「なぜ哲学はわかりにくいか」 (平成13年2月3日)
     「なぜ哲学はわかりにくいか」

1. はじめに

 日常生活を営む上で、「哲学」という言葉は殆ど関係がないと言えるでしょう。さらに、学問の世界の中にあっても、「哲学」という言葉に触れる機会が少ないと思います。そもそも、日常生活において考えられている「哲学」とは、「どうやって人生を生きていくか」などの意味に解釈されています。ならば、仕事に目標を持っているビジネスマンや芸事の上達を目指す主婦達にとって、もっと身近であって良いのではないのでしょうか。しかし、「哲学」という言葉の響きは、そうした日常生活を撥ね返す硬さがあるように感じます。「生き方」という言い方の方が、柔らかさもありピッタリとくるでしょう。
 こうした、日常生活から切り離された「哲学」という用語、またその内容が、なぜわかりづらく身近なものでないのか、というのに取り組みたいと思います。原因は1つではなく、数々の方面から捉えることが出来ますが、特に「哲学」という言葉の元来の意味に注目しながら見ていきたいです。そしてそれを身近と感じられない日本人のメンタリティーにも踏み込んで考察してみたいのです。なぜなら、「哲学」という言葉の裏腹には、欧州独自の思想パターンという大きな重りがぶら下がっており、哲学の元来の訳「愛知学」、「希哲学」と置き換えても難しい要因は変わらないからです。それではまず、「哲学」の持っていた元来の意味を見ていきましょう。

2. 哲学の起源

 「哲学の起源」という言い方は大げさに聞こえるかもしれません。しかし、哲学は人間によって作られて方法であり、なおかつ特殊な手法が用いられていることから、起源があって大げさとは言いがたいのです。「哲学は欧州にしかない」と思想界ではよく言われています。すなわち、「哲学」とは欧州社会に特有な1つの思想の方法なのです。そうした「哲学」の思考パターンを述べていきましょう。
 20世紀最大の哲学者と言われているハイディガーは、「存在」を「本質存在」と「事実存在」とに区別することが「哲学」の起源だと言います。この「存在」、「本質存在」、「事実存在」という言葉は内容が難しいので、具体例を挙げたいと思います。
一般的に哲学の祖は、「万物の起源は水である」と言った古代ギリシャのタレスという説がありますが、「哲学」ではなく世の中を考える「思想」の祖と見るほうが内容に注目した場合には正確です。それは、タレスが万物の基礎、つまり根源を「水」という現実にあるもの(存在するもの)だと考えるからです。この考え方は古来からの日本人の考え方と一緒だと言えるでしょう。普通、日本人は万物の根本を古代では自然そのものに、現代では原子や分子などにあると考えるでしょう。こうした万物の基礎を現実のもので基礎づけるやり方は、世界中の広い地域にある考え方です。自然が我々を生み出してくれる母のように捉えるアニミズム的な発想は、その最たる考え方なのです。つまり、自然界は自然に存在する「もの」によって、さらに植物や動物や人間の生死だけでなく社会の栄枯盛衰や、神々の世界も左右されていると考えるわけです。古事記の最初に出てきて世界を作る神、「高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)・神皇産霊神(カミムスヒノカミ)」も字義通り、「産む」、つまり自然によって「産まれる」と考えるわけです。ギリシャ神話でも同様に世界は大地を大空によって生み出されました。このように万物は自然によって生み出されていると考えるのです。
この考え方は、存在する自然によって万物を基礎づけているのです。しかし、こういう風に万物を基礎づけない考え方もあります。それは、存在するものを、「この世」にあるものと「あの世」にあるものと分けて、そして「あの世」にあるものの方が本質的なものであると考える方法です。さらに「あの世」のものが「この世」のものを基礎づけると捉えるのです。「あの世」というのが分かりづらいなら、「天国」でも「神の国」でも「イデアの国」でも結構です。「天国」にある存在が本質的という意味は、天国にある存在を、「この世」にある存在の元来の形と考えるのです。だから、「この世」に存在するものを基礎づけたり、栄枯盛衰を左右したりすると考えるわけです。最初の用語を使うと、「天国」にある存在、つまり「本質存在」が、「この世」にある存在、つまり「事実存在」の元来の形と考えると言いなおせます。そして、「本質存在」が「事実存在」の存在を基礎づける、という言い方になります。
2つの区別を分かりやすく言うと、目の前にシャープペンと鉛筆があります。それぞれ形は違うのに、「ペン」という言葉で一緒に出来ます。そういう風に語れる原因は、「天国」に元々「ペン」という存在(本質存在)があって、それに似ているからシャープペンも鉛筆という現実に存在するもの(事実存在)を一緒に見ることが出来ると考えるのです。だから、現実にある万物を基礎づけるのは、今度は水のような「この世」にある存在ではなく、「天国」にある存在が基礎づけるのです。こうして万物は天国の存在によって基礎づけられているという原理が出てくるのです。
こうした思考のパターンは、「存在」を「本質存在」と「事実存在」に分けています。当の考え方は、欧州社会に特有のものだったので日本人にはなかなか馴染みのないものであり、理解しがたいところです。ちなみに、「天国」にある存在は、プラトンの「イデア」から、キリスト教神学の「神」、ヒューマニズムの「理性」、啓蒙主義の「精神」というように時代的に変化していますが、「本質存在」と「事実存在」を分ける仕方には変化がありません。そしてこの2つの区別を最初に行ったのが、かのプラトンなのです。ハイディガーによれば、2つの区別を最初に行ったのがプラトンであり、彼が「哲学」を作ったということになります。

