ウルフチックは一生懸命シェーカーを振っていた。マスターと賢治さんは良くしてくれる。誰もが酔いしれるようなカクテルを作るためにシェーカーを振っていた。蝶ネクタイが似合わなくったってシェ−カーを振っていた。彼の創る特別なカクテルは人気だった。「赤いカルマンギア」と言う名前のカクテルは最高だった それは彼にしか出せない色で、彼にしか出せない味だった。お肌にはビタミンCで、アセロラはビタミンCをよく含んだ。 そして馬鹿でかいアンプから頭を劈く高音を出すために、彼はシェ−カーをしきりに振っていた。彼はギターリスト、いい高音を出す。

 

ツイストは実家の花屋の2号店を引き受けていた。18になって店長として知らない花の名前は無い。暖かい日向の下で彼は花と座っている。どう言う絵なのかは分からないけれど、それでも彼は花屋で働いている。彼は無口だが時折いい笑顔をするので、客はそれを拒まない。そしてここの花が好きだ。まだ額には傷口が残っているけれど、まじまじと見なければ分からないほどだ。そして前髪で隠れているせいもあって特に分からない。彼は赤い花が好きだ。彼はドラマー、いいリズムを出す。

 

ロングヘアーは雑誌のモデルをしている。カッコ良いと言うだけで無条件に得をしている。でも彼の心は渇きやすい。 彼は高速道路の上をカルマンギアと共に走る。この赤いカルマンギア、いい音を出す。そして彼は思い遣りのある人間に成る為に、このカルマンギアを何よりも愛した。彼は自分のお金でこの車を手に入れた。免許証はしかめっ面だけれど、きちんと持っている。この赤いカルマンギア、彼は彼と共にいい音を出す。彼はボーカル、いい声を出す。

 

「どうせなら、思い遣りのある人間に生まれたかった」

 

「赤いカルマンギア」彼達のバンド。お互い少しずつ暮らしを手に入れてきているけれど、それでも帰ってくる所はここだ。四人はお互いグーで殴った。本番前には、必ずする事だった。そしてチューニングを合わせると、ステージの上に転がり込んだ。彼達は今でも、いい音を出す。彼達の前線で、しきりに頭を振る若者がいた。ヒョウ柄のリストバンドがなぜか目に付く。ヒョウ柄の目はすでに決まっていた。クサの匂いがした。

 

 

 

 

「普通の暮らし」

 

周期的に訪れるこの病のようなもの。孤独、歓喜、孤独。カリフォルニアでの集団自殺。 紀子はテレビでそれを見ていた。何も感じないわけでもない。何かを感じ取るような愚かな事もしない。それでも私の中には、孤独、歓喜、孤独、歓喜、孤独。

 

「夕食の買い物に出かけなくちゃ」ガレージの中でキーを回す。そして照りつける太陽の下で、見事に風を切って走り出した。このオープンカーにサングラスは必要だ。そしてこの音と共に街をかける。グロッセリーストアーの駐車場で声を掛けられた、「いい車に乗っているね」と。それは何て言ったらいいだろう。そうあのカクテルの色、ストロベリーダイキリ。セミのようなボディーの形に何処か、かわいさがある。一枚の大きな鉄の塊で出来た、バンパーも何も無いこの塊。「赤いカルマンギア」

 

今日の夕食は何にしようか、最近パスタは食べ飽きていた。妙に和食が懐かしく、お母さんの手料理が心から食べたかった。それでも特に変わり映えのある献立を考えるわけにもいかず、また今日も使えそうな野菜と肉の塊と牛乳、そして卵とベーコン、イングリッシュマフィンにオレンジジュースを買って、店の外へ出た。照りつける日差しはあまりにも強く、夕方だと言うのに日は沈む気配を見せない。ローラーブレードを履いたカップルが交差点で話をしている。

「ヘルメットを着けなくちゃ、転んだ時に頭をぶつけて、大変な事になるよ」

紙袋を助手席に置いて、エンジンの回転を高める。一癖あるそのエンジンの音に 全ての物がかき消される。ちょうどテープが一周して、そこから胸の中に響き始めた。彼が歌っている歌は何処か投げやりで、それでいて心に染みる。激しく震えている感情を全て見つめている様だ。彼に教わったこの感情をいつまでも胸に、私はあるのかもしれない。

 

周期的に訪れるこの病のようなもの。孤独、歓喜、孤独。「赤いカルマンギア」羞恥心の無いその音は、いくつもの思い出を呼んでくる。カリフォルニアは今日も暑いだけなのだろう。紀子はふとそう思った。「赤いカルマンギア」時の流れとは誰が運ぶ物でもなく自分がその上に。

 

666

 

三人になっても特に変わる事の無い部屋。雷蔵は、突然の来客にドキドキしていた。ただガラムの匂いが鼻腔を掠める。雷蔵がヒョウ柄のCDラックから選んだのは、「赤いカルマンギア」その部屋に鳴り響き、三人の胸をそれぞれ打つ。タンクトップからおもむろに出ている、このタトゥーは何て鮮やかな色彩。首から下げた髑髏のチョーカーは何ていい色をしている。その手首の傷、愚かである事の象徴が誰の為。

「雷蔵、彼、芳雄ね」

 

芳雄はカバンの中から、エスプレッソマシーンを取り出した。そしてコーヒー豆を取り出すといきなり、「プシュッ」と音を立てて豆を立て始めた。ダブルのショットのその苦い黒い豆ジュースはとてもいい香りを放った。色彩感覚に優れていない芸術家でもその黒さは理解できただろう。芳雄はそれを一気に流し込んだ。ヒョウ柄のカップを彼に渡して、翔もそれを飲み干す。そして雷蔵もそれを飲み干す。手の平に乗せた塩を口に含み、そしてヴォッカをショットでまたやる。そしてウォーターポンプで大きな息を吸いこみ、鼻から白い粉を吸う。そしてジェット機からヘルメットだけを着けて、ゴーグルもパラシュートもしないで飛び降りた。気がつけば頭の中で昔やっていたビデオゲームの音が頻繁に流れて、僕は笑っていた。僕は笑っていた。理由なんてなんでも良く、笑っていた。

 

気が付いたらそこには二人の姿が無かった。雷蔵は一人になってこの部屋で待っていた。そうしている内に二人が帰ってきた。

「今からとても綺麗な物を見に行こうぜ」

赤い車がそこにはあって、とてもそれは悲しそうな目をしていた。そこにSRに乗った若者が現れて、いきなり金属バットで殴り出した。そしてこれ以上にない笑顔で、四人はそれをボッコボコに殴り続けた。無条件の勝利、敗北。誰がジャッジするわけでもない戦いに戦火の火は上がった。もうだいぶ薄暗くなったこの場所で、かなりの色を出して、その車燃え盛る。なんでそんなに悲しい色をしているのか、それがまた妙に綺麗だ。そしてヒョウ柄な翔はバイトへ、手首の傷の芳雄はどこかへ、僕はSRと二人になった。そして今、向かい合ってこのテーブルに座っている。注文を取りに来た若い男の声が妙に気になる。レポートを書き終えた彼はなんだか嬉しそうだ。

 「君、名前は?」

「雷蔵」

 臆病そうな彼は答えた。

「俺の名前はコウスケ。それでも俺はこの名前が好きだ」

コウスケはいきなり話し始めた。

「公園のブランコで二人で座って、もちろん女の子と。それでキリンが見たいって、言うんだ。そうすればきっと、「動物園に行けば?」って言われるだろう。でもそれは間違っている。確かに動物園にキリンはいる。でも不自然だし、おかしな事じゃないか。動物園で生まれた動物は、きっと死ぬまでわけがわからず死んでいくんだよ。悲しいと思わないかい?どこかで何かが狂い始めているんだよ。俺達がもっと大人になった頃に、動物園にはその内マンモスだっているらしい。象とマンモスのDNAを組み合わせて、最初は象とマンモスのハーフ。そしてクォーター。そしてどんどん進んで行って、その内本物に近いマンモスが生まれるんだって。何かが間違っている。彼達はもう絶滅したのだよ。動物園に行けば確かにキリンも見れるし、心が和むかもしれない。それでも動物園の中に足を踏み入れたとたん、罪悪感が生まれてもいい筈なんだ。最高の食事を貰って、最高の治療を受けて、何が長生きだ。悪循環の手助けだ。そしてそれに見を投じる自分がいる。何だろうな、俺って。自虐的な考えをして否定されるのが好きなのかも。だから雷蔵も否定してくれよ、俺は間違っているって」

「お待たせいたしました」

そのバイトの男の子の声が気になってしょうがなかった。カニクリームコロッケって何でこんなに美味しいんだろう。コウスケはにっこりと微笑んだ。

 

666

 

「てんちょ〜〜。お疲れ様です〜〜。お先です〜〜」

「お疲れ、溝口君」

裏口から出るとすっかり夜の中に誘われた。さてと、今から彼女の家に行かなくちゃ。少し時間があるな。溝口君は近くのコンビニエンスストアの中に入っていった。最近のコンビニエンスストアはなんでも揃っている。有っても無くても困るものでもないが、便利ならそれでいい。彼は新しく入ってきた週刊誌を広げて立ち読みをし始めた。こんな画期的な漫画は見た事が無かった。最近の漫画はサイコ的な物が多いいが時代の流れからだろうか。多重人格を持った人達の悲しい物語がとても目に付く。何気なく残酷なシーンが鮮明に描かれていて、僕の心はむしょうに震えていた。ざわめき………悲しくも認めたくない物ばかりが多すぎて、それでも順応して行く自分がいる。僕は獣なのだ。大きくも牙を剥く獣なのだ。愛想の悪い店員の何気なく呟いた言葉に我に返る。

 

外で大きな音がしていっせいに振りかえる。そこには倒れた車が悲しくもハザードで泣いている様にひしゃけていた。僕は怖くて足が震えたが、それでも外に向かった。愛想の悪い店員が電話をしている。きっとそう言う事だろう。僕は車のすぐ近くまで来ていた。そこには無残にも鉄の塊が落ちていた。割れ散りばめられたガラスを突き破ると、そこはただ赤かった。100メートルほどすぐ向こうに大きな総合病院があって、そこから赤いサイレンが近づいてくる、もう手遅れなのに。もう、手遅れなのに。僕はガラスに触れた。そして、溝口君は彼女との待ち合わせを思い出してその場を去った。

 

指先が熱いと思って見てみると、そこには一筋の鮮血が走っていた。熱い指先を駆使して僕は沙耶香を愛撫した。いつもと違う自分が胸の中から叫んでいる。僕は果てると同時に全ての記憶をなくす。どこか目は冷酷でその開いた瞳孔が少し心地良い。体中に冷機を帯びて、それでいて、しなやかに笑える。隣に寝ているのは彼の彼女で、僕の彼女。熱いシャワーを浴びると、どこか頭の先が痛い。まだ完全じゃない。ひどい衝撃のまま、体を火照らせたまま眠るその仕草は、二人の顔で一つの顔を持つ別人だった。目が覚めて瞬時の頭痛を過ぎると気になる声で。沙耶香は昨日の溝口君が好きだった。どこかいつもと違う彼のことを……それでも明るいいつもの部屋で見る彼の顔は何も変わってはいなかった。彼は大好きなベーコンを朝食と一緒に食べ終わると、いつもの足取りで一限目の講義を受けに歩き出した。彼の心の底でおかしな感情が滲み上がる。

「どいつもこいつもダーウィンの進化論に逆らったような顔しやがって」

奇妙な感情は続く、心の底で。間違いなくここに機関銃があったら、間違いなく乱射。その後法廷に立っても、俺はきっと無実になるだろう。それくらいの確信があるこの感情。     

「鉄を食え。豚になるな」

裁判長も俺にきっと同情して泣いてくれるだろう。奇妙な感情。俺の心の中に沸いてきて、何かが回り出す。気が付いて僕は、僕に成り済まそうとしているのかも。最近では綺麗なものや視覚的錯覚が街に溢れているなぁ。みんながみんな同じような服を着て同じような恋をして、それは群集に紛れているだけであって、一つでの価値は低い。それに気が付かなくても、誰かが満足ならそれでもいい。食堂でいささか問題が起きた。楽しみだったBランチがなくなっていた。確かにあれはみんなには不評だったのかもしれない。それでも僕はあのBランチが好きでこの学校に来ているようなものだ。学校のメニューは頻繁に変わっていく、好き嫌いなんかで商売をやっている訳じゃないのに。それで今日は何を食べようか迷っていた。Bランチがない今日どうやって飢えを凌ぐか、そんな些細な事に頭を抱える自分が妙に腹立たしかった。昼が過ぎて今日の講義が終わると僕はバイトに向かった。店長に挨拶すると、いそいそとタイムカードを押した。そしていつもの制服に着替え、いつもの声でいつもの仕事をこなす。

