『伊座煉動』
      「 伊座煉動 」
                            暮れ行く秋の日に
                                   道雪


 「酸性雨だろうか・・・・」
鈍い痛みで反射的に右目を閉じた。

ゆっくりと目を開くと、長雨で高速道路のオレンジの外灯に虹が架かっていた。そのうちに、黒々とした信号機にもプリズムが架かっていることに気が行った。午前になろうかという時間なので、誰も止まっているのを見たことが無い信号機も、一息ついているように感じられた。高速道路の光源を上にやり過ごして、高架下の小さい道に入り、隠れるように自転車を右に滑らせて家へ向かっていた。
今晩は体調が良いせいだろうか。時雨のせいだろうか。やけに光の種類や大きさが気にかかる。オレンジ色や信号機の赤や青、緑、道路の外灯の白さ、微かに見えるラーメン屋の黄色達は、いつもより自分を主張しているようだった。再び目は多彩な光を追いながら、また、ゆっくりと意識が眉間に戻っていった。

晩秋の雨は長雨になる。家庭教師のバイトで深夜に帰宅する時、車が過ぎ去っていくことはあるが、ひっそりとした工場街の中を通ると30分もの間、誰にも会わないことがある。そんな時、頭脳は深海に浸るように意識を眉間に下ろしていくのだった。
眉間から脳肝を抜けて、後頭部に山の清流の水が走るような錯覚に陥っていく。普段、暴走したりする大脳皮質や前頭葉などの熱気は、清流によって清められその運動を停止する。理性や感情などと言われている蒙昧は、こうして静められていく。
何かを見ていない、しかし全体を見ている、といった感覚に私は入り込んでいく。目は半開きに近くなり、固定的な思考も流動的な思考も止まっていく。ただ、眉間から水の流れを感じるだけになる。
そしてそうなる時は何時でも、鼻から下が躍動しているのだった。呼吸は荒々しく一定になり、心臓は脈拍を意識させるほど強く打たれる。いや、余計な思念が過ぎ去ったから心臓の脈や呼吸が浮かびあがってきたのかもしれない。肉体は肉体であることを主張し始める。肉体の持つ曖昧な紅いほのかな暖かみを帯びた鼻から下は、一定のリズムで自立的にペダルをこぎ、ハンドルを操作する。高速に並ぶ坂を駆け上がるときには、呼吸を荒げていく。生命の煉動というに相応しい肉の塊になるのだった。
鼻から下は、煉動によって支配され、清流によって妨げられた脳は思考を停止する。そして目の前の景色に一体化していくのだった。まるで、長雨が増長した虹を捨て去るようにして。だが決して捨て去ることも出来ないのだった。

雨で閉じた目を開いた私は、再び意識を清めて身を任せることにした。

 彼女は、何某と言った。密かに彼女を「伊座」と名づけていた。生命の煉動を感じると、必ず彼女のことを思い出すようになっていた。彼女の原型が心臓の音と同じような旋律を奏でていたからかもしれない。

 
 そう言えば彼女を考えたことが、最近あった。

 もう、彼女に逢ってからどのくらいが過ぎただろうか。そんなことも忘れてしまった。だが、風呂から運動で疲れて火照った体を横たえて、R・ケリーをスゥーっと流しだすと、思い出していた。風呂の圧倒的な熱が褪めてきて、運動によって静寂に火照った体の底にあった熱を感じられるようになると、私はちゃんちゃんこを着だす。静寂な熱だけでは物理的にやってくる体の震えを鎮めることは出来ないからだ。
 静寂な熱は、彼女に最初に逢った時に、私の中に確かに燈った火にとても似ている。R・ケリーは特に良いアルバムがある。彼はR&Bを作ったような人だ。ホテルのディナーショーで演奏しても良いほど、静かでそして気品がある。湯上りに横たえた体に何もかけないようなアルバムを作る。それは彼の音楽が決して押し付けないからだ。うるさい音、強い音、例えばハードロック、B’z、サザン、松任、Jポップ、浜崎、矢井田瞳、などは、耳につく。だから、精神を集中したり、元気でないと聞けない音楽だ。しかし、彼はそういう押し付けを一切しない。私の精神状態を前提としていない。だから、私は身構えず彼の音楽を、ただ流す。水の中に流れているような感覚になった体は、流れを気にせずに、水の中で泳いでいる魚や水面を突き刺す光の帯に目を移す。