3. 哲学の意義

 哲学の起源については以上ですので、これから哲学が出てきた理由について述べていきたいと思います。哲学の出てきた理由は、哲学の祖であるプラトンを例に見ていきましょう。プラトンは、古代ギリシャのアテネの出身です。紆余曲折や長い旅行もあったのですが、アテネで人生の殆どを過ごしました。プラトンの時代のアテネは、周知のとおり民主制でした。奴隷制の上に成り立っていた民主制という意味では現代の民主制よりも劣るのですが、選挙権のある自由民から、くじで政治の指導者を決めていたという意味では、よりまさるものがありました。当時のアテネはポリスの盟主として経済的・政治的権力を欲しいままにして他のポリスの反発を買い、ペロポンネーソス戦争が勃発した後で疲弊しており、国内的にも民主政治が極度に堕落した衆愚政治となっていたのです。プラトンやその師匠のソクラテスは、こうした退廃の原因を、先に挙げたアニムズム的な思想にあると考えました。なぜなら、日本人のように「成るがまま」にあるものを受け入れるとか、無為自然という考え方は、目標や一定の方法を導入して政治を強引に良い方向へ向かせようとする余地を持っていないからです。成るがままというのは、つまり成りゆき任せということになってしまったのです。ソクラテスとプラトンは、当時、アテネが退廃した原因を、こうした成りゆき任せの態度にあると考えていました。そこで、プラトンは、「イデア」という「天国」ある理想の状態を言い出し、それによって一定の目標や正義を政治の基準として行っていくのを目指したのです。だから、あくまで当時の政治改革を目指して、その方便として「イデア」論を、「本質存在」と「事実存在」の区別を言い出しました。これは弟子達が、「イデア論」の論理だけを抽出して重要視していた時、プラトン自ら「イデア」批判を行った点や、政治改革のために老人になっていても、シュラクサという遠方に2回も旅行している点でも裏付けられます。このように「哲学」は現実的な政治改革や変化を裏付けるための方法として用いられたのでした。
こうした他の例を挙げると、プラトンが「哲学」を創めたのに対して、「哲学」を完成させたとハイディガーが言う18世紀のヘーゲルは、フランス革命などの「啓蒙」を基礎づけるために「哲学」を述べたのです。ヘーゲルの最大の著書「精神現象学」(「精神」=「イデア」、「神」、「理性」です)の完成時、おりしもナポレオンが独逸を併合しようとしていました。ナポレオンによってもたらされるだろう文明の素晴らしさをヘーゲルは、「哲学」で基礎づけようとしました。しかし、ナポレオンの改革が失敗すると同時にヘーゲルの「哲学」は批判にさらされました。このように「哲学」は政治との関連が大きく、それゆえ時代によって限定されている面もあります。
ただし、「哲学」は、非常に抽象的な考え方のために、現実の政治に用いるのは不可能に近い点にも留意が必要でしょう。実際プラトンの政治改革も大失敗でしたし、抽象化して全てのものを含もうとする哲学の傾向と、一部のものを切り捨てざるを得ないという傾向を持つ政治とは、根本的な方向性が異なります。逆にそれゆえ哲学は、目標は時代に限定されるものであっても、時代を超えて読み解く意味があるでしょう。