「我、牙を剥く事無く勤しんで、日常の中に帰る」

自分をこれ以上犠牲にしてはいけない。まだ自分の中で何かを抑えなくちゃ。血を見てはいけない。胸の鼓動を早くしてはいけない。もし次自分が別人になった時は、きっと誰かを殺めるだろう。その為に僕はこの声で明るく振舞う。「てんちょ〜」と慌しく呼ぶのが、僕には合っている。

「てんちょ〜〜、9番テーブルのお客様が〜〜」

これでいいのだ。僕の中にやってくるこの周期的な病のようなもの。自分、他人、自分。

溝口君は、溝口さんと戦いながら、日々を過ごしていた。

 

666

 

そして心を洗い流すかの様に襲う環境の変化。孤独、孤独、孤独。エンジンを切ると紀子は紙袋を抱えて、キッチンの方へ歩いて行った。結局仕方無いけれど、テレビでは何も面白いものを見せてくれない。下らないアニメを見ながら、この薄汚れそうなカウチに座って、水が煮立ってお湯に変わる。その音に気付いて時間の経過を知る。結局、今日もパスタを茹でる。何も考えないでパスタを茹でる。茹で上がったパスタにミートソースをぶっ掛ける。音を立てない様にそれを口にほお張る。それでも口の回りにはミートソース。テレビではCNNが必死にニュースを伝える。その悪循環なニュースに下らないと思う。良いニュースはみんなへの植付けで、洗脳を来たすには楽な手段だ。悪いニュースは悪い事を呼ぶ兆しで、誰かがかっこいいと思えばただの悪循環だ。どうでもいいニュースは世の中の怠慢を示し、特に世界が変わり映えする事は無い。それでも必死にニュースを読み上げるキャスターは、形相を必死に変えながら……悲しいニュースを笑いながら読み上げたら世の中が変わってしまう。それを守るために必死に形相を変えながら、言葉と言うものは難しいのである。それを気にしないパンキッシュな人達は羨ましい。自分の言いたい事を世の中に浸透させて行く。しかし自由を求めるあまり、なくすものもたくさん在る。悲しきや自由。自由を得るために戦う事は愚かな行為だ。自由とは個人が個人である為に、それを自由と呼びたい。今で言う自由とは当り障りの無い生活を送る事に成り下がってしまっている。結局他人の目を気にしながら、悲しい自由を手にしなくちゃならない。それでいて彼達はすてきだ。私が恋している人達の黒い自由。

「カリフォルニアは今日も暑いだけなのだろう」

紀子はふとそう思った。

 

周期的に訪れるこの病のようなもの。孤独、自由、孤独。

 

 

 

 

「紅を引く者」

 

その老婆はゆっくりと遠くを見据えていた、ゆりかごに腰掛けて。その何もない真っ白な部屋に、遠くの方に絵画が飾ってある。その中に一人の老人が、ゆりかごに腰を掛けて遠くを見ている。その老婆はあまりにも無表情で、どこか悲しげだ。その絵に魅せられて、ただただ言葉をなくす。人物を描写する時に、感情を読みとってそのまま描く。だから幾人もの芸術家は、かわいそうな者になる。あまりにも深い悲しみや、あまりにも残酷な笑顔。そんな表情を心の目で描写するから気が触れてくる。悲しくも一人の芸術家が、その涙を拭おうとしている。

 

その池に反射する光が時折悲しく揺れる。終日晴れ間が青くとても澄んでいる、この道をこの公園を取り囲む散歩道を惜しむ事のない歩幅で、そしてこの両目から見える景色に何かを悟ろうとしている。ベンチに腰掛けながら水面に目を細めて、セブンスターをふかした。感情をもう二度とないがしろにしないと誓ったのは、あのフランスパンが零れ落ちた時。もう何度擦ったって一度描いたものは消えやしない。だから全てのデッサンを目の前から葬るには燃やすしかなかった。

 

「もう、そのフランスパンであの木炭は消せやしないんだよ」

 

小学校に入ってからすぐに賞を貰った。「君の絵は素晴らしい………」それが嬉しくて すぐに水彩画を始めた。クレヨンで描く幼稚さに飽きた頃だった。そして何枚もの絵を書いては、それをたたえてくれる人の顔色をうかがった。一度何を思ったか、けんかをした時に彫刻刀で人を刺した。その時に初めて痛みも知った。そしてアートに感情を移入して行く。その時の、血液の色が今でも忘れられなくて、たまにそれを思い出す。だから自分にしか出せないぶどう酒の色があったのかもしれない。

 

中学生に入った頃、やっぱりみんなと同じように恋をした。一つだけ違っていたのは、同性を好きになってしまった事だ。その頃はそれが悩みの種で、とても毎日が不安だった。でもそれだって別に普通の感情なんだって、保健の先生は教えてくれた。外でけたたましく鳴っているサイレンの音が嫌いだった。迷夢への階段だった。手首を切ったのは一度や二度ではない。その度にサイレンが鳴る。

 

高校に入ってすぐにいじめにあった。女々しい奴だとよくからかわれた。それでもアーティストを目指している輩の中に紛れていたために、それが当たり前の事で、特に上も下も無い事も知った。あるコンクール会場での出来事。自分の作品が違う人の名前で出展されていた。それは見事受賞し、名誉を与えられた。でもそれは自分にではなく、悲しくも人を信じられなくなって、そしてまた手首を切った。もうためらい傷なんて付く事も無く、鮮血は一筋の綺麗なものだった。

 

病院でセブンスターをふかしていると、主治医に言われた。「タバコは体に良くない」って、そんな事知っている。夜は妙に蒸し暑かった。夏場でもないのに、ただ暑かった。もう何もかもが嫌になったけど、それでもこの汚れはもう落ちない。あのフランスパンだって、もう木炭で汚れきってしまっていた。また初恋の彼と何かが重なる。そして主治医は言った、「君はきれいだ」

男の腕の中で眠ったのはこれが最初で、本当に痛かったかなどどうでもいい。ただそれが不安の一つにもならなかったことが、後悔とは思わせなかった。ただ真剣に恋をしたかっただけなのに主治医は恋を売り飛ばした。だから逃げ出して、それからアトリエに三ヶ月こもった。自分を描いているうちに、自分を好きになった。それでも飽き足らずに、その絵に化粧を施してみた。それから自分を偽る事無く、家を飛び出した。それでも絵は描きつづけたけど、悲しくなるだけだったから破っては捨てた。まるで落ちこぼれた芸術家のように、破っては捨てた。気が付いた時には、本当に落ちこぼれていたのかもしれない。あれからどのくらい経っただろう、私はすっかり化粧を覚えた。

 

その日は親切な人に出会って、私はすっかり上機嫌になって家路についた。隣の台からは次から次へと銀色の玉が転がってきた。それを上目使いで見ていた。それだけで私は一ヶ月以上分のたばこをカートンで拾った。

「私?愛理」

 

自分をハードコアだと主張できるのは男としてそう言う事なのだろうか。家に帰ると特別何かが変わっているわけでもなく、また鏡に向かうだけだ。そして一日に何度もする化粧の内の一回を済ませてまた家を出る。その店は独特の雰囲気を持っていて、暗いと言えばとことん暗かった。ネクタイを緩めすぎたサラリーマン達が必死に動物になろうとする。何が水で何がアルコールだか、きっと彼達の中ではどうでも良い事なんだろう。私はこの店で一番だった。何もかもが一番で一番きれいだった。手の届かない高価なものなんて一つも無くって、指輪と言えば指輪、時計と言えば時計だった。ただこの押し寄せる寂しさはお金なんかじゃ少しも買えない。ただ自分がアーティストとして捨てた物はまた拾えば良い。でも私にもうこれ以上感情を拾えだとか、想像力を膨らましてだとか、そう言った悲しいものに直面した時にきっと泣く事なんてできないだろう。

 

再開は意外にあっさりしていた。父親が私を指名した。どれだけ私が変わっていても肉親にはわかってしまうものだ。とにかく酒を注いだ、いつもの手馴れた手つきで。自分も酒を飲んだ、男として、そして息子として。泣いた。二人して泣いた。男として、親子として。下手な感動は無かった。母親は元気だと、歳の離れた弟は、地元では札付きの不良少年だった。それでも音楽をこよなく愛してやまなかった。それから父親の姿を見ることはもう無かった。

 

大きなレコード屋で私はボーっとしていた、特に当ても無くただ時間を割くために。「赤いカルマンギア」私は赤色が好きではなかった。それでも良い音を出すんだもの、それでも良い音を。泣けてきた。こんなに感情が満ちたのは久し振りだった。牛革がなめる音。時計の針が秒針を止める静けさ。老人のため息。そんなに銃口を私の胸に付きつけたら感情が飛躍しておかしくなってしまう。 

 

「物取りならもっと静かにするべきだよ。これじゃただ単純に大胆だ」

 

羽の無いものばかりを集めてそれを頭の中で描写してみた。悲しくもそれは全て私であり、私以外、見当たらない。想像力が乏しいのではなかった。それが私の想像力だった。感情がそこまで私を映すならきっとそれが当然で私なのだ。赤いゴム風船が空に飛び立とうとする瞬間を誰かが打ち落とした。私は白いキャンバスの前に後ろ髪を束ねて座っていた。誰がこの曲線を期待していただろう。それはいつかこぼしたぶどう酒に似ていた。

 

授賞式で公表した私の過去は、世間を誘った。男としてでもなく女としてでもなく、私は限りなく中性であって、もう女々しくない。タバコに火を点けるのとお酒を注ぐのが少し人より気が利いて、上手なだけだ。もう二度と人に体を売る事は無かった。本当に好きな人とするって決めた。

 

「何てかっこいい絵を描くんだろう」

夏の暑さに痺れをきかして掛けこんだデパートの広場。こんな赤色で僕も飛べたら良いなって翔は思った。アイスキャンディーをくわえていたから、心の感情が一時的に麻痺して、それでもその絵が好きだったから、俺はやっぱり飛べるんだ。今日はヒョウ柄だなんてはしゃいじゃいない。ライターはそうだけども………。

発表会。ピアノの発表会。翔は大勢の人の前でお辞儀をした。舞台を照らす光のおかげで観客の顔が見えなかったのが心のすくいだった。どうも大勢の人の前でピアノを弾くのが今だ慣れない。才能を活かすところが人前で叶うならこんなに簡単な事はない。俺はいつもそう思っている。きっとそうに違いないはずだ。いつまでも裏方でピアノを鳴らしているわけにも行かない。いつかピアノの先生が俺に言った、「綺麗な指をしているね」皮肉にも俺は素直にそれを受け入れる事ができなかった。どんな音色を奏でるだとか、その激しさが大切だよとか、そう言うものを俺は求めていたからだ。だから好きな音楽を続けるにはもっと知名度が欲しかった。別に今のままでも別に構わない。俺は面倒くさがり屋だからね。きちんとオリジナルの物だって人に聞いてもらっている、名前も無いままに。

 

「だから俺には必要なんだよ。あの赤いくらいすてきな、あの飛躍する、ぶっ飛んだ翼が」


 

クサのカケラたち 666

 

翔   :美咲の彼氏。ヒョウ柄が好きな男で、クサをこよなく愛する。或る日、雷蔵と出会う。

美咲  :翔の彼女。翔より一つ年上で、それを気にする。初恋の人の無残な死を記憶に残す。それが、彼女の憂鬱を起こす。

雷蔵  :何かを拭おうとしていた雷蔵は翔と出会う。ガラムをこよなく愛する。

コウスケ:翔の友達で、SRに乗る。コウスケのFAXが切っ掛けで、雷蔵と出会う。

芳雄  :翔とコウスケの友達。手首に傷がある。エスプレッソをこよなく愛する。

老人  :浮浪者。「地球は二つ在る」と説き伏せては、煙草をもらう。神を誤り朽ちた。

 克美  :スキンヘッドの伝説のロカビリーベーシスト。電車で美咲を見かける。イチゴポッキーをこよなく愛する。そして、神を誤る。

 赤い

 カルマンギア:ボーズ頭、ウルフチック、ツイスト、ロングヘアーからなる四人のバンド。モンブランをこよなく愛する。後に、伝説となる。

 愛理  :画家。ユニセックス。行方不明のウルフチックの兄。セブンスターをこよなく愛する。克美とパチンコ屋で出会う。

 紀子  :赤いカルマンギアのメンバーと同級生。ロングヘアーに片思いを寄せ、失恋後単身カリフォルニアへ飛ぶ。

 溝口君 :カケラたちがよく行くファミレスのウエイター。二重人格のホスト。

 沙耶香 :溝口君の彼女。

 賢治  :ウルフチックが働くバーの先輩。


 

