あやの場合


あの子は私を、私達を置いていってしまった。
自分で勝手に、勝手に前へ進むために。
自分だけで、自分だけが。
何をすればいいのか、何ができるのかわからない私達を置いて、さっさと。
自分の道を切り開くために、私達を捨てたのだ。
親友と思っていた私達を、裏切って。

「くやしい」

世間から見れば成功しているのは私達の方かもしれない。
一応安定している収入もあるし、とりあえず自活しているし。
でもあの子は、私達には手の届かないものを手に入れてしまうかもしれないのだ。

「くやしい」

きっと私はこのまま、何事もなく老いていくだけなのだろう。日々、生活に追われて。
気のせいかこの二年間、ものすごくあっという間に過ぎた気がする。
仕事に追われていたせいかもしれないが、今まで生きてきた中で、時の立つのは早いと実感できた初めての日々だっ た。
色々なことがあった気がするが、思い出してみるとほとんど何もなかったことに気づく。
私はこの二年間何をしていたのだろうか?

そういえば最近ドラムも叩いていない。
当たり前か。
叩く場所も環境も今の私にはない。
あの時にそんなものは全部なくなってしまった。
あの子に置いていかれた時に。

「あや!」

彼だ。
売り場だというのに、名前で呼んで欲しくない。
そんなに、自分のものだということを周りに示したいんだろうか。
二人きりの時なら嬉しく感じるその声も、こんな場所ではただ煩わしいだけだ。

彼は私に耳打ちするとにっこり笑って走り去った。

『彼が好き?』
たぶん。
『彼の声が好き?』
たぶん。
『彼の手が好き?』
たぶん。
『彼の背中が好き?』
たぶん。
『彼の胸が好き?』
たぶん。
『彼といると幸せ?』
たぶん。
『彼といるとたのしい?』
たぶん。
『彼のどこが好き?』
…わかんない。
『彼の気持ち知ってる?』
…わかんない。
『彼が好き?』
…わかんない。

「長谷川さん!」
現実に引き戻される声。
「いーわねぇ、仲良しで。でも今は何の時間?」
「……」
この人のこういうとこが嫌だ。
うらやましい癖に。
後輩をいじめて気持ちよがってる。
他にやることあるだろ?他にさ。
いったい幾つになったんだ。
いい年こいて男もいない癖に。

『彼氏がいれば偉いの?』
…わかんない。

違う、違うんだ本当は。
私、本当はこの人の事を尊敬している。
仕事もできるし、面倒見もいい。マネージャーからも信頼されている。
この人の言うことは全然間違っていない。
実際この人から学んだことはたくさんあった。
今まで私がここにいられたのはこの人のおかげと言っても言い過ぎじゃない。

「…すいません」
「わかったら、そこの商品品出ししといて。おわんなかったら残業だよ」
「はい」

私は一体何だろう。この人のようになれるのだろうか。
この人のように、ずっとここでいいのだろうか。
この人はここでよかったのだろうか。
他に何か、もっと何かがあったのではないだろうか。



高校時代の友達のみゆと久しぶりに会った。
偶然会ったので不覚にもはしゃいでしまった。
しかし、10分もすると話すことが無くなってしまった。昔と違ってぎくしゃくした感じになっていた。
二年も離れると会話が食い違う。
もう昔のようにはなれない。二人ともどこか変わってしまったのだろう。

「あやちゃん、知ってる?」
沈黙をやぶるようにみゆが言う。
「何?」

私は彼女がタバコを吸わないの気づいた。昔はあんなに吸っていたのに。

「めぐっちのことなんだけど」

聞きたくなかった。
あの子のことを。
あの子の名前を思い出したくなかった。
楽しかった時を、三人で楽しかった時を、あの子に置いていかれた時のことを。

「めぐっちのバンド、今度CD出すんだって!」

嬉しそうなみゆの顔がじわっと滲んだ。
私は何で泣いているんだろう。
悔しいから?
嫌だから?
思い出したくないから?

「あれ?あやちゃんどうしたの?」

みゆがのぞき込んでいる。
私は目からあふれる涙を隠すように上を向いた。
でも涙はとめどなくあふれ出てくる。
ついには頬を伝うのを感じた。

「私……」
「あ、あやちゃんごめんね。こんな話聞きたくなかったよね。ごめん」

『くやしいから?』
ううん。
『嫌だから?』
ううん。
『思い出したくないから?』
ううん。
『めぐみの事が嫌いだから?裏切られたから』
ううん。

嬉しいんだ。
あの子が自分の道を、自分で歩いているのがわかったから。
私達が歩けなかった、歩こうとしなかった道を歩いているのがわかったから。
あの子が誰かに認められたから、私は嬉しいんだ。

「きらいじゃないんだ」
「え?」
「めぐみ…よかったね」

今度はめぐみに、本人にこの言葉を言おう。
よくやったね、がんばったねの花束と一緒に。
彼女に会いに行こう。私もがんばって生きていると伝えに。
好きな人もいるし、いい先輩もいる。
今私は幸せなんだと、心から幸せなんだと、伝えに行こう。

「あやちゃん?今度ライブやるみたいだよ。一緒に行こうね?」

みゆの笑顔に、私は何度もうなずいた。
私も誰かに認められたい。
私の存在を認められたい。
私達はその為に生きているのだ。
生きていくのだ。

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