私はそうやってR・ケリーの流れの中で静寂な熱に目を移していく。そして、徐々に魚体の精巧さが目に入ってくる。そうして魚体の持つ奇怪さが、そして魚体への嘔吐も共にやってくる。私とは全く違う体の作り。水の中で泳ぐために適した体。動物として捉えれば一緒に括られるのに、どうしても異界の存在者として見えてくる。それは魚体のキラキラとした精巧さのためだ。
私の魚の方へ指し出してみる。肌色の棒が灰銀色の流線型に向かっていく。彼女はササッと岩陰へ逃げていった。ああ、当たり前だ。私は肌色、彼女は灰銀色なのだから。こんなにも違う。差し出した手をみて、彼女とは決して同居することは出来ないのだ、という無気力すら感じる。なにをしたら彼女に近づけるのだろう。どれくらい変わったら彼女の傍にいけるのだろう。なにが彼女と俺の共生を助けてくれるのだろう。どうしたら彼女のことをもっと知ることが出来るのだろう。
伊座に最初に会った時、私はそう感じだ。
接触、接近の希求と無気力なまでの差。
単に魚のことを友人に聞けば、「水槽を買えば?」とか「焼いて食え。旨いよ」などと言うだろう。確かに、彼女を小さな枠の中に、中に閉じ込めて飼えるかもしれない。確かに、彼女を、瞬間、恋の業火で焼き尽くし、食い尽くすことは出来るかもしれない。だとしても、彼女が灰銀色の鱗に被われていることは変えられない。私は、水槽の中に入れられてすっかり元気の無くなった家畜には興味がない。それは彼女ではない。彼女の中にある私が惹かれている雌々しさではないのだ。私は、恋の業火がすっかり燠火(おきび)なった時、彼女がまた跳ねだしていくことを知っている。そして彼女は決して私の火に振り向きもしない。あらゆる手を使って逃げ切るだろう。
 自然の中で彼女と共生することは叶わないのだろうか。私は馬鹿な環境主義者ではない。現実を見ていない環境主義者ではない。もし、私が真の環境主義者なら真っ先に命を絶っているだろう。もし、私が真の環境主義者なら、真っ先にこの体を人間によって絶滅させられた天然痘に捧げるだろう。私は人間の恣意性を蔑ろにするために、「自然の動植物を優先せよ」と言っている環境主義者が嫌いだ。
 私は彼女との距離の分別を知っているのだ。彼女は水の中でしか生きられない。そして決して人間になつくことはないのだ。彼女は私のことを敵対者、あるいは中立者としか見ないだろう。長年一緒にいてなつく鰐ですら、隙を見せたら食いかかってくる。
私は彼女のことを思う。
私は彼女のことを思う。
私は彼女を思う。
私は彼女を思う。
彼女を思う。
彼女を思う。
彼女を。
彼女を。
彼女を
彼女を
彼女
彼女
彼女


 私は肌色の棒を憎まない。それはもう与えられたものだからだ。私は灰銀色の流線型を恨まない。それは彼女だからだ。私は2つの色の差を恨まない。私はそしてその間に留めある距離を縮めたいと思うだけだ。だが、それも埋められないと知っている。
もし、彼女が天然痘なら私の体を彼女に捧げたい。そうすれば、彼女と私の色は1つになれる。私が灰銀色になれるのだ。与えられた肌色を変えることが出来るのだ。そうして1つになれる。彼女と1つになれるのだ。
そして、彼女は私の体を使って、自分を増やして行く。彼女自身が増えていくのだ。私にとってこれほど嬉しいことはない。埋められない色の差は無くなり、彼女が何万倍にも増えていく。私の体を乗り越えていく。彼女と私の距離の埋め方が1つしかないのならば、迷わずそれをとるだろう。
だが、私は2つの色の事実を認める。

彼女に最初にあったのは、社会学的な勉強会を開いている教室の前だった。ある大学の近所にある付属会館は、A館が床に真赭色を基調とした絨毯が敷き詰めてあった。B館はペルシャ並みの絨毯までも行かないにしても、壁や隅の美術品やスペースの贅沢さは一流ホテル並だった。噂によると戦前の孤独な大金持ちが基金を作って寄付したそうだ。B館の参階の305号室が勉強会の教室だった。いつも1人でB館の階段を登っていって、丁度良い感じに体に血液が巡った時に教室に入る。呼吸が落ちつく時間を考えるから、10分前に入る。
3回目の参加となる私は、ある程度顔も覚えてきていた。A館の方から顔は知っているが話したことはない男が2人、顔の知らない女性を2人連れてきていた。私は彼らの手前にあるトイレに向かって歩き出していた。男の1人と目があったので軽く会釈をして、また歩き出した。徐々に聞こえていた会話の内容がはっきりと聞こえてきたのだった。

「 最近どう? 楽しくやってる? 」
「 うん、すごく優しいの 」
「 なんだよ〜、つまんないな〜 」
「 ええ、そう? 」
「 そうそう、せっかく狙ってたのにな〜 」
「 ありがとう 」
「 それよりさ、今度皆で、バーベキューでもしようぜ 」
「 あ、そうね 」