 

 

「ガラス細工とダイアモンド」

 

 

書いた手紙。本当に誰かが好きで書いた手紙、恋文。誰も物語を書けやしないと泣いた、昔。本当に褪せてしまった写真。特別な日。聖、この夜。もうだいぶ前に産声を上げたあの日。並べられたロウソク。明かりを落とした狭い部屋。ほんの少しの静寂。揺るがない黄色い炎。思い出を溜めこんで今、その炎を弾き飛ばす。永遠と誓った感情、先へと遠くへと願う物語。そしてシャンパンの栓の弾かれる音、グラスへ注ぐあの造り出せない音。甘すぎないケーキ。とてもシンプルなケーキ。白い食べ物。ささやかな食事。でもそれに負けない心の移入。言葉は要らないと思って鑑賞した映画。いつもと違う夜。一番落ち着くリズム、鼓動。初めて重なった夜、もう忘れた。初めて愛した指、体内に感触を残して……唾液なんかと少しも変わらない女の子の水分。まだ重力に逆らおうとする体のライン。君をくわえた何にも厭らしくない動物的行動。君の果てる顔。疲れ果てて眠ってしまった二人。美咲が目覚めた時、翔は死んでいた…………。

 

「テレビニュースにも流れてしまった出来事。君の死因は薬の食らい過ぎ。傷んでいたんだね。君はもう少し私に優しくして欲しかった。でも今以上に優しさを貰っていたら、もっと辛かったはず………。やっと私に少しでも追いつけると思ったのに、もう歳は離れていく一方だね。君の時間はそこで止まってしまって永遠になったんだよ。その十字架貰っておくね、君の形見。ヒョウ柄じゃなくて良かった」

 

美咲の憂鬱。もうそれ以上形を変えることはなかった。

 

最近良く耳にする宗教がらみのニュース。自分達の頭の中で育まれた想像だけで法律まで曲げようとして、そして誰かが死んでそれをお金に替えて、それって本当に最高ですか?

 

「地球は二つ在る」そんな単純な嘘に騙されてみた。このねずみである教祖に、猫である私は噛まれてみた。「痛くもない」でも、マインドコントロールって嘘じゃないな。みんな簡単に心を開く。宗教って教えじゃないからね、お金だもん。それに教祖は私を愛してくれる。あの日、電車の中で会ってから、あの日から………。克美は私を愛してくれる。

教祖の更に教祖は死んじゃったって、克美がそう、教えてくれる。ある朝、路上で死んでいたって、ポケットにはたくさんの吸殻と、吸いかけの煙草、折れた煙草。

「何を見てきたのだろう?タバコをくわえながら……」

そして、教祖は更なる教祖を祭って祭壇には煙草とイチゴポッキーが祭られている。変な話、日本人って確立した宗教論がないんだよね。子供の遊びみたいなもの。美咲は自分では上から、外からその光景を見ていたんだけども、何時しか知らないうちに堕落していくことを気付けなかった。美咲は落ちていった。美咲は落ちていった。気が付くと殺人者になっていて、十字架を首から下げているそのおかしさに法廷で笑ってしまった。あっさりと罪を認めて、死刑を要求した。「やっと君と一緒になれるんだ」って、憂鬱を首に吊り下げて、暗い下の方に落ちていった。

 

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やっぱりカリフォルニアは暑い。紀子は大学を違う州へ行こうと決めて、ニューヨーク州を選んだ。本当にこの都会は眠らない。犯罪が起きていようが誰かがセックスをしていようが明るい。日差しは強くないけど、地下鉄が妙に蒸し暑い。慣れない土地で食欲もなく、トマトジュースばかりの生活だった。学校が始まるまで、日にちが空いていたから、街を見学していた。どうしても行きたい所があって、そこで泣いてみたくって、セントラルパークのベンチに座ってそのアパートを見ていた。ダコタハウス、今は亡きジョン・レノンがこの世を去ったところだ。紀子は歌を歌った。誰にも聞こえないような小さな声で………「1west 72street NY NY 10023」ギターとハモニカそれにピアノ。彼女が好きな小山卓治の懐かしい歌。…………、やっぱり紀子は、少し泣いた。

 

赤いカルマンギアは売ってしまった。NYでは、車は必要ない。赤いカルマンギアの次のオーナーは友達だから大事にしてくれるだろう。でもその人は運転免許を持っていない……早く取りに行けばいいのに。紀子はSohoの街の少し外れたストリートに住んでいた。不便なところは洗濯機がないことだ。州の法律で部屋には置けないらしい。だからアパートの1階にランドリールームがある。それは本当に不便だった。下のストリートにはたくさんの洋服屋があった。だから昼間はとても賑わっていて、観光客でいっぱいだった。日本人もたくさんいて、懐かしかったりする言葉もよく聞くようになった。やっぱり日本が恋しくなってきて、帰りたいと願った。

 

或る日一人で買い物をしていると、日本人に声をかけられた。なんだか、やる気のなさそうな男の人だった。雑貨の買い付けに来たのだそうだが、あまり英語が得意じゃないらしくて、おまけにこのNYの広さと地下鉄の入り組んだ難しさ、私だって来て間もないんだもの、わかる分けがない。でも一人で私も暇だったから、一緒に買い物をした。久し振りに男の人に抱かれた。それから三ヶ月一緒に暮らした。靖章は、そして時間が許されなくなると、日本へ帰っていった。大学生活は必死だったけど楽しかった。留学生は遊んでいて単位を落とすことを許されない。親の顔を思い浮かべても当然なことだった。そして秋の終わりに日本に一時帰国をした。

 

もう弟も大きくなって高校二年生になっていた。街並みも変わっていた。地元に友達が多い方じゃなかったから、思い出話もすぐ終わった。もう日本ではお酒の飲める歳になっていて、少し酔った。家の近くに、知らないうちに小さなバーが出来ていた。そこのカウンターに立っていたお店の人はひどく愛想がなかった。正義感の強い四人の写真を見つけると、なんだか泣けてきた。私は少しの思い出話をその愛想のない人に話した。賢治は紀子に「赤いカルマンギア」というお酒を勧めた。

 

弟が受験の前に少しだけアメリカに行きたいということになって、NYへ一緒に飛んだ。結局買い物ばかりに付き合わされて、私は疲れた。ある靴屋さんから出るときに、ものすごい音がした。音の方へ振りかえると、黒人の女の人が宙に舞っていた。一瞬、時が止まってそれは人々の足をも止めた。次の瞬間悲鳴が上がって、血が出ていた。どうやら女の人は無事らしいが、ひどく泣いていた。突然雨が降ってきて、人々を濡らし始める。弟が手を引っ張ってくれなかったら、きっと私はあの場所から動けなかっただろう。あの時弟がオールスターのヒョウ柄が欲しいなんて言わなければ、見なかったかもしれないのに。弟は私を残して帰っていった。彼女がいるのか聞くのを忘れたって思った。

 

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賢治はよく愛想がないって言われる。顔つきはもとより少し老けて見られるし、でも本当はとても繊細で、詩なんか書いたりしている。でも誰にも見せたことないし、見せようとも思わない。自分で自分を確立するなら、少し謎があってクールな奴がいいって思うからだ。だから、変な先入観を持たせないために、ホームページの片隅で、細々と愛の詩人になりきるのである。そこなら、この僕の顔は勝手な想像で終わる。僕はこの店でいろいろな人の会話を聞いたり愚痴を聞いたり、そうして一日を終わらせて、僕も飲みに行ったりする。

 

ミツヲさんに出会ったのはもうだいぶ前のことで、今では酒も交わす。彼の歯はボロボロだった。そしてひどい体臭だった。彼はもうすぐ30歳で、ダメな男の代表作だろう。僕も大して変わりないのだが、それは望んだってマワリが認めてくれない。彼の過去はすごかった。本当かどうかなんて事よりも、ぶっ飛んでいた、その頭が。僕には彼女がいなかった。どうしてだろうって思うけど、あんまりそれは考えない。ミツヲさんも彼女がいなかった。まぁ、これは当たり前だと思う。僕の携帯のヒョウ柄のストラップはかわいいって定評があるんだけど、それだけだからね。携帯電話が最近鳴らなくて悲しくなる。誰が携帯電話なんて考えたんだろう。

 

「僕に会いたかったら、探してでも来てくれよ」それが彼女の出来ない原因だろう。ミツヲさんは、自分で言うには、彼は明確ではない殺人犯だ。ミツヲさんはマリファナをこよなく愛し、それを必要とする。一度僕が刈り上げたモヒカンがひどく気に入ったらしく、ずっとそれをしていた。昼間の仕事があってもそれを突き通した。でも髪の毛の寿命の都合により、すでにその短命は尽き果ててしまった。そんなミツヲさんもかっこいい。一度ミツヲさんにHなビデオがあるといって貸してもらった。家に帰って見てみると、小学生くらいの女の子が裸で浮き輪をして踊っていた。それがずっと続いて、最後には宇宙人の子供を妊娠して、それを砂浜に埋める。全く理解しがたい話しだったが、ある意味カッコよかった。ミツヲさんはそれでも果てたらしい。

 

僕は最近映画館に映画を見に行っていないのだが、行く人が居ないからね。なんだかスカッと泣いてみたい。とてもヘルシーなラブストーリーで………。僕の心を動かしてくれるのはやっぱりミツヲさんくらいなのだろうか?

 

次の日、映画を見に行ってみた。僕の事を好きだという女の子とだった。僕はそれを恋とは思いたくなかった。最近ワイドショーなんかで取り上げられていたラブストーリーだったけど。あれで涙を買うには、僕には安過ぎた。メディアで涙を宣伝するなよ。もっと泣きたかったのに、あれじゃ詩人の僕の心に傷をつけるなんて無理だ。だから僕は冷めてしまって、あんなに僕のことを好きだって言ってくれた彼女の顔なんて見ちゃいられなかった。そうやって一つの恋のチャンスを逃していくんだろう。でもその日はそれでよかった。だからまた、ミツヲさんと夜の街にでも行って隙間を埋める何かを探しに行かなくちゃいけない。僕はその日、ヒョウ柄のストラップのついた携帯電話をミツヲさんへと、耳にあてがった。

 

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美咲は夢を見ていた。深く深くまるでデジタル体験もないのにそんな擬似世界へと、妙に痛々しい遠くから耳元へダッシュするラップ音。大きな光があったかと思えば、白と黒を壁とする何処までも続く四次元的ビジョン。白い布を一枚で羽織ったようなそんな洋服、伸びた爪。

 

「君はいったい何処にいるの?ねぇ、ねぇ、そう、翔………」

 

「人って簡単に死ねないんだ。そこでの記憶は無かったけど、どれだけあそこにぶら下がっていたの?」

 

「笑っていた?一度死んだ身だもの。もう怖いものなんて無い」

 

鉄柵はとても、高い、高い。この壁、とても白い。あぁ、見るもの全てが白い。日記帳がある。私を精神鑑定の基準と対象にしようって、このお国、あんまりじゃない?じゃぁ、甘んじて私の狂った記憶と全てを狂言して、純度の高い人間を作っていきましょう。

 

「まずこんな凶器になる鉛筆が置いていてはダメだわ。自殺でもしたらどうするの?」

 

日記帳。最初の一言はそう書いてみた。

 

 

 

 

「バランス」

 

「もう戻れないよ。あの頃って何?」

 

乾電池の寿命。後は液漏れするだけの鉄屑。煌煌と光る星の輝き。今目に飛び込んで来たって、もう星自体は死んでいるかもしれないのに。銀河鉄道の夜。そんなような手繰り寄せるだけの、感触、気持ち、儚さ。コーヒー牛乳のような色合い。飲み干した空き瓶に何の感情も持てない子供。あんなに遠かった欧米人の眼の青さ、初めて食べたセロリの味。

