本日はインタビューを快く引き受けていただきありがとうございます。早速ではございますが,始めさせていただきます。

 

先生は東京出身で、ずっと東京で生活されてきたわけですけど、二年前アトリエを地方(群馬)に移されたのはどうしてですか?

作品にウソをつきたくなかったから。

それはどういうことですか?

僕が表現したいのは自分の中の感性ではあるけれども、それを自然の形や線を借りて描いている訳で。それを自然のない東京で描いたら、その線は自分で作ったウソの線になってしまう。

では、先生は都会や人工的なものを否定なさるのですか?

そうではなくて、人間は自然の一部だからもちろん人間のつくったものも自然の一部だと考えているよ。ただ、人間至上主義の考え方の中では、人間も自然の一部だってことを忘れてしまうよね。

人工的なものを否定しているわけではなく、創作活動において目に映るものを大切にしようということですね。

あとは空間が必要だったこと。それは制作においてもある程度距離をおいて作品を見たかったし、東京だと窓を開けると隣の塀だし、空は小さいし空間は物が多ければ、それだけ視野は狭くなってしまうよね。

それは、都会で暮らしていたからこその必要性ですね。先生は選ぶということに関して、どうして制作の手段として木版画を選んだのですか?

僕も始めは油絵から入ったんだけど、筆や鉛筆で描くことに少し違和感があって、木版画にであったとき、体をつかって彫刻刀で木を彫るということと、さらにそれを刷るという間接的な表現方法が自分にあってると思った。

先生は木版画でも、特に水性ということを重要視されているようですが、作品の題名にも水に関係のあるものはよくでてきますね。

けっきょく水は自分のテーマも含めて、すべてに通じるんだよね。自然であり女性であり男性であり人間であり、世界であり物質であり精神であり感情であり、全てに結びつくよね。

もう一つは水のなかでも特に湿気とか湿度というテーマがあって、それは日本の美術や風土に密接に関わるものでしょ。そこから感情が表れたり四季が生まれるわけだから自分は日本人で日本で生まれ育ったことをふまえたうえで、それを個人の感情や人間の行動に置き換えたり、それを通して個人を認識することができるよね。

木版画にも水は絶対欠かせないものだから、先生のテーマにいかに木版画という手法が適しているかよくわかりますね。

あと和紙も水に密接に関係してる。最近ドローイングというかたちも作品に取り入れるようになって、そのとき漆を好んで使っているのだけど、それは漆という素材が湿気と密接に関係しているから。湿気によって乾いたり色が濃くなったりする不思議な素材なんだよね。

木版画に欠かせないものとして木がありますが、木も水に通じるものですか?

あるいは相対するものかもしれない。形が流動するもの(水)と、存在感があり物質的なもの(木)と。男と女みたいに。どちらが男でどちらが女かはわからないけれど。

2つの感性という意味でですね。