あるがままになにもかも すべては輝きあふれ。

Start: April-2002
更新日.


深き淵より(自画像)

Masaharu Tanjoh. Museum of Art
丹正雅晴 美術館
ありがとう 今 生きている


(新)僕の絵をラベルに使った芋焼酎が発売されています。
翠王(すいおう)と言います。
友人の三村勝則君がプロデュースして出来た岡山初の本格芋焼酎です。
彼はジャズトランペッターとしても活躍しています。よろしくお願いします。


短編映画「夜のひとかけ」「幸せに眠る」 魚喃キリコ作品  矢崎仁司製作
に 私のギター小品「波よ輝け」が使われました。
本当に嬉しかった。



真実はすべてに溢れ、あるがままに


波と海

 
雲は静かに音をたてて流れ、流れ。
海はうねる、波は寄せては返し、黒い岩に真っ白な炎となって砕け散る。

矛盾だらけの己の中で、自分は最低の人間だという思いと、
訳の分からない悲しさ、燃え上がる怒りと、
冬枯れの川辺の木々や、行き交う鳥の叫びが響く。
「すべての人や、すべての物が救われる何かが在るはずだ。」という思いが、
もつれた糸をより深い淵に落とし込んでいた。
その闇の底で「今、お前は生きている。」と言う声を聞いた。
「生も死も無い生命を今生きている。」
一瞬 すべては輝き、歓びにあふれ、すべての問が解けたのだ。
すべてはあるがままにそのままで救われていると気がついた。
これが美しく、あれは醜いという世界観しかなかったものが、実はすべてが美しく輝き溢れている事に気がついた。
 

雲は静かに音をたてて流れ、流れ。
海はうねる、波は寄せては返し、黒い岩に真っ白な炎となって砕け散る。何も無い 何もいらない。
波は、海、砕け散る飛沫も海なのだ。
ただそれだけなのだけれど、それは 歓喜だった。
                                         


 


(新)自分を知ると言う事

(波と海2)

ここに海が有ります、完全な光に満ち、輝き溢れる永遠の生命の海です
多分、、、、静かな鏡の様な海の上にどこからか認識の風が吹き、波が生まれたのです
大きな物小さな物、小さな小さな波の飛沫さえ生まれたのです
各々に個性が有り、差別し認識し、各々の生きざまで生きて行くしかない
悩み苦しみ悲しみ喜び、個を主張して生きているのです
生から死へ

海を知らず

しかしどんなに小さな波の飛沫でさえ、あるがままに海そのものなのです

自分を知ると言う事は

自分が
差別感に囚われ、欲望に囚われている時には
波であり、飛沫でしかなかった存在が
悲しみ、苦しみ、空しさによって
そういった自分を捨てざるをえず捨て
自分が死ぬ事によって
永遠の生命と一体である己に目覚める事なのです

小さな波の飛沫のような自分でさえ
海そのものなのだと気付くのです

取るに足りない生命でさえ
神そのもの、仏そのもの
永遠の生命、無限の生命そのものなのです

波は各々に個性が有り、他と比べる事によってのみ他と己との差別点を際立たせ
個性を理解する事を自分を知ると言う事だと思っているのです

しかし自分を知ると言う事は自分は海である事を知る事なのです


丹正雅晴


なぜ気付かない、真実はすべてにあふれている。


Gallery<油彩画>

Gallery<水彩画>

思いつくままに

Mail

Link


このページは GeoCitiesです 無料ホームページをどうぞ