 

「もう戻れないよ。あの頃って何?」

 

雷蔵は人間的視野を狭めるために、ゲームセンターの片隅に腰を掛けていた。たちまち辺りはガラムの匂いで充満して、メガネを掛けた高校生達はそれに酔い始めた。一時だけの欲で、何も得られはしないと思いながら、脱衣マージャンをひたすら打ち続ける。ゲームの中に射精を求めてはいけないと思っても、現実で誰かをレイプするよりはましだと思って…………ひたすらそれに没頭する。頭の中はひしゃけたイチゴのショートケーキ。

 

「もう過去には、戻らない」

 

去勢な見かけが、誰かとのラインを期待する。小刻みな震動、誰かからの電話だ。

 

「もしもし………」

 

コグ、コグ、コグ、ひたすらキックボードを、コグ、コグ、コグ。

 

「何時見てもかわいいよなぁ」

コウスケは少し照れながら思った。何処を見渡してもガラクタばかりとしか思えないおもちゃ達に囲まれて、この雑貨屋は生計を立てている。コウスケはここに来るのが好きだった。理由は簡単。一昔前のおもちゃがあるとか、ハイテクなシューズがあるとか、そんな事はどうでもよい。コウスケは店員のお姉さんに魅せられた。はっきり言ってコウスケには不釣り合いだった。その髪を一つで束ねてみたり、細身のジーンズが似合ったり、雨の日は、図書館で過ごしたり、紅茶が似合ったり。

 

「う〜ん」コウスケは想像をしつつ黙りこくった。一度でいいから話しかけてみたいのだが、それは勇気とかの問題ではなかった。お姉さんは僕に話しかけてくれる。「いらっしゃいませ」とか、「よく来ますよね」とか、「何かお探しですか?」とか。

 

息を弾ませて、雷蔵がやって来た。

「待った?」

雷蔵はいとも簡単にお姉さんに挨拶した。

「う、うらやましい」

  きっと僕はお姉さんに暗い人って思われているんだ、きっとね。雷蔵は本が好きだからお姉さんとよく喋る。それをただ黙って聞いている自分がいて、僕も本を読もうと思う。言葉を創作して話すのは好きだ。だけれど、変な先入観や、大してセンスのない輩の本を読む気にはなれない。僕の話す言葉は自己満足だから、いつものように自分の考えを話しても、退かれるだけだろう。だから上手く話せない。僕は恋をしているんだ。うーん、でも今日は少し違う。気が付けばこの店にも、何時しか合法ドラッグが売っているではないか。これはチャンス、お姉さんとお話をしてみる。

 

何時の間に合法ドラッグを置いただとか、これはあんまり効き目がないだとか、匂いはマリファナだけど、これは眠くなるだけのハーブだとか、いろいろな話をしてみた。お姉さんは笑ってこう言った。

「よく御存知ですね。マリファナとか吸うんですか?」

  それがカッコいい事だと思って一言。    

「まあね」

  お姉さんの顔は一気に退いていた。相変わらず雷蔵はお姉さんと仲良く喋っていた。

  「カッコよくなって今夜、出掛けなよ。いつもの雑貨屋で待っているからね」

  雷蔵からそう言われて、コウスケはいつもより長く歯を磨いた。外からお店の中を覗いてみると、雷蔵は相変わらずお姉さんと仲良く喋っている。きょ、今日のお姉さんはあまりにもかわいかった。髪の毛を下ろして紅をひいて。覗いていると、一人の女の人がお店に入って、お姉さんと挨拶を交わした。雷蔵も頭を下げて、どうやら知り合いのようだった。僕もお手軽に挨拶をするために、笑顔で入っていった。

 

「何故?何故僕はこの席に座っている?ん?ハッピーバースデー?誰が?」

  理由もわからない。ただ胸が高鳴るだけ。背中を冷やすこの空間。

 「夢?インチキ商人?ピエロ?」

雷蔵が肩をたたいて僕を現実へ連れ戻す。視界に入ったのはビールだけで、僕はそれを一気に飲み干す。突然何かが変わったんだろうね。やっぱりね。もう二人はラブラブだった。恋の終わりはあっさりで、始まりだってあっさりだった。今ではよく四人で遊びに出掛ける。ただ何処で狂ったのか、お姉さんは雷蔵と手をつないでいる。僕の横には………。僕には花柄のじゅうたんよりも、ヒョウ柄の方が似合っている。それでも僕は不釣合いなんて事は関係ないって思っている。これは居心地の良さだ。僕は今のハニーに居心地の良さを感じている。二度目の記念日にはもうそれが当たり前となって、だからこそ四人で笑っていられる。コウスケと雷蔵は翔を失ったが、ヒョウ柄のじゅうたんは不滅だ。

 

雷蔵はお姉さんと雑貨屋を始めた。雷蔵は思いのほか、針金細工が得意だった。コウスケはよく雑貨の買い付けにNYへと行く。普段の仕事はイラストレーターだったから仕事の時間が不定だったからだ。勉強も兼ねて、心の視野を広げるために。コウスケの絵の仕事を手伝っている靖章は、センスはあるがやる気がない。でも仕事はこなす。ただ上を狙おうとはしない。だからやる気が見えなさそうなのは当然だけど、頭はそれでいいのかもね。

 「もう戻らないよ。あの頃って何?」

頭の中はひしゃけたイチゴのショートケーキ。でもね、味はちっとも変わらない。

 

666

 

「ミツヲさん何?髪の毛ブリーチしたの?やめときなよ。頭皮が痛むよ」

  賢治の心配とは裏腹に、ミツヲさんは「仕事とは関係ない」って。そんな事は少しも心配してないけれども、まぁ、それもかっこいいかも。ミツヲさんの今一番夢中になっているものって、あの有名アイドルグループの一番人気がある子だって。そう言って僕に写真を見せてくれた。なんと一緒に映っているじゃん。でもそれは、よく見ると合成だった。暇なんだなぁ。

 

大体早い時間に二人で会うと決まってペットショップに行く。そこは心が和むけど、同時に悲哀感も感じられるからだ。そして何かに満たされた後、ハンバーガーショップに行く。お決まりのチーズバーガーとヴァニラシェイク、そこの窓から見下ろす動物達。「大してペットショップにいる動物達とかわんないじゃん」とか思いながら人って言う動物達を見下ろす。

 

ミツヲさんの目的は僕とは少し違って、女子高生が好きなだけだ。女子高生を見ているだけで何かを満たすことが出来るのは、ミツヲさんの得意技だ。そうでもしなくちゃ、この三十年間をこうして生き抜いては来れなかっただろう。

 

「時代は変わった」と、しきりにミツヲさんが言う。

 

「女子高生がピンチ」だって。きっとそこには何十、何千、何万とも言う膨大な意味が含まれているのだろう。僕からすれば、そんなミツヲさんがピンチだ。ミツヲさんはこれから後世のために遺伝子を残していくことが出来るのだろうか?きっとミツヲさんの子孫はとびっきりなアーティストか犯罪者にしかなれない。この予言だけは譲ることが出来ない。

 

次第に街が暗くなり始めて、僕達はいつものように街の裏の裏の暗い方へ暗い方へとまた入っていく。

 

「いったい今夜は、僕達、どこで食事をするのだろうか?」


 

クサのカケラたち 666

 

翔   :翔の誕生日のクリスマス・イヴに、美咲と果てた後、クスリの吸いすぎで死亡。

美咲  :翔が死んだ後、克美と出会い、オカルト宗教にはまる。そこで、たくさんの人を殺め死刑。が、死ななかったために、施設に閉じ込められ、人間の興味の元にされる。

克美  :「地球は二つ在る」の言葉を抱え教祖に。だが、人を殺め死刑。

紀子  :大学をニューヨーク州に決める。そこで、日本から来た靖章と出会い、関係を持つ。日本に帰国した時に、賢治と出会う。

靖章  :コウスケの絵の仕事の手伝いをしている。雷蔵の店の買出しの手伝いで、ニューヨークへ行く。そこで、紀子と関係を持つ。

賢治  :愛想のないバーの店員。紀子がそこを訪れたとき、「赤いカルマンギア」と言う名のカクテルを作る。ミツヲの飲み仲間。愛の詩人。

ミツヲ :賢治の飲み仲間。明確ではない殺人犯。女子高生がピンチだと、しきりに言う。

雷蔵  :翔の死後、コウスケとツルむようになる。コウスケの想い寄せる女の子と付き合う。その後、雑貨屋を始める。思いのほか、針金細工が得意。

コウスケ:イラストレーター。靖章を助手に持つ。


 

 

 

「蝙蝠」

 

僕は、君と上手く夜を過ごすために、コウモリの面を被っているわけじゃない。羽を広げよう、今夜。薄暗く森の方から薄暗く。あっちの方角に落ちていく夕日を見ながら、赤く、赤く、君の血液よりも真っ赤なあの空を見上げて。

「君は誰?僕?僕は誰?君、僕に似ている」

僕はその日、自分の部屋で嘔吐した。机の引出しを開けると、そこは真っ赤になっていて、そこに手首が落ちていた。誰のかはわからなかったけれど、まだそれは新鮮だった。その夜、悲しい知らせを聞いた。お姉ちゃんが誰かに殺された。お姉ちゃんの体に、手首だけがなかった。

「溝口君、三番テーブルのお客さんお呼びだよ」

「あ、はい、どうもすみません」

「駄目だよ、ボーっとしていちゃ」

僕は、言われたとおりの三番テーブルに行くと、注文を聞いて戻ってきた。

「レギュラー二つは入りました〜」

その気になる声で、僕はそう言った。そして、コーヒーカップを三番テーブルに運ぶ。

「それにしても、なんておっかない顔をしているんだろう、この二人」

僕は、そう思って、そのお客さんたちを刺激しないように、すばやく立ち去った。

 

「ミツヲさん、どうします?結局一緒ですよ。こうやって、いつもやることないからって、携帯片っ端から女の子に電話してるけど、一度として、今まで女の子と遊べたことなかったじゃないですか」

「仕方ないじゃん」

「そうだけどさー」

「って言うか、賢治も携帯で探せよ」

「はい、はい」

賢治は、思った。またどうせ、女の子と遊ぶことなく、こうやって限りある時を無駄にしていくんだろうなーって。僕は仕方なく、この間知り合った女の子に電話した。

「もしもし?」

「あ、俺、賢治だけどさー、今、何してた?」

「え、今—?テレビ見ていたよ」

「じゃー、家なんだ」

「って言うかさ、連絡する、する、って、ぜんぜん連絡ないじゃん。ご飯食べに行こうって言ってたでしょ?」

「え?飯食いに行くって?」

「あー、ひょっとして、ぜんぜん覚えてない?」

「覚えてないことはないけど……酔っ払ってたかなー……」

「まじでー、超ひどいじゃん。私、酔っ払ってる?って聞いたら、ぜんぜん、って言ってたじゃーん」

その時、隣のミツヲさんが、小声で、「呼べ、呼べ」って必死で囁いた。

「ごめん、ちょ、ちょっと待っててね」

僕は、携帯の口を抑えると、ミツヲさんに「無理ですよー」って囁いた。

「あー、ごめん、じゃーさー、まじで、今度食事しようよ」

「酔っ払ってない?」

「うん、ぜんぜん」

「じゃー、いつにする?お店やってるって言ってたよねー」

「うん、店やってるけど、別にいいよ。好きな日でいいよ」

「じゃー、木曜日は?」

「いいよ、じゃー、木曜日ね。って言うか、ちょうど店休みだし」

「あー、そうなの?」

「じゃー、七時くらいね。前の日に、とりあえず電話するわ、うん、じゃーねー」

電話を切ると、ミツヲさんの目が違っていた。本当に、死ぬ寸前の人は、きっとこんな顔するんだろうなー、って形相をしていた。

「なんだ、おまえ。ネタあるじゃん」

「いやー、これは、本当、違うんですよ。キャバクラの一体の子捕まえて、それで、遊ぼうって言ってて、まじで、知ってるじゃないですか、それくらいしか出会いないって」

「また、キャバクラかー。まぁ、しゃーねーな」

ミツヲさんの目頭が一般的な色に戻ると、ミツヲさんはテーブルの上のベルを押した。

「は〜い、ただいま〜」

妙に気になる声のウエイターがやってくると、僕達はコーヒーをお変わりした。

 