なんだか学生気分満喫でいいな、と思いながら目線を合わせずに横を通り過ぎようとしていた。彼女が一番真中側にいたので、私とすれ違う形になり、彼女の肩だけが視界に入っていた。白いセーターだった。よく見ると緑と赤のラインが鎖骨と垂直に降りていて、毛並みはとても短かった。その赤と緑のラインが、セーターのオフホワイトよりも首の付け根の肌を際立たせていた。パッと肌の白さが目に入り、次に唇の赤さが目に入ってきた。最初はぼんやりとそして急に明確になった瞬間に、彼女と目が合った。とても大きな目だった。だが、その目は目じりに落ち着きをたたえていた。いや、そのように見えた。暗かったせいかもしれないし、彼女は目が悪かったからかもしれない。だが確かに大人の落ち着きを感じさせる目だった。気がとられてしまい、トイレに行くのも忘れて振り返った。振り返ることを恥ずかしいと普段から思っているためか、顔が後ろを向けば向くほど赤面してくるのが分かる。実際には顔が赤面しなくなったのを高校の時に知ったが、自分の認識としては、彼女の後姿を捕えた時に最高潮に達していた。彼女のジーンズのお尻が揺れるたびに、話し声は遠のいていった。教室に入る時には男がドアを開けたのだが、その位置が悪かったらしく横顔を見ることは出来なかった。
私は酩酊したようになり、口を半開きにして斜め30度上を見ながら用を足した。彼女を考えるというより、彼女のイメージがただ心の中に去来してきては消え、浮かび上がっては沈んでいった。いつもの癖である手を洗うことが億劫になっていた。
トイレから出る角を曲がると、教室のノブがピコっと廊下にはみ出している。ノブを見ると、途端に彼女の白い肌と口紅が思い出された。そして口は閉じられた。ああ、あのドアを開ければ彼女がいる。彼女をまた見ることが出来る。そしてそのことに何の障害もないのだ。ただ、そのことが嬉しかった。私は死人でもないし、平民でも貧民でもないから同席を差別されない。あの教室に入ることが出来るのだ。
去来していたイメージは消え、こうした喜びに浸っていった。足を進めると同時に、「足を進めるとはなんだろう?」と思い出した。ほんの10分前まで知らなかった喜びがこうして生まれて来ている。それは偶然にだ。私の恣意や知性などを裏切りまくって。
一昨日、4年も一緒にいた猫タイプの彼女の浮気が発覚した。40歳だという。よく分からないが、そっちの方に行くのだという。私はまた、彼女の気まぐれや構って欲しい行動の反射だと思っていた。だが、そう言えば私からのも彼女からのも扱いが軽かったかもしれないと思った。本気らしいことが段々明かになってきて、彼のことを嬉々として語るのだ。嗚呼猫らしい、彼女らしいと思った時点で諦めがついた。こまごましたことを解決したのが、一昨日だった。
さっきの阿保な口にはまいったけれど、「ああ、そうかこれは彼女に対する反射行動かもしれないな」と考えた。ドアが近づいてきたが、また、心は問う。「足を進めるとはなんだろう」かと。私は「それは生きてるってことじゃないの」と少々怒った。進んでいくこと、気に入った女に進んでいくこと、したい勉強へ向かっていくこと、そしてそれらを得るために自分の時間を割いて、周りに迷惑をかけていくこと、それが生きるってことじゃないの?と告げた。それよりももっと深い答えがあるのに気が付いていながら、それを追いやった。気が付くとノブの前で立っており、後ろから先生に「どうしたんだ?」と声を掛けられた。
いつもする最初の雑談の時に、彼女の姿を先生が見つけて、「おお、復帰してきたか。婚約おめでとう」と言った。先生が個人的な話を皆の前でするのを初めて観て、私は少し先生に対する尊敬の念を薄めて、人間臭さを感じ取った。伊座は先生に対してハニカムだけだった。目上の人というより、触らぬ人と行った態度だった。最終的な所で自分の者になる人とならない人、それを自然と見分けていた。私は雑談の時に、話の流れで彼女を見ることはあったが、それ以外は正当ではない気がして視線を向けなかった。机は長方形にしてあり、私は先生の右側の前から2番目に、彼女は先生と丁度反対の短い辺の中心に座っていた。人数が十数人だったので、多少席は空いていた。
雑談が終わると、私は授業に集中し出した。
こういう切り替えが出来るようになってきた時に、大人になったと感じる。大人になる、というのは適時適所に集中力を分散させることかもしれない。そんな思いもすぐに消えていった。今日の授業もとても面白かった。質問個所が2,3あったので1つ選んで解散後に聞きにいった。質問途中に伊座が周りの男数人と女2人に囲まれて出て行こうとするときに、先生は声を掛けた。私はそれでまた彼女を見る許可を与えられた。
 その他2人の女は海鼠で、彼女は珊瑚だった。固くそして美しい。周りの男がいることで海の中で光を浴びているようだった。海鼠は光を浴びると醜くなるのに対して。私は視線を戻して先生の意見を聞いた。なんだかやっぱり的を少し外していたが、自分の頭の中でそれを補った。まあ、社会学には自然科学のように1つの答えや法則がないのだから、学問的にはそのままでも良かったかもしれない。だが私としては納得がいかなかった。そんな訳で私は勉強している。納得が逝かないから勉強しているのだった、それゆえ勉強会に参加して良かったと思っている。
 だが、伊座が出現してきた。彼女によって勉強会が破綻しなければいいな、と帰りの電車の中で思った。私は彼女のことを珊瑚のように礼讃しながらも、珊瑚は海の中の生物であることも知っていた。勉強の方向とは全く違うのだ。精神的に理解できない距離というのも感じたが、こういう勉学との距離も感じたのだった。
 私は、少々教養がついてしまったようだ。ボンクラ中坊のように、ただ、好きだの一点張りで彼女との距離を押し潰すことが出来ない。取り巻きの連中のように性的欲求やステータスだけで、心の中の疑問を打ち消すことが出来ない。違いは違いとして認識してしまう。そしてそれをぶち壊し、粉々にして無視することが出来ない。
 この世の中に完全なもの、いい面だけを持っている存在など、世迷言に過ぎないことは知っている。そうした世界に多くの人々が住んでいるのも知っている。絶対神を持つ宗教を信仰したり、その宗教しか認めなかったり、私には運命の人がいるんだとか、一生幸せにしてくれる人がいるとか、結婚したら幸せになれるだとか、涅槃があるだとか、そんな世迷言の住人がいることも知っている。だが私はその世界に住むには少々、薹 (とう)が立ち過ぎているようだ。もう、フキの薹として食べるのには成長しすぎてしまった。宗教教団や統治理論にとって食用される存在者ではなくなっているようだ。
そんなことを考え終わると、車掌のアナウンスは荻窪をつげた。外の看板の文字が急にはっきりしてきたのだった。横を見ると24、5歳のうんこ色のブランドポーチと黒いタイトなスカート、黄色のYシャツを来た女が一匹、その後ろにはごま塩頭のお爺さんが席に座っている。もしかして、この女が席を譲ったのだろうか、と思った。周りを見てみると、ダボダボした格好のロンゲ茶パツが眺めているだけ。そうではないらしい、と察する。駅についてドアから出て行った。
勉強会の終わった翌日と、週に1回なので、その前々日、前日は彼女のことで胸が去来して消えていく呼吸のような動きが数回あった。出遭ってから何回目かに、彼女の送別会をやると聞いた。翌週の勉強会の後で、勉強会の慰労も兼ねているという。そういう公私混同は望まぬ所だが、まあ、個人的には良しとした。場所はA館だという。あの絨毯の上を歩けるのか、と思ったら嬉しくなった。だが、服装は普段のままで良いと学生の幹事は言う。勉強会の後だけれど、なんだか、学生気分が抜けていないのだと感じた。毎回スーツで私が行っているせいかもしれない。他の習い事、例えばディベート講座に行く時も必ずスーツで行く。それは私にとっては礼儀だからだ。学問に対する礼儀なのだ。尊敬するものに対して自分の気持ちを引き締めてかかる。そのためには煩瑣ではない礼儀作法が必要だと思う。仕事をしている人が普通、スーツを着るのも本来の意味から言えば礼儀に適っているからだろう。あの素晴らしい建物に対する尊敬の念があるかないか、勉強会に出ている色々な種類の人は1つ試されるだろう。
彼女を言葉も交わさずにパーティーの当日を、私は迎えた。