4. 日本人と哲学

 「哲学」の源泉とその動因を見てきたわけですが、ここで本来の目的、「なぜ哲学がわかりにくいか」という問題に立ち向かうことにします。「哲学がわかりにくい」という対象は日本人です。まず、日本人への哲学の本格的な導入は、19世紀末の明治維新以降に急速に始まります。明治維新が近代国家になろうとして技術や法律を中心に欧州から色々なものを取り入れました。その中でも比較的に後期に哲学は入ってきました。同じく導入された技術で現代日本の成功の基礎を作りましたし、国際的な地位の向上や大規模な戦争を起こす要因ともなりました。明治に出来た法律も大日本帝国憲法は戦後でも継続されました。ただし、法律は「2割立法」という言葉に代表されるように、欧州のごとく有効に機能しているとは言いがたい面があります。その原因として、米国系と大陸系の2系とがある点に加えて、日本古来の慣習法と合わないからだと言われたりします。つまり、日本人が元来持っている考え方に欧州の考え方が合わない、という風に読み替えられます。
 考え方だけの「哲学」はさらに、日本人の考え方には合わないと推測されます。合わない点の大きなものは、先に挙げた、「存在」を「本質存在」と「事実存在」の区別にあると思います。日本人が単純に「存在する」と聞く時、欧州人のように「天国」にある「本質存在」を考えず、「この世」に存在する机や家などを対象に思うでしょう。このように基本的な考え方がそもそも違うのです。
 日本人は鎌倉時代の仏教の発展などや江戸時代に政治体制の中に宗教が取り込まれたことによって、「この世」に対してのみの関心を払う傾向が大きいようです。「天国」がどうなっているかとか、今、悪いことをしたら「天国」に行けるだろうか?などとは考えません。日本は恥の文化だと言われますが、「恥」とは先祖や両親など現実的な世界の人に対する関心、あるいは「存在」ではなく「人間の心情」という基準によって考え方の基本としています。
 一方で、欧州は罪の文化だと言われます。それは常に神の目を意識して判断しているわけです。そして死後の世界からこの世を考えます。つまり、「存在」(神は「存在させるもの」=「天国の存在」だからです)を意識しているのです。
 つまり、欧州と日本で傾向が異なるのだから、考え方だけを取り出した「哲学」がわかりずらいのも当然と言えるのです。また、政治改革を目指し、それを抽象化して基礎づけるのが「哲学」でしたが、日本の哲学を教える方法は、そういった目的や意図などを教えないことが多いようです。すると「哲学」は一般的な知識とは全然関連のない知識になってしまいます。だからますます、考え方だけになってわかりにくくなってしまうのでしょう。こうした原因で哲学は日本人にはわかりずらいのです。

5. 哲学の意義

このように哲学が考え方の方向が違うことと、政治的な意図を切り離しているために、哲学はより難解になってしまい、日本のアカデミズムは「哲学」を「哲学史」を捉えるようになりました。「哲学史」というのは、筆者の非常に狭い知識でいえば、「だれだれはこう考えているが、もう1人はこう考えている、その違いは何々である」のような手法のことです。哲学者の環境にも多少留意するのですが、基本的には考え方の違いを見つけているように見受けられます。しかし、このやり方は、「哲学」の根本的な方向性である政治改革というものを見落としているように思われます。「哲学」とは非常に抽象的なことをやってはいますが、それは現実的な改革を裏付けるための方便にすぎないのです。非常に抽象的だからといって、現実と切り離された高尚なことではないのです。時代時代によって人間の志向が異なるのは当然だし、政治状況も異なります。「哲学」には、作り出したプラトンや完成させたヘーゲルの例を見るように、現実を如何に律していくか、という意図が含まれています。こういう現実を如何に律していくか、という道徳的面は、3世紀にプラトン主義がキリスト教に摂取される際に、欧米の考え方に導入されました。キリスト教が欧州の考え方の基礎であるには論を待ちません。
一方、日本では哲学者同士で異なっていて当然であるそれぞれの「哲学」の相違点を挙げるのに集中しているように思われます。それゆえ、「哲学」は「哲学史」になってしまったのでしょう。
 しかし、プラトンが「哲学」を立ち上げた意図をくめば、こうした態度はナンセンスなのかもしれません。また、ありのままという態度を改め、目標や道徳という基準をもって現実を改革していこうという素晴らしい傾向が「哲学」にはあります。現代日本は、経済的成功を成し遂げましたが、精神的な目標や指針、道徳の退廃といった課題が積み重なってきています。こういう時代にあって、「哲学」の素晴らしい傾向は、基本的な考え方が異なるにしろ、精神的な価値の重要視や、道徳の形成という面で1つの指針となろうと思います。
 こうした面に「哲学」の意義を見いだせると考えます。以上で「なぜ哲学はわかりずらいのか」という疑問に対する回答を終わりたいと思います。
2001年02月03日 01時30分37秒