666

 

お姉ちゃんの手首は、自宅のトイレに捨てた。実家はかなりの田舎で、まだトイレは水洗じゃなかった。僕は、お姉ちゃんの手首を、自宅のトイレに捨てた。お姉ちゃんを殺したのが自分だってわかったときは、かなりショックだった。だけれど、その時の記憶がなくて、僕が溝口さんに聞いたって、「ムカツイタ」の一言しか返ってこない。

確か、学校の帰りにお姉ちゃんとケンカしたんだ。原因は何だったかな?些細なことでも人はキレル。いまだ、お姉ちゃんを殺した犯人は見つかっていない。見つかるわけないさ。この世に存在しているようで、存在していないんだもん。今は僕が存在感を握ってる。彼をこの世に輩出するわけにはいかない。

お姉ちゃんが殺されてから、八年が経った。

 

僕は今、一人の女性を守っている。僕の彼女だ。今日だって、こうやって向かい合って、彼女の家でおいしいご飯を食べられるのも、彼女のおかげだ。僕は彼女を守る、ただ一人の。

「ねぇ、あのカバンどうしたの?」

僕は、彼女の部屋にある、見慣れないカバンを見てそう沙耶香に聞いた。彼女の財布からケリーのカバンなんか買えるわけなかった。

「あ、あれね。お父さんが買ってくれた」

「何で?」

「何か、宝くじ当たったらしいよ」

「まじで?いくら当たったの?」

「うーん、100万円って言ってたかな?」

 

時間の流れを目で追う。あれから誰の手首も切り取っていない。

「君は誰?僕?僕は誰?君、僕に似ている」

 

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「確か、首吊りの人間が笑ったら、無実になるんじゃないですか?」

美咲は、翔の奏でるピアノの旋律を思い出していた。日記に書く言葉は、当たり前ぽく書いていればいい。美咲は翔の奏でるピアノの旋律で果てたかった。単純に誰かを中に受け入れたかった。そこにカメラが付いていようが、付いていなかろうが、美咲は指を使った。

「そう言えば、克美はどうなったのかな?」

 

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賢治はゴルチェのパヒュームを手首に振ると、引出しから茶封筒を出して、そこから一万円札を手に取った。久しぶりに自分の車を動かしてやる。仕事場へは歩いていくものだから車に乗るのは休みの日くらいしかない。僕は七時に待ち合わせのレストランへ行くと普通にその中へ入っていった。

一番奥の席に座っているのがそうらしくって、僕はそちらのほうへ歩いていった。彼女の顔は余り覚えていなかった。キャバクラに行った時、僕は酔っ払っていたからだ。そして、酔っ払って電話番号を聞いて、酔っ払ったときにだけ彼女に電話していた。僕の心の隙間を埋めたいがために、酔っ払ったときにだけ彼女に電話していた。

「やぁ、待った?」

「うぅん……私も今来たから」

僕は、本日のお勧めメニューのパスタの方を選んだ。彼女はドリアの方を選んだ。僕は、彼女の顔をまじまじと見ていた。そうか、こういう顔だったのか。見覚えがあるのは当たり前で、それが特に初々しくないのがおかしかった。

「どうしたの、私の顔見て、何か変?」

「別に、かわいいなーって思って」

「何それ、照れるじゃん」

「で、沙耶香、店は?あの時一体だったよね?店続けてるの?」

「うん、一応ね、お金欲しいし」

そこへ、サラダがやってきた。

「彼氏いるの?」

沙耶香は平気で嘘を吐いた。私が繋ぎとめているのは、安らぎだけだった。それが溝口君へのやさしさだから。私は、時折すごい彼のエッチが好きで、それが安らぎでもあった。彼の声は最初気になったけれど、今となっては、その声すら安らぎに変わる。私は今まで上手く生きることを知らなかった。たとえば嫌いな人に嫌いって言う方法だとか、そんなこと。

賢治はノーマルではなかった。沙耶香は別にそれも興味の一つで、最初は抵抗したけれど、賢治の前で糞をした。尿を顔にかけてあげると、賢治は普通に喜んだ。手首を縛られると、何の抵抗も出来なくて、結局前に入れることなく、賢治はアナルの中に出した。

 

賢治の想像力はとてつもなかった。自分の言葉の一つ一つがこの世に残ればいいというくらいに。性的行為の屈折は憧れからのもので、想像の中で空を飛んでいるのと、大して変わらなかった。バイセクシャルになれる自信はあったけれど、ミツヲさんのをくわえる気にはなれなかった。その夜、賢治は一人、愛だの恋だのおかしな言葉を並べて詩を書いていた。それをコンピューターの上でいくつか書くと、自分のホームページにそれをアップした。自己満足が一つ済むと、誰よりも悲観的な人間になれたような気になってタバコをふかす。タバコをふかしながら思った。沙耶香のオシリは具合がいい。僕は繊細だ、それであって時に危険であったりする。ケンカはしない、殴られたら痛いもの。

 

あぁ言えば、こう言う人間になりたくはない。だけど、人の顔色を窺うのは最低だ。二面性を普通に抱えるんだもの、多面性で何が悪いんだろう。空は飛ぶ。でも、卵は産まない。それの何が悪い?ずるいんじゃない、惹きあいの対象がそうだっただけ。じゃー、カモノハシでいいよ。卵は産む。でも、空は飛ばない。それの何が悪い?

「君は誰?僕?僕は誰?君、僕に似ている」

 

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克美は最後に、イチゴポッキーのあの味を首吊り台の上で思い出していた。布で顔を覆われると、もう、感情なんて必要ないんだなって思って、イチゴポッキーの味を忘れた。

「ホワイトクリスマスだったら、みんなが羨ましいな」

克美は夢を見ていた。深く深くまるでデジタル体験もないのにそんな擬似世界へと、妙に痛々しい遠くから耳元へダッシュするラップ音。大きな光があったかと思えば、白と黒を壁とする何処までも続く四次元的ビジョン。イチゴポッキーのあの味。

 

そして、克美は二度と笑うことはなかった。

 

 

「バカとハサミ」

 

僕は産声を上げると、それから高熱にうなされて脳みその一部がおかしくなった。それは大事には至らなかったけれど、身体障害者には変わらなかった。人より賢いことは一つの障害で、IQが高いがために僕は、人とは違うんだなと実感した。お医者さんもそれを認めてくれた、生まれた時の高熱の後遺症だって。そして、いつでも遺書を書いて日々を過ごすようなカッコいい人間に、僕はなるんだ。

「お父さん、どうして僕に翔って言う名前を付けたの?」

「どうしてって、昔お父さんの友達に翔って名前の人がいてね、その人はもう死んじゃったんだけれど、その人がいなかったら今のお父さんはいないかなーって、だから翔にはその人の名前を付けたんだよ」

そう、雷蔵は自分の息子に説明した。

 

翔は、高校への進学を辞めた。その頃には日本で最高峰を誇る大学の勉強を全て理解していたからであった。そして、大学に入る歳になるまで、アメリカに行く事に決めた。お父さんの友達がニューヨークで買い付けの仕事をやっていることから、ニューヨークに行く事に決めた。

 

コウスケと翔はその日、日本から飛び立った。

 

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紀子がカウントダウンしていくと、患者の記憶は若返っていった。「何が見えますか?」と患者に尋ねると、患者はただただ泣いていた。患者は今、ひどく傷ついていた。「限界だ」と、言われて、紀子は患者を現代へ呼び戻す。紀子はひどく汗をかいていた。そして、患者もひどく汗をかいていた。

「どう、ウェンディー?お疲れ様。頭とか痛くない?」

「少し痛むわ」

「ごめんなさいね。少し無理をさせてしまったみたい」

「私が、自分が病気だって自覚出来てないのだから、これくらいの痛みは平気よ。それより、私はもっとひどい痛みを与えたんだもの」

「そうね、じゃー、また来週。何かあったら連絡するのよ。もう、お薬は止めようと思うの、だから、今日はお薬なしでいい?」

「あれがないと寝られないんです」

「もう十分よ。あなた今、落ち着いているんだから」

そう言うと、ウェンディーはうなずいて、その部屋から出て行った。紀子は大学を終えると、大学院に留まって、精神科医になることを決めた。理由は弟の自殺だった。いじめられていることに誰も気づけないでいて、そして学校の屋上から身を投げてしまった。弟がアメリカに遊びに来て、そして帰ってからすぐのクリスマスの日、それは突然だった。彼女がいるのか聞くのを忘れたって思った。

紀子は州立大学のカフェテリアで、一人ランチを取っていた。そう、歓喜、孤独、歓喜。今でも周期的にやってくるこの感情。紀子は一度結婚した。そして、離婚した。子供は二人いたが相手が引き取った。そして、自動的にグリーンカードをもらうと、そのままカウンセラーの仕事を続けた。気になるのは、日本にいる両親だけだった。ニューヨークという街が当たり前になると、もう、生活観を変えるのが面倒くさくなっていた。ただそれだけだった。

 

 

「クリスマス」

 

深々と降る、こんな気持ちばかりが………。その時、昔飼っていた猫が死んだ時の事を思い出した。確か、ひどく悲しかった。

ミツヲは、道路の真中にうつ伏せになると、昆虫になった気がした。その視界から何を見ればいいのか迷ったけれど、ただアスファルトはひどく冷たくて、「あぁ、冬の匂いがする」そう、呟きたかった。だけど、その言葉を誰も聞いてくれるような気がしなくて、それを言うのをやめた。最後にタバコを吸うと、突然携帯電話が鳴った。それは、賢治からだった。

「もしもし……」

「あ、ミツヲさん、何しています?」

「最後を楽しんでるよ」

「え?どういう意味です?」

「だから、最後だよ……」

「今日、クリスマス・イヴですよ……」

「そんなこと、……知ってるよ……。なぁ?……」

「え?」

「今日、寒いな………」

「えぇ、雪降ってますからね」

「賢治?」

「はい?」

「俺……、先に逝ってるわ」

「はぁ……」

「もっと、恋したかったなー」

「ちょっと!ミツヲさん?ねぇ、まじで!」

ミツヲの心臓は、そこで止まった。

賢治は、ひた走った。涙が止まらない。結局ミツヲさんに再会したのは、病院だった。もう、顔には白い布が被せられており、それは呼吸を止めていた。次の日の新聞には、やっぱりミツヲさんが載っていて、僕はあの冗談とも覚束なかった、殺人犯のミツヲさんを知った。

 

ミツヲはその時十七歳だった。いつものように先輩達と軽くシンナーを吸っていると、どこかからか、笑い声がした。

「アハハハハハ」

軽く正気になると、後輩の一人が先輩の足をヒョウ柄のナイフで刺しているのが目に入った。みんな頭がおかしくなっていたから、わからなかったんだろうね。もう、その後輩はボッコボコ!そして、ミツヲはその後輩のヒョウ柄のナイフで、その後輩を刺した。死んだのがわかると、ミツヲ達は怖くなって、後輩を捨てに行った。それでも三日後に見つかって、その時のヒョウ柄のナイフも見つかって、結局逮捕されたのは、その刺された先輩だけだった。他は誰一人捕まらなかった。ミツヲの指紋はそこからは見つからなかった。ミツヲはその時手袋をしていたからだった。その日は手が悴む、とても寒いクリスマス・イヴの夜だった。

先輩はその時二十歳になっていて、そして他の悪事も明るみになって、結局十年以上ブタ箱に入ることになった。

ミツヲはずっと恐れていた。その先輩がいつか自分の前に現れることを。

それでいて、まさか、同じクリスマス・イヴの日にね。

 

ミツヲは死に行く淵で、あの日の事を思い出していた。お兄ちゃんが、本当はサンタクロースなんていないんだよって言ったあの日。僕は、それなりに傷ついた。僕は、それをお母さんに話すと、笑って、サンタクロースはいるって教えてくれた。クリスマス・イヴのあの夜、変てこなサンタクロースが寝静まった僕の所にやって来てくれた。それは、お兄ちゃんだった。お兄ちゃんは、お兄ちゃんが一番大事にしていた超合金のロボットのおもちゃを、僕の用意していた大きな靴下の中に入れてくれた。お兄ちゃんは、夢を与えてくれたと同時に、僕の夢も壊した。だけどね、うれしかったんだ。

 