当日は、学生が会場の準備をするようだった。しかし、先生のゼミ生でない私の集合時間は、皆のよりも1時間ほど遅かった。先生の集合時間も同じだったので、もしかしたら、勉強会での発言やスーツ姿だったから、どこかの先生と幹事が勘違いしたのだろうか。それでも、私はなんだか悪い気がして20分ほど前に行くつもりで電車に乗った。家を出てくる時に、ラジオからウタダさんの新曲「トラベリング」が流れだした。TVのない私の家で、新聞を取っておらずNewsweekしか講読していない私と世間を唯一、繋ぐラジオ。余分な情報をシャットダウンしていて、人様並に成れていない不安を唯一、解消してくれるラジオ。トラベリングは週末に好きな彼の下へ向かう歌のようだった。相変わらず演歌のような歌い方のウタダさん。今回のアレンジは今時で、水の中をグルグル回っているようだった。
私も同じように水の中を泳げたらなぁ、と思いながらあまり気にせずに築20数年のボロマンションを出た。家賃は込みで6万5000円、2K和室。南向きベランダありセパレートと小家族用だ。目の前には豊島園のジェットコースターが見える。そして向こうから風が吹き上げてきた。そんな風に気持ちを伸せて階段を降りていった。
A館には受付のお姉さんがいる。信じられないが、案内を請う人にあったことがない。それ程暇なのに、姿勢を崩しているのも見たことがないのだ。そんな姿が脳裏の残っていたので、場所を聞いてみた。

「 この階段を上がられまして、3階まで行きます。行きましたら、一番手前の部屋です 」

と、ちゃんとした言葉使い。久々に案内を請われて、嬉しそうな表情もしていない。プロだな。

「 どうもありがとう 」

私は、エレベーターを使おうと思っていたが、止めた。そういえばいつも階段で上がっていたな、と思ったし、彼女の美しさに敬意を払いたかったからだ。そして、多少躊躇ったが、真赭色に足を踏み込んでいった。思った通りフカフカだ。ああ、ウタダさんの感じが回り出した。なんでだろう、私の気持ちが揺らいできたのだろうか。この会館、この勉強会に来ている時に、心の扉を固く閉じていたのに。
 伊座に逢った時だけ、そして彼女の表情を盗み観た時だけ、堂々と観た時だけ、中から水が滴った程度だったのに、こんなに音楽が鳴っているのは、なぜだろう。私は、呆けながら階段に足を架けていった。
なぜだろう。もう伊座と話せないからだろうか、ウタダさんの歌のせいだろうか、あの風のせいだろうか、それともさっきの彼女のせいだろうか。いや、勉強会が終りだからかもしれない。そういうなんだか分からないものがグルグルしていった。一階と二階の間にある折り返しに来ていた。

「 ああ、丁度良かった 」

と後ろから声がした。と同時に私の開いていた扉は閉められ鍵をかけられた。

「 先生、こんばんは 」

「 そうそう、このカーテンを閉めて欲しいって言われててね。一緒に占めてくれるかい? 3階まで行きながら 」
「 はい。もちろん 」

そうやって、先生と一緒にカーテンを閉めながら上がっていった。先生は2人になると、気をつかって質問を被せて来る。

「 どうでした? 勉強会は? 」
「 大分面白しろかったです。特に社会思想家を、方法論的観点から絞った点が 」
「 そうか 」
「 あれはね、・・・」

「 先生、こんばんは〜♪ 」

と後ろから声がした。私には振り返らずとも主が分かってしまった。

「 お、こんばんは。今日が最後だね〜。婚約おめでとう 」
「 ええ、先生。でも、またお邪魔しますよ〜 」
「 なんだ、そうか、そうだよな。いつでもおいで 」
「 はい 」

「 あ、勉強会で見かけましたね 」

と私の方へ声をかけてきた。
「 はい、鬼庭です。宜しく 」
「 鬼庭さんですね。なんだか、格好いいな〜と思ってたんですよ。スーツとかビシッと着て 」
「 そう? それはどうもありがとう 」

