タマモクロスよ、永遠に。

2003年4月10日午後4時45分、けい養先のアロースタッド(北海道静内郡)にて急死———。
種牡馬になって15年、19才の春に逝ってしまったタマモクロス。
それはあまりにも突然のニュースだった。
現役時代の愛称、「白い稲妻 タマモクロス」のごとく。
またJRAポスターでのコピー、「風か、光かタマモクロス」のごとく。
あっという間に天国まで駆けていってしまった彼。

たくさんの子供達があなたの血を引いて頑張ってきたよね。
グロリークロス—彼こそはタマモクロス2世に相応しい豪脚の持ち主だったね。
カネツクロス—重賞ウイナーとして、パパタマに一番近いところまで登りつめていたのに、残念だったね。
シロキタクロス—あまりにも鮮やかな菊花賞トライアルでの勝ち方から、パパタマが手にすることのなかった
クラシックに王手だと思ったのにね・・・肝心の本番にはあなたはいなかったね。
マイネルトレドール—いつしか障害で頑張る姿が誇らしげだったね。
マイネピクシー—初のG1ウィナーにあと一歩届かなかったけど、小さな体で精一杯走ってたね。
ダンツシリウス—シンザン記念&チューリップ賞と重賞に輝いて桜花賞が待ち遠しかったね。
ヒロデクロス—マイルではいつもいつも善戦したよね、栗毛がとってもきれいだったよ。
ラティール—シリウスと同時代に駆けていたあなたはとっても魅力的な美人だったよね。
マイソールサウンド—久々にパパタマに重賞を2つもプレゼント。初のG1にも一番近いところにいるよね。
マイネルプレーリー—パパタマとグリーングラスというコテコテなくらいの父内国産の血が嬉しいよね。

まだまだたくさんあなたの子供達は、あなたと同じようにターフを駆け抜けている。
これからも続くであろう、白い稲妻の系譜。

シービークロスに夢をかけて、誕生した小さな細い仔馬だったタマモクロス。
生まれ故郷の牧場—錦野牧場—が倒産し、母馬であるグリーンシャトーも他牧場に引き取られ、
その先であっという間に腸捻転を発症して死亡。

それまで一介の条件馬でしかなかったタマモクロスは、故郷と母を失った日から
重賞6連勝を含む、怒濤の8連勝を成し遂げる。
競馬に「もしも…」があるならば、もう少し早く彼が活躍したならば
故郷も母も失わずにすんだはずなのに…。

キュウリに爪楊枝をさしたみたいな細い馬体…とまで揶揄されたタマモクロス。
眠っていた彼の本能が、全てを失ったときから突如目覚めていく。
彼の無念の思いが、強烈な走りを生んでいく。

確かに現役時代のタマモクロスの走りはあまり知らない。
最初に競馬を知ったのが、タマモクロスとペイザバトラーとのジャパンカップだったから。
惜しくも2着に敗れはしたが、強烈な印象を私の中に生んだタマモクロス…。

その日を境にタマモクロスを応援しようと思ったけれど、現役時代の彼を応援できる機会は
わずか1回しか残されていなかった…昭和最後の有馬記念。
地方馬出身の野武士のようなオグリキャップとの壮絶な最後のレース。
芦毛の後輩に後は頼むよ、とターフを去ったタマモクロス。

彼の応援は、彼自身のレースではなく、その子供達へとバトンタッチされていった。
タマモクロスの子供達がでるレースは予想も簡単にすんでしまう。
「タマちゃん応援馬券」と名付けたそれは、時々は買えないときもあるけれど、
私の楽しみのひとつでもあったのに。
これからも彼の残した子供達や孫の応援をし続けていくことは百も承知なのだが、
それでも毎年、元気なパパタマの姿をいろいろなサイトで見ることができないことが寂しい。
いつしか北海道に会いに行く夢も、夢のままで終わってしまったことが心残りでならない。

それでもあなたの子供達が夢を紡いでくれるはず。
タマモクロスよ、永遠に。
天国から、子供達を応援してあげてね。

2003.4.12

*ちなみに、「たまえもんの本棚」の命名は、大好きな「タマモクロス」と歌舞伎の「片岡仁左右衛門」を組み合わせています。

「たまえもんの本棚」TOPへ