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ウェンディーはドレスをヒョウ柄と決めると、友達の今にも壊れそうな車で学校まで行った。友達が持ってきたタバコを興味深く一吸いした。ただ、苦い。咽返すと大人になるのは難しいって思った。薬をやめた時から、体が楽になっているのはわかったけれど、時々ひどい頭痛に悩まされる。でも、その日、そのクリスマス・イヴの日から、ウェンディーはひどい心の痛みに悩まされる。深々と、心に降りかかる恋の病に……。

ニューヨークはとても寒かった。ひどく寒かった。

 

味気ない地下鉄を乗り継ぐと、ハイスクールは目の前だった。翔は意外に孤独で、それでも日本人の友達よりは、アメリカ人の友達のほうが多いくらいで、もうすっかりそこには慣れていた。初めてマリファナを覚えたのは、ルームメートの誘いがあったからで、今では常用するようになっていた。それが悪い事だって言う意識は全くといっていいほどなかった。彼の舌がピリピリ痛むのは、紙巻タバコのせいで、それとジョイントする時に葉っぱが下についてピリピリする。特にフォーマルな服を選んで下手なファッションセンスをお披露目するアメリカ人には未だに慣れなかったけれど、どうせ、向こうにも美意識がないのだから、特に何を着ていても恥ずかしくはないと思った。それでもそこで目に飛び込んできたのは、ヒョウ柄のドレス、ドレス。彼女は人と同じセンスで笑うのが嫌いらしくて、余り上手には笑えていなかった。髪はきれいな栗色で、体のラインは細い。背は余り高くなく、身長を気にしている翔の肩くらいしかなかった。友達に彼女の存在を聞いた。彼女の名前はウェンディーといった。そのクリスマス・イヴの日、二人は初めて言葉を交わした。

 

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「日本時間の今日未明、カナダで墜落した飛行機に日本人の乗客六人を確認、身元の確認を急いでいます。現在のところ、生存者はゼロ名です。さて、続きましてはヒョウ柄のワンちゃんの話題です…………」

そのニュースが流れると、下北沢の町は突然静かになった。そのクリスマス・イヴの夜、雪は降り止まなかった。正義感の強い四人は、その時二十歳だった。インディーズを抜け出して初めてのレコーディングが海外で、その帰りでの出来事だった。そして最初で最後のフルアルバムがその一ヵ月後に発売された。「赤いカルマンギア」ボーカルのモデルとしての知名度と、彼達の音楽性で、「永遠」というものになった。

 

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栞は生まれた時から目が不自由だった。ただ、栞にとっては、それは不自由ではなかった。はじめから、完全な闇だった。聖なる鐘が鳴り響く夜、栞は生まれた。

 

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こういった店は、雷蔵にとっては場違いなところで、挙動不審になるためにあるようなものだった。そのレストランは、高級食材をふんだんに使う。ワインやシャンパンは、お客のニーズなんか無視して、高いものしか置いていなかった。ソムリエは多少胡散臭い奴だったけれど、どこか落ち着いていた。雷蔵にも、その落ち着きが欲しかった。

別に僕はこう言う、下らない行事に流されたくなかった。だけど、女の子の気持ちを考えるとするならば、やはり夜景と下らない行事に付き合わなくちゃならない。僕の組み上げたアメリカンバイクで彼女を後ろに乗せて走るのには何の抵抗もない。風の抵抗も、まるでない。

フォアグラというものに驚くと、食べてみて、たいした事がないのはわかった。それとも僕の味覚はガラムの吸い過ぎで狂っているのか、それともただ緊張して味覚なんて、当に麻痺していたのか……。彼女もこう言うところが初めてだった。やはり緊張しているのがわかる。二人だけの世界を作っていたいはずなのに、どうも回りの目が気になって仕方がなかった。その時彼女が、フォークをゆかに落とした。その時の音が何度も鳴り響いたかのように、周りの視線も一度ではなく何度も浴びたような気がした。「似合わない」だとか、「不釣合い」だとか言う言葉が、同じように降り注いだけれど、一度吹っ切ればね、気にはならなかった。ロブスターは手で引きちぎって食べ、生ハムメロンは、メロンだけを味わった。本当は、これが高級ワインなの?と疑問を抱いていたワインも、余りおいしくないやって、二人で笑ったし。そう、これも思い出だねって、そんな高級レストランを後にしたんだ。雪が少しでも降ってくれれば良かったんだけれど、クリスマスだからって、そうも都合よく雪なんか降ったりはしない。

それから確か、バーに行ったな。コウスケに教えてもらったバーなんだけれど、すごくマニアックな所にあるから、空いていてとてもいいと勧められたからだった。で、階段を下りていってびっくり。溢れないばかりの人たちが、そこにはいた。一度は帰ろうとしたんだけれど、僕はそこに流れていた音楽を耳にして、やはりそこで飲もうと決めた。ちょうどカウンターの一番向こうの席も空いていたし……僕は、何か特別なカクテルがないか、愛想のない店員に訊いた。僕は、そしてまた驚いた。そこに、「赤いカルマンギア」という名のカクテルがあった。賢治はシェーカーを振ると、赤いカルマンギアを二人に差し出した。その店にはたくさんの写真があって、そこにはあの正義感の強い四人の写真がたくさんあった。そして、マスターの話を聞いていると、普段客足の鈍いこの店が盛り上がるのは、今日だと教えてくれた。今日は、彼達の命日だった。そして、「赤いカルマンギア」が飲めるのは、今日一日だけで、それを追悼がてら飲みに来る客ばかりだそうだ。みんな、こよなくあの四人を愛していた。四人で写った写真を見て、ギターの彼は、やっぱり蝶ネクタイが似合わないと思った。雷蔵がガラムに火をつけると、そこは、もう、ガラムの匂いで充満していた。

雷蔵はその日、彼女と会う前に墓に出向いた。また、その人も今日が命日で、ヒョウ柄が好きでたまらない。雷蔵は、一人でぶつぶつ墓に向かって、話し始めた。

「今日、プロポーズするよ」

バーから出ると、どこのホテルも満室だった。別に二人には、それもお構いなく、もう少し歩くことに決めた。あったかい缶コーヒーを飲みながら、公園のベンチに座ると、僕はもう覚悟を決めていた。ポケットの指輪を確認すると、その箱を握り締めて、それでいて、頭の中が真っ白になった。それでも言った。

「子供が生まれたらさー、翔って言う名前にしようかと思うんだ」

それが精一杯の気の利いた言葉で、そして、僕は握り締めていたその箱を彼女の目の前で開けて、それでいそいそと彼女の薬指にはめた。彼女は笑って言ってくれた。

「似合う?」

その日、エッチはしようと思ったんだけど、雷蔵のは勃たなかった。


 

 クサのカケラたち 666

 

 溝口君 :八年前、お姉ちゃんを殺害。別の人格者の証言は「ムカツイタ」。

 賢治  :溝口君の彼女と付き合い始める。少し、ノーマルではいられない。

 ミツヲ :明確な殺人犯として、牢屋に入っていた先輩に殺される。

 沙耶香 :キャバクラでバイトをして賢治と出会い、溝口君と二股を掛ける。

 美咲  :高い塀の中で、日記を書く日々を続ける。

 克美  :死に行く場所で、イチゴポッキーを思い浮かべるが、そのまま首吊り台から、二度と呼吸をすることはなかった。

 翔   :雷蔵の息子。遺書を毎日書くような高知能所持者。ニューヨークへ渡り、紀子と出会う。そして、高校でウェンディーと出会い、恋をする。

 紀子  :弟の自殺が原因で、精神科医へ進み、カウンセラーになる。ウェンディーという患者の心を戻そうと試みる。翔のホストマザー。

 ウェンディー:悲しい過去を引きずって、カウンセリングに掛かる。彼女の主治医は紀子。高校のパーティーで翔と出会い、恋に落ちる。

 赤い

 カルマンギア:彼等が二十歳の時、カナダ沖で飛行機墜落により死亡。その悲報を聞いて、シモキタの街は静かになった。

 栞   :生まれた時から目が不自由な女の子。クリスマスの夜に生まれる。

 雷蔵  :コウスケが想いを寄せていた女の子とそのまま結婚。翔の父親。


 

 

「環状線」

 

結局ビクトリアの歴史ある古い町並みも、目に映るものは大きすぎて、酒の肴には全くならなかった。

「寒いな」

カナダの町は、もう雪景色でいっぱいだった。本当にサンタクロースがいるようなこの町並みは、青い目の人達でいっぱいだった。レコーディングを終えると少し落ち着いた。サーモンの燻製は、それほどおいしくなかった。四人は、マネージャーの話なんか少しも聞いてなくて、金髪のお姉さんを見るたびに、感激していた。バンクーバーに戻ると、やっぱり日本人の多さに面倒臭くなった。その夜ホテルで四人はモンブランを食べながら、色々な事を話していた。

「やっと、終わったな」

ロンゲが言った。

「違うよ、これが始まりだろ?」

ツイストが言った。

セブンスターをふかすと、ウルフチックは遠くを見ていた。

ボーズ頭は沈黙の中、子供の顔を思い浮かべていた。

窓の外は、サラサラとした雪が降っていた。

 

飛行機が離陸すると、ウルフチックはドキドキしていた。隣の何人かわからないおばちゃんが、十字架を握り締めて必死に祈っている。

「なぁ、これどういう意味?」

そう訊いたのは、ロンゲだった。そこにはこう書いてあった。“LIFE VEST UNDER YOUR SEAT”

「ライフベスト、アンダーヨア、シィト?」

そう、適当に読んだのは、ツイストだった。そして、普段余り話さないボーズ頭が言った。

「ライフは人生だろ?で、ベストは最高。アンダーは下、ヨアはおまえ、で、シィトはウンコだよ」

「で、どういう意味だよ」

そう、ロンゲが言った。

「だから、それを繋げればいいんだよ」

「わかった!」

そういったのはツイスト頭だった。

「最高の人生は……おまえのウンコの下…だよ」

「で、どう意味なんだ?」

「それはわからんけど、何だろうなー……」

「英語って言うのは、後ろから訳すんだぞ」

「じゃぁ、おまえのウンコの下は最高にいい人生だ……」

「はん、ぜんぜん意味わかんねー」

マネージャーがそれを見かねたのか、こう言った。

「それは、ライフジャケットがシートの下にあるって言うことだよ」

「あ、そうなのね。まぁ、そんな事いっか」

と、そこで突然飛行機が何かに逆らって揺れだした。それは、とても普通じゃなくて、異様な光景にすぐに変わった。落ち着いていられないスチュワーデス達が、みんなの目に飛び込んできて、そしてすでにそこはパニックになっていた。そして、ロンゲが言った。

「あら、これ、落ちてるな」

「そうだなー、しんじゃうなー」

そう言ったウルフチックが、「セブンスターを最後にもう一本吸いたい」そう思って、おもむろにポケットからタバコを取り出して、それに火をつけた。

「なぁ、あそこのモンブラン、もう一回でいいから食べたかったよなー」

「あー、俺、ガキも女房もいるんだぜ」

 

「どうせなら、思い遣りのある人間に生まれたかった」

クリスマス、そう、あれはクリスマス、彼達は、いつかの赤いカルマンギアのように、炎上した。

 

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マスターが女の子を連れてくると、にっこり笑ってこう言った。「よろしくたのむ」って。賢治は、その女の子を見て、少し驚いた。かわいいじゃん。それはいつか見た女の子だった。そう、この間カクテルを作ってあげた女の子だった。そう言えば、何やらマスターと仲良く話していた。マスターが言った。

「これ、内緒だけどね、彼女、俺の彼女なんだ」

確かに、男の子と女の子がカウンターに立つのでは、少し店が違う。この店じゃ、ホールでやってもらうのが精一杯なんだけれど、それでも客の引き具合は抜群に違うだろう。まるで入れ食いの鮎の解禁日。

「モモです。よろしくお願いします」

そう言われると、賢治の顔も少しニヤケて、何もかもが許せそうになってしまう。それにしても、マスターには奥さんと子供がいるはずだ。それは、何の引き金になるかは知らないけれど、核爆弾を所持している国に、核爆弾の話をするようなものだったので、余り触れるのはやめた。モモは誇らしげに笑っている。次の日、開店の準備をしていると、モモがバイトにやってきた。奥の部屋で着替えているところに、どうしても用事があって、賢治は、その部屋のドアをノックした。それでも返事がないのにおかしいと思ってそのドアを開けると、彼女は着替えていた。そこで賢治が見たのは、背中に彫られていた、色鮮やかなタトゥーだった。如来菩薩が描かれていた。それはどこか悲しげな顔をしていたけれど、女性というものを一番きれいに象徴していて、それはどこか独特な雰囲気をもっていた。特に、赤色の色彩は抜群で、まるでぶどう酒をこぼしたような色合いだった。僕は、「ごめん」というと、その扉を静かに閉めた。