このやり取りですっかり気持ちが冷めてしまった。彼女は誰にでも最初はこうやって行くのだろう。そして慣れてくると自分の気持ちの影響下に追いやろうとする。それは勉強会にいたゼミ生でない他の1人を観ていたから分かる。だからこそ私は彼女がいいと思うのであるが。
善悪や道徳感など、もろともしないその強さ。嘘も本音も全く判断できない思考回路。私には重たすぎて、いつも足を引きずらなければならないのに、彼女は跳ね回っているのだ。無駄なスキップや、意味もなく走り回ったり、木に登ったりする。私は目的地に向かって最短な道を選んで、そこを進んでいるのに。それでも汗を流し、引きずる足で巻き上がる砂を体中の汗に巻きつけてしまうのに。
先生が、打ち合わせを忘れていたので、階段を下りていってからは2人でカーテンを締めながら上がっていった。彼女は集合時間に遅れたことも気にせずに、同じような調子で話しながら、教室の仲間の話もしながら、カーテンを閉めていった。しかし、3階と2階の間に来た頃にその手は動かなくなった。話に熱中している。
目は爛々としてきた。手は動かない。顔がやや私の方へせり出している。ロングの髪は、胸の前で途切れている。その胸を包む服はというと、深紅のベロアだ。この真赭色と似ているのに、真赭色の持つ土の素朴さ、素焼きの暖かさ、そしてジュータンの伝統を感じさせる緑や黄色とは、本質的に異なっていた。
目は潤みだしたようだった。話に夢中になっている。手はその説明のために使われだした。肩も一緒に動き出した。
私は、不意に「なんだんだろうな、これは」と思った。視線がカーテンの閉めようとする夕闇を連れてきている窓に向かった。なんだか分からずに彼女に視線を戻す。すると彼女は、笑みを称えだして、さらに乗ってくる。どうも教室の男と女の話のようだ。どうでもいい。彼女は、会話の内容が私に関係あるかどうかなど、彼女の無意識ではどうでもいいのだろう。「爛々として潤んだ目、身振り手振り、すべきことを中断して貴方に話しているの」という態度が、男を惹き付けることを知っているのだ。そしてそれは話題などなんでもいいのだ。意識の上では、まったく逆に必死に貴方のことを思っていると考えているのだろう。目の前にある私に意識が向いているのだろう。話題と、意識と、無意識のギャップ。それらの差。
そう思ったら、たまらなくなって、噴出した。

「 ププッ  ・・・・・・・あはははっははははっはっははっはっはっは」

彼女はまだ話している。が戸惑ってもいる。

「 ぎゃはははははっはは 」
「 え〜どうしたんですか? 面白かった? 」

「どうしたんですか?」と最初の話し方に戻っていた。それでも、「かった?」と仲良くなったというアピールを忘れなかった。そうやって距離を詰めてくる。「うん、面白かった」と言っても、「いや、面白くなかったよ」と言っても彼女は、その理由を深く聞かずに、心理的な距離を詰めてくるだろう。1つ1つ私の中にある障壁を摘むようにして。私は、どちらでも良い彼女の現実的な行動、特に私にとってくる態度に興味を失った。それと、彼女に発見されてしまったことは確かだった。それだけ分かれば、もう方向は2つしかなかった。

返事をすると、それも近寄られる切っ掛けになるからと、残り少なかったカーテンを閉めて、階段の上り切った。集合場所である部屋の木目の美しい扉についている真鍮のノブを開けた。彼女に向かって

「 どうぞ 」

と今度は、子供のような嘲笑ではなく大人の微笑を贈った。「さあ、君の世界へどうぞ」と思って。彼女は私の顔を不思議そうに見て近づいてきたが、部屋の中から彼女の友達が気が付いた。私は彼女の顔が変わるのを見据えていた。コロコロと変わる顔。手に入れようとする者と手に入れた物達への顔に、今変わっていく。
彼女は最も距離の保ち方が難しい1人だっただろう。彼女との距離は、彼女が心底惚れる者にしか固定されないだろう。だが、それには取り巻きがいたのでは不可能だ。そしてそんな男は過去にいなかったはずだ。教室の中にいるような人々、そして先生のような存在ですら固定を妨げてしまう。彼女をどこかに隔離しなければならないだろう。そして、私にこう考えさせる。それは既に私が彼女の魅力の支配下にあるのを示している。支配力は生まれつきの容姿と天性の才能が生み出したのだろう。彼女の中にあるもののが環境によって洗練されて銀色に結晶化していった。
私は他のことにも思いを寄せる。年を取りその容姿が熟れてしまったらどうなるだろうと。ある小説のようになるのだろうか。なるのだろう。その時私は彼女を救うだろうか。その時まで待って彼女を手に入れるだろうか。
いや、手に入れないだろう。それは私が彼女のことを好きだからだ。真の意味で彼女のことが好きだからだ。
目の前を彼女の音が過ぎていった。

