沈黙の詩人達・3



「大丈夫....何も心配する事ないよ。この先、どんな事があっても私は葵を見捨てたりなんか絶対にしない。葵が悩み疲れて、どんなひどい言葉を言ってきたって私は全然平気だよ。だって、それは本心じゃないんだよね。だったら私はなんにも気にしない。だから、これからは葵の周りにいる人達の事をもっと信じてあげて。葵自身の為にも、それとたった一人の彼女の為にも....ねっ」

 詩織はそう言うと、立ちすくんでいる俺の左腕を引っ張り、顔を寄せてきた。
 ふいをつかれた俺はバランスを崩し、結果的に涙で濡れた詩織の顔を見る事になる。
 詩織の瞳は、俺がさっき目にした『池の中で揺れる月』の様に今にも壊れてしまいそうな淡い光を宿していた。

「ああ、信じてみるよ....」
 俺は目の前の濡れた瞳を見つめながら言った。

「ほんとに?約束だよ」
「ああ、約束するよ」
「絶対?」

 詩織があまりにもしつこく聞いてくるから、俺はあえて何も答えなかった。
 すると詩織は、その大きな瞳に涙を浮かばせながら俺の顔を心配そう見つめ始める。

「冗談だよ、冗談。そんな顔すんなって、絶対に約束するからさ。この先、何があっても俺は詩織を信じます。ほら、なっ、だからもう泣くなって....」

 慌てた俺の顔が可笑しかったのか、詩織は俺の顔を見ながら急に笑い出した。

「なんだよ?なんか俺、変な事言ったか?」
「ううん、別に....あっ!」

 何かを隠すようにして顔を背けていた詩織が、ふいに公園の広場の方を指さした。
 俺はただ、詩織が指す方向に顔を向けた。
 広場の方で仲間達が激しい音と楽しそうな笑い声と共に、なにやら騒いでいる。
 音の主は花火だった。
 赤、黄色、緑、青、白....
 様々な色の光がまるで流星群の様に四方八方に飛び交っている。
 姿を見せは消え、消えてはまた新しい光が生まれていく。
 その姿は誰もが一度は憧れるはかない夢の様だった。

「お〜い、お前等!そんなとこで何やってんだよ?早くこっち来ないと、花火が全部なくなっちまうぞ〜!」

 暗闇の中で咲き乱れる花火達に見とれていた俺達の耳に、聞き慣れた声が飛び込んで来た。仲間の急かす声が....

「すぐ行くから、私達の分も少しだけ残しといてね〜!」

 詩織が大きな声で返事する。

「みんな所に行こうよ。早くしないと本当に私達の分までなくなっちゃうよ」
「そうだな。とりあえず、あいつ等のとこに戻ろうか」
「うん」

 そうして俺達二人はさっそうと、仲間の元に戻る事にしたんだ。

 花火の煙に包まれた広場に戻ると、仲間達は花火を手にして騒ぎ散らしていた。
 俺の悩みなんて素知らぬ顔で。
 でも、それがやけに俺の気持ちを軽くしてくれた。
 俺は足元に転がっていた手持ち花火を二本拾いあげると、一本を詩織に渡しその花火にライターで火を着けた。
 詩織の持った花火の先端から始めは赤い火花が、それから数秒後に黄色い火花が、そして最後には緑色の淡い火花が勢いよく噴射されていく。
 詩織は幼い子供のように喜び、手元の花火をじっと見つめていた。

「あ〜あ、終わっちゃった....」
「これもやるか?」
「うん」

 手に持っていた花火を差し出すと、詩織が小さく頷く。
 俺は再び花火に火を着け、それを詩織に渡した。
 そして、目の前で無邪気に楽しんでいる詩織の顔を、しばらく何も言わずに眺めていた。
 ーさっきの約束。すぐには難しいよな....
 正直、俺はそう思っていた。
 根拠の無い思い込みだ。
 なんて言われるかもしれないが、そう簡単に人が変わる事なんて出来ないってのも事実だろ。
 それに変わる気がないわけじゃないんだ。
 俺はこれから自分を変えていかなきゃいけない。
 詩織の為にも、仲間達の為にも、そして何より俺自身の為に。
 そう、時間はかかるかも知れないけど....

「最後に、残った花火を全部打ち上げるぞー!」

 仲間の一人が叫んだ。
 隣で花火をやり終えた詩織が、俺の手を握りながら夜空を見守るように見ている。

「いくぞー!」

 ドンッ!!
 音に次いで空高く上がる閃光に、その場の誰もが目を細めて夜空を見上げていた。
 パァーン!!
 そして次の瞬間、漆黒の闇に銀色の小さなつぼみが開き、美しい花を咲かせた。

「きれい....」

 傍らで詩織が歓喜の声をあげた。
 夜空に咲いた銀色の花は、瞬きするほどの一瞬の命だったが、その場に居合わせた誰もの心を離さなかったに違いない。
 俺は声を潜め、消え行く頭上の花をただ見つめていた。

「次は、連発でいくぞー!」

 再び仲間の一人が叫んだ。
 そして、その言葉を合図に黒く塗り潰された花壇に、次々と様々な花が咲き乱れていく。
 花火というものはいつ見ても幻想的で、何度目にしても心を奪う。
 それはきっと、花火が一瞬だけの命だからなのかも知れない。
 その瞬間にしか見れないものだから、人はその姿を目に映そうと顔を真っ直ぐに上げる。
 俺は想いも同じだと思った。
 花火同様に人の想いも、その時その時一瞬のものであって、同じ姿を見せる事は二度とない。
 漆黒に溶けていく花火のはかない姿を見届けながら、俺は胸の奥に人知れず切なさを感じていた。




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