 

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美咲は今、久しぶりに空気を吸った。そこを出ると、とても眩しかった。白いものを一番眩しいと勘違いさせるような錯覚を飛び出すと、一人陽気にそれからを歩いた。途中、静かな花を見つけると、それを摘んで、それが不必要だとわかると、それを道端に捨てた。美咲の日記が閉じたのは、それから一週間前のことで、ある言葉がそれをそうさせた。

「恋がしたい」

鉄格子の中で過ごして、5年目の或る日だった。初めは何が何であるかがわからず、普通の女の子だったら、きっと大声で泣いていただろう。だけど、ある程度感情を忘れると、別に泣くことに意味がないことを感じると、泣くことが不条理だと思って、特にそう言った行為はしなかった。美咲は実家には帰らなかった。特に必要がなかったし、そういう光景が不釣合いだとわかっていたからだった。私は今違う人として生きていける。違う名前が与えられ、特にお金を必要とする生活ではなかった。国からの保護と、まるで違う戸籍。美咲という名前は捨てたくなかったから、それだけを許してもらった。美咲はひたすらお酒を注いだ。そういう仕事がしたいわけでなく、そういう仕事でも良かったからであって、気だるさの中に身を置くことで、新しい生活を始めようと決めたからだ。美咲はよく本を読んだ。内容にかかわらず、友達を多く持つには、一つだけ、普通の人より生活習慣を置いて呼吸をするしかなかったからだった。

或る日、お店でいつものようにお酒を注いでいると、やる気のなさそうな男に出会った。彼は、自分を靖章と名乗った。誘われると、彼は胸のポケットからヒョウ柄のペンを出して、美咲に電話番号を教えてくれた。美咲は、それに惹かれた。

 

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「ねぇ?何で、僕をこの家に呼んだの?」

僕は、英語でそう話している自分に少し笑った。なぜなら、僕はそう日本人に話していたからだった。

「別に理由はないけど、ほら、少し淋しいでしょ?日本の小さな家に住んでいるわけじゃないんだし。君の語学勉強の妨げにならないように私も生活しているわ。それになんだか懐かしいのよ」

そう、紀子も英語で答えた。それから、翔は紀子に言った。

「訊いてよ。僕ね、彼女が出来たんだ」

「あら、どんな子?今度家に連れていらっしゃい。和食でもご馳走するわ」

そんな会話が始まって、翔が来てから一年半くらい経った。

「じゃぁ、今度のクリスマスの日にでも彼女を招待するよ」

 

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ウェンディーの夢に、あの日の事がぼやけて映る。ひどく叩かれても、少しも痛くない。熱いと感じるのは気のせいなだけで、それも一瞬だった。怖い夢を見た日は、いつも汗をかいていて、それが当然の事のように、階段を下りて冷蔵庫の扉を開ける。そして、ミルクを飲むと、またベッドに入る。そして、街が明るくなると、不思議なくらい体が軽い。

チアガールのユニフォームを脱ぐと、彼女は自分の乳房を気にした。汗の匂いはさほど気にはならないのだけれど、乳房が気になる。大人になることが、流線型への憧れならば、彼女はまだ、自分を子供だと確信する。煙を食らったって、まだ子供なのだ。母親は、私のことを気にかける。罪深いという生活は、人の生活観をいくらでも変えることが出来る。ウェンディーの母親はベジタリアン。昔はその大きな体に憧れていた。ハンバーガーをスプライトでそのまま胃の中に押し込む姿が印象だったはずなのに、今ではかなりやせ細ってしまった。あの日から、母は肉を口にしなくなった。

 

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美術の時間にどうでもいい絵を書いていると、翔は不自然になっていく。そもそも、自然界に身を置く動物が空になってしまったワインのボトルを描写することに意味などないと感じていたからだった。どうせなら、ぶっ飛んだ、そのぶどう酒の色を真っ白なキャンバスにぶちまけた方が、気持ちいいからであった。来週中に仕上げるその二十枚の絵を、翔は全てウェンディーの裸体を描いた。もちろんそれは想像で、実際にウェンディーは洋服を着ていた。描いた絵は見せるのだが、ウェンディーは何の素振りも見せない。私の乳房はそんなに大人じゃないといいたいけれど、それが想像力に必要ないとわかれば、別にどうでも良いことだったからだ。

或る日、翔が一人で宿題をやりながら、カフェテリアでコーヒーとブリトーを食べていると、ウェンディーがやってきた。

「座ってもいい?」

僕がもちろんと言うと、ウェンディーは僕の顔を眺めるばかりだった。そんな普通の日が続くと、それが幸せだと感じて、お互いに背伸びすることなく日々は過ぎていった。クリスマス・イヴの日に、翔はウェンディーを抱こうと、心に決めていた。友達に借りた車に乗ると、少し離れたところに車をとめた。そこで、翔は舐めて欲しいと頼んだ。完全に愛撫が済むと、翔はウェンディーの中に入ることを望んだ。ウェンディーは翔の首を軽くしめた。僕は、背伸びした自分に腹が立つと、ウェンディーにクサを勧めた。次の日、翔はウェンディーを紀子に紹介できなかった。仕方なく、その日は二人で日本語で会話をした。

 

ウェンディーは翔のものを舐めると、それが少しも気持ちのよいものではないとわかった。私の中に入ってくるものを拒むと、体が勝手に動いて、翔の首をしめると、何か心地よくなりたくて、クサを勧めてもらった。男の人を口に含むのは初めてではなかった。それは、小さい頃からの習慣で、よく父親のを含んでいた。とても苦かったような気がする。父親のことは別に忘れようとは思はない。ただ少しだけ、最後に鉄の味がしたのを覚えている。あれが、ハンバーガーと少しも変わらないのならば、母親が突然ベジタリアンになったのも頷ける。

地下室はいつもヒンヤリしていた。母親が銀行から帰ってくると、その扉を自然に閉めて、平然と夕食の楽しい一時が待っている。普通にディナーをこなして、普通にコメディーを見る。それはアメリカで生活をしていることに慣れていることだった。母親は、私が父親とアソンデイルことに気が付いてはいなかった。だから、ハンバーガーを平気で食らっていた。私が初潮を迎えると、父親はさらに醜くなった。クサイものを平気で舐めた。私も自然と物覚えがつくと、それが下らないことに気がついた。だから、私は怒りを覚えた。私は父親のを噛み切ると、地下室から走った。追いかけてくる父親がとても怖かった。飼っていた、犬のクレアーがなぜか父親に楯突くと、父親は今まで大事にしていたクレアーを蹴り飛ばして、キッチンに隠しておいた銃でクレアーを殺した。そして買い物を済ませて紙袋を抱える母が帰宅して、そこで、それも終わった。母親は、私を助けるために、父親を包丁で刺した。母は、父親のを拾い上げると、それからベジタリアンになった。

 

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紀子は震える手を抑えながら、ピストルを握り締めると、それを放った。

 

 

 

「ゼロ」

 

栞は気づかないうちにそれをしていた。初めは父親だと思っていたその声の主が、突然「ニャーン」としか言わなくなった。栞は光を手に入れた。栞とあやしてくれたあの声はもう聞こえなくなって、少し淋しくなったけれど、空は青く雪は白かった。猫はただじゃれるだけだった。栞は最後に母親の顔を見届けると、見えることが当たり前の世界に、悲しいことばかりが目には映るのだと、涙で滲んで視界が疎かになることを少し悔やんだ。

 

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一月をそれに費やすと、やっと終わったという気分が優れ、モモは眠った。だけれど、憧れが強い分だけ、夢によく見た。モモはその人をよく知っていた。テレビで見たこともあったし、個展も何度か見に行った。愛理の生き様に少し惹かれた。モモがアートを志したのは、もうだいぶ前のことで、モモに出来ることといえば、それくらいしかなかった。どこか不完全な芸術家を目指していたから尚更で、生活観のおしゃれを理解できれば、それで十分だと思った。そんな時、愛理が講師でやってきた。最初は緊張して、自分と言うものを出せなかったけれど、それでも認められるようになると、愛理は酒を一緒に飲んだりするようになった。タトゥーを入れたいと言ったのは、モモの方からで、デザインを二人で考えているのがすごく楽しかった。モモにない感情は大人の悲しむというもので、まだブドウ酒の色はきれいに出せなかったけれど、それでもいいと思った。彫り物はだんだん快感に変わる。親にもらったこの体を簡単には消せやしないこの絵の具で描いたことは後悔しない。淋しいことだとも、ちっとも思わなかった。弟の命日だと一緒に連れて行かれたバーは最高によかった。その音楽は抜群で、とてつもなく体に痺れた。私のあそこはまだ、一度もヌレた事はなかったけれど、初めて、ヌレるってわかった。その時そのカウンターにいたマスターがカッコいいと思ったのは、その凄まじい音楽と、薄暗さで、恋と言うものとは違ってた。シェーカーを振っていた男の人は、普通に顔がイカツかった。マスターは普通に食事に誘ってくれた。話を聞くと、大事な人が三人いて、一人はワイフ、そして、チャイルド、そしてマザーだという。それでも、恋だと勘違いしてもよくて、モモは、恥ずかしがらずにヌレた。夜の商売の人と接するにはその人のアルコールを飲まなくてはいけない。そんなお金の余裕もなく、モモは、普通にアルバイトとしてそこへ入った。賢治さんは、顔とは別人で、普通にいい人だった。

 

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こう言う形で再会したくはなかった。それも、こんなクリスマスの夜に。できれば笑っていたいものだった。目の前に血まみれの人間がいて、平気でいれるわけがない。冬の寒さで手が少し悴んでいたら、私の命はなかった。

「ノリコ?」

紀子は持っていたコーヒーカップを落とした。笑っていいのか、泣いていいのか、一体どの感情を使えたら、私という人格を保てただろうか?そこに全身血まみれのウェンディーを見ると紀子は震えた。その距離は、そんなになくて、地下鉄の車両一車両分もなかった。ヒョウのような瞬発力を人間が持てたら、間のない距離だった。

「ゴメンネ」

紀子には、そう聞こえた。ウェンディーはただ笑っていただけだったけれど、そう聞こえた。もう、目は焦点を誤っていて、それどころではなかった。ウェンディーと紀子の距離が一歩近づくと、紀子は護身用に持っていた銃に手をやっていた。そして、もう一歩近づくと、それを構えていた。時間の流れでは、とてもゆっくりしていたに違いない。そして、さらに一歩近づくと、時間は簡単に止まった。

 

紀子は震える手を抑えながら、ピストルを握り締めると、それを放った。

 

紀子の診察を受けることがなく日常が過ぎて、一年くらい経っていた。薬を必要としなくなった代わりに、クスリを必要としていた。ウェンディーの心と脳は、もう使い物にはなっていなかった。それから簡単に時間は過ぎて、裁判を二度やった。紀子は無罪となった。

 

紀子は余り暖かくない椅子に座っていた。

「夜は眠れますか?」

紀子はそんな聞き覚えのある質問を繰り返されると、ちょっと笑った。

「あなたは病気なんですよ。あなたは心の病に掛かっています」

何度も聞いたセリフだった。

「今日は、クリスマス・イヴですね。それでは、あなたの楽しいクリスマスの思い出を少しずつ思い出してみましょう」

紀子は次第に気持ちよくなると、急に思い出の中に入っていった。カウンセラーが数を一つずつ減らしてカウントしていく。紀子は、そこに居たたまれない姿の自分がいて、思わず奇怪な声で叫んだ。そこには、あのウェンディーが立っていた。そして、また数字が一つ減っていくと、翔と楽しく会話している姿があって、少し落ち着いた。そして、またカウントが減っていくと、今度は子供達と楽しく過ごしている自分がいて、そして七面鳥が焼かれていた。更に数が減ると、今度は弟に彼女がいるのか気にしている自分がいて、不意に弟の飛び散った細胞が頭に浮かんだ。次に、あのカクテルの味を思い出して、恋していた自分を思い出している自分を思い出した。そして、飛行機がすごい勢いで爆発炎上すると、四人の魂は空へ舞い上がったのだと思った。いくつか辿ると、もう疲れたって思った。私は、私を閉じた。カウンセラーなんか無視してやった。紀子は心の中でカウントダウンをはじめると、最後に「ゼロ」って呟いた。私は、子宮にいた頃よりはるか前に戻って、二度とそこから目を開けることはなかった。