続いて、私も会場を見渡した。横にはドアマンこそいないが、何人かの黒服が目に入った。だが、周りは騒がしく、考えが引き続いて浮かんできた。

 勉強会の成果を将来、世の中に還元したいと思っている。それを例えてみれば、私が風呂の湯沸し機になって、膨大な風呂の水を温めるようなものだ。湯沸し機は風呂のお湯を暖める。壊れるまで暖めつづける。そして自分の存在意義をそこに見出そうとする。自分自体も熱くなりつつ、周りにそれ以上の熱を還元していこうとするのだ。エネルギーの熱変換率が100%ということはないから、自分自身も熱くなってしまう。また、自分の周りにある、少しの水を取り込んで熱を伝えていくのだ。しかし、熱はそのままにしておくとエントロピーの増大と共に環境に放射されていき、元の状態に戻ってしまう。だから一回与えただけでは不十分で、常に熱を送りつづけている姿勢が必要だ。つまり、範疇は無限に広げられるわけではなく、一定の大きさが決まってしまう。それは自分の勉強を伝える場合でも同じだ。
 風呂の湯沸し機を使っていると、管の中に水垢が徐々に溜まってくる。どうしても溜まってくる。それは、ジャバという洗剤で落とせるが、決して全部は落とせない。年齢を重ねると、それまで考えてきたこと、行ってきたことに無意識的に縛られるのと同じように水垢は全部落とせないのだ。水垢をどんなに憎んでも、嫌っても、着かないように努力しても、避けられない。そういう行為自体でも水垢がついてしまうのだ。
 彼女のことが、好きだ。しかし、彼女の着いている水垢は、私の思いの対象ではない。彼女は世間様の憂いに従って婚約者と仲良くやっている。そしてそれに喜んでいる。しかし、それは私が好きになった自由奔放な猫のような彼女の性格とは合致しない。むしろ相反する性質だ。彼女は2つの間で揺れ動いていたのかもしれない。しかし、結婚したら今よりも自分を絶対的に可愛がってくれる人が1人は出来る。そして、他の人にもこれまで通り可愛がってももらえる。それは変わらない、と信じている。無知蒙昧の迷信なのに。結婚は男と女では決定的に違うのに。そしてその決定的な違いを可愛らしさで、男の忍耐に押し付けてぶち壊すのが彼女の魅力だったのだ。結婚生活という男女の全ての現実で、彼女の付き合う男が耐えられない。昔から、男はそれに対して外で息抜きをして耐えてきたのだが、彼女が婚約者に望むのは絶対的な肯定だ。いついかなる時も彼女のことを優先するという絶対的な肯定だ。そんなことは女には出来ても、男には出来る訳がない。男はいつ、自分を肯定すればいいのだろうか。男は1人の人の肯定だけでは満足できないのだ。社会的な肯定も必要なのだ。いわんや、女は自分を自分の思う道理に肯定しない。伊座なら肯定すらしない。
 それが分かっていない。伊座は本質が分かっていない。回りも彼女の本質が分かっていない。私が好きなのは彼女の本質なのだ。結晶化を助けた仏蘭西女優のような容姿など環境ではない。元来持っていた裸形の彼女なのだ。私は世間様に汚されたくはない。世間様に、その裸形を取り込まれたくない。そうして私の心の中では、五月雨がぼんわりと湿度をあげていく。
そう言えば、彼女の本質は、結婚を迫る世間様には理解できるしろものではなかった。婚約者は世間様が考える好青年だろう。失敗をしたことがない、泥の中に、紫の生き血の上に顔を押し付けられ、踏みつけられたことがない好青年。そんなことが現実にあるとは想像すらしない好青年だろう。噂は聞いたことがないが、彼女は自分を偽っているのだから、現実の自分全体を受けて止めていないのだから、そうなるだろう。

もちろん、彼女の本質に近づけば、私は翻弄され押しつぶされるだろう。
古臭い言い方をすると、私は「彼女そのもの」が好きなのだ。彼女の中に潜む猫のような本質が好きなのだ。その本質は、他の人にも共通するから、プラトンの言うイデアのようなものかもしれない。つまり、その本質は、多くの女性や少数の男性が持っている。しかし、彼女はそれが前面に開花していて、相対して質も量も膨大である。振り返ってみると、今まで好きになった女性のタイプはその本質を性格の中に含んだ人であった。その本質があると、その個人だけが輝いて見えた。その人だけに後光が差していて、人間ではないように思えてくる。そして私は魅入られたようにその人で占領される。人はこうした愛を、「真実の愛」と言ったりもする。
 だから、私は彼女が好きではない、と言っても良い。「彼女そのもの」は好きなのだが、彼女は好きでない。世間様に左右されて行動を束縛されている彼女が好きでない。ただ、嫌いでもない。そういう部分はどうでもいいのだ。私はとても子供かもしれない。彼女の全体を好きになれないのだから。彼女の現実的な行動や世間様や生まれ育ちという環境による制約をも含んで彼女を好きになれないのだから。いや、行動や制約を含んだ彼女は好きになる対象ではないかもしれない。それは「愛する」という言葉が対象となるかもしれない。だとすると、私は彼女が好きであっても彼女を愛せないのだ。「愛する」の反対が憎しみで、好きの反対が嫌いと考えても、「愛する」とは言えるだろう。
 こうした「愛する」を俗世的な愛といい、好きを「真実の愛」と言う人がいる。私はどちらでも良いと思う。そんな抽象的な話は良いのだ。今は私自身の問題なのだから。私は彼女を好きであるが愛していないという認識だけが大切なのだ。これは誰とも共有することが出来ない。私が好きなのである。彼女そのものをである。現実に好きになった人達も同じだ。宗教のように彼女そのものをマリアとも菩薩とも言っても良い。その意味は、現実の好きが、多くの人が対象にするが形は1つであり、逆に現実の愛しているのは、1人の対象で、形は多様であることだ。
 彼女そのものを最も体現したのが、偶々伊座なのである。私は、伊座以上に彼女を持っている人を見つけたら、夜道の七色の虹を観て心臓を鳴らすときに、その人のことを思い出すだろう。そして、伊座のことは思い出しもしない。過去の彼女そのものの体現者も捨ててきている。数すら数えられない。
会話もしたことがない女性もいるし、近親者すらいた。伊座もまたそうした認識の下にある。だからこそまた、現実の伊座への思いも断ち切れないのかもしれない。彼女そのものを体現している現実の伊座への執念もまたそこから生じるのだろう。菩薩への執着だ。伊座が心の中で死ぬことへの思いが現実の彼女を生き生きとさせるのだ。生死一如とはこのことかもしれない。だからこそ彼女は菩薩の体現なのかもしれないのだ。