 

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寿香は一人、悲しくなっていた。学生生活も終わり、23日にフライト予定だった飛行機は大雪のために飛ばず、クリスマス・イヴを空の上で過ごすのもいいなって思った。その日、穏やかな日だった。私は二年間過ごしたこの異国の地にさようならを告げると、一人ゲートをくぐる。友達がいなかったわけじゃなかったけれど、そこまで思い出を増やさなくていい。搭乗ゲートの匂いは、どこの匂いとも覚束ず、そしてチケットを確かめて、自分の席を確かめると、静かに荷物をしまって、離陸の時を待っていた。前の方では、賑やかな声が聞こえ、それが日本語であることはすぐにわかった。イカレた四人の日本人が楽しそうに話していた。単純にカッコいいって思った。機体が揺れたのはわかった。だけど、その後にそれが落ちているのかはわからなかった。私は目が覚めると、日本には戻れていなかった。そこは、まだカナダで、病院だった。その時は全然気が付かなかったんだけれど、よく見ると、私の両足はなくなっていた。生存者は私一人、それがよいことだったかはわからなかった。

 

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翔は、気がつくと日本にいた。別にそうとは知らずに生活が始まっていた。アメリカにいた時の記憶を完全に無くしていた。

 

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芳雄は一人、コーヒー屋をやっていた。どうもエスプレッソの感触を忘れられないまま大人になりきってしまった彼には、これが一番よかった。芳雄は一人遠くを見上げると、いつまでもあの日のことが忘れられない。あの赤い車はよく燃えた。しかし、コーヒー豆を挽いている彼の姿は、それも仮の姿で、彼の本当の職業は、死を提供する仕事だった。別に自分は導くだけで、直接首を絞めたり、そういうことはしない。彼の店に通う客は、二通りだった。何かしでかす奴らと、そしてそいつを見て驚く奴らだった。そんな例えは、自分が大好きなアーティストの歌詞の一部から勝手にパクった。

芳雄の一日の半分は、コンピューターに向かい合っていて、そこで死の宣告をいくつかしていた。彼は、そこではある程度の教祖的人物で、彼は死神というハンドルネームで、いくつかの死を現実としてきた。カリスマというのは、弱い奴らが、強い奴を立てる時の言い草で、本人は余り気にしちゃいなかった。コンピューターの中での死神しか知らないネットスレイヴ達は、どんな風に芳雄を想像しているかは知らなかったけれど、本当は、すごく悲しい目をしているんだ。遠い場所から、ましてや回線の向こう側から、誰が芳雄の手首の傷を見つけられる。

ある日、コウスケからメールが入った。お互い、それからの時間を考えると、あれからもうずいぶんと経ったんだなって、思う。雷蔵に子供が生まれると、雷蔵は、ヒョウ柄の似合いそうな名前をつけたって聞く。そう、あの時が一番楽しかったんだ。あれから五回ほどクリスマスを過ごすと、こんなに死を安売りしている自分が悔しかった。それでも、芳雄は自分の手首の傷を見て、そうしなくちゃ、僕を残して死んでしまった最愛の人を飛び越えるなんて無理だ、そう思っていた。芳雄は初めから最後まで、自分が果てた女性は、その最愛の人、自分のお姉さんだけだった。変だなって気がつくときもあっという間に過ぎてしまって、何故血のつながりを無視して、僕は彼女の中に入ったんだろうって思って、それでも本当に愛してしまったんだから仕方がないって思って、そして手首の傷を疼かせる。お姉さんは、僕が16歳の時に、初めて慰めてくれた。それから、僕はお姉さんに甘え続けた。やがて、お姉さんがレイプされて、自殺してしまうと、僕もその後を追った。それでも、僕一人だけ、こうして手首の傷を抱えて生き延びている。それが19歳の時で、そして、コウスケを通じて、僕は翔に出会った。翔が、とても苦いものを飲みたいと僕に言うと、僕はコーヒー豆を挽き始めた。翔はそれを誉めてくれた。後にも先にも、僕を誉めてくれたのは、姉さんと翔だけだった。そして、ネットの中に存在する、悲しい奴らだった。そんな奴らはただの奴隷で、死にたくなれば、いつでも勝手に死んでくれて構わない。最初はそんなつもりでネット上に館を構えたわけじゃなかった。マリファナの栽培方法や、キノコを販売していただけで、まだアンダーグランドの中では、最上部にいたんだ。そう、あの人に会うまでは………。僕は、その人のおかげで、今こうして「死神」でいられる。そう、「クララ」と言うハンドルネームを名乗る、彼に会うまでは。

或る日、僕は普通にメールフレンドが欲しくて、普通の淋しがりや達が集うサイトへジャンプした。「赤いカルマンギア」が好きな男性とのメールを希望していた女の子にメールを送ると、30分後には返事が来た。最初は普通の女の子だと思っていた僕は、なんだか普通に恋ができるような気がして、その子と楽しく会話をしていた。だんだん仲良くなって、彼女が会いたいと言った。

 

寿香は両足をどこかに忘れて、そして両親と帰国した。こんな筈じゃなかった。彼達の音楽に出会ったのは偶然だった。歩くという自由を笑うと、もう止まらなかった。涙が溢れて、止まらなかった。たくさんの友達が訪れてくれたが、なんて声をかけていいかわからない友達の顔を見ていると、それがとても辛かった。やがて、友達の足取りも遠ざかると、私は病室が広く感じた。それから入退院を何度か繰り返すと、私は車椅子のまま自宅の中で過ごした。私はきっと素敵な恋をすることもなければ、素敵な人と結婚して、子供を産むことすらないと思った。わたしは、卑屈になりたくなかったから、普通に会話するために、コンピューターの中をめまぐるしく歩いた。そこでは、私は自由になれて、私の足を見て驚く人達がいないからだった。

寿香は、小説を書いていた。願望や切望が多いから、私の想像力は膨らむばかりだった。だから、私は空も飛べるし、動物と話もできる。そして、或る日どこかのテレビ局が私の不幸に目をつけて、歩み寄ってきた。そして、私は幾人かの涙を誘った。両親は、テレビを通じて、私の不自由を痛み分けしたかったのだろうが、私には、特に何の感情もないまま、普通に被写体になっただけだった。それから、励ましの手紙を幾つかもらうと、「がんばって」の一言がすごくむかついて、それ以来受け取った手紙も、読まずに食べた。どこかの出版社が、勝手に自宅に上がりこんできて、私の本を出版したいという。それは、いくらでも簡単に涙を安買いできるからだろう。そして、私は自分のペンネームを変えて、普通の物語も書き始めた。私は、二通りを歩んだ。一つは、二度と歩くことのできない悲しい人で、もう一つは、売れっ子の作家だった。対照的なその文章の抽出具合は、現実と、憧れの違いで、別に本人に意識がなくても、それは自ずと表れた。

ネットの波に乗っていると、急に友達が欲しくなって、私は掲示板に足跡を残した。「赤いカルマンギア」そんな言葉に惹かれてくる人を待った。それから二日経った或る日、私がネットを歩いていると、メール新着のメロディーがなった。そして、彼の悲しそうな目を想像して、私はすぐにメールを返信した。私は彼に何も言わなかった。本当に普通の話をして、私はそこで、自由に歩いて、いろいろなものを見ていた。私はそこで、擬似的な恋の経験をしていた。普通に胸が鳴って、普通に抱きしめて欲しいと思うのは、私の普通の望みだった。或る日、私は、彼に会いたいと伝えた。

 

自殺マニュアルがこんなに受ける時代になってしまって、それでもいいと思うのは、死を疎かにしたい奴らには、そうしてもらえば良いだけで、芳雄のホームページには、そんな奴らがよく集まる。だんだん、下へ下へ、時代の流れとともに、彼のサイトは下のほうへ行った。そうしていくうちに、本当に、死へ真剣に考えている者達ばかりが集まるようになった。どこかからか勝手に迷い込んできた人達は、恐れをなして逃げてしまうか、それに染まるか。一応、パスワード制のチャットルームが置いてあるが、別に誰だって入れる。そんな奴らは、コンピューターの扱いも優れているから、どこのソースにパスワードが隠れていたって、進入してくる。そして、そこで繰り広げられる会話は、余りにも残酷でスマートだった。リンクの仲介もしていて、更に下へ潜るには、芳雄のホームページを頼るしかなかった。青酸カリやダイナマイトを手に入れるためにやってくるやつ等に、サイトを紹介する。結構なお金が取れる。代金と引き換えに、それを相手に伝える。それは違法じゃないでしょ?ギヴ・アンド・テイク。需要があるから成り立つし。ニュースを見て、それを芳雄が仲介したかもすぐにわかる。芳雄を通した死には、全て共通点がある。コンピューターが自動的に死んでいる。ただそこにはヒョウ柄の壁紙だけが映って、動いてくれない。そして、ネットスレイヴから「召されました」と連絡が入る。ただ、芳雄の中では、別にそれで捕まってしまってもいいかな?って思う。それを許さない奴らが勝手に守ってくれる。だから、僕は苦いコーヒーを点てて、それを飲んでおかないと、手首の傷が疼いて仕方ないのだ。

 

寿香にでも現実世界で一人だけ心を許している人がいた。両親とか、そんなんじゃなくて、そうではない人。その人は、私の物語の挿絵を書いてくれている。私がその人の絵に惹かれたのはとても滑らかなブドウ酒の色を表現しているからだった。その人の話がとても好きだった。愛理は私をわかってくれる。あくまでもニュートラルなその人は、初めて私を見たときこう言った。

「目がキレイ」

その意味は、話していくうちにだんだんわかってきた。愛理の人生もすごかった。そして、「彼女」の歳の離れた弟もあの飛行機に乗っていた。きっとあの四人の中の一人なんだって少し思い出した。自分だけが悲観的になるのはよそうって思ったのは、本当に愛理に出会えたからだった。私別に、ゼロじゃない。


 

クサのカケラたち 666

 

赤い

カルマンギア:クリスマスの夜に、飛行機炎上。いつかの赤いカルマンギアのようだった……。

賢治  :マスターの紹介で、バイトのモモと出会う。

モモ  :マスターの彼女。背中にはぶどう酒をこぼしたような、如来菩薩のタトゥーが在る。それは、愛理がデザインしたものだった。

美咲  :「恋がしたい」の一言で出所。夜の仕事につくと、そこで靖章と出会う。

翔   :紀子とウェンディーの狭間でアメリカ生活を送ると、次に目が覚めたとき、そこでの記憶をなくしていた。そこは、日本だった。

紀子  :血塗れのウェンディーがクリスマスの夜にやってくると、紀子はウェンディーに向かって、ピストルを放った。ウェンディーを殺害した容疑は無実になった。しかし、その後、カウンセリングに掛かり、その淵で、全てを無に返し、そのまま呼吸を止めた。

ウェンディー:父親からセクシャルバイオレンスを受けると、それを普通のものとしてきた。しかし、或る日、父親を逆上させる。そして、ウェンディーの母親は、父親を刺殺。それからカウンセリングに掛かる。クリスマスの夜、なぜか血塗れのウェンディーは行き場所を無くして、紀子の前に姿をあらわす。そして、それは悲しくも、ウェンディーの死と言う形で行き場所を埋めた。

栞   :目の見えない栞は動物と話が出来た。しかし或る日、光を手に入れると、それもなくなってしまった。

寿香  :墜落炎上した、赤いカルマンギアの乗る飛行機に同乗していた。その事故によって両足を失う。彼女は、コンピューターの中で自分を確認する。そして、本を手がけて、愛理と出会う。ある日、ネットの中で、芳雄と出会う。

芳雄  :翔の死後、一人コーヒー屋を始める。しかし、本職は、ネット上で「クララ」と言う人に出会い、「死神」と言うハンドルネームで、アンダーグランドで崇められる事だった。彼の手首の傷は、姉が運んできたもので、姉は死んでしまった。姉は唯一の芳雄の制的恋愛対象で、姉の死後、恋をする事を忘れてしまった。