やっと、司会者と壇上のマイクのテストが始まった。私は形だけ、飲み物を手にもっていた。が、すぐに怒りとも悲しみとも言えない感情が、思考をつれてきた。溢れ出してきた。また、私は、すぐ自分の中に篭った。

 つまり、宗教による純化とは、この程度のことだ。私は敬意を払うと同時に、「愛する」こととの比較もしてしまう。だから、私は、宗教的純化を絶対視出来ない。絶対視してそこに我が我執を放擲できないでいる。そういう原理主義化できないのは、なぜだろうか。絶対視に基づいた我執の投げ出しが出来ないのは、なぜだろうか。
 それは、教養がついてしまってすぐに逆の考えが浮かんでしまうのと、蒙昧主義の兇変を目の当たりにしているからだろう。1つはこの勉強会に参加するきっかけになった、教養増大欲なのだ。教養増大欲ゆえに彼女に遭い、同時に彼女の死を見つめている。そしてそれゆえ彼女をますます好きになる。教養の増大欲が彼女に出会わせて彼女の意味を純化させた。そして相対化する。
なんと混乱しているのだろうか。なんと矛盾しているのだろうか。なんと呆然とさせられるのだろうか。なんと個人的なのだろうか。それゆえ、なんと生きているのだろうか。そしてなんで私は安逸な、世間様の回答に逃げないのだろうか。私の伊座への「真実の愛」の形は、現状を受け止め、そしてそれから逃げないことなのかもしれない。それは「真実の愛」よりもさらに抽象的な「真実の愛」である。伊座にはまったく理解できないだろう。だからそれは男だけの「真実の愛」かもしれない。だからこそ、伊座なのであるが。
そんな、昨日の風呂の中で考えたことが整理されてきた。今、目の前にいる彼女とどう違うのだろうかということも含めて。

会場は、義務教育校の体育館の3倍ほどありそうな演台が左の際に、左側にはカラフルな食品の載ったテーブルがある。右の際には大きな窓が3つあり、右には何もない会話用のスペースがある。そしてすっかり整った会場を見渡した。黒服のウエイターが4、5人いる。一方でもう、すっかり出来上がっている連中がいる。どうも集合時間が早いのは、打ち合わせのための1人か2人で良かったらしい。それでも、後5分で開始時間なのにマイクのテストをしている。だが、1人では寂しかったのだろう、全員集合になった訳だ。それに伊座と話したかったのだろう。私は彼女に続いて入ったが、逆に左に折れた。彼女が右に折れるとすぐに、数人が群がっていったのだから。後ろの声が段々大きくなっていった。
私は、彼女を見るともなしに、白い布の上にある金色の容器の上に七色になった料理の向こうに目をやった。3メートルはあろうかというアーチ型の大窓が3つ並んでいる。人が優に4人は通れる幅だった。美しいが掃除は大変そうだった、と思った。同じく荘厳なベロアのカーテンは緑色だった。それは彼女と同じだった。ウエイターは黒い正装をしているのに、取り巻きにはジーンズ姿もいる。
こざとく彼女に振られた年配の男が寄ってきた。なにかを話しかけてきた。私が彼女と一緒に入ってきたからだろうか。勉強の話ではないので、誠意あるように対応しておいた。その内、先生がマイクを持って色々話した。幹事の挨拶に続いて、彼女とその婚約者がスピーチを始める所で、トイレに向かった。婚約者は、容姿、身長、服装、振る舞いなど、全て好青年の基準を超えていた。私は先ほど彼女を見定めた扉から出るときに、台上の彼女の不安そうな目とクロスした。私はまた笑いそうになるのを堪えて、憚りに進んだ。
彼女は私の元に来ないだろう。それでいいのだ。2人の思いの差異はそういう形を採らざるをえないのだから。それが気持ちを第一に考えたら自然なことなのだ。1つ放尿する前に1つアイディアを思いつく。そして放出すると同時に1つ決断を心の中に挿入する。彼女に出会ったときと、変わらないなぁ。放出された液体が温かったせいで、湯気がネクタイの色をちょっと薄くした。

私は会場に戻ったが、すぐに壇上に近い隅に近づいた。僅かにある休憩用の椅子に肉体を任せた。するとすぐに、目の前にある会場には、白味を増した霧雨が降ってきた。伊座や婚約者、そして陰になっている先生は、湯気よりも一段と薄くなっていった。

そこから霧は霞になってきた。次に心の中で形になってきたのは、胸の内の焼却炉だった。重い空気に火がついてドロドロと廻りだすような心の中に、1つの黒い重い塊を落としていくための焼却炉だった。その底は何処まで行くかは分からない。その中に幾許かの重い塊を私は落としてきた。いつか伊座を落とし黒い塊を取り出して、ピカピカに磨こうと思った。その形が残っていれば。高温であればあるほど硬くそして美しくなるこの塊を今、ドロドロの韓紅とボルドー色の炎に入れていこうと思っているのだろうか、私は。

煉動の中に私の決意を投げ入れた。私は、灰銀色の生き生きとした彼女を霞の中から救い上げて焼却炉の中に無造作に入れた。変わりに残った霞の後に、七色の虹が生まれ、小さな渦を巻き出した。霞の中から救い上げた時に滴った霧に架かった虹が、蒸発していく重い灰銀色から私の頭へ転換してきて、グラグラと思考を揺さぶった。目蓋と下瞼の距離は縮まり出し、眼球は黒さをます。顎は徐々に上がり出し、下顎が焼却炉の中の彼女を指すようになった。手はぶら下がり呼吸は大きくなってきた。あの灰銀色から残るものはなんだろうか。

重い塊が煉動の中で僅かに残っていくものはなんだろうか。
私はまた、彼女を葬った。彼女とは一緒に過ごせないことは分かっていた。
彼女が私という存在に気が付いてしまったからだ。
私はもう、彼女を眺めることも出来ない。
水の中で、私が動かなければ、彼女は食料になるかどうかで判断するのに、肌色の棒が動くことに気が付いてしまえば、後は、飼うか、食べて捨てるか、焼き尽くすか、水の上に私が揚がるしかない。
私は、皆の前で攣るし揚げられる気もないし、彼女を飼う気もない。
これまで、何度彼女のような人を、焼き尽くしてきただろうか。
そして何が残ってきただろうか。

彼女そのものしかなかった。
結局、彼女そのものしかなかったのだ。
私は、泣きも笑いも、悲しみも、怒りもせずにいた。そんな安っぽい、安易な感情に身を任せられなかった。社会の中で、感情を表現する方法として身に付けた、つまり、これまでに感じたことがある感情や、共通の表現という安易さ。そんな表現に置き換えられなかった。私は何度も繰り返したのではないだろうか。煉動している彼女を何かに置き換えられなかった。

騒がしくなった目の前にある会場に視線を戻す。視線の先には12,3人が集まっている。広がった仰々しい白いドレスが、足の間から見えている。ジーンズの青、チノパンの薄茶、赤いスーツ、紺のスーツの間で一際目立っている。まるでそれらの色が縦に棒を作り、横にシルエットを持つ彼女の純白という欺瞞を隠したいがために、返って増長させているようだ。多色の中で一番目立つのは純白なのだから。
私はまた、彼女の理由のそのものを周りの環境に還元しようとしている。そして彼女を飼い殺したいと願っている。つきはせぬ重い観想。

霧雨は30分程の時間だったようだ。
真鍮のノブを開けてもらい真赭色の絨毯を降りていった。

酒でもかっくらって、自棄酒をする性質でもない。そうやっても私は彼女を、喜怒哀楽の表現に還元できないだろう。
眉間の上にあった七色の虹が、真の朱色に映っている。
先ほど夕暮れを告げた窓の闇は、すっかりと深黒に限りなく近づきながらも、私の肉体の連動を見つめているようだった。私は深黒にシンクロしながら、頭の中から七色が朱色に、滲み出していく、移っていくのを感じ出した。

ああ、そこに移っていく。
私の中の彼女が燃え尽きようとしている残滓が、そこに移っていく。
これまでの残滓にとって換わった彼女自身である残滓が、肉体を離れていく。
絨毯は、朱色の萌える春の草のように茂っていて、その上に黄色や緑の細い足場があるように錯覚する。朱色から5、6センチ程空中にあって、か細く、しかし、私の75キロでも全く撓まない硬い足場の上を、肉体は一歩一歩進んで行っている。そうして一歩一歩進むごとに、体全体から七色の残滓が、真赭へと向かっていく。頭を中心としたプリンセスラインが風に靡くように、まるで水面の上に夕暮れが映し出されるように静かに、広がっていった。
 七色の虹がすっかり無くなってしまったせいで、頭の中には何もないように感じた。しかし、そこには妙な充足感があった。それは肉体の方から遣って来たのかも知れなかった。伊座そのものを思い出すときに感じていた、眉間から脳肝へ突き抜ける水の流れでもなく、勉強会をする時に空腹や風邪など肉体から感じる圧迫感もなく、私は1つの充足になっていた。1つの充足の塊になっていた。窓から下を眺めると、鉄紺のスーツに鶸色のネクタイをつけた塊が、真赭の中を進んでいった。
ああ、これは彼女そのものすら、葬り去られるのだな、と目線を上げて壁の方を向いた。私の中で僅かに残った、縋りつけた彼女そのものすら、私は放擲していくのだな。
私の肉体は、彼女そのもの、イデアの彼女すら捨て去っていくだ。
私の中にあった残滓すらなくなった時に、充足感は私の体から真赭に向かって満ち溢れだしたのだった。

それを見ていた。
それを見ているしかなかった。
それを見て何も思わなかったわけではない。
それを見てだが、共通の感情に置き換えられなかっただけではない。
それを見て進んでいたのだ。
それを見て退いていたのかもしれない。
それを見て進んでいたのかもしれない。
それを見て私は、進むという答えを見つけたのだ。
それを見て進むという答えを見つけたのだ。
それを見て共通の「進む」に置き換えられない答えに心が向いてしまった。

だから、彼女は、彼女そのものは、私は、私の肉体は、なったのだった。

闇夜のサイクリングは終り、4Fの鉄骨のマンションに着いている家の外灯の下に辿り着いた。生活臭のするオフホワイトの光に包まれて、伊座への思いが溶け出していった。丁度、真赭へと、私が溢れ出したのとは反対の様に。
2002年03月14日 22